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Black File  作者: 葱鮪命
42/193

一触即発-1

 暗い部屋の中に一人の男が立っている。背丈はそこまで高くないというのに、彼の放つ威圧感が彼全体を大きく見せている。そんな彼の口が開いた。


「動き出すことにしよう」


 男の口から放たれる言葉はまるで形を持つかのように、存在感を持ち、部屋を包む暗闇へと溶けていく。そして、と紡ぐ男の目が暗闇の中で小さく光った。


「この世に希望をもたらすのだ。我々の手でな」


 *****


「いやー、後輩に良いとこ見せないと!! なあ、イザベル!?」


 朝食の席でB.F.星5研究員、ノールズ・ミラー(Knolles Miller)はそう言った。ノールズの隣では彼の助手である星4研究員のラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)が朝食を黙々と口に運んでいる。正面にはノールズの同期のイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)、その隣には彼女の助手である星2研究員のキエラ・クレイン(Kiera Crane)が居る。


 ノールズの言葉にイザベルは食べていた手を止めて、


「あまり調子に乗っていると、痛い目見るわよ」


 と、相変わらずのクールフェイスを見せる。しかしそんなことを言われてもノールズは「えへへぇ」とニマニマ笑っている。


「顔が煩いです、ノールズさん」

「ハイ」


 ラシュレイに言われてノールズはやっと静かになった。


 ノールズがこれだけ浮かれているのにはわけがある。今日はこの後、四人に予定があるのだ。正確には五人なのだが......。


「でも、イザベルさんと外部調査なんて初めてなので凄く楽しみです!」


 キエラが満面の笑みで幸せそうにバターとハチミツのトーストを頬張っている。


 そう、今日はノールズ達の外部調査の日である。


 外部調査とは、普段外出を禁じられている研究員たちが施設から出て、外の超常現象を調査したり経過観察を行ったりすることだ。


 ノールズとイザベルは二回目の参加であるが、ラシュレイとキエラは初めてであった。ノールズはラシュレイと外の世界を歩けることがとても楽しみだった。一回目のときはイザベルと同じ班だったので、それはそれで楽しかったのだが、やはり助手と歩くとなると楽しさも倍になる。


「任務なのよ」

 浮かれるキエラにイザベルは冷ややかな目を向ける。


「分かってますよ!」

 キエラが笑みを崩さず頷いた。トーストを頬張ってリスの様になっているのが何とも可愛らしい。そして、ノールズはそんな可愛い助手を持つイザベルを素直に羨ましいと思うのだった。ラシュレイがあんな風に喜んでくれればどんなに嬉しいことか。


 ノールズは期待の目でラシュレイを見た。


「いや、やりませんよ?」


 凄い目で見られてしまった。確かにラシュレイにとってあんなに可愛く振る舞うのは至難の業だろう。素直に諦めるしかないようだ。


 ノールズが完全に項垂れて落ち込んでいると、


「あ、あの、おはようございます!」


 まだ幼さが残る女性の声が四人の朝食の席に響いた。いつの間にかテーブルの横に少女の姿があった。短く切りそろえられた黒髪に赤い大きなリボンをつけ、小さな体は、まだ大きな白衣に隠れていた。


 カーラ・コフィ(Carla Coffey)、B.F.星2研究員である。


 そんな彼女の後ろには彼女の先輩博士であり、B.F.の歴史を作り上げてきた「伝説の博士」の一人であるドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)が立っている。銀縁のメガネの奥の瞳は優しく、彼から放たれるオーラはノールズらのテーブルだけに限らず、他のテーブルの視線をも奪っている。


「おはよう、皆」

 ゆったりとした優しい声が降ってくる。四人は声を合わせた。


「おはようございます」


 ドワイトはカーラの肩に手を置いて微笑んだ。


「今日はカーラも外部調査に参加させてもらうからね。この子をどうかよろしく頼むよ」

「任せてください!」

 ノールズが自分の胸を叩いて言った。


 ラシュレイとイザベルが呆れ顔でそれを見る中、カーラは四人に向かって深深と頭を下げた。


「ご、ご迷惑をおかけしないように一生懸命頑張ります!!」


 カーラの初々しさと一生懸命さは社内でもかなり有名だった。ドワイトの助手であるということもあるが、彼女はドワイトに見合う助手になろうと日々努力を惜しまない。先輩を尊敬する真っ直ぐな気持ち。


 ラシュレイもこうならないだろうか_____。


 再度思ったノールズはラシュレイを振り返って、


「ひえっ」


 ラシュレイの手元に目がいった。彼はノールズにしか見えない場所で静かにフォークを構えていた。


 そんなに嫌いなの、俺の事_____。


 ノールズは静かに絶望した。


 そして、あとで涙でも拭こう、とポケットにそっとナプキンを忍ばせるのだった。


 *****


 朝食をとって、オフィスでそれぞれ外部調査に持っていくものを準備し、五人はエレベーターの前に集合した。全員一般人に成り済ますため、私服に身を包んでいる。

 エレベーターの鍵を握るのはドワイトである。扉の横の装置を操作し、やがて振り返った。


「皆、忘れ物はないかい?」

「はい! 大丈夫です!!」

「ありません」


 ノールズとイザベルが答えると、ドワイトは満足した様子で頷き、


「じゃあ、行ってらっしゃい! 頑張ってね!」


 エレベーターの扉を開けた。


 *****


「班の発表をしまーす!!」


 五人が乗り込んだエレベーターが動き出すと、ノールズは片腕を大きく上げて声高々に宣言した。そして、ポケットから取り出した紙を読み上げる。


「まず、イザベル&キエラ班!!!」

「はーいっ!」


 キエラがノールズに負けない元気の良さで返事をする。腕をピンと伸ばしてエレベーターの天井を突き上げる勢いだ。イザベルと初めて外の世界を歩けるというのが嬉しくて嬉しくて仕方がないのだろう。


「良い返事ですね!!! イザベル君はどうしたのかなっ!!?」

「いいから次に行って」

「......で、俺と、ラシュレイ、カーラ班ねっ」

「はい」

「はい!」


 よしっ!!とノールズは頷いて、紙をポケットにしまったのだった。


 *****


 カーラにとって、今回は二度目の地上である。今回はドワイトとは別れ、先輩であるノールズたちに混ざっての活動だ。そのためか朝から緊張している。ドワイトには「楽しんでくるといいよ」と、優しく言われた。確かに楽しめるのが一番なのだろうが、自分の場合、同じ班であるノールズとラシュレイに迷惑をかけないかがとても不安な要素であった。


「ノールズの班で良かったの?」


 イザベルが隣にやって来てカーラに問う。男二人に女一人となると心細い思いをするのではないか、という彼女なりの心配である。だが、カーラは微笑んで頷いた。


「私はどちらの班でも構わなかったのですが、ノールズさんがこっちに入らないか、って誘ってくださったんです」


「なるほどね......まあ、ラシュレイが居るから大丈夫だとは思うけれど......気をつけなさいよ。何かあれば私達の班に来ていいから」

「は、はい......ありがとうございます......?」


 カーラはよく分からず、曖昧に頷いた。それに気づいたノールズが「あーっ!」と声を上げる。


「ちょっとイザベル!? 何を刷り込んでるんだよ!!」

「あら、別に何も」


 イザベルがカーラからさっ、と離れる。


「カーラは俺らの班だからなっ!! イザベルはキエラが居るからいいだろー!?」


 朝食の席での件が後を引いているのかノールズはムキになって言った。


「でへへ」

「女の子にしか通じない話だってあるのよ」

「え」


 満更でもない様子のキエラだったが、スパン、とイザベルに言われてショックを受けたような顔で彼女を見上げた。


 *****


 やがて、エレベーターは地上に着いた。


 地上は朝。太陽はもう高かったが、今日はどちらの班もあまり時間がかからない超常現象の調査なのでホテルの集合は16時と早めだ。寧ろ、予定通りに行けばそれよりも早くホテルに着くかもしれない。


「じゃあ別れよっか!」


 エレベーターから出たノールズは早速班を分けた。


「カーラ」

「は、はいっ」


 ラシュレイに呼ばれて、カーラはエレベーターの中から小走りで出てきた。そして、ノールズとラシュレイが待つ場所へと、とたとたと走って行く。


 ガンッ!!


 突然、背後で物音がして、それに続いてドサッ、と何かが倒れるような音がした。


「キエラ!!」


 イザベルの鋭い声が聞こえて、カーラは振り返った。キエラが、仮施設の床にうつ伏せで倒れている。


「キエラさんっ......!!!?」


 キエラは呼んでも返事をしなかった。完全に気を失っているようだ。そんな彼の後ろに二人の男が立っている。背は高く、180cmは優に超えているだろう。顔は黒い布のようなもので鼻と口を覆っており、腕には重そうな銃を持っていた。体付きはがっしりとしていて、かなり鍛えられているようにも見える。


「Black Fileの職員だな。我々と共に来てもらおう」


 男の低い声が建物の中にこだまする。ノールズがラシュレイやカーラの前に出てきた。


「お前ら何者だ!」


「それはついてきて貰った後で、あっちで話そう」


 男の一人が足元に転がっているキエラを片腕で抱えた。そして_____。


「!! あなた達っ......!!!」

 イザベルが鋭く男達を睨みつけた。


 男はキエラの頭に、拳銃を突き付けたのだ。男はイザベルに睨まれても顔色ひとつ変えない。


「殺して欲しくなかったらついてこい。それとも、この人数に敵うとでも思っているのか?」


 男がそう言ったとき、ノールズらの後ろの方で無数の足音がした。振り返ると、仮施設の入口の前を、男二人と同じ格好をした男らが固めている。服の上からでも分かる鍛え上げられた体が、壁のようにノールズらの前に立ちはだかる。

 外には黒塗りのトラックが停めてあった。ラシュレイがカーラを庇うようにして、入口側に立つ。


「何が目的だ」


 ノールズは声を低くして問う。


「聞きたいのなら大人しくトラックに乗るがいい。少なくとも、此処に居たんじゃ何も答えない。こいつの命にも関わってくるぞ」


 男がキエラの頭に銃口を強く突きつけた。


「......ノールズ」


 イザベルがノールズを振り返る。その顔はいつものクールフェイスを崩している。


 大事な相棒を死なせるわけにはいかない。ここは彼らの指示に従うしか無さそうだ、という彼女の考えと思いを瞬時に感じとったノールズは、「わかった」と頷いた。


「乗る。乗ればいいんだな。だけどその前に、彼を離せ」


 男がキエラをノールズとイザベルの方へ放って寄越した。二人はそれを抱える。大人二人でやっとだと言うのに、この男は片腕でキエラを抱えていた。只者じゃないという雰囲気がこの男に限らず、今ここにいる男の仲間全員から滲み出ている。


「キエラ......」


 イザベルが声をかけるが、彼は目を開かない。イザベルは彼の後頭部にそっと手を当てた。少し出血しているようだ。あの一瞬は見えていなかったが、銃か何かで殴られたのだろう。

 イザベルは男を再度睨みつけ、ノールズと彼を支えながらトラックへと向かう。


 カーラは足がすくんでなかなか動けなかった。


 殺されてしまう。この先どうなるのか。


「カーラ」


 ラシュレイが戻ってきて、カーラに声をかける。


「今は従うしか無さそうだ。ノールズさん達についていくぞ」


 ラシュレイが小声でそう言った。カーラは小さく頷き、ゆっくりと歩き出す。男たちが此方を見てくるのが分かった。カーラは震える足を一歩一歩前へと踏み出しながら、トラックへと歩いて行った。


 *****


 トラックまで来ると、五人は後ろで手をロープに縛られた。持っていた荷物は全て男たちに取り上げられ、ポケットの中のものもとられてしまった。


「仲間など呼ぼうと思うなよ。もし呼んだと我々が気づけば、その時は誰かが殺されると思え」


 低い声でそう脅されて、五人はトラックのコンテナへと乗せられた。そして、バタン、と乱暴に扉が閉められたのだった。コンテナの中は光ひとつない真っ暗な世界だった。


「......これって」

「誘拐だね」


 暗闇の中、ノールズとイザベルの声が聞こえてくる。それに続いて、カーラのすすり泣く声が聞こえてきた。イザベルは声の位置から彼女を探して、彼女に寄り添うようにして座った。


 ノールズはロープを解こうと試行錯誤したが、かなりきつく縛られてしまったようだ。下唇を噛んで、悔しさを堪える。


「どうするつもりなのかしら。私たちのことは知っている様子だったわよね」

「うん、調べていたんだろうね。キエラを襲った時随分と手馴れた様子だった。やり慣れてるみたいだよ」

「計画的犯行......と言ったところかしら」


 イザベルもノールズも冷静だった。此処で取り乱しては後輩たちを不安にさせるだけである。


「わ、わたしたち......殺されちゃうんでしょうか......」


 カーラの涙声が暗闇の中で響く。


「そんなことさせないわ」

 イザベルは強く言った。


「そうだよ、俺とイザベルで皆のことは守る。泣かなくていいんだよ、カーラ」


 ノールズが優しく言うと、カーラは元気の無い声で「はい」と返す。


 と言っても、ノールズは不安だった。自分たちは誘拐された。B.F.研究員として、である。犯人の犯行動機はまだ不明。きっと、施設の人間はまだ誰も勘づいていないだろう。


 トラックは確実に何処かへと向かっていた。


 *****


「ノールズ君たちが外部調査に行ったよ」


 ドワイトはノールズ達を見届け、第一会議室へとやってきた。扉を開くと、同期であり、「伝説の博士」とも呼ばれる二人が居た。B.F.最高責任者のブライス・カドガン(Brice Cadogan)。そして、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)である。


 ブライスはドワイトが部屋に入ってきたのを見て、テーブルの上にあった、ハンガーを付けたままのスーツの上下を手渡してきた。


「着替えろ、すぐに出る」


 それは黒のスーツであった。無地のシャツと、黒のネクタイ、そして黒のベストも一緒に差し出される。スーツ以外は恐らくナッシュチョイスだ。


 ドワイトはそれを受け取りながら戸惑った表情を浮かべてブライスを見た。


「本当に私も行っていいのかい?」


 ブライスとナッシュは、二人とも黒いスーツに身を包んでいた。ブライスは黒い生地にストライプの柄が入ったものを、ナッシュはチェックだった。いつもの白衣の姿とは雰囲気が全く違う。


 戸惑うドワイトに微笑んだのはナッシュだった。


「寂しいんだとさ。可愛いとこあるよねえ」

「ふざけたことを言うな」


 ドワイトにスーツ一式を押し付け、ブライスはテーブルの上に広げてある書類の山を封筒にしまい始める。


「俺一人では難しい仕事だっただけだ。二人には俺のサポートをしてもらう、と言うだけの話だ」


 ブライスの言葉にナッシュがクスクスと楽しそうに笑っている。そこでドワイトはようやく着替えを始めた。


 三人はこの後、地上に上がることになっている。外部調査ではない。政府へ定期的に研究の成果や実験を伝えるための報告会へと行くのである。新しく入社した社員の申請や、亡くなって研究員の報告など......。今まではブライスがほとんど一人でやって来たが、今回はかなり量が多いこともあって、応援としてドワイトとナッシュを呼んだのだった。


「私たちがいない間は誰が此処を指揮するんだい?」


 ネクタイを締め、形を整えながらドワイトはブライスに問う。


「星5の、手が空いている研究員に任せている」

「そうか......しっかりした子が多いから大丈夫だとは思うけれど......」


 神妙な顔でジャケットに手を通すドワイトを見てナッシュが苦笑した。


「まるでお父さんだねえ、ドワイト。子供たちがそんなに心配なのかい?」

「ちょっとだけだよ。優秀な子が沢山いるから大丈夫だって信じてる」


 三人が一斉にこの施設から居なくなるのは今日が初めてではない。ただ、いつも実験で厄介事があるとすぐに自分たちに助けを求めてくる研究員らに、今日は三人がいないので何かあったらと思うと、ドワイトは気が気でなかった。


 *****


 やがてドワイトの着替えが終わり、二人はブライスの荷物を半分ずつ分けて持った。紙袋に入れられた分厚い茶封筒やファイル。全て外に出すのは固く禁じられた国家の重要機密の文書たちだ。紙袋を持ったナッシュもドワイトもその重さに顔を歪ませた。


「こりゃあ、確かにブライス一人では無理だな」


 ナッシュが苦笑して紙袋の中身を覗き込んでいる。


 超常現象の報告書は記載情報がかなり細かい。ひとつの超常現象につき書類の数が何十枚になることも珍しくはないことだ。また、実験の結果というのは一つだけでなく、多数存在する。同じ対象を調べるとしても、日に分けて実験を行った場合、きちんとその日その日のデータを記録しておかなければならない。研究が終わったあとでも経過観察などの記録を加える必要がある。報告書や写真などの資料もプラスして、到底ブライス一人では抱えきれない量になってしまうだろう。


「さて、そろそろ行くかい?」

「ああ」


 資料を両手に抱えた三人は会議室の出口へと向かった。


 *****


 ノールズ達はトラックから降ろされた。恐らく、一時間は乗っていたのではないだろうか。コンテナの中の暗闇で目が慣れてしまったせいか、まだ明るい外の世界に出た瞬間、ノールズは頭がズキズキと傷んだ。


 頭痛が収まると、辺りの状況をやっと確認できる余裕が出てくる。


 そこは、全く知らない場所だった。人気の無い道と田園風景が広がっており、後ろには鬱蒼とした森が広がっているのだ。トラックはその森の入口の前に停まっていた。トラックの他に黒いワゴンが停まっており、そこからあの屈強な男たちが降りてきた。


「此処からは徒歩だ。そこのお前、ロープを解くからそいつを担げ」


 男の一人がノールズの腕のロープを解いた。かなりキツく結ばれていたようで、ノールズの手首には痛々しい痕が残っていた。カーラとイザベル、ラシュレイは既にトラックのコンテナから降ろされているが、気絶してまだ気がついていないキエラはコンテナに取り残されたままだ。


 ノールズはコンテナに上ってキエラを背中に背負った。どうして男ではなく、ノールズが担ぐのか。逃げ出させないための意図なのかは分からない。そもそも誘拐をしている時点で彼らの考えなど想像すらできないのだ。


「いいな、逃げ出そうなど考えるなよ」


 男が銃をチラつかせるのを見てカーラは小さく悲鳴をあげた。イザベルはカーラを守るように彼女の横を歩き、ノールズはその前を、ラシュレイと共に歩くことになった。


 男たちは森の中へと進んでいく。


 山道はかなり狭く、ワゴン車一台がようやく通れそうな幅だった。確かにあの大きさのコンテナトラックが通るには狭すぎるだろう。だが、他の車は何度か通っているのか、まだ新しいタイヤの痕が地面についているのをノールズは見逃さなかった。


 生い茂る木々で森の中は暗く、舗装もされていない山道はキエラを背負って歩くノールズにとってはかなり辛い。木の根っこが何度も足に引っかかり、ノールズはバランスを取るのに必死だった。


 歩く間は不気味な程に誰も喋らない。ただ黙々と足を動かす音だけが森の中に響いているだけだった。


 *****


 やがて、ノールズらの前に大きな建物が現れた。それは壁が真白く塗られた、一見四角い工場のような施設であった。こんな森の中で奇妙すぎるほどに浮いていて、太陽が届かない森の闇の色と対象的な真っ白さが不気味さを膨張させている。


 ノールズもイザベルも全員がその奇妙な建物に呆然としていると、男の一人が建物へと近づいて行った。建物には扉がついているが、取っ手は無いように見える。どうやら自動ドアのようだ。扉の横には小さなタッチパネルがついていて、男がそれを操作する。暗号か何かを打ち込んでいるのだろう。残念ながらノールズ達の位置からはそのパネルは見えなかった。


 やがて扉が静かな起動音を発して開いた。ノールズ達は男たちに囲まれて、その中に進んでいく。


 そして言葉を失った。


 外からは分からないほど、建物の中は光で溢れていたからだ。


 そこは、外の無機質な雰囲気からは想像ができない程に豪華な造りになっていた。巨大な渡り廊下がノールズ達の頭上に張り巡らされており、そこを白衣を纏った研究員らしき人間が歩いている。壁には巨大なモニターが取り付けてあり、テレビになっているのか普通のバラエティー番組が映っていた。更にはカフェやレストラン、ゲームコーナーと行った様々な施設が混合しているのが、一目で見て脳に飛び込んできた情報だった。


 一言で言うならば、巨大なショッピングモールである。普通のショッピングモールと違う点を挙げるならば、そこに居る人間が全員白衣を纏っているということだろうか。


 異様すぎるその光景にノールズらは絶句したが、その施設にいる人間からすると、武装した男たちに囲まれた部外者の方が異様に感じるようだ。突き刺さるような視線を向けられ、何かヒソヒソと耳打ちをしあっているのが確認できた。


 ノールズは少し歩く歩幅を遅めて、後ろを歩くイザベルに足並みを合わせた。


「何ここ......? どっかの研究所?」


 白衣を纏っているということは、病院か、それとも研究施設かだろうが、病院と言ったらこんな山奥にあるのは変じゃないだろうか。あんな狭い山道、救急車が通れるわけが無い。


「知らないわよ」

 イザベルも警戒しているようで、声を潜めて返答する。


「少なくとも、B.F.の持っている研究所では無さそうよね」

「おい、そこ話すな。黙って歩け」


 後ろから声が飛んできて、ノールズとイザベルはすぐに離れた。


 ショッピングモールのような場所はまだ続いていたが、ノールズ達は道を逸れて人気の無い真っ白な廊下へと連れてこられた。廊下の一番奥にはまた取っ手の無い自動ドアが付いており、男は再びそれを操作する。さっきと違う点は、男がカードキーを持っているということだった。様々な鍵の種類で扉を管理しているようだ。逃げ出すのはかなり難しいな、とノールズが男の手元を見ていると、扉は静かに開いた。


 白い廊下はその先も続いていた。誰も居ない、真っ直ぐな廊下に白い照明が反射している。ノールズ達はそこをずっと進んで行った。やがて、男が再び立ち止まった。ノールズ達の前に三枚目の扉が現れた。


 今度は、男が壁にある機械に口を近づける。


「マーキス・ウェズリーです。連れてきました」

 男がそう言うと、数秒後、ピッという機械音がした。やがて扉は開いた。そこは、円形の巨大な部屋だった。


 ノールズの背丈の何倍もある巨大なモニターが奥の壁にかかっており、部屋は一階部分と二階部分が別れた造りになっているようだ。モニターがある真正面は、かなり高い段になっている。


「此処で待機しろ」

 男が冷たく言い放つと、イザベル、ラシュレイ、カーラ、キエラの手を縛っていたロープが解かれた。四人ともノールズ同様、痛々しい痕が残っている。


 ぞろぞろとついてきていた男たちは、ノールズ達が入ってきた扉とはまた違う扉から出て行った。どうやら一階部分には扉が複数個存在するようだ。男たちが部屋を出ていくと、広い部屋にはノールズらだけがポツンと残された状態になる。


 まだ監視の目があるのだろうが、視界に男たちが居なくなったおかげかノールズはホッとした。


「何なんだろうね、この施設。さっきの場所に居た白衣の人達から推測するに何かの研究所だとは思うんだけど......」


 キエラを慎重に床に下ろしながら、ノールズはイザベルを見上げる。彼女は部屋を隅々まで睨みつけるようにチェックしているようだった。


「ええ、まるでショッピングモールのような内装だったわよね。不気味ったらありゃしないわ」


 二人がそんなことを話している時だった。


「......あれ......ここは......?」


 床の上に寝かされていたキエラが薄目を開く。


「キエラさん......!」

 カーラがホッとした様子で彼を起こす手助けをした。


「良かった、目が覚めたのね」

 イザベルも安心した様子で彼を支える。キエラはキョトンとした顔で周りを見回していた。彼が最後に見たのはB.F.の仮施設の中の風景である。突然気がついたらこんな真っ白な部屋の中にいるのだから、状況が上手く呑み込めていないのだろう。


「誘拐されたんだよ」

「え、誘拐ですか......?!」


 ノールズが淡々と説明をしていくのを黙って聞いていたキエラの顔がどんどん青ざめていく。


「そんな......じゃあ、僕らもう帰れないってことですか!?」


「馬鹿なこと言わないで」

 イザベルがため息をついた。


「帰れるに決まっているでしょう。絶対に皆で此処から出るわよ」


 イザベルの力強い言葉を聞いてもキエラはまだ不安げだ。


「で、でも此処......何処なんですか? 誘拐された意図もまだ説明されていないんですよね......?」


 キエラの言葉に「うん」と頷いたのはノールズだった。


「でも、説明されるかは分からないよ。身代金だとは到底思えない。彼らは俺らをB.F.の職員として此処に連れて来たかったみたいだからね」


 ノールズの難しい表情を見てキエラは「うう......」と声を漏らす。


 すると、


「......B.F.の居場所って、あいつらに知られたらまずいんじゃないですか?」


 今まで黙っていたラシュレイが呟くように聞いた。


「うん......B.F.は政府公認って言っても国家機密の情報しか取り扱ってない会社だからね。見た感じ国の人達じゃなさそうだったし......」

「待機しろとは言われたけれど、黙って突っ立っているわけにもいかないんじゃないかしら」


 イザベルに言われて、ノールズは改めて部屋を観察した。


 一階部分と二階部分に別れており、イメージするならB.F.の第五研究室だ。あれをさらに巨大にしたのがこの部屋のようにも思える。


 ノールズらが今いるのは一階部分で、二階部分に上がるには、ノールズ達の真正面にある、広く大きな階段を使う必要があるらしい。


 登った先にあるのが、部屋に入った時に真っ先に目に入った巨大なモニターである。そしてその正面に、椅子が一つだけ置いてあった。まるで城にある玉座のようだ。


 一階部分を見回すと、ノールズ達が入ってきた部屋、そして男たちが出て行った他の扉を合わせて、扉は合計三枚あることが分かった。扉は三枚とも離れた位置に並んでいて、ノールズ達が入ってきたのは真ん中の扉である。男たちが出て行ったのは右端のものだ。扉の横にはカードキーをかざさなければ開かないあの機械がついていた。力任せで壊さない限りは、ノールズ達には開けることは不可能だろう。


「......怖いです......」

 カーラはさっきから顔色が優れず、手足がカタカタと小刻みに震えていた。イザベルはなるべく彼女の近くに体を寄せる。


「此処から出る方法は必ずあるはずよ。とにかく、もっと情報が必要よ」

「うん、そうだね。誰かに聞くのが一番だろうけど......あの男たちは会話すらさせて貰えない雰囲気だったしなあ」


 ノールズが頭を搔いたその時だった。


 突然、バタン、と音がした。大きな音だが、扉が閉まる音だ。


 しかし、ノールズ達が居る一階部分の扉はどれも開いていない。

 考えるに、二階部分にも扉があり、そこから誰かが入ってきたのだろう。


 五人の目はさっきの音によって瞬時に部屋の二階部分に向けられる。


 コツコツ、と床と靴が奏でる足音が二階部分から部屋全体へと響き渡る。


 そして、その靴音の人間の正体が露になった。


「よく来たな」


 一人の男が、二階部分のモニター前に姿を現したのだ。男の声は低く、けれども距離があるノールズらの耳にはっきりと届く。男はマイクを通して喋っているわけでは無さそうだ。この部屋全体が、声をよく反響させる造りになっているのかもしれない。


 男は白衣に身を包んでいた。遠くからかろうじて分かったのは、男が右目の下に大きな傷跡を持っているということだった。


 ノールズとイザベルは警戒して、カーラとキエラ、ラシュレイの前に出る。いざとなれば自分たちで彼らを守らなければ。頼れる先輩たちは、今は此処にいない状態なのだ。


 警戒からか目付きが鋭くなった二人を見て、男は嘲笑した。


「まあ、そう警戒しないでいただきたい。俺はただ、歓迎されるべき客人達とゆったり話をしたいだけだ。なあ、ノールズ・ミラー君」

「っ......!!?」


 男の冷笑にノールズは背中から一気に寒気を感じた。自分は此処に来るまで一度も名前を明かしていない。あの男たちにも、もちろん、目の前の男にもだ。


「何故、ノールズの名前を......?」

 ノールズの疑問を口にしたのはイザベルだった。


「知らないとでも思ったか? ゲストの名前を覚えないホストが一体何処にいるんだ? イザベル・ブランカ君」


「......」


 イザベルとノールズは男を更に睨みつける。


「どういう理由で俺らを誘拐したのかは知らないが、元の場所にすぐに返してもらうからなっ!!!」


 ノールズは男に向かってそう叫んだが、男はたじろぐ様子も見せず、ふむ、と興味深そうにノールズを見下ろした。


「威勢が良いところは流石は彼の部下と言ったところか。まあ、安心するがいい。俺はただお前たちを質問するためだけに此処に呼んだまでだ。B.F.職員なら答えられて当然のものをな。ああ、だが、理由はもう一つあってだな_____」


 男の後ろのモニターが突然付いた。大画面には、でかでかとノールズ達5人の姿が映し出されていた。どこかにカメラがあるようだが、それらしいものは一切見当たらない。


「俺は君にも用があるのだ」


 男の声が突然柔らかくなった。


「あ......」


 そして、大画面にでかでかと顔を映されたのは、


「カーラ・コフィ君」


 カーラであった。


「私......?」


 危険を感じたノールズはすかさずカメラからカーラを隠すように立った。


「どうしてカーラが......」

 キエラが小声で呟く。イザベルやノールズでさえ耳を済まさなければ聞こえないほどの声量だったというのに、何メートルも離れている男にはその言葉が聞こえていたようだ。


「それは後々話すとしよう」


 男が言った瞬間に、ぶつん、とモニターが消えた。


「そもそもお前は誰なんだ!! 此処が何処かもきちんと説明しろよ!!」


 ノールズが余裕綽々の男の態度に苛立った様子で声を荒らげた。男が、ああ、と笑う。それは冷たい笑いだった。


「俺の名前はベルナルド・ウィンバリー(Bernard Wimberley)。諸君を歓迎しよう。ようこそ、エスペラントへ」

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