File019 〜赤い箱〜
「あれ? ラシュレイ今日、合同実験入ってんじゃん」
ノールズ・ミラー(Knolles Miller)はオフィスにある壁掛けのホワイトボードを見た。実験や会議の時間、場所を記すのに使われるそれには、今日の午後一時からラシュレイの名前で「合同実験有り」の文字があった。
「おお、バレットとエズラとビクター、ケルシーかあ。星4になったからかな?」
ラシュレイは先日、無事に昇格試験に合格し、星3から星4へと上がった。
バレット・ルーカス(Barrett Lucas)、エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)、ビクター・クレッグ(Victor Clegg)、ケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)はB.F.星4研究員だ。
彼は今日、その四人と合同実験を行うらしい。
合同実験というのは、ノールズペアがイザベルペアと共に同じ対象を実験したり、ドワイトペアと共に実験を行ったりと、二人の異なったグループ、またはペアが合同で同じ対象の実験を行うことを言う。
「わ、懐かしいな〜」
ホワイトボードの片隅に、今日、ラシュレイが実験を行うであろう超常現象について書かれた小さな紙が貼ってある。それを見たノールズの顔が綻んだ。
*****
ラシュレイは星4になって最初の実験場所へと向かっていた。
今日は初めての合同実験である。ノールズは参加しないので、ラシュレイは一人で実験場所へと行くことになる。
単体実験の時も一人では実験を行っていたが、こうして違うグループと共に同じ実験をするのは初めてなので、なんだか新鮮である。
合同実験を行うのは、まだラシュレイと面識がない星4の先輩であるバレットペア、ビクターペアだ。ノールズとは面識があるらしい。きっと日曜会議などで顔を合わせているからだろう。
さて、先輩を待たせるわけには行かないと思い、ラシュレイは集合時間よりかなり早めに待ち合わせ場所へと来ていた。実験室前の廊下である。腕時計に目をやるとまだ10分前だ。
今日の実験対象の確認をしようとファイルを開いていると、
「あ、やっほー」
「バカ、初対面なんだからちゃんと挨拶しろ」
そんな声が聞こえてきた。ラシュレイがファイルから顔を上げると、三人の男性研究員と一人の女性研究員が此方に向かって歩いてきている。
「待たせた......と言っても、五分前か......すごいな」
一人の研究員がチラリと腕時計を見て目を丸くしている。彼がビクターだ。
「時間もあるし、自己紹介しようか! まずは私ね!」
女性研究員が元気よく挙手をして、ラシュレイに明るい笑顔を見せた。
「ケルシー・アーネットだよ! よろしくね!」
「はいはい!! 次俺な!!」
続いて、彼の右隣に居た男性研究員が挙手をする。
「バレット・ルーカスだ! 今日はよろしくー!」
「エズラ・マクギニス」
「ビクター・クレッグだ。よろしくな」
四人が名前を名乗り、ラシュレイも、
「ラシュレイ・フェバリットです。今日はよろしくお願いします」
と頭を下げた。
ノールズの話によれば、バレットとエズラはペアを組んでおり、ビクターはケルシーとペアを組んでいるらしい。四人は同期で、男女問わず全員仲が良さそうな雰囲気が伺える。
ラシュレイは上手くこの中に入っていけるだろうか、とぼんやり考えていた。
「なあ、ラシュレイってさ、ノールズさんとこの助手だよな?」
バレットが首を傾げて訊いてきた。ラシュレイは素直に驚いた。
まさか自分の先輩の名前が出てくるとは。そんなに有名人なのだろうか、あの人は。
良い意味で有名になっていればいいのだが......。
「そうですが......」
ラシュレイが頷くと、
「あの、星1から星3に飛び級したっていう......?」
エズラが眉を顰めている。ラシュレイは、ああ、と思った。
確かに、星1から星3になったのは本当の話である。恐らく、ブライスが自分に星2の技術は必要ない、と判断したのだろう。
つまり、ラシュレイは星2の試験は受けていない。
聞けば、報告書の書き方の基礎のようなものを試す試験らしく、特別難しいものでもないようだ。星3の試験では、人命救助の実技テストがある。心臓マッサージや人工呼吸、怪我人の運び方など、実験で負傷者が出た際に使われる実用的なものである。
話は戻るが、星1から星3に飛び級した時、ラシュレイは変に目立っていた。
まず、周りにそんな人間は居なかったし、今まで飛び級した人間はラシュレイの他に過去に一人しかいないようである。
ノールズはまさか自分の助手が飛び級するとは思っていなかったのか、顎が外れそうになるほど驚いていたし、あのイザベルでさえ目を丸くしていたほどなのだから、まず第一に、自分はとんでもないことをやらかしてしまったのだな、と当時のラシュレイは思ったのだった。
しかし、だからと言ってラシュレイ自身はあまり驚かなかった。
何だか凄いことらしいが、そんな称号貰ったところで自分には同じ土台に立つ同期が居なくなり、孤立し、単体実験も多くこなす羽目になった。
こんなことになるくらいなら飛び級しない方がマシだったのではないだろうか、とラシュレイは内心思っていた。
「飛び級かあ、凄いねえ。私たちの中にも居なかったよねえ」
そう言って笑ったのは四人の中で唯一の女性研究員であるケルシーだ。
「まあ、飛び級できるほど優秀な人間でもないしな」
ビクターが三人の顔を見回して言った。
「うわー、酷い言い方ですよ.....と、言うことで今日はよろしくお願いします、ラシュレイ先生!」
ケルシーがラシュレイに手を伸ばしてきた。ラシュレイは「?」という顔のまま彼女の手をとって握手を交わす。
「困らせるな。こっちが先輩だろ」
ビクターがため息をつく。
「ま、今回は俺らが先輩ってことで!! 分からないことがあったらじゃんじゃか聞いてくれよ!!?」
「倒す敵の数で争うお前に聞くことなんてあるか」
胸を叩いて誇らしげに言うバレットにビクターが呆れ顔を向けた。
「じゃ、四人とも頑張ってね!! 私は外で待ってるから〜!」
ケルシーがラシュレイからパッと手を離すと、実験室の扉を開けてくれた。中はかなり暗い。
「行ってきまーす」
バレットがぴょんぴょん跳ねるようにしてその中へと入っていく。暗すぎて彼の背中は一瞬にして見えなくなってしまった。
続いてエズラが入る。やはり彼も闇に溶け込むようにして部屋の中に入ると見えなくなってしまったのだった。
ラシュレイは恐る恐る部屋を覗き込む。本当に何も見えない。すると、ビクターが、
「資料はきちんと読んできてくれたか?」
と、聞いてきた。ラシュレイは「はい」と頷く。
「よし、じゃあ行くぞ。ケルシー、いつも通りよろしくな」
「うん! 任せておいて!」
ビクターはラシュレイの背中を押し、二人は暗闇の中に吸い込まれて行った。ケルシーは「じゃあねー」と、その姿が見えなくなるまで手を振っていた。
*****
今日の対象、それは武器練習用超常現象・「赤い箱」。元々空間を歪めて、入ってきた人間を閉じ込めて悪さをするという厄介な超常現象だったが、その性質を利用し、様々な技術と知恵を結成させて武器の練習用の超常現象へと改良された。
一定の時間の間隔を空けて中に敵が現れるので、その敵を銃で撃ち殺すという使い方をする。言い換えれば、銃の基礎練習を行う場所である。
星4に昇格するとまず「赤い箱」で武器の使い方を教わるようになる。簡単な組技や、受け身のとり方なども、この超常現象で学ぶことが出来る。理由は様々だが、実験で命を守るため、というのが一番だ。
星1から星3までは、研究員としての基礎や実験に慣れるための練習という試験内容が主なのだが、星3から星4は研究員として質の高い研究ができるよう、まず命を守ることを優先される。星5の昇格試験では実際、武器の使い方を見る実技試験も入ってくるので星4以上の研究員は必ず通る道だ。
武器の使い方を学ぶつもりで来たラシュレイだが、ノールズは、
『武器の使い方だけじゃなくてさ、先輩を敬う気持ちとかもよーく学んできなよっ!? ねっ!?』
と、扉を閉めるその瞬間まで煩かったので、ラシュレイは寧ろ扉を開けて彼にぶつけてやろうか、と思ったのであった。煩い上司をどう黙らせるか、という訓練もあったのなら試験に関係なく受けたい。
人との付き合い方くらいB.F.では嫌になるほど身につくというのに、ノールズはそこまで自分のことを尊敬して欲しいのだろうか。
分からない。
*****
扉の先は、やはり暗い。しかし、扉の外から覗き込んだ時よりも若干明るくはあった。光源は、床に埋め込まれているらしく、足元は見えるが、お互いの顔は目を凝らさなければ分からない、と言った感じだ。
最初に入っていったバレットやエズラは、ガチャガチャと武器を手にして既に準備を始めていた。
「ラシュレイ」
ビクターに呼ばれてラシュレイは振り返る。彼はラシュレイに今日の武器である銃を渡した。受け渡す際、「重いぞ」と言葉を添えられる。
鈍い光を放つそれは確かにずっしりと重く、ずっと持っているのは難しそうだ。
「最初は使い方を覚えるだけでいい。敵を倒すのはその次だ」
「はい」
ラシュレイは基本的な構え方や撃ち方、弾の込め方などをビクターから教わった。
ビクターは教えるのが上手い。聞けば、今日実験を共にしているこの四人は「赤い箱」の最高責任者をしているようだ。
ノールズが「伸び放題」の管理者であるように、彼らも「赤い箱」を管理しているらしい。だからか、毎回星4になった研究員にこの説明をしているので自然と教えることにも慣れていったのだという。
星5ではなく、星4に超常現象の管理を託すということはあまり聞く話でない。きっと彼らがそれだけ優秀な研究員である、ということなのだろう。
さて、全ての説明が終わる頃には、ラシュレイは武器の重さにもある程度慣れ、扱いも頭に入っていた。バレットとエズラはと言うと、ラシュレイと同じ武器を手にしてスコープの微調整に入っている。随分と慣れた手つきだ。
「さて、始まるぞ」
ビクターの声がして、ラシュレイは持ち場に着いた。四人はお互いに背を向けるようにしてそれぞれ四方向を向いて立っている。こうすることで誰かが弾切れになってしまった場合にも両脇の人間がカバーすることができるのだ。
息を潜めて暗闇に銃口を突き付ける。すると、ひたひた、と暗闇の向こうから何かが歩く音が聞こえてきた。
第一波が始まった。
「赤い箱」の敵の出現時間は五段階で別れており、一波ごとに30秒ずつ長くなっていく。波を重ねる毎に敵は多く強くなっていくので、危険な練習である。
「来たぞ!!」
耳を劈く銃声がラシュレイの左隣で鳴った。バレットが敵に銃弾を撃ち込んだようだ。
ラシュレイにも一瞬だけ見えた。
暗闇から現れたのは、身長2mほどの人型の黒い化け物だった。
腕が異様に長く、動きは遅いが近づかれ過ぎると長い腕を首に巻き付かれて窒息死させられるという。
それで何人もの研究員がこの超常現象で命を落としている。
化け物を仕留めるには頭を撃ち抜かなければならない。ただ、この暗さというのもあり、初心者はかなり難しい。
暗視スコープなので暗闇でも多少は見えるが、もしもスコープがズレていたりなどすれば、生死を分けることになる。
ラシュレイが、二、三発撃ち込んだところで敵が途切れて、辺りに静寂が戻ってきた。
これは休憩時間のようで、この間に怪我の手当、武器の手配を素早く行う必要がある。
案外忙しく、緊張感漂う空気にラシュレイは少しだけ不安を感じていた。
「どう!?」
突然、隣に立っていたバレットが銃に弾を詰めながら聞いてきた。
「ゲームみたいじゃね!?」
彼の顔が汗でキラキラ輝いている。
「新人に言うことじゃないだろ、それ」
暗闇からエズラの声が聞こえてきた。
ビクターも、
「死んでるやつも居るんだ、真面目にやれ」
と、言った。
この超常現象の怖いところはなんと言っても弾切れである。最初の方で油断して撃ちまくっていると、後半は弾切れになり殺されかねない。
そのためにケルシーが外にいるのだ。
彼女はいざというとき中に入ってきて助けに来られるよう、または助けが呼べるように待機しているのだ。
今日のその役割は彼女だったが、いつもは四人でローテーションしているらしい。
「さて、第二波だ。締まっていくぞ」
四人は武器を構えた。
*****
第二波がやって来る。
30秒だった一波に比べて、二波は一分である。
たった30秒増えただけだというのに、ラシュレイはかなり厳しくなってきた。重い銃は、撃つ度に体に響く反動で、体力はじわりじわりと削られていく。
「生きてるか、新人!!!」
ビクターの声をラシュレイは背中に聞いた。彼とは背中合わせに立っている状態だ。
「はい......生きてます!!」
銃声に掻き消されないよう、ラシュレイは叫ぶように答えた。
*****
第二、第三、第四波までが終わった。
次で最後である。
今まで30秒ずつ増えていった第四波までだが、第五波はなんと五分である。
それを聞いた時膝から崩れそうになったが、耐え抜かなければ死が待つのみだ。思えば、今星5の研究員はこれで生き延びた人達なのか、と思うとラシュレイは感慨深いものを感じた。
第五波はかなりの長期戦である。敵数も増え、その中で弾の装填作業を行わねばならない。大抵は此処か、第四波が山場のようだ。それを聞くと銃を構える手にも汗を握る。
果たして自分は生きて此処から出られるだろうか。
最後の休み時間は比較的長い。詰められるだけの弾を詰め、戦闘中でも装填出来るよう、近くにストックを置いておく。
「大丈夫か、無理するなよ。最初は皆体力勝負なんだからな」
ビクターが銃に弾を詰めながらそう言った。
「辛いなら休んでもいいんだぞ」
優しい言葉ではあるが、ラシュレイは首を横に振る。
此処で休んでも結局は試験で同じことをするし、いざという時に戦うことが出来なくなる。
そして、大袈裟かもしれないが、大事な人も守れない。
ラシュレイは暗闇に銃口を向けた。
「平気です。最後まで戦わせてください」
「うおー、かっこいー」
バレットが口笛を吹く。
「無理はするんじゃないぞ」
「はい」
第五波が始まった。
*****
ラシュレイは立つことが出来なかった。床に座り込み、銃を置く。手が痺れ、足も痛い。
「おつかれさん」
「最後までよく耐えたな」
出ようぜ、と二人がラシュレイの手を掴んで立たせてくれた。一瞬よろめいたが、何とか歩くことは出来そうである。
「どうだった! 楽しかった!?」
「んなわけあるか。命掛かってんだぞ。緊張感を持てよな、お前は」
始終顔を輝かせていたバレットに、ビクターは大きなため息をついた。
ラシュレイはぐるりと辺りを見回す。
敵を全て倒すと、部屋の中は一気に明るくなった。かなり広い部屋だったようで、そこら中が化け物の赤黒い液体で染められている。
これが「赤い箱」と呼ばれる理由だ。
「にしても......弾が毎回ギリギリなんだから、最後の方はヒヤヒヤするよなあ」
バレットが空っぽになった、銃弾の入っていたケースを持ち上げて言った。
「お前が序盤に、後先考えず撃ちまくるからだろ」
そう言って鼻で笑ったのはエズラである。
「はあー!? エズラだって人のこと言えないじゃん!! 新人に良いとこ見せようって無理しちゃってさー。ぷぷ、かっこわるー」
「んだとっ!!」
言い争いが始まったのを見てビクターは呆れ顔である。
「ったく......まあ、弾切れと怪我の応急処置に関しては外にいるケルシーがやってくれるからな。ある程度は大丈夫だ」
ビクターが出口に向かうようにラシュレイに促しながら言葉を続ける。
「ま、これは練習だ。銃を持つことなんて此処を出るまでないだろうし、敵の数が倒せないからって落ち込む必要もないからな」
「はい」
「よーっし、出よう出ようー!! 腹減ったー!!」
「てめ、まだ話は終わってねえ!!」
四人は箱の外に出た。
「赤い箱」の訓練は最低三回は受けなければならない。次はもっと倒せるようになっているだろうか。
ラシュレイは、追いかけっこを始めるバレットとエズラを見てぼんやりと考えていた。
*****
オフィスに戻るとノールズが迎えてくれた。
「おかえり、ラシュレイ! どうだった! 実銃!」
「はあ、まあ......難しかったですね」
「おおー......ラシュレイが難しいなんて! ま、俺を守ってくれるくらいには強くなってもらわないとね!!」
ノールズが腕組をしてうんうん、と頷く。ラシュレイはそれを見て短く言った。
「かっこ悪いですね」
「何だと!?」