とある博士と、とある助手
政府公認の超常現象研究組織、通称「Black File」。この世のありとあらゆる超常現象を調査し、環境問題など現在の地球の課題を解決するために、24年前に設立された会社である。
24年前、政府はとある文書を発見する。
土の中から掘り出されたそれは、驚いたことに人間の言葉で書かれたものでは無かった。
土と埃で解読さえ難しいその文書を、政府はノースロップ・シティの総合大学に研究の種にでも、と託したという。
専門家でさえ根を上げた全く手付かずの文書である。大学の学生がいくら集まろうと読解は不可能だろうと、その時は誰もが思っていた。
しかし、文書を大学に託して一ヶ月ほどでなんと文書の八割が解読されたのである。
更に、解読を行ったのは大学生の研究グループであった。
読解不可能と言われたその文書をいとも簡単に読解したのだ。専門家も政府も言葉を失った。
そして、肝心な文書の中身は、衝撃的なものであった。悪戯とも言い難いその内容に、政府は読解した大学生らに更に文書を調べてもらうよう促して、Black Fileを設立したのだ。
文書の解読以外に、この世で科学的根拠が見つからない不可思議な現象も研究の対象となり、今日も多くの研究員が、ノースロップ・シティ、郊外の地下施設で研究に励んでいる。
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「あああ!! 終わらない!! 仕事が終わらない!!」
Black File、略してB.F.の研究施設に無数にあるオフィス。その中の一部屋にその男はいた。
金髪が蛍光灯の光を受けてキラキラと光り、また黄色の瞳はどこまでも澄んでいて輝いている。右頬には白い湿布が貼ってあり、纏う白衣にはかなり長い間着られているものなのか、洗濯しても落ちないような汚れがこびり付いていた。
男はパソコンを睨んでいたが、その作業に限界を迎えたのか、いきなりデスクを掴むと椅子の背もたれに頭を乗せて天井を仰いだ。
「デスクワーク飽きたぁぁあ!!」
子供のように天井に向かってそう叫ぶ彼の名前はノールズ・ミラー(Knolles Miller)。B.F.星5研究員である。
B.F.の研究員には、星1から星5までの5段階の階級があり、星が増えるほど階級は上がっていく。階級ごとに研究できる対象や任せられる仕事も変わっていき、仕事に奥行きができる。
ノールズが持つ一番上の階級星5は厳しい訓練と研究の成果、やっとの思いで手に入れることができるものである。取得するには、それ相応の時間と忍耐力が必要だ。
そんな彼が何故、子供のように喚いて天井を仰いでいるのだろう。
理由は簡単。仕事が片付かないのである。
B.F.職員は、膨大な時間と知識を仕事に費やす。超常現象をひとつ調査するにあたり、掛かる時間は平均して三日ほど。長いと一週間というものも。
ある対象を調査して調べ終えたとしても、それを纏めるレポートを書き、上司へ提出するのだ。
そのレポートは最終的に政府に読まれ、国で大事に保管される。
レポートには誤字脱字は許されないのは勿論のこと、提出期限もある。
研究員らは常に時間との戦いで、仕事への正確さを求められる。これは集中力との戦いだ。
ノールズは大きなため息をついた。
天井の蛍光灯が眩しく、目を瞑ると最近眠っていないのが原因か眠気が襲ってくる。
常に仕事に追われるB.F.研究員は、休む暇もなかなか無いのでこうして気を抜くと、すぐに眠気がやってくるのであった。
勿論、仕事を溜めないような人間であれば完璧な睡眠を取っているのであろうが、彼の場合仕事と自分の時間の両立が壊滅的に下手。
誰かに言われなければ、倒れるまで働こうとする研究員の鑑である。
彼は両手でぺちぺちと自分の頬を叩き出す。眠気を追い出そうとしているようだ。
現に今書いている上への報告書は、提出期限が今日の午後三時まで。現在時刻は午後一時半と、かなり追い込まれている。
だが動こうにも動けない。一度背もたれに首を付けると、意識を失いかける。これだけ頑張っているのなら遅れても構わない気がしてきた、と彼が若干心の中で諦めようとしていたその時だった。
ガチャ、と彼のデスクの左にある扉が開き、黒髪の男が入ってきた。ノールズと同じく白衣を身に纏い、一目で研究員とわかるが、ノールズよりは若いようだ。ノールズは20代後半であるが、今部屋に入ってきた男は17、18歳前後に見える。
少なくともまだ成人しているかしないか程度の年齢だ。
そんな彼は椅子の背もたれで意識を失いかけているノールズを冷たく見下ろし、彼を労る言葉もないまま持っていた紙を彼のデスクに置いた。
そして一言。
「間違いが多すぎます。書き直して再提出だそうです」
「ごはっ」
話しかけられようとも眠気で頭が回らないので、無視をしようかなどと考えていた彼が思わず吹き出した。
そして、次の瞬間には目をかっぴらいて机の上の紙を手に取っていた。
その紙は三日ほど前に上に提出した報告書なのだが、赤い文字とピンクや青といった色の付箋を散りばめられている。達筆で勢いのある文字で「再提出!!」「文章構成!!!」など精神を抉り取られる言葉が並んでいる。
「それはないよ。俺、これ書いた時死にそうだったんだよ」
そう、この報告書を書いている時は丁度今書いている報告書の実験を行っている時で忙しかった。ノールズは、半分寝ている状態でこれを書いて提出したのだった。
しかし、そんなノールズの必死の訴えにも黒髪の若い研究員は眉ひとつ直さず、「直してください」と冷たい声で言った。
「嫌だ!! 俺疲れたもん!! 俺、過労死寸前だもん!!!」
「何歳ですか。大体時間と自分の仕事の効率考えないからそんな事になるんですよ」
「だったらラシュレイが代わってよー! 先輩がこんなに苦しんでる姿を見るのはお前だって辛いはずだろ!?」
「そうですね、でも報告書制作は基本先輩の仕事のはずですよ。俺が助手入りした時にノールズさん、自分から言ってましたよね」
「ぐうう......!!」
いつだって冷静沈着、正論しか言わない後輩の言葉にノールズは返す言葉も見つからない。
結局、折れた。ため息をついて、
「分かった......書く......」
と、力なく項垂れたのであった。
彼の助手であり相棒のラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)はB.F.星3研究員だ。
彼は入社試験で驚異の頭の良さを見せつけ、昇格試験を星1から星3に飛び級している。
B.F.では原則、星1から星3の研究員は、星4以上の研究員とペアを組まなければならない、というルールが存在している。つまり、階級が上の先輩の下で助手として雇ってもらうのである。
星4になると「独立」と言って一人でも実験や研究が出来るが、星4になったからと言って、独立する研究員はまず居ない。何故なら、危険だからである。
B.F.が扱う超常現象には人体に影響を及ぼすもの、命を奪ってくるものなどざらにある。ペアを組んでいなければその現象に殺されたとして誰も助けることが出来ないし、死んだことにさえ気づかれない可能性もある。
そんな事を防ぐために研究員達は独立という手を取らず、ペアを組んで共に活動しているのだ。
ノールズの元には一年以上前にラシュレイという助手がやって来た。
頭の切れる天才助手と言った様子で、何故か先輩のノールズが尻に敷かれることが多く、先輩としてどんどん肩身が狭くなっているような気がしてならない。
ノールズは、ラシュレイが本当に自分を尊敬しているのかが気になってしょうがなかった。事実、彼から今まで一度もそのような態度を取られた事がないのである。
「ラシュレイ! 俺の事どう思ってる!?」
以前そんな質問を彼に投げたことがある。彼は相変わらずの氷のような冷たい声と表情で、
「落ち着きの無い人だな、と」
そう言った。人、である。先輩、ではない。ノールズは一人なってちょっとだけ泣いた。いや、かなり泣いた。
確かに自分は落ち着きがなく危なっかしい、とあらゆる研究員から言われる。
好きな同僚にすぐプロポーズするし、大好きなドーナツが手に入ると目をハートにして叫ぶくらいだ。
果たして自分はこの先、彼ときちんと上下関係を保てた上で仲良くしていけるのだろうか。
そもそも、そう考える前にまず自分は、目の前に溜まりに溜まった仕事達を片付けなければならない、とノールズは大きくため息を着いたのであった。