File002 〜箱の中身は何だろな〜
「おらららららっ!!!!」
今日のオフィスは騒がしい。と、言っても居るのは一人、B.F.星5研究員、ノールズ・ミラー(Knolles Miller)だけである。
彼は目にも止まらぬ速さで、パソコンのキーボードの数字部分を連打していた。遊んでいるのでは無い。実験の数値を気合いで打ち込んでいるのだ。
上に提出するのは報告書だけではない。実験で用いた資料、新たに作成した資料。当たり前だが、自分たちで作るのだ。
「うおおお!!」
気合いというのは凄いもので、数分前まで机に突っ伏して死んだ魚のようになっていた彼は、エンジンがかかってキーボードを叩いている。
そこでオフィスの扉が開いた。
「ノールズさん、報告書見せてきま_____何してんですか」
「うおおっ!!!!」
ッターン!!
彼がエンターキーを弾くように押した。
「......っふ」
「やりきったみたいな顔してこっち見ないでください。凄く腹が立ちます」
「......」
部屋に入ってきたのはノールズの助手、ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)。常に冷静沈着、自分にも上司にも厳しいB.F.星3研究員だ。
「この前の実験の数値を打ち込んでたの。あまりにも数字が多くて終わりそうもなかったから、気合を入れながらやってたんだよ!」
「煩いので俺が居る時はやらないでくださいね」
報告書を手渡しながらラシュレイは言った。ノールズはありがとう、と若干落ち込んだ様子で報告書を受け取る。目を通すと、今回は通ったらしく、ぺけなしで判子が押されていた。
これで何も無かったら、また死んだ魚に戻っていただろう。
ノールズはホッと胸を撫で下ろす。
「あ、そういや、今日も実験入ってたっけ」
「ええ、15時からです」
時計を見ると14時半を指していた。
「ありゃ、あと30分しかないじゃん」
実験室は使用時間厳守なので、ノールズは「行くかあ」と呟いて重い腰を上げる。ここ最近デスクワーク続きで、腰と首が痛い。
助手の彼にマッサージを頼んだが「一人でやってください」と何とも悲しい返答があった。
オフィスを出て、実験室へ向かいながら対象の確認を行う。ノールズが持つバインダーには、対象に関する情報が載っている。
今日二人が実験する超常現象は、とある白い箱。
何でも自分を望むものを出してくれる、という夢のような能力を持つらしい。
ノールズはこの超常現象を任された時から楽しみで、今日を待ち焦がれていた。自分の欲しいものを何でも出してくれるなんて、誰しもの夢ではないだろうか。
箱が見つかったのは、今は潰れてしまった劇場の裏にある物置。昔、マジックなどの出し物に使われていたらしい。マジックと言われると、何だか納得する。
「今日の実験は久々にワクワクするやつだねー」
「そうですか」
「え、そうでしょ! 欲しいもの出してくれるんだよ? 夢みたいだよ!」
「はあ」
相変わらず助手の冷たさは変わらない。
そうこうしているうちに、実験室に着いた。実験室の真ん中にある台の上に、噂の白い箱は鎮座している。
白い実験室に白い箱。目を凝らさなければ置かれているとは気づかないほどに、後ろの壁に溶け込んでいた。
「見づら!! もう少し場所なかったの!?」
「いや、俺に言われても。他の実験室は埋まってますし、寧ろこんな箱にこんな大きな実験室使わせてくれる方がありがたいと思うべきだと思うんですが」
「そっか......まあ、それもそうだよね」
二人は箱に近づいてみる。持ち上げてみると、底がない。欲しいものを望んで持ち上げると中に現れるのだろう。今は中に当たり前のように何も無い。
「よし! 早速やろうか、ラシュレイ!」
「はい」
因みにこの箱、既に一回目の実験は済んでいる。
実験は何度も行われることがある。必要な情報はたった一回の実験で手に入るとは限らない。少しずつ日を置いて情報を集めるのだ。
一回目の実験では、七歳の女の子と60代の男性で行われた。
まず、男性は孫に会いたいと願った。すると、箱の中から彼の孫の写真が出てきた。
続いて女の子がプリンを食べたい、と願った。プリンはしっかりと出てきたそうだ。そして、女の子が箱を開ける度に、プリンは永遠に出てきたらしい。
一回目の実験で分かったのは、特定の人間や動物という、唯一無二のものは、何か違うもので代用されて出てくるということ。
また、願いは次の願いまで継続されたままになるということ。
ここまで良い結果が出ているというのなら、二回目の実験をやる必要があるのだろうか、とノールズは思うが、こんな夢のようなワクワクする実験もなかなかないので、めいっぱい楽しもうと思っていた。
もちろん、それを口にしたら絶対にラシュレイに怒られるので、彼は何も言わないのだが。
「よーし、やるぞ!」
ノールズは箱を置いて、腕組をする。何を思い浮かべるかは自由だ。
好きなものか、もっと他の何かにするか......。
「報告書に纏める際に恥ずかしくないものにしてくださいね」
少し離れた位置でラシュレイが言う。
「はーい」
相変わらず緊張感の無い声が返ってきた。
ノールズは少しの間腕組をして悩んでいたが、やがて決まったのか、ワクワクした様子で箱の上に手を置く。目を瞑って強く何かを念じているようだ。
「ん〜〜〜っ! 来いっ!」
パカッと彼は箱を持ち上げた。そこには_____、
「やったああ! ドーナツ! ドーナツだよ、ラシュレイ!!」
白いプレートに乗った二つのドーナツ。ひとつはイチゴ味のチョコレートが全体にかかったもの、もうひとつはチョコレートのコーティングの上にキャラメルソースがかけられたものだった。
そんな二つのドーナツが、甘い匂いを漂わせて重なるようにしてプレートの上に鎮座している。
ラシュレイは何となく察しが着いていた。彼が大好物を頼むのであろうことを。
「俺は報告書に纏める際に恥ずかしくないものにしてください、と言ったはずだったんですけれどね。さっきの話、聞いていましたか?」
「え! うっま!」
「食ってるし」
ノールズは、ラシュレイの話などまるで聞いていない様子だ。ドーナツを掴むと、幸せそうな顔で頬張っている。
あっという間に食べ終えて二つ目に手を出そうとするので、ラシュレイはため息をついた。彼には何を言おうと、ドーナツの前では無駄なのだ、という諦めのため息であった。
それを聞いたノールズが振り返る。
「どうしたのラシュレイ!! 食いたいの?」
「んなわけないじゃないですか」
恐ろしく冷たい声と目で返ってきたが、ノールズは全く気にも留めていない。二つ目にもかぶりついている。
「早く実験進めますよ。あと20分しかありません」
「んむ、じゃあラシュレイも何か出してもらいなよ」
口いっぱいに頬張っているので喋りづらいらしい。くぐもった声が聞こえてきた。
「はあ......そうですね」
ノールズはドーナツを味わいながらも、真っ直ぐと箱に向かう助手の姿を観察していた。
そう言えば、彼の欲しいものが分からない。ラシュレイは欲しいものが無い。無欲なのだ。
何か好きな食べ物があるという話も聞かないし、そもそも彼は会話を弾ませるつもりもないのか、いつも一問一答で、答えは「ある」、「ない」、「はい」、「いいえ」、「はあ」である。
「ん〜......」
ラシュレイが箱に向かって念を送っている。
そして、すっ、と箱を持ち上げた。
しかし、
そこには何も無かった。ノールズは眉を顰めて彼を見る。だが、彼は特にがっかりしている様子でもない。
「何も無いじゃん。一体何が欲しいのさ、ラシュレイ?」
「......」
ラシュレイがノールズをチラリと見て、小さく口を開いた。
「休暇です」
「あっ」
その一言にその場の空気がズドンと重くなったのを感じた。ドーナツを食べ終えていた彼が、
「......休みたいね」
と、苦笑いを送る。
するとラシュレイも、
「はい......」
と、若干肩を落として頷くのだった。
*****
ノールズのドーナツの結果はともかく、ラシュレイが休みを願って分かったことがひとつ。
_____この箱は「概念」が出てこない。
やがてこの箱は食堂の食材庫代わりに使われるようになったんだとか。食べ物のバリエーションが増えて職員たちも大喜びしたそうな。
そしてノールズは、そっと報告書の端にペンを走らせた。
『職員にもっと休暇を!!』
もちろん、赤い二重線が引かれた添削済みの報告書が、彼の元に返ってきたらしい。