File020 〜移動式空間〜
B.F.星1研究員コナー・フォレット(Connor Follett)は先輩である星5研究員、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)をじっと観察していた。
ナッシュは時々、忘れ物をした、と言ってその忘れ物を白衣の内側から取り出すことがある。
つまり、会議室に居て、ペンをオフィスに忘れてきたとすると、白衣の中に手を突っ込むことで、オフィスにあったペンをそこから取り出すことができるのだ。
言い換えれば、四次元空間である。
ナッシュの白衣の内側は全てそれになっているらしく、初めて知ったとき、コナーは開いた口が塞がらなかった。
ナッシュ曰く、「僕は魔法使いの家系なんだよ」、らしいがそんな理屈通るわけが無い。
ナッシュは、コナーの後ろでデスクに向かって先程からペンを走らせている。しかし、コナーの視線には気がついたのか、ペン先から視線を上げずに口を開いた。
「どうしたんだい、コナー」
「いや、ナッシュさんの白衣の中がどうしても気になるんすよねえ......」
「そんなに気になるなら行っておいで、っていつも言っているじゃないか」
ナッシュが手を止めて、白衣を半分広げた。白衣の内側には黒い空間が蠢いている。夜の闇より遥かに黒いその空間に、コナーの背筋にはゾッと冷たいものが走った。
「いやっ、帰って来られなかったらどうするんですか!?」
「まあ、僕が手を差し出せば掴んで引き戻せるんじゃないかな」
コナーはそれを聞いても、ぶんぶん、と取れそうな勢いで首を横に振った。
「嫌です!! 絶対にやりません!!」
それを聞いたナッシュは「そうか」とペンを握り直す。
コナーは再び彼の白衣をまじまじと見た。
よくイタズラした時に、これに閉じ込めるぞ、と白衣を広げてナッシュが近づいてくることがあるのだが、やはりあれはかなり危険な状況であるらしい。勿論、イタズラを止めろと言われても無理な話であるのだが。
コナーはふと、思いついた疑問点を口にした。
「ナッシュさんの白衣の中って全部それっすよね? 自分自身は呑み込まれないんですか?」
「うん? ああ、別に、僕はなんてことないよ。ただ、他の人が僕の白衣を着たら消えちゃうだろうけど」
サラッと怖いことを言うナッシュに、コナーは背筋に再び寒気を覚える。
「.......」
「......試してみるかい?」
「!!!!!」
ニヤッと笑って白衣を脱ごうとするナッシュを見て、コナーはオフィスから電光石火の如く逃げ出した。
逃げた先はいつものミゲルとドワイトのオフィスである。コナーはイタズラをしたとき、必ず此処で匿ってもらうのだ。大抵怒ったナッシュに首根っこを掴まれてズルズルと引きずられて行くのがオチなのだが.......。
「ナッシュの異次元空間についてかい?」
休憩中だったらしいドワイトがコーヒーを入れながら、駆け込んで来たコナーの話に首を傾げる。
「そうですよっ!! あんなの持っていたら安心してイタズラできやしない!」
「安心してイタズラしたいんだね......」
嘆くコナーにドワイトの助手であるミゲルが苦笑した。
ドワイトはふむ、と顎髭を撫でながら椅子に腰掛けた。
「彼はだいぶ最初の方にあの子に取り憑かれたからねえ。元々は普通の白衣だったんだけれど、何故かナッシュを気に入って離れないんだよ」
「意思でもあるんですか?」
顔を輝かせるミゲルにドワイトは、さあねえ、と微笑む。
「ナッシュは時々会話をしたりしているけれどね」
「白衣とですか?」
「変人っすね」
目を丸くするミゲルと怪訝な顔をするコナーを見て、あはは、とドワイトが笑った。
「まあ、きっと彼の恋人のようなものなんだろう」
「白衣が恋人......」
ますます分からなくなるコナーだった。
*****
コナーがオフィスに戻るとナッシュはそこに居らず、白衣だけが椅子の背もたれに残されていた。意味ありげなその行為に、罠だろうか、と警戒しながらもコナーは好奇心には勝てず、白衣をパッと掴んだ。内側には相変わらず黒い空間が広がっている。
中に恐る恐る手を入れてみると、何処までも入る。肌に触れる空気が少し暖かくて、何だか不思議な感覚だ。その時、何かがコナーの指先に触れた。
「.......? 何だこれ」
引っ張り出してみると、何やら小さな紙だった。
知らない男性とナッシュが写っているが、かなり若い頃のナッシュである。30代だろうか。いや、もっと若いようにも見える。
バックには大学らしき、大きくて歴史を感じる立派な建物が写っていた。
ナッシュの隣には、彼と同じ髪色の、優しそうな笑みを顔に浮かべた男性が立っている。ナッシュよりも遥かに若い。カメラに向かってポーズを決めるその姿は、まだ幼さが残る好青年といった感じだろうか。
二人とも仲が良さそうに、肩を組んでいた。
それにしてもかなり古いものだ。写真は黄ばんでいて、折れ目も多い。
一体いつのものなんだ、とコナーが写真をまじまじと見ていると、
ガチャ。
「!!!!」
突然扉が開く気配がして、コナーは慌てて白衣を椅子にかけた。写真は白衣の下に忍ばせる。
オフィスに入ってきたのはナッシュであった。
「ああ、コナー、戻って来ていたのかい」
「あ、ああ、まあ......」
「んー? 何かしたね?」
ニヤニヤ笑うナッシュに、コナーは心臓がドキッと大きく跳ねたのを感じた。
「な、何もしてないっす!!!」
写真は白衣の下に隠した。最初に比べれば、かなりぐちゃぐちゃになってしまったが、白衣もきちんと椅子の背もたれに戻した。
写真は、上手くあの空間に戻っておいてくれていればいいのだが......。
「お、俺、食堂で飯買ってきます!! サンドイッチでいいっすよね!」
「うん、いいよ」
パタン、と扉が閉まった。コナーがオフィスから出ていったのだ。ナッシュはそれを見届けて、白衣に視線を送る。
「......」
白衣に手を伸ばし、それを掴んだ。すると、パサ、と何かが床に落ちた。写真だ。
「ははー......やっぱり触ったか」
ナッシュは苦笑いし、写真を拾い上げる。そして、懐かしそうに目を細めて、自分のデスクにある、パソコンのディスプレイの横にそれを大事そうに立てかけた。
「懐かしいなあ、元気にしてるといいけど」
写真の中の青年は幸せそうに笑っていた。