File023 〜殺人スプーン〜
伝説の博士と呼ばれる、ブライス・カドガン(Brice Cadogan)、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)、ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)は仲が良く、常に一緒にいる三人の研究員である。
朝食をとるために、三人は今日も食堂の一番奥にある四人がけのテーブルに腰を下ろした。
「ふう、今日は会議がないから気が楽だねえ」
トーストプレートについてくるコーヒーにミルクを入れていたナッシュが口を開いた。
「最近は実験が多かったからね」
ドワイトも頷く。
「久しぶりに羽を伸ばせるよ」
ナッシュが指に付いたミルクをナプキンで拭っていると、
「報告書に目を通さなければならないけどな」
黙々とパンを咀嚼していたブライスが低い声でそう言った。
「全く、君はそうやってすぐに現実を突きつけてくる」
ブライスを軽く睨みつけるナッシュをドワイトが宥める。
「私たちは皆をまとめる立場だから、忙しいのも無理ないよ」
ドワイトが肩を竦め、自分も朝食を食べようとバターナイフに手を伸ばしたときだった。
「あ、あの......ナッシュさん」
ナッシュを呼ぶ声が聞こえる。顔を上げると、一人の若い男性研究員が身を縮こませてそこに立っていた。三人の朝食の邪魔をするのは気が引けるのだろう。
「ご飯中だよ」
意地悪くそう言うナッシュにコラコラと呆れた声で言い、
「どうかしたのかい?」
と、優しく問うのはドワイトだ。
「実は......ある超常現象が見つかったんです」
「超常現象?」
こくん、と研究員は頷き、写真と情報を載せた自作の資料を渡してきた。三人はそれをテーブルに広げて見てみる。
「スプーン?」
「みたいだねえ」
それは、金属のスプーンだった。一見、写真で見れば何の変哲もないただのスプーンに見える。
「このスプーンがどうしたって?」
「見てみなよナッシュ、どうも死人が出ているようだよ」
「死人だって?」
ドワイトが指さした所を見てみると、確かにこのスプーンでシチューを食べていた研究員が原因不明の死を遂げていたのだ。
「ふーん? それって、シチューに何か仕組まれていたんじゃないのかい?」
ナッシュがブライスとドワイトを見る。ブライスは何やら難しい顔をしていた。
「この亡くなった研究員というのは、ケニヨン・マッカリースのことか?」
「はい、そうです」
「知っているのかい」
ドワイトが首を傾げる。
「知っているも何も、死んだ研究員の情報は俺に届くからな。彼の死因は原因不明となっているが、ベティに頼んで体を診てもらった。悪いウイルスなら大変だからな」
ベティ・エヴァレット(Betty Everette)はB.F.の医者をしており、彼女も時折この三人に混ざって食事をすることがある。今は実験で負傷した研究員が居るようで、それの治療で忙しいようだ。
「なるほど......それで?」
ドワイトが話の先を促す。
「ベティ曰く、彼の体からは強い毒素が発見された。シチューは調べたが、特に何も検出はされなかった」
「毒素......つまり、彼を殺したのはこのスプーンだと」
ドワイトが眉を顰める隣でナッシュは首を傾げた。
「でも、こんなスプーン、一体どこから?」
ナッシュの問いに対して研究員が、えっと、と目を伏せた。
「ケニヨンさんの持参していたものです。彼は自分の持ってきたスプーンしか使わない方だったので」
「今までこれを使っていたってことかい?」
ドワイトが問うと、研究員は、はい、と頷いた。
「変な話だと思いませんか?」
「ふむ、確かにね。今まで使っていたのなら急に毒に侵されるなんて、そんなこと......」
ドワイトが口に手を当てて考え込んでいる。
「スプーンの成分とシチューに入っていた材料の成分が合わさると毒ができるとか、かなあ」
ドワイトが唸っている隣で「もしくは」とナッシュがチラリと若い研究員に目をやる。
「誰かが毒を盛った、とかね」
若い研究員はぎょっとした顔でブンブンと首を横に振った。
「そ、そんな!! 僕はケニヨンさんを殺したりなんかしませんよ!!」
「もちろん、わかっているよ」
若い研究員を安心させるように優しく微笑んだのはドワイトだった。
「ただ、スプーンについては私たちも調べたいから、後で持ってきてくれるかい?」
「は、はい......それは、構いません」
やがて研究員がその場を立ち去り、三人はテーブル上に残された資料に再び目を落とした。
「殺人スプーンねえ」
ナッシュがトーストを頬張りながら言った。
「スプーンは食堂のものを使わせるルールでも設けるべきなんじゃないかな」
ドワイトがブライスに提案をした。ブライスは黙々とパンを食べていたのを止めて、
「ケニヨンは極度の潔癖症で、飯は必ず自分の部屋で、更には自分の持ってきた食器で食っていた」
「なるほど......」
潔癖症なら、食堂で共有のスプーンやフォークは使いたがらないだろう。それなら自分の食器を使いたがるのも納得が行く。
「あの子が毒を持った可能性は?」
ナッシュが声を潜めて問う。彼はあの若い研究員を怪しんでいるようだ。殺してはいないと首を横に振っていた彼だったが、演技らしいと言えば演技らしい。ナッシュは人の心理を見抜くのが人より長けている。
ナッシュの問いにブライスは「そうだな」と考え込む仕草をする。
「彼奴はケニヨンが初めてとった助手だったからな。見ている限りでは仲が悪いようにも見えなかったが......」
「ふーん?」
ナッシュは目を細め、
「彼は、ケニヨンの死について何も思わなかったのかな」
と、首を傾げる。
自分のペアが死んだ研究員をナッシュは沢山見てきた。その中でも、彼は随分と落ち着いているように見えたのだ。普通、あれだけケロッとしているのも違和感がある。立ち直りが上手いなどのレベルではない。
「ケニヨンが死んだ日はオフィスから出てこなかったという話だ」
「オフィスには行っていたのか」
ナッシュが眉を顰める。
普通、自室に篭って出てこないというものだと思っていたが。ケニヨンが死んだ当日も、しっかり仕事をする気はあったということだろうか。
「ケニヨンが死んだのは彼らの自室だ。ペアが死んだ場所に留まるのも気が引けるんだろう」
「ふーん、そんなものか」
ナッシュはいつもよりも鋭い目で資料を見下ろしていた。
「もし、殺人だとしたらどうするつもりだい?」
今度はドワイトがブライスに問う。
「二度と起こらないよう、正しい処置を与えるつもりだ」
「それは、クビにするってことかい」
「そうだ」
クビになった研究員はまだ一人しか居ない。しかも、それは最近の出来事であった。クビになるほどの行為をしたからと言って、共に研究員としての日々を送ってきた仲間が一人、また一人と居なくなることは、あまりいい気持ちはしない。
どうか、ケニヨンを殺したのが彼でありませんように_____。
ドワイトは心の中で密かにそう思い、食事を再開したのだった。
*****
若い研究員から後日、スプーンが届けられたので、三人は時間を作ってじっくりとスプーンを観察することにした。
スプーンは写真で見た通り、特別何でもないただのスプーンだった。ただ、綺麗に磨かれていて、指紋ひとつ付いていない。
「こうして見ると、彼がどれだけ大切に使っていたかが分かるね」
ドワイトがスプーンの入ったケースを見て頷いた。
ケニヨンは、家からカトラリーケースを持ってきていたらしい。
カトラリーとは「フォーク」「スプーン」「ナイフ」などを指す言葉だ。
ケニヨンとあの若い職員の寝泊まり部屋に置いてあったカトラリーケースの中は綺麗に整頓されていた。ケニヨンは毎晩、これをピカピカに磨いてから寝るのが日課だったという。潔癖症でありながら、ものをとても大切にする研究員だったのだろう。
「銀の匙か」
カトラリーケースを覗いていたブライスがボソリと呟いた。
「銀の匙?」
首を傾げるナッシュに対して、ドワイトは頷く。
「聞いたことないかい? 中世ヨーロッパの風習だよ。生まれてきた子供に銀の匙、つまり銀のスプーンを送ることで、その子が将来食べるのに困らないと言われているんだ」
「へえ、そんな風習あるのかい。じゃあ、これはケニヨンが産まれてきた時に親か誰かから送られてきたものだってことかな」
「そうだろうね。だとしたら、毒があるのはやっぱりおかしいのかな」
カトラリーケースを見下ろしてドワイトは目を細めている。そんな中、ブライスはスプーンを手に取ってまじまじと見つめている。
「何かわかりそうかい」
ナッシュが問うと、ブライスはカトラリーケースを指さして、
「これで、色々なものを口にしてみるというのは、どうだ」
「それは......大丈夫なのかい......?」
不安げなドワイトに対してブライスは頷く。
「やれるだけのことをやるのがB.F.職員だ」
*****
三人は食堂で、ケニヨンが亡くなる前に食べていたシチュー、そしてサラダを食堂から持ってきて、更にケニヨンとあの研究員の部屋にあった缶スープなどを用意した。缶スープはケニヨンが家から非常食として持ってきていたらしい。
「あまり気は進まないけどな」
ナッシュが缶を開けながらため息を着く。
「ナイフやフォークも試してみるか」
その隣でブライスは、カトラリーケースから次々とカトラリーを取り出していた。それを見てナッシュは「チャレンジャーだねえ」と呆れ顔で言う。
「何言ってるんだい、ナッシュ。君もやるんだよ」
ドワイトが小さなスプーンをナッシュに預けた。
「はあ、分かった分かった」
ナッシュは渋々スプーンを受け取った。
*****
三人はケースに入っていたカトラリーを一通り使って料理を食べてみた。特に味に変化はなく、食べてすぐは体に変化も感じられない。
「ふむ......変な味がするわけでもないね?」
「そうだな」
「もしかしたら、時間がかかるのかもね」
「よく洗われたカトラリーだとしたら、毒はもう無いんじゃないのかい?」
三人は意見を出し合いながら、昼食として料理を食べ終えて、結果が出るまではそれぞれのオフィスで待機をする、ということになった。
*****
「ね、ねえ、二人とも」
料理を片付けている途中、ドワイトが青い顔をしてうずくまる。
「何だか、急に、お腹が痛くなってきたんだけれど......?」
「奇遇だねえドワイト......僕もだよ」
ナッシュも苦しそうに腹をさすっている。ブライスも前かがみになって腹を抑えていた。
「これは......ベティ先生のところに向かうしかないな」
三人は足早にベティの元へと向かった。
*****
ベティは医務室に駆け込んできた三人を見て呆れ顔で言った。
「また随分と派手に毒を飲んだじゃない」
「こ、これは治るのかな......!?」
ドワイトが問うと、ベティはイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「さあ、どうして欲しい?」
「な、治してくれ......」
ドワイトが脂汗を滲ませて悲願する。ベティはニヤニヤと笑ってブライスに目をやった。ブライスが苦しむ姿は珍しいので楽しんでいるようだ。
「......解毒剤を白衣の右ポケットに隠しているな............」
ブライスが苦しげに言った。ベティは軽く眉を上げる。
「へえ、ちゃんと見ているのね。正解よ」
*****
ベティの解毒剤を飲んで、三人の腹痛は少しずつ治まっていった。ソファーに座ってぐったりとする三人の横で、ベティはカトラリーケースを見下ろしている。
「ふーん、これがあなた達を苦しめた例のスプーンね」
「一人の研究員が死んでいることは、お前も知っているな」
ブライスの問いにベティは「ええ、もちろんよ」と返す。
「でもこれ......やっぱり毒殺として考えるべきね。疑うのはあの若い研究員よ」
「やっぱり......」
ナッシュが眉を顰める。ドワイトは納得のいかない様子で首を傾げた。
「でも、どうして彼なんだい? ブライスの話によれば、二人は仲が良かったんだろう......?」
「人間の中にはたった一回のこじれで、相手を殺したくなるほど憎むやつもいるもんよ。表では可愛い顔をしていても、裏にはとんでもない顔を持つ者もいる、ってことね」
ベティはため息をついてカトラリーケースを閉じる。
「とにかく、安易にこんな危険な物に手を出しちゃいけないわよ。だいたい人が死んでいるんだからもっと慎重に調べるべきだって言うのに......度胸試しもいいところよ」
ベティが腰に手を当てて三人を見下ろす。珍しく三人とも肩を落としてベティの説教を聞いていた。
*****
こうして殺人事件として片付けられたスプーン騒動。当然あの若い研究員、ペドロ・スウィフト(Pedro Swift)はB.F.から追放されたのだとか。