File026 〜走る空箱が運ぶ記憶〜
「列車型の超常現象?」
朝食をとるために食堂に来ていたB.F.星4研究員のバレット・ルーカス(Barrett Lucas)は、今聞いた単語を繰り返した。彼の隣には相棒であり、同期でもあるエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)がかぼちゃのポタージュを口に含んでいた。
「そうそう、ここ数週間で現れるようになった超常現象なんだよ」
テーブルには四人の男女が座っている。二人はバレットとエズラ、もう二人は同期のケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)、そしてビクター・クレッグ(Victor Clegg)である。
ケルシーは食べ終えた自分の食器をテーブルの端に寄せて、テーブルにゆとりを作ると、そこに持ってきたらしい資料を置いた。
エズラとバレットはその資料を、朝食を食べながら眺める。文字と写真で纏められており、大事な場所は色が分けてあったりと、見やすくされていた。
どうやら新たに見つかった超常現象らしい。写真に真っ先に目がいくバレット。そこに写っていたのは、紛れもなく地下鉄のホームだった。そしてそこに列車が停まっている。
「これが現れるの?」
バレットが写真をまじまじと眺めながら問う。
「ああ、そうだ」
頷いたのはビクターだった。
「扉を開けるとそこが駅のホームになっていて、そこには電車が一本停まっている。今回は任されたのはその調査だ」
「電車か」
エズラが朝食を食べ終えて話に入ってくる。
「でもさ、ビクターとケルシーは調査行かないんだろー?」
バレットの少しだけ寂しげな声に、ケルシーは満更でも無さそうな顔をしている。ビクターは表情を一切崩さず、資料を片付け始めていた。
「まあ、外部調査が重なったからな」
「二人なら大丈夫だよ! 頑張ってね!」
ビクターが手渡してきた資料をバレットは受け取った。バレットは少しだけ不安なことがあった。ただ、それを打ち明けるのは少しだけ恥ずかしいと感じていたのだった。
*****
朝食を食べ終え、バレットとエズラはオフィスに向かっていた。手にはさっきビクターとケルシーから受けとった資料がある。バレットはそれをペラペラ捲りながら、何度かため息をついていた。
「何だよ」
いつもは新たな超常現象があると嬉しそうに飛び跳ねる相棒が、今日は暗い顔をしているのでエズラは不思議に思っていた。
こんなことは今まであまりなかった。ブライスに怒られたとか、ナッシュに怒られた、とかいう日は、こんなふうに何度もため息をついていたが、今日は誰かに怒られたわけでも、何か悪いことがあったわけでもない。
「うーん、俺さあ、ちょっと今回の超常現象無理かもお......」
バレットが珍しく弱気なのでエズラは眉を寄顰めた。次の言葉を待っていると、飛んできたのは予想もしないものだった。
「俺ぇ......暗くて狭い場所、あんま好きじゃないんだよねえ......」
バレットは恥ずかしそうに頬を掻いてそう言った。
*****
恐怖症には様々なものがある。例えば、有名なのは高所恐怖症。高いところに行くと、たとえそこが安全な場所であったとしても、落ちてしまうのではないかという不安や恐怖に陥ってしまうというものだ。真性患者は地面からたった1m上に上がっただけでも恐怖で足がすくんでしまったり、パニック状態になったり、酷いと嘔吐をしてしまったりするという症状が現れる。
他にも、尖ったものを怖がる先端恐怖症や、蜂の巣、水玉模様などに強い嫌悪感を覚える集合体恐怖症など様々な恐怖症が存在する。
バレットは狭いところが怖いという閉所恐怖症と、暗い場所が怖いという暗所恐怖症だった。と言ってもそこまで症状は重くない。バレット曰く、誰かが隣に居れば何とか大丈夫、らしい。閉所も、一人でなければ耐えられないわけではないらしい。
「何で断らなかったんだよ」
オフィスに入ってから詳しく聞かされたエズラは、椅子に腰かけて大きなため息をついた。彼の前ではバレットが肩を下げて頭を垂れている。
「だってー......」
バレットが顔を下げたまま言った。
「恥ずかしいもん......子供っぽくね、暗い所と狭い所が怖いって......」
「そんなことあるか。だいたい恐怖症だってのに子供っぽいとかねーだろ」
「そりゃそうかもしれないけどさあ......でも俺は症状が軽いわけだし......今はもうだいぶマシにはなってきたけど......その、多分、地下鉄って暗いじゃん。しかも電車って狭いじゃん。俺、どうしようー......」
顔を上げたバレットの顔は今にも泣きそうだった。
「だから、断りに行くぞって言ってるだろ。ブライスさんに事情話せば分かってくれるだろうし」
「うう......一回引き受けた仕事は、俺やり遂げたいー......」
「お前はやりたいのかやりたくないのか、どっちなんだよ......」
エズラは二度目の大きなため息をついて、資料を手にする。
確かにホームは電気が少ないのか暗い。この写真を撮ったカメラの性能がただ単に悪いだけかもしれないが。
写真を見ながら、どうしたもんかと考えていたエズラはとあることに気づいた。
「なあ、バレット」
「んあー?」
「お前、暗い場所が怖いならどうして赤い箱で訓練する時はあんなに楽しげなんだよ」
赤い箱。武器練習用超常現象である。バレット、エズラ、ビクター、ケルシーの四人はこれの最高責任者となっている。箱の中に入り、そこに出てくる敵を銃などで倒すというものだが、箱の中はとても暗い。それなのに、バレットはいつも楽しそうに銃を放っているのをエズラは不思議に思ったのだった。
エズラの問いに対して、バレットが「だからー......」とため息をつく。
「皆とやるのは別なの。一人の時にそうなるのが怖いだけで、誰か居れば大丈夫なんだってば。まあ、最初に赤い箱に入った時は怖かったけどね」
初耳だった。というか、意外だった。いつもあれだけ楽しそうだというのに。こいつにも一応怖いものはブライスさんやナッシュさん以外に存在したんだな、と思うエズラであった。
*****
結局、これから受ける超常現象の調査も、エズラと一緒なら何とか大丈夫だということでバレットは引き受けた。
次の日、二人は早速その超常現象に遭遇することになる。
ビクターとケルシーが外部調査で居ないので、二人だけの朝食を済ませたバレットとエズラは、オフィスに向かった。
「実験室に現れるか分からないんだったな?」
バレットが確認をする。エズラは「ああ」と頷いた。
今回の超常現象はどの部屋に現れるか予想ができない。実験室を予約したとしてもそこに現れないことがあるようだ。
「ま、気長に待っていればそのうち現れるよなあ」
オフィスに辿り着き、扉を開いてバレットは言葉を失った。
「どうした」
エズラも怪訝に思ってバレットの後ろからオフィスの中を覗き込む。
「ホームだ......」
バレットが唖然と呟いた。
扉の向こうは、ケルシーとビクターがくれたあの資料同様、駅のホームになっていた。ホームはところどころ白いモヤのようなものがかかっていてしっかりは見えないが、電車が一本停まっている。
「すっげー......此処、俺らのオフィスだったよな」
そう、此処はさっきまで恐らく自分達が居たオフィスだった。
バレットとエズラはホームを見回す。ポスターから電光掲示板まで、正に本物の駅のホームのようだった。電車に近づいて、バレットは恐る恐る中を覗いてみる。誰も乗っていない。扉は開いているので、もしかしたら自分たちが乗るまで出発しないのかもしれない。
「乗ってみるか?」
エズラがバレットに問う。暗い場所が怖いようだが、ホームに比べて列車の中はそこまで暗くない。興味も湧いてきたのか、バレットはこくん、と頷いた。
バレットに続いてエズラは中に入ってみた。両脇に椅子があり、吊革が天井からぶら下がっている。
「研究員ファイルとか、持ってきてないけど、大丈夫かな」
「まあ、危険な超常現象じゃないらしいからな。何とかなるんじゃないのか」
エズラがそう言ったところで、扉が閉まった。そして、
ガコン。
「うわ!!! 動いた!!」
電車は動き出した。バレットはバランスを取ろうと慌てて近くの手すりを掴む。
「どこに向かうんだろう?」
「俺らのオフィスだといいな」
変な場所に連れていかれても困るだけである。資料によれば自分たちが行きたい場所になら何処にでも連れていってくれるという話だったので、あまり心配はいらないだろう。
二人は椅子に座って、少しの間車内のポスターを眺めていた。
「エズラ、あのポスターさあ......」
バレットが指さしたのは目の前の壁に貼ってあるお菓子の宣伝ポスターだ。昔のものなのか、随分と黄ばんでいる。
「いつのかな」
ご当地のお菓子なのだろうか、都会では見ないものだ。エズラはポスターに書いてある数字を見つけて眉を顰めた。
「1992年発売......? この電車、いつのだよ」
「え......」
二人の表情が強ばる。思えば、埃臭い気がする。それに、金属も錆び付いていたり、吊革も劣化していたりと、よく見れば手入れがされていない感じがする。
「エ、エズラァ......俺なんか怖くなってきちゃった.......」
バレットがエズラの右腕を掴む。
「この電車......他に人は乗ってないのか?」
エズラはバレットの腕を振り払って隣の車両へと歩いていく。
「ちょっと待ってよ!!」
バレットも彼にくっつくようにして歩き出した。
*****
隣の車両も、またその隣の車両も、誰も乗っていなかった。
「不気味だな」
車掌室にも誰もいないことを確認したエズラはボソッと呟いた。進行方向の車掌室だが、誰もいないのは変である。この電車は一体誰が動かしているというのだろう。
電車は五分ほど走っているが、未だどこかに停る気配を見せない。窓の外は真っ暗で、景色がない。
二人は元の車両に戻って大人しく席に座った。
「このまま何処にも着かなかったらどうしよう......」
バレットが今にも泣きそうな顔をして言う。
「ビクターとケルシーに会えなくなったらどうしようっ......」
「泣くなよ、いい大人が」
そう言うエズラも少しだけ心配になっていた。果たして、この電車は何処へ向かっているのだろう。
そんなことを思っていたその時。
【この電車は〇〇時〇〇分発〇〇行きです。ご乗車中のお客様にご連絡します】
「!! エズラ!!」
バレットがバッと顔を上げてエズラの腕を掴む。放送の数字や場所などの肝心な場所はノイズが入っていて聞こえなかったが、それ以外ははっきりと聞こえる。電車の車内放送だ。
「ああ、放送だな......でも、おかしくないか?」
「うん......この電車には俺ら以外誰もいなかったし......じゃあ、放送は誰が......?」
放送の声は男性だった。元気はなく、なんだか疲れ切っているようにも聞こえる。
「誰かいますか!」
バレットは隣の車両に向かって叫んだ。すると、
【何か御用でしょうか、お客様】
放送であの声が返事をしてくれた。まさか返事をしてくれるとは思わなかったのでバレットはしどろもどろになる。
「ああー......えっと、その......この電車は何処に向かいますか?」
【何処までも行きますよ。貴方のお望みの場所なら、何処へでも】
「じゃ、じゃあ、俺らのオフィスにも行きますか!」
【ええ、もちろんです】
よかったあ、とバレットは顔を綻ばした。
「この電車、何処を走っているんですか?」
エズラは声に問う。
【昔は街の線路を普通に走っていました。今はこうして異次元空間の線路を走ることしか出来なくなってしまいましたけど】
「それは......どうして?」
【......私は、もうこの世の中には存在しないからです。スクラップにされてしまいましたから。本物の私の体はおそらく、ずっと前に新しい金属か何かに生まれ変わっているのだと思いますよ】
声は冷たく、まるで他人事のようにそう言った。エズラとバレットは顔を見合わす。
「それってつまり、壊れてしまったから、ということですか?」
【そうですね。壊れてしまった、という表現は確かに間違ってはいません。私は長いこと人々を乗せてきたわけですから、すっかり古びてしまった。だけれど、私はある大罪を犯してしまいました】
「大罪......?」
【はい】
途端、声が震えた。今にも泣き出しそうだ。さっきまで無機質な声色だったのに、突然感情が入ったように、声が細くなる。
【私が......どうしてこうなってしまったか、聞いてはくださりませんか? 私の中にある記憶を、共有したいのです】
*****
電車はずっと昔から毎日、一日中人々を乗せて走っていた。朝から晩まで、田舎から市街地まで常に走っていた。しかし、時間が経つと、長年蓄積してきた傷が少しずつ目立ち始めてきた。
見栄えが悪いと乗る人も嫌な気持ちになるという理由から、市街地を走るには止めさせられて、田舎だけを走るには特別な路線へと変更された。錆びた車両はノスタルジックな雰囲気が田舎の田園風景や海辺とよく似合っており、人気があった。
とある男の子がいた。彼は熱狂的な電車のファンであった。幼稚園に通っていたらしい頃からその電車に乗り続け、小学校、中学校に上がると毎日最寄りの駅からその電車に乗って終点の学校に通っていた。
聞けば、その電車に乗りたいがためにその学校を選んだほどだという。その子は毎日大好きな電車に乗ることが出来て幸せだった。周りが携帯や本を眺めていても、その子はキラキラした目で車内のポスターを見たり、窓の外に見える風景に忙しそうに目をやっていたりした。
男の子が更に上の学校に通い始めて三ヶ月ほどすると、突然彼の顔に輝きが無くなった。
ある日、男の子は通学用のカバンの中身を電車の振動で床にばらまいてしまった。カバンから出てきたのは、落書きされた教科書や、破られて表紙が無くなってしまった本やノートだった。
「いじめ......?」
バレットが眉を顰めて言う。
【ええ、そうです】
やがて、男の子は何も持たずに電車に乗ることが多くなった。おそらく学校を止めてしまったか、行かなくなってしまったのだろう。それでも、いつも電車に乗っていた。彼にとってはかけがえのない習慣だったのかもしれない。
そして、電車はある日、ついに最後の日を迎える。電車の取り壊しが決まったのだ。かなり長い間走っていたその電車はボロボロになっていたが、地域には愛されてきた。
最終日は、一本しか走らないが、男の子は絶対に来てくれるだろう、と電車は思っていた。彼に会えるのも今日で最後なのだな、と思うと少し寂しかったが、彼が最期まで乗ってくれたのなら、それ以上に嬉しいことは無い。
だが、その日、男の子は来なかった。
電車は走り始めた。最後のコースをいつものスピードで走る。男の子は途中の駅から乗り始めるのだろうと、電車はそう思っていた。
しかし、違かった。男の子は、終点のホームで電車を待っていた。電車の顔が見えた瞬間、嬉しそうに顔を輝かせていた。なんだ、最後の場所で待っていてくれたのか、と電車は嬉しくなった。その駅に止まるため、減速し始めたその時だった。
男の子は、その電車が終点に着くその瞬間、駅のホームから飛び降りた。
電車は彼を無惨な肉片へと変えた。
彼は終点で電車を待っていた。彼をどん底まで引きずり下ろしたあの学校がある終点で。
そして、自殺したのだ。大好きな電車を使って。
*****
「......」
【これが私の記憶です】
バレットもエズラも何も言え無くなっていた。
【彼は私が殺してしまったのです。彼が苦しめられている間、私は何もしてあげることが出来なかった】
声は【それどころか】と続ける。
【私は、逆に彼を苦しめていた。彼が苦しさを感じる場所に、毎日同じ時間に連れて行って、自殺まで追い込んだ。私はなんて事をしてしまったんだと思いました。助けることが出来なかった。あれだけ近くで、彼がとても幼い頃から見守ってきていたというのに_____】
声は途中からすすり泣きが混ざっていた。少しの間、二人は黙って座っていた。
いじめが苦しくて彼は自殺をした。学校を辞めても、もしかしたらいじめは続いていたのかもしれない。家庭に何か彼を苦しめる要因があったのかもしれない。だが、それでも_____。
「こんなこと言うのも不謹慎だとは思うけどさ」
バレットが突然、口を開いた。エズラがちらりと此方を見たが、バレットは少し遠くのポスターに目線を投げた。『相手には席に譲ろう』というスローガンが書かれたシンプルなポスターだった。
「男の子は、多分、あなたに殺されて幸せだったと思う」
バレットは続いて、ポスターから窓へと視線を移した。窓の外は真っ暗だからか、ガラスにはバレットとエズラがはっきりと映っている。
「それにさ、死に方とか、生き方とか、そんなのその子の選択じゃん。俺らはそれがどうだとか言う権利は無いよ」
大事なのは、とバレットは最後に放送が流れるスピーカーが着いている天井を見上げた。
「その子が気持ちよく天国に行けるかどうかだと思うよ。辛きゃ逃げればいい。それがどんな手段だろうと、どんなに醜い方法だろうと、その子がその子なりに考えて出した答えだよ。俺らはただ、そっか、って言うしかないよ」
バレットは真剣な顔で天井を見る。
「だって、その子、最期に笑ってたんだろ? 安心したみたいな顔してたんじゃないの? いじめっ子じゃなくて、あなたに殺されるから。大好きなあなたに殺されるから、安心したんじゃないの? ちゃんと、あなたならこの駅まで来てくれるって信じていたから、ほっとしたんじゃないの?」
エズラは、バレットの言葉に対して何も言わなかった。電車は黙ったままだったが、少しして【そうですね】と、優しく言った。その声は、まだ少し震えていた。
【私は、せめてもと思って、サビだらけのこの体をスクラップにして、魂だけを此方に連れてきた。そして、この空間で走り出した。あなたが_____バレットさんが乗ってきたとき、あなたは、よくあの子に似た外見だったので、ああ、って、懐かしいな、って思いました】
バレットは目を見開いた。エズラも少しだけ驚いた様子でスピーカーを見上げる。
【だからでしょうか、やっと諦めがついたような気がしました。あなた達をお望みの場所に連れていった後で、私はもう、倉庫にでもこの体をしまおうと思いましてね。もう、誰かを乗せることもなく、永遠の闇に閉じこもってしまおうかと思いましたよ。サビだらけで、傷も汚れも酷いんです。でも、それじゃあ彼が可哀想ですね】
声が少しだけ間を開けた。少しして、【だって】と言葉が降ってくる。
【これが_____私が走っていることが、彼の毎日の楽しみだったんですから】
声は少しだけ明るさを取り戻したように感じた。
【彼が天国でも見られるように、今は走ります】
声は少しだけ呼吸を置いた。
【さて、次は終点_____】
その声にはもう、震えも暗さも無かった。




