一触即発-2
ブライスらは国への資料の提出と新たな超常現象や、実験記録のレポートの発表を終え、B.F.にある会議室の何倍もの広さの部屋から出てきたところだった。廊下にいるのは、国を纏める上層部の人間達だ。堅苦しいスーツに身を包み、他の国や自国の情勢について語り合っている横を、三人は通り過ぎた。
「はあ、疲れた。お腹も空いたし、倒れそうだよ。スーツも早く脱ぎたいね」
ナッシュがため息をつく横で、ドワイトは「そうだ」と思い出した様子で、
「そこの角を曲がったところに飲食スペースがあったよ。そこで軽食をとっていこうか」
と、提案をした。
ドワイトの言う通り、会議室から出た廊下の角を曲がると、小さな飲食スペースが設けてあった。ジュースの自販機と、軽食が買える自販機が置いてあり、テーブルと椅子が三セットずつ置いてある。三人はそのひとつに腰を下ろした。
「いやー、疲れたねえ」
ナッシュがネクタイを緩めて、椅子の背もたれに背中を預ける。ドワイトは三人分のホットコーヒーを購入してテーブルの上に置いた。そして次は食べ物の自販機を覗き込んだ。
「わあ、サンドイッチがあるよ。ナッシュとブライス、何がいい?」
「俺はいらん」
「チキンサンドがあれば、それでお願いするよ」
ブライスも腹が減っているだろう、と考えてドワイトはこちらも三人分のチキンサンドを購入した。冷凍のものを温めて出してくれるようだ。ドワイトがサンドイッチが出てくるのを待っていると、後ろから大きなため息が聞こえてきた。ナッシュである。
「はあ、お偉いさんって何であんな性格ばかりなんだろうねえ」
ナッシュは今度はテーブルに突っ伏す。
「性格だけでなく頭も悪いとなると僕らの研究成果も理解に苦しむのは頷けるよ」
こらナッシュ、とドワイトがサンドイッチを自販機から取り出しながら彼を宥める。熱々のサンドイッチが三つ、テーブルに並んだ。ナッシュとドワイトがそれを頬張る横でブライスは会議で貰った資料を読み込んでいた。
「亡くなった研究員の慰謝料が著しく下げられたな」
ブライスの言葉に反応したのはドワイトだった。眉をひそめてサンドイッチを飲み込んでいる。
「......それは、どういうことだい?」
ブライスは放るようにバサッ、と資料をテーブルの上に置いた。
「金をどこかで巻き上げられているんだろう。俺らの部下の命を良いように使ってる輩も少なからず居るということだな」
「......あの一番偉そうな方かい?」
ドワイトが声を潜めて問うが、ブライスは頷かなかった。返事の代わりなのか、ドワイトが買った自分の分のサンドイッチを口に運び出す。そして、咀嚼しながらチラリと、休憩スペースの壁にかかっている時計を見た。
「この後は真っ直ぐ帰るのか?」
「ああ、私は用事があるんだ。帰りにスーパーに寄ってくれるかい? 洗剤を買いたくてね。部屋にあったストックが無いんだよ。食堂からも食器用洗剤を買ってきて欲しいって頼まれていたんだ」
ドワイトが肩を竦め、ナッシュの方を見る。
「ナッシュは何か必要なものはあるかい?」
「うん? ああ、僕は特別買うものはないかな。取り敢えず、一刻も早く帰りたいよ。外の世界の方が肩身が狭く感じるなんて、何だか矛盾しているような気がするよ」
うんざりした顔で、サンドイッチの最後の一口を口に放り込むナッシュを見て、ドワイトは苦笑した。
外に出てくる度に、B.F.での地下での暮らしに慣れすぎてしまったのか、妙にあの施設が恋しくなるのだ。
それはナッシュに限らずドワイトもそうであった。
もうかれこれ20年以上はあの施設に居るし、彼処で待っている人が居ると思うと早く帰りたくないわけが無い。
外の世界も新鮮でたまには良いと思うが、やはり自分たちはこうした堅苦しいスーツや、外部調査の時のラフな格好よりかは、B.F.で常に纏う白衣の方が落ち着くのであった。
三人は昼食を食べ終えて、来た時よりも幾分か軽くなった紙袋を抱えて再び廊下を歩き出した。
「帰ったら溜まった仕事を片付けないとね」
ドワイトが歩きながら言った。
三人がいない間に報告書が溜まっているだろう。それに目を通して添削するのが三人の仕事の一つである。
「お偉いさんの相手をするよりかはいいんじゃないのかい」
「ナッシュ、言葉には気をつけろ」
ブライスが真っ直ぐ前を向きながらそう咎めた時だった。廊下の反対側から三人の男が歩いてきた。当然このまま歩けばブライスらはぶつかってしまうので、端に寄ろうとしたが、向こうの真ん中にいる男がブライスを見ると大袈裟に両腕を広げた。
そして、大きな声で、
「やあやあ、これはブライス・カドガン博士ではありませんか!!」
と、言った。ブライスは足を止めた。後ろを歩いていたナッシュとドワイトも自然と足を止める。
男は黒いスーツに身を包んだ細身の男だった。背筋をピンと伸ばして、ワックスで硬めた茶髪が天井の光を反射している。男からは強い香水の匂いがしたが、ブライスは顔色ひとつ変えずに男を真っ直ぐ前から見据えている。
男はブライスの全身を舐めるように見て、「いやあ」とニヤニヤ笑みを浮かべた。
「相変わらず日に焼けていない綺麗な肌ですねえ。地下での実験漬けの日々と聞いていますよ。今日は良かったですよねえ、快晴で。久々の外も天気が悪かったらさぞかし気分が優れなかったでしょうに」
嫌味たっぷりな男のセリフを聞いてもブライスはただ黙っていた。男はブライスが黙っているのが気に食わなかったのか、さらに声を張った。
「それにしても、今日は素晴らしい公演でしたよ! なんでしたっけ......そう、終末世界!! あんなもの実際に存在するんですねえ! まるでファンタジーだ! 私はまだ半信半疑ですが、あの写真も資料もよく出来ていました。職員もかなりの数、犠牲になったようで。さぞかしお辛い思いをされたでしょう。聞けば、あなたの命令で命を散らしたんだとかね。慰謝料も馬鹿にならないんじゃないですか? 私には到底そんな仕事務まらないでしょう」
早口でものを捲し立てる目の前の男をブライスはただただ静かに見つめていた。男はブライスが無反応なのが気に触ったようで、
「何とか仰っては?」
と、軽くブライスを睨みつけた。
「ああ、もしかして、久々の地上に緊張されているとか、ですか? 実験漬けなら会話もしないんですかね。それなら喋るのは久々でしたか。失礼しました、私が話しすぎましたかね。もう少しゆっくり喋らないと。手帳にメモをしておきますかね」
男がくすくすと笑った。男の言葉に過剰に反応したのは、ブライスの斜め後ろにいたナッシュだった。
「誰ですか?」
「はい?」
「ブライスにこんな知り合いがいただなんて知りませんでしたよ。簡単に自己紹介をお願いしても?」
ナッシュの上品な微笑みに男は一瞬たじろいだ。
「あ......ああ、これは失礼!! 私はマクナマラ社のアルフレッド・レヤードと申します!」
「そうですか。やりがいのある仕事ですか?」
ナッシュは男の名前と会社名など心底どうでもよさそうに次へと質問を移した。
男はナッシュの切り替えの早さに慌てて、
「え? ええ! そりゃあもちろん!! 社員育成も手を抜かず、様々な会社を併合して、今では立派な大企業ですよ! ほら、メディアでもよく名前を聞くでしょう?」
「そうですね」
ナッシュは目を細めた。その目はもう笑ってすらいなかった。
「光の当たらない場所で働く僕らとは違い、まるで太陽のようだ」
「そうでしょう」
「眩しすぎて、目に入れるのが億劫になるほどにね」
「........は?」
男の表情がピシッと固まったのと、ナッシュ、とドワイトが彼の肩に手を置いたのが同時だった。しかし、ナッシュはドワイトの行動に反応すらしない。男に向かって真っ直ぐ正面から言葉を投げつける。
「貴方は小さな花のような人間ですね。その小さな綺麗な顔には、きっと素敵な女性社員たちが蜂のように群がるに違いありません」
「ナッシュ」
ブライスが、そこまでだ、とでも言うように彼を軽く睨みつけると、キョトンとしている目の前の男に小さく一礼した。
「我々はこれで失礼します、アルフレッドさん」
そして、三人はそのまま男たちの横を通り過ぎた。ドワイトが申し訳なさそうにアルフレッドに頭を下げ、ずんずん進んでいく二人の背中を早足で追いかけて行った。
廊下を少し行ったところで、さっきの男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「このイカれた死神共め!!!!」
*****
「エスペラント......?」
ノールズの言葉に、イザベルは
「聞いたことがあるわ。非政府組織エスペラント。ジェイスさんやハンフリーさんが担当したクローン人間、ソニアとニコラスって居るでしょう。あの子たちを造った会社よ」
「それって......」
ノールズは久々に聞いた自分の先輩の名前に僅かにたじろいだ。
「イザベル君は少しの知識があるようだな」
ベルナルドがよく通る声でイザベルに言った。
「......そのエスペラントが、私たちにどんな御用があるのかは存じませんが」
イザベルは男から警戒を解かずに冷たく返した。
「ふむ、知りたいだけだ。B.F.でどんな実験が行われているのかをな」
「それを知ってどうするつもりだ」
「そうだな、我々の未来に役立てるのさ」
「......私たちが溜めてきた情報を横取りするつもりですか?」
イザベルが眉を顰める。
「聞き分けの悪いことを言わないでくれ、イザベル君。勿論、プライベートなことは黙っておいてもらって構わない。俺が知りたいのは、たった一部の情報だけなのだからな」
ベルナルドがそう言った時、ノールズ達の後ろの扉の三枚が一斉に開く音がした。振り返ると、さっきの武装した男たちがノールズ達に銃を向けて近づいてくる。たちまち五人は囲まれてしまった。男たちの壁の向こう側からベルナルドの声が聞こえてくる。
「此処に一人だけ残って俺とお話でもしようじゃないか。なに、怖がることは無い。俺が投げる質問に対して答えてもらうという、簡単な作業を行ってもらうだけだ」
男の壁が少しだけ隙間を作り、その間からベルナルドが見えた。ベルナルドはいつの間にか椅子に座り、ノールズ達を眺めている。
「まあ、残ってもらいたいのはカーラ君だけだがな」
「......!!」
カーラの顔色が変わるのを面白がるように男が目を細める。ノールズがカーラの前に手を広げた。
「残るのは俺だ!」
彼はそう叫ぶと、ベルナルドを睨みつける。
「待ちなさいノールズ!」
「ノールズさん、ダメです!」
イザベルとキエラが同時に言うが、ノールズは聞く耳をまるで持たなかった。
「イザベル、ラシュレイ達をお願いしてもいい?」
「......あなた、本気なの?」
そこでノールズはイザベルを振り返った。
「安心しなって。別に、答えられる範囲で答えるだけ。イザベルは三人を守ってやってよ」
「馬鹿言わないで、私が残るわよ」
「ダメダメ、これは俺の仕事だから」
ノールズはニイッとイタズラっぽく笑い、ベルナルドに視線を戻した。その顔はもう笑っていなかった。
「俺が此処に残る。他の奴らは解放しろ!!」
「なるほど、ノールズ君が残るか」
ベルナルドが興味深そうに顎髭を撫でている。彼の目は全く心が読めない。ビー玉のような目の冷たさは離れている距離でもノールズに突き刺さった。
「まあ、いいだろう。話は出来そうだしな。おい、連れて行け、金髪の男以外だ」
ベルナルドの命令に、五人を取り囲んでいた男たちが動き出した。ノールズ以外、腕を掴まれて扉の方へと引きづられていく。
「ノールズさん!」
キエラが叫んだ。が、その姿は男たちの壁でほとんど見えない。キエラが少しだけ隙間から見たノールズは、心配すんな、とでも言うように笑っていた。
*****
イザベル達が連れてこられたのは、暗い地下にある部屋だった。部屋は透明なガラスの壁で二分割されていて、全体は白で統一されていた。病院のような消毒液の臭いが四人の鼻腔を突いた。
四人は二分割された部屋のうちの一部屋に乱暴に押し込められた。
部屋の扉は頑丈そうな硬い素材で出来ているようで、それもまた自動ドアになっている。イザベル達が入れられた部屋は言い表すなら現代的な牢屋のようだった。
「指示があるまで此処で待機しろ」
連れてきた男の一人がイザベル達に向かって冷たく言い放った。
「......彼に何かしたらタダじゃ置かないわよ」
男たちが部屋を出ていく。イザベルはその背中に向かってそう言った。
「イザベルさん......」
男たちが居なくなると、キエラは不安げに彼女を見上げる。イザベルは安心させるように、
「大丈夫よ、きっと出られるわ。人間なんか、超常現象に比べたら可愛いもんでしょ」
そう言って、部屋を見回す。
部屋の中には驚くほど何も無い。天井にはハッチのような蓋が着いているが、手を伸ばしたところで届かないほどに高い位置にある。そして、イザベルの目に奇妙に映ったのは、天井の四隅にある通風口のようなものだった。人が入れる大きさでは無い。精々、顔が入るか入らないかほどの大きさである。
「何だか不気味な部屋ですね......」
キエラが部屋を見回しながら言った。
「ええ、変な施設にある部屋なんだもの。変な仕掛けがあってもおかしくないわ」
イザベルは三人の後輩の顔を順に見る。ラシュレイは部屋を注意深く観察しており、キエラも同じである。ただ、カーラだけはさっきから震えていて一言も喋らない。イザベルは彼女の肩に手を置いて、
「カーラ、ゆっくり深呼吸してごらんなさい」
と優しく言った。カーラは震える唇で、ゆっくり息を吸い込み、そして吐いた。それを何度か繰り返しているうちに、彼女の震えは次第に治まっていく。
「落ち着いた?」
「は、はい......あの、イザベルさん......あの方、どうして、私の事......」
イザベルも「そうね......」と呟く。あのベルナルドという男が何故カーラを必要としているのか、全く検討もつかない。カーラは普通のB.F.研究員だ。彼女の反応からして特別知り合いだったというわけでも無さそうだ。
イザベルが思考を巡らせている横で、カーラはポロポロと泣き出した。
「もしかして、皆さんが誘拐されたのって......私のせいなんじゃ_____」
「そんなことないよ!」
キエラが慌てて口を開く。
「そうよ。それに、研究員としての経験が豊富なのは私とノールズだってこと、相手もよく分かっているようだった。話を聞くのに丁度いいのは私たちのはずだもの」
イザベルがカーラの涙を服の袖で拭ってあげていると、
「......エスペラントって、どんな会社なんですか」
今まで黙っていたラシュレイが口を開いた。
ノールズのことは差程気にしているようにも見えないくらい、彼の顔は無表情だった。
イザベルは頭の中にあるエスペラントの情報を一つ一つ整理しながら、
「そうね......エスペラントは、私たちと同じように超常現象を調査している会社よ。私たちB.F.と異なる点はまず、非政府組織である事ね」
「非政府で超常現象を調査しているんですか......?」
キエラが目を丸くして問う。
「ええ、B.F.にクローン人間のソニア・クーガン(Sonia Coogan)とニコラス・ファラー(Nicolas Farar)って居るでしょう」
「居ますね......」
キエラは頷く。
クローン人間のソニアとニコラスについてはB.F.では有名な話だ。
まだ自分がB.F.に入る前にクローン人間が見つかり、それがB.F.で保護されたのだという。
詳しいことまでは知らないが、そんなことがあった、というのはB.F.職員なら誰しもが知っている話である。
実際にソニアとニコラスの姿を食堂で見たことがあるキエラだが、他の人間と全く変わらない見た目に、彼らが本当にクローン人間なのだろうか、と思うほどであった。
「彼らを造ったのが、このエスペラントという会社なの」
「え......じゃあ、普通に世間の目についたらまずいんじゃないですか!? だって、クローン人間って法律で禁止されていますよね!?」
「そうよ、それどころかそれを野外に放した。そしてそれをB.F.で保護している」
「どういう意図があるんでしょうか......」
「さあ、分からないし知りたくもないわね」
イザベルは「それと」と、厳しい表情を作った。
「もうひとつ、この会社とB.F.の特異点は調べる対象が絞られていること、かしら」
「それはつまり......どういうことですか......?」
イザベルの言葉に眉を寄せたのはラシュレイだった。
「私たちB.F.が調査しているのは基本的に地上にある超常現象なの。ただ、エスペラントは......」
「空、とかですか......?」
カーラが控えめに尋ねる。
「その通りよ、カーラ。彼らは宇宙を中心に様々なことを調べているみたいね。非政府故に政府を通して情報交換もできないから、私たちが彼らについて持っている情報はこれくらいかしらね」
「ますます謎が深まりますね......エスペラントが僕らに何の用なんでしょう......」
キエラが腕組をして首を捻った。
「気になるところだけれど、とにかく今は此処から脱出する方法を考えなければならないわ。荷物も、携帯も取られてしまったし......外と連絡を取る手段は無いに等しいわね」
「そんな......」
肩を落とすカーラの横でキエラが小さく頷いた。
「自力で脱出する方法を考えないとですね」
「ええ、ノールズも心配なところだけれど、まずはこの部屋を隅々まで調べてみましょう」
「はいっ」
*****
ブライス達は外に停めてある車に、資料を積んでいた。黒いステーションワゴンである。その後ろでブライスが資料を積み、ナッシュは車の脇でドワイトと並んで立っていた。ナッシュはまだ気持ちが落ち着かないようで、苛立たしそうに、顔の横に垂れる銀色の髪をくるくると指に巻いていた。
「あんな悪口を真っ向から受けて反応が遅いなんて、なんて馬鹿な人間なんだろう」
「ナッシュ、あれは言い過ぎだよ。そもそも私たちが彼の怒りを買ったところで何になるって言うんだい」
ドワイトは呆れ顔でため息をつく。
「顔が小さいとか......女性が群がるとか......言葉が悪すぎるよ」
ドワイトの言葉にナッシュはむっ、とした顔で反論する。
「本当の事じゃないか、顔が小さい_____彼の脳みそは小さいんだ。小さいからあんな程度の低いマウントの取り方しか出来ないんだよ」
ナッシュがそう言うと深いため息が聞こえてきた。ブライスである。
「それはお互い様だろう。全く、余計なことを言いおって」
「でも君も言われっぱなしでいいのかい? いくら君があれだけ言われて腹が立たない心の広い人間だったとしても、僕はああいうのは腹が立って仕方がないんだよ。大事な仲間が貶されるんだったら、尚更ね」
「......はあ」
ナッシュに全く態度を改める気が無いのを察したのか、ブライスは再度大きなため息をついた。
「もういい、行くぞ」
ブライスが車に乗り込み、ドワイトとナッシュもそれに続いて後部座席へと乗り込んだ。
「久々にあんなに怒った気がする」
「気持ちはわかるけれど、もうあんなこと言っちゃダメだよ、ナッシュ。君を信じる子達があんな口調を真似しだしたらびっくりするよ」
「はいはい、お説教はもうたくさんだよ。ブライス、車を出してくれ」
「ああ」
車が静かに動き出す。午後の日差しが車内を明るく照らす。
カーラはちゃんと外部調査を出来ているだろうか_____。
ドワイトはシートベルトを締めながらそんなことを考えていた。
*****
ノールズは大きなモニターに自分の顔を映し出されていた。
「さて、まずお前の情報に誤りがないか確かめるとするか。ノールズ・ミラー、B.F.職員で最高ランク、助手はさっき一緒にいたラシュレイ・フェバリット君で間違いないな?」
ノールズは頷きもせず、ただ男を睨みつけていた。
すると、後ろから突然、
ガンッ!!
と背中に強い衝撃があった。
ノールズの後ろには武装していた男が一人居た。彼はノールズの背中を強く蹴りあげたのだった。
「返事をしろ」
男が低い声でそう言った。ノールズは床に両腕をついて、痛みにこらえる。そして体制を整えながら後ろの男を鋭く睨みつけた。
「まあ落ち着け、ゾーイ。なるべく彼に自由に発言してもらいたいからな。暴力は最後の最後に取っておけ」
ベルナルドの言葉に、ノールズを蹴りあげたゾーイという男は静かに彼から数歩離れた。ノールズは視線をゾーイからベルナルドに戻した。ベルナルドは椅子に足を組んで座っていた。まるで何処かの国の王のように。
「情報を何処から仕入れたのかは分からないが、お前らは一体何を企んでいる!! すぐにイザベル達を解放しろ!!」
ベルナルドは自分を見上げて声を荒らげるノールズを、まるで煩わしく鳴く動物を見るかのように冷たい目で見下ろしていた。
「ふむ......では平和に等価交換といこう。ノールズ君がB.F.の情報について素直に吐いてくれれば、俺は代わりにエスペラントの握る世界平和の鍵について君に教えてあげよう」
「世界平和......? 鍵......?」
ノールズが怪訝な顔で彼を見上げる。
「ああ、そうだ。エスペラントは世界を守るための鍵を握る重要な組織だ。我々が研究を進めていく過程でいずれB.F.が集めてくれた情報が必要になる時が来ると思っているのだ。だから、君の持つ情報を教えて欲しい」
「それは俺らに聞くべきことじゃないだろう! 下っ端の俺たちが持つ情報なんてゼロに等しいからだ!!」
ノールズが声を荒らげても、男は眉ひとつ動かさなかった。
「だが、君はB.F.の中ではかなり長い期間研究員をしているそうじゃないか。そんな君が情報をひとつも持っていないわけがないだろう」
ベルナルドの言葉にノールズがはっ、と嘲笑した。
「残念ながら、期待はずれだろうが俺の頭は膨大な情報を処理することができるほどの造りじゃない」
「ふむ...........そうか」
ベルナルドが顎髭を撫でて、ノールズから目を離さない。ノールズもまたベルナルドから一切目を離さなかった。
情報が何も無いと言えば解放してもらえるだろうか。そんな単純な期待は、彼の次の言葉で簡単に打ち砕かれた。
「では、君の助手にでも吐いてもらおうか」
「......」
「それとも、あの聡明な研究員のイザベル君にするかい?」
「......汚いぞ」
「ずる賢いと言ってくれ。さあ、話してくれるか、ノールズ君」
ノールズはぐっと唇を噛んだ。今此処で情報を吐いてしまえば後々どうなってしまうか分からない。イザベルにもラシュレイにも此処に呼び出されて尋問をされるようなら、自分が犠牲になるしかない。
だが、彼の質問には答えられない。国家機密の情報を彼に漏らすことは、B.F.を、国を裏切ることと同じである。
「......誰かが犠牲になるくらいなら、その役は俺が引き受ける。他のやつに手を出したら絶対に許さない」
ノールズは低い声でそう言ってた後ろに立つゾーイを振り返った。
「俺が暴力で口を割ると思っているんだったら、気が済むまで殴ればいい。俺は何も吐かないぞ。B.F.の情報は国家機密だからだ!!」
「......ふむ、なかなか頑固だな。そうか。ゾーイ聞いたか? 殴っても何も吐かないそうだ。まあそれならこいつに用がない。死ぬまで殴っていいぞ。ただし顔に怪我は負わせるな」
「はい」
ノールズは後ろから近づいてくる足音を聞いた。その瞬間、体を捻って足を振り上げ、その反動で立ち上がった。ゾーイと呼ばれる男は突然のノールズの攻撃に怯み、バランスを崩した。ノールズはそこを狙って拳を一発、二発と入れていく。ジェイスに、赤い箱で散々叩き込まれた護身術であった。
拳はゾーイには当たらなかったが、ノールズは足で彼に払い技をかけようとする。しかし、それは叶わなかった。
「!!?」
ノールズは後ろから後頭部に強い衝撃を受けた。そのまま前へと体は大きく傾き、ノールズは床へと勢いよく倒れ込む。いつの間にか、彼は武装した男たちに囲まれていた。一瞬にして音もなく近づかれていたのだ。
「いつの間に_____」
ベルナルドは、ノールズが突然ゾーイに襲いかかったの見て目を細めた。そしてそれが、元軍人のゾーイを怯ませるほどのものであったことに内心驚いた。
B.F.職員にはまだまだ様々な秘密がありそうだ。
彼は椅子から立ち上がって、二階部分のある扉へと向かい始める。そして、男たちに腹や背中を強く蹴られているノールズを冷やな目で見下ろし、周りの男に向かって命令を投げた。
「吐くまで蹴ってろ。俺はこいつらから収集したものを調べてくる」
「はいっ」
ゾーイを含む男たちが返事をする中、ノールズは体に鈍く響く痛みに顔を歪ませ、悔しい思いで扉に消えていくベルナルドを見た。
「ぐ、うっ、く、っそ............」
ベルナルドが見えなくなった瞬間、攻撃はさらに強くなった。極めつけは、ゾーイの一蹴りだった。心臓部分を彼の履いている硬いブーツの先端で勢いよく蹴り付けられた途端、ノールズの意識はフッと遠退いた。
*****
暗くなり始めた頃だろうか。B.F.の仮施設前を歩くひとつの影があった。影は施設を見上げると、その横顔に寂しそうな表情を浮かべる。
「............ん......?」
ふと、その影は草むらで、何かが光を出して震えていることに気がついた。それは、携帯電話だった。
*****
「んもー、何でこういう時に限って出ないんだよー」
此処は第一会議室である。会議室の壁には固定電話がかけてあり、その電話の受話器を手に取って耳に当てていた星4研究員のバレット・ルーカス(Barrett Lucas)は大きなため息をついた。
「まあ、もうホテルに着く頃じゃないかな? きっと仕事終わりのシャワーでも浴びてるんだよ!」
同室で資料を纏めながら明るい声で彼にそんな言葉を投げたのは、ケルシーである。
第一会議室には四人の男女が集まっていた。
バレットの星4の同期、ケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)、エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)、ビクター・クレッグ(Victor Clegg)である。
「いいなあ、外部調査」
バレットは受話器を置かずに耳に当てたまま言った。
「そうだな」
うんざり顔で頷いたのはバレットのペアのエズラであった。
「誰かのせいで俺らはもう二度と地上の派遣以来は来ないかもしれないけれどな」
「うわー、ひっどエズラ」
バレットが頬を膨らまして彼を軽く睨みつける。
エズラとバレットは共に一度だけ外部調査に参加したことがあった。
しかし、バレットともう一人の後輩研究員であるケーシー・キャンプス(Kasey Camps)が集合時間に大幅に遅れたことから、ナッシュに後々大目玉を喰らったのだった。
「いやだって、あの時は仕方なかったじゃんか!! お胸の大きいお姉さん事件含めてどうしようもなかったんだし!」
「それは関係ないだろ! 第一あのベティさんだとかいう人は、お前らが早く来ようが遅く来ようが、絶対にエレベーターに乗ってきていたからな!!」
「エズラがエレベーターのボタンを押すのが遅すぎたんだろ!!?」
「俺のせいだって言うのかお前!!」
二人の代名詞でもある喧嘩が幕を開けた。会議室が途端騒がしくなると、今まで黙々と作業をしていたしっかり組のビクターとケルシーがそれの仲裁に入る。
「落ち着け、煩い」
「バレット、電話に誰か出た?」
「え? ああ、まだ......」
ケルシーに言われてバレットは慌てて受話器を持ち直す。
四人は報告書の整理整頓と作成という理由で此処に集まっていた。
入社当時からほとんど一緒の四人は、終わらない仕事を手伝い合うということが多々あった。が、大抵はバレット・エズラチームの仕事をケルシー・ビクターチームで片付けてあげるということがほとんどである。
今日もビクターらがバレット達の仕事を片付けてあげていたのだが、この前この四人が、最近星4になったばかりの研究員ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)を含めて行った合同実験、『赤い箱』で分からない点が出てきたので、ラシュレイに彼が持つ資料を参考にするために資料の居場所を聞こうと電話をかけているのである。
しかし、さっきから電話には誰も出ない。
話によれば彼は今日、ペアである星5研究員ノールズ・ミラー達と外部調査に出かけているようである。この時間帯だとホテルに入っている可能性がある。シャワーなどで電話に出られないのなら仕方が無いものの、報告書の提出期限が迫っているのもあって、返事は急ぎたいのであった。
「んー......」
バレットが電話に集中したので、部屋には静寂が訪れる。エズラも今では口より手をテキパキ動かしている。ケルシーが時々ビクターに話しかけるくらいで、部屋に響くのは紙をめくる音くらいであった。
「もう後でかけ直してみたら?」
ケルシーが、全く受話器を置く様子が見られないバレットに優しく問う。
彼が彼処からなかなか戻ってこないのは机で待っている膨大な仕事を片付けるのが嫌だからだろう。そうでなければ、そもそもまずこの部屋に四人が集まらなければいけない理由はできないのだ。
エズラもバレットも生粋の面倒臭がりな点があった。実験に関してはそこまで苦ではないようだが、その後の報告書となるとなかなかペンが進まないらしい。
バレットが「うう......」と受話器を置くのを渋っている。
「諦めろ。戻ってこい」
ビクターが手を止めてバレットにそう言った時だった。
「あ、もしもし!? ラシュレイ!!?」
バレットが途端顔をぱあっと明るくさせて、電話の向こうに向かって言った。どうやら繋がったようだ。
しかし、その顔は一瞬で、
「え? ああ、えっと......はい......はい.....落ちていたんですか? 電話が............」
と、怪訝なものに変わる。残りの三人は作業する手を止めて顔を見合した。
「はあ......えっと、ですね......今はちょっと外に出られなくて......はい......えっと、ブライス・カドガンという名前がリストにあるはずなので、その人に_____え? 知ってる?」
バレットは目を見開く。
「元B.F.職員なんですか? ......はい......はい、じゃあ、あの、電話の持ち主は多分コンクエストホテルというとこに居ると思うんで.....ええ、はい......じゃあ、また」
電話を切られたらしいバレットはぼんやりとした顔で受話器を見つめている。
「何だって?」
ビクターが聞いた。
「ラシュレイ、電話落としちゃったんだってさ。そんで、拾ってくれた人が元B.F.職員の人だった」
バレットが受話器を持ったまま未だに呆然とした様子で立ち尽くしている。
「へー、ミラクルってやつだ!」
ケルシーが顔をキラキラさせてバレットに向かってそう言った。
「電話はどこに落ちていたんだよ?」
エズラがバレットを振り返る。
「仮施設の前だってー。なんか珍しいよねー、ラシュレイってそういうとこ抜けてなさそうなのに」
バレットは受話器を元の位置に戻しながら言う。
「たしかにな」
ビクターも首を傾げた。
ラシュレイは何度か会って思ったが、本当に年下かと疑うくらいに冷静沈着でしっかりしている。あの優秀な先輩のノールズのおかげだろうが、彼の場合その先輩をも超えるほどのしっかりさだ。
寧ろ目の前のこいつらに見習ってもらいたいくらいである、とビクターはエズラとバレットを交互に見た。
「親切そうな男の人の声だったけど、ホテルの場所分かるのかなー」
ラシュレイ達が泊まるのは、外部調査で一泊する研究員たちが必ず指定されるコンクエストホテルという場所だ。ビクターとケルシーが一泊二日の外部調査で一度泊まったことがあったが、豪華な内装にケルシーがとても満足したらしく、まだ泊まりたい、と帰り際に嘆いていたほどである。
「ホテルの場所なら今の時代調べればすぐ出てくるだろ」
エズラがバレットに返す。
「まあ、俺らは受け取りに外まで行けないしな」
ビクターがペンを動かし始めた。
携帯電話を仮に受け取りに行こうとしたとして、それは今の状態では不可能である。今日は伝説の博士三人も外に出ており、エレベーターを動かせる人がいないのだ。
星5研究員の誰かならマスターキーを預けられているような気はするが、電話の拾い主が直接ラシュレイに届けてくれるという話だったので、大丈夫だろう。
「分からなければきっとかけ直してくるんじゃないかな!」
「でもかけるとしてもこの部屋じゃなくてバレットとエズラのオフィスだろ」
「あ、そっかあ......じゃあ、早く終わらせないとね!」
ケルシーは納得した様子で頷いて、ペンを握った。
「はあ、そうだな」
バレットもようやく観念したのか、席に戻ってペンを握り直したのだった。
*****
イザベル達は部屋の壁や床を入念に調べていたが驚く程に何も見つからない。ホコリひとつ落ちていないのだから定期的に掃除されている牢屋のようだ。
「はあ、ダメですね......何も見つかりません............」
キエラが壁に背を預けて座り込んだ。閉じ込められてかれこれ一時間が経過しようとしている。ノールズもなかなか帰ってこないので、皆の顔には不安げな表情が浮かんでいた。
「大丈夫ですかね......ノールズさん......」
キエラの言葉に、イザベルもチラリとガラスの向こうに目をやるが、男たちが出ていったのを最後に外に続く扉からは誰も入ってきていない。
「彼はタフなんだからケロッとした顔で戻ってくるわよ」
自分に言い聞かせるようにして彼女はそう言った。此処で今この子達を守れるのは自分しかいない。
イザベルは深呼吸をして、もう一度何かはないだろうか、と自分の衣服やポケットの中を調べ始めた。
「イザベルさん、少し気になっていることがあるんですが」
そう言ったのはラシュレイだった。彼の言葉にイザベルは顔を上げる。
「何かしら」
「エスペラントらに、持っていたものは取られてしまったんですよね?」
「ええ、そうね。最初に体を縛られたときに、カバンやポケットの中身のものは全部あいつらに渡ってしまったと思うわ」
イザベルは頷く。
一体どう言う意図でその質問をしたというのだろうか。彼には何か策があるとでもいうのだろうか。
ラシュレイは少しだけ考え込んで、やがて口を開いた。
「俺、恐らく携帯電話をB.F.の仮施設前に落としてきた気がします」
「ええ!? 本当ですかラシュレイさん!!」
顔を輝かせたのはキエラだった。
「だとしたら、何とかその携帯を発信させて助けを求められないかしら......」
「この部屋に電話はありますかね......」
カーラはキョロキョロと牢屋の中を見回す。勿論、あれだけ牢屋の中をくまなく散策したのだから電話など無いのは分かっている。だが、
「ああ! あります!!」
キエラが、ガラスを隔てた向こう側を指さした。向こうの部屋には男たちが出ていった扉の横に壁掛けの電話がついていた。施設用だとしたら内線しか通じないこともあるが、誰もが一瞬で浮かび上がって来た可能性に胸を高鳴らせる。
「あれでラシュレイさんの電話にかけることが出来れば......!」
「助けを呼べるかもしれませんね!」
キエラとカーラが頷きあっている。が、
「でもどうやってかけるのよ。まずはこの牢屋から出て彼処まで行かないと」
イザベルが冷静に言った。
「うう......」
「確かに、そうですね......」
キエラとカーラが恨めしげに電話を見て、下唇を噛んだ。
「どうにかしてチャンス待つしかないわね。少なくとも希望の光は少しだけ見えた気がするわ。ラシュレイ、流石ね」
「いえ......」
イザベルが口元を緩ましてラシュレイを見る。ラシュレイは気恥しそうに目線を床に落とした。
「ああ!! イザベルさん、そんなこと僕には言ってくれないくせにい!!」
「あら、何? 別に先輩が後輩を褒めたっていいでしょう」
「んむうう!!」
キエラがぷっくりと頬を膨らませる。その隣でカーラは膝を抱えて座っていた。
「カーラ、大丈夫?」
「あ......はい、ごめんなさい......少しだけ疲れてしまったみたいで......」
カーラは無理した顔で笑顔を作って見せた。
「そう、無理もないわね。こんな意味不明な施設に連れて来られたら誰だって疲れるわよ。大丈夫よ、ちゃんと出られるから」
イザベルの言葉にカーラは力なく「はい」と答えて弱々しく笑った。
彼女はまだ15歳で、更には自分のせいで全員が此処に連れて来られていると勘違いしている。小さな少女の心にはそれが重りのようにのしかかっているに違いない。確かに本当のことはまだ分からないが、どっちにしろカーラが悪いなんてことはない。
イザベルはカーラの頭に手を伸ばし、その黒髪を優しく撫でた。髪の手入れを良くしているのだろう、綺麗な髪にはツヤがあり、彼女のチャームポイントでもある赤い大きなリボンも洗濯をしているのかフワフワとした肌触りだった。なるほど、ドワイトがいつもカーラの頭を撫でている理由が分かった気がする。
それにしても、とイザベルはカーラの頭を撫でながらあの壁掛けの電話を見た。
此処を出るにはやはりあの電話をどうにかするしかないのだろうか。だが、あそこまで行くにはまずこの部屋から出なければならない。部屋には頑丈なロックがされているようだし、内側から開けるには扉を物理的に破壊するしか方法は無さそうである。
イザベルは頭の中で思考を巡らせていた。
自然と彼女の手も止まる。
カーラはイザベルの手が止まったのを感じてちらりと彼女を見上げた。
真剣に何かを考えるその姿はいつ見ても絵になる。彼女は研究員の中でも群を抜いて綺麗な方だな、カーラは思っていた。キエラが彼女のことが大好きだと言うのも頷ける。こんなにしっかりしていて、頼れる先輩なかなか居ないだろう。
そうカーラが思っていた時であった。
突然、ガラスの向こうで外に通じる扉が開いたのが見えた。そこから三人の男が入ってくる。そして一人の肩には、ノールズが担がれていた。意識を失っているようで、彼の手も足も人形のようにぶらぶらと揺れている。
「!!」
「ノールズさん!!」
男は牢屋の扉の前まで歩いてきてロックを解除すると、乱暴に扉を開け放った。そして、ノールズを牢屋の床に放り投げる。鈍い音がして、彼が床に転がった。イザベルは弾かれたように立ち上がって彼に走り寄る。
「彼に何をしたのか話しなさい!!」
しかし男たちはイザベルに冷たい視線を投げただけだった。イザベルはキッと彼らを睨みつけ、ノールズを抱き起こす。
「ノールズ、しっかりしなさい」
しかし、ノールズは目を開かない。イザベルはもう一度声をかけるが、彼は反応を示さなかった。腹や腕を触ってみると、何やら膨れている部分がある。殴られたのだろうか。胸は上下しているので生きてはいるが、顔に傷がないとなると腹や胸に攻撃を受けて気絶したのだろう。
許せない。
イザベルは目の奥が怒りで熱くなるのを感じた。普段怒らない彼女だが、初めて感じるほど強い気持ちに胸がどくどくと大きな音を立てていく。
すると、上から冷たい声が降ってきた。
「そいつは、ベルナルドさんの質問に何一つ答えようとしなかった。だから、ベルナルドさんが回答者をお前か、こいつの助手にするかと提案したら、そいつから息絶えるまで自分を殴ればいいと宣言をしてきたからな。その通りにさせてもらった」
男は布で口と鼻を覆っていたが、笑っていることが声色から伺える。それに反応したのはラシュレイだった。
「客をいたぶって何が楽しかった」
「ラシュレイさん......」
キエラが彼から感じる怒気に寒気を覚える。
ラシュレイの目が長い前髪の奥で静かに燃えている。暴力は、彼からしたら子供の頃に長く苦しめられてきたことだった。それを自分の大切な人に振るわれたことが、彼を酷く怒らせているようだ。
ラシュレイは目を怒りで燃やし、低くドスの効いた声で男に向かって再度口を開いた。
「汚い手で俺の先輩にベタベタ触るな」
男の一人がラシュレイの言葉と態度に苛立った様子で、部屋に入ろうと一歩前に踏み出した。
「貴様......」
すると、隣にいた男が彼に控えめに声をかける。
「ゾーイさん、ベルナルドさんの命令外のことは......」
「......分かっている。いいか、お前らが何も情報を吐かない限り、此処からは出られないからな。吐くまで痛めつけてやる。特にお前はな」
ゾーイはラシュレイを顎で指した。ラシュレイは動じない。ただ男を睨みつけているだけだった。
「......行くぞ」
ゾーイはラシュレイの態度が気に入らなかったのか、舌打ちをして部屋を出ていった。牢屋の扉の施錠をして、男二人もそれに続く。
やがて男が居なくなるとキエラとカーラがイザベルに走り寄ってきた。
「ノールズさん......!!」
カーラが今にも泣き出しそうな声で彼を呼ぶ。
「平気よ、気を失っているだけ。寝かせていれば時期に目を覚ますわ」
そう言うイザベルの顔が怒りで歪んでいる。
「全く......何て連中かしら」
「本当ですよ......こんなの、許されないです!! 拷問じゃないですか!」
キエラが声を荒らげた。
「ええ、本当ね。彼も目覚めたら意見を聞いて、早いところ此処から出ましょう」
「分かりました......」
「そうですね」
カーラとキエラが頷く後ろでラシュレイはノールズをじっと見つめていた。
*****
ブライスらは買い物を済ませて、買ったものを車に積んでいるところだった。
「結構買ったねえ」
ナッシュが、パンパンに膨らんだ買い物袋を見て苦笑した。
職員らに不足している生活用品を買うだけでこれだけの量である。
地下にひっそりと建っているB.F.の施設は、なかなか外に買い出しに行くということが出来ない。
半年に二度ほど、食料や日用品を補充に政府の人間がやってくるが、それでも足りないものは出てきてしまう。
そういう時は、今までブライスが外に出るついでに買ってきていたが、最近では外部調査に出た班に任せるということも少なくはない。
「ノールズ君たちはもうホテルに入った頃かな」
ドワイトがチラリと、駐車場にある時計に目をやる。
「そうだねえ、カーラも一緒に行ったんだろう?」
「うん、他の先輩とお話させることで彼女の世界が少しでも広がってくれるようにね。ノールズ君やイザベルは良い刺激になると思うんだ。キエラ君も歳が近いから話しやすいだろうしね」
ドワイトが優しい笑みを浮かべて空を見上げる。空は赤くなってきて、少しずつ夜が近づいていることを示している。
「娘思いだねえ」
ナッシュはそんなドワイトの横顔を見て微笑ましげにそう呟いた。
すると、車の後ろに詰んだ荷物の中で電話が鳴った。
「おや、電話が鳴ってる」
「ブライス、電話だよ」
ナッシュが荷物の中から電話を取りだし、車の前方で出費の確認をしていたブライスに手渡す。ブライスはディスプレイを確認した。
「ラシュレイからだな」
「ラシュレイかい? 何かあったのかな」
ナッシュが眉を顰めていると、ブライスは画面を操作して耳に当てた。
*****
元B.F.職員である彼は、電話の向こうの少年らしき声に、ホテルに行けば持ち主がいる、と教えてもらった。拾った電話の持ち主の名前はラシュレイというらしい。
知っているホテルで、此処からも電車に乗ればそう遠くない場所にあったので、彼は駅に向かった。
駅に着くと、ちょうどホテルの方に向かう電車が扉を開いてホームに停まっていた。彼はそれに乗り込む。
扉の横の壁に立ったままもたれて、彼は電話のリストを開いてみた。
そこにはブライス、ナッシュ、ドワイト、イザベル、ノールズと名前が並んでいる。知らない名前もちらほらあったが、彼が目に留めたのはノールズだった。
「......ノールズ」
小さく呟いた彼の声は動き出した電車の音に掻き消された。