昇格試験
B.F.星3研究員ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)は朝からピリピリしていた。何をしても怒るのだ。
しかし、それを彼のペアであり、先輩であるノールズ・ミラー(Knolles Miller)はよく理解していた。
そう、何故なら今日は昇格試験。彼が機嫌が悪くなることくらい、前々から予想はしていたのだ。
ラシュレイはこれに合格すれば星4に昇格することができる。彼は今日のために単体実験を中心に様々な準備を進めてきた。
と、言うのは分かっているのだが。
ノールズ心配で心配で堪らない。何故なら、星4に昇格をするということは、独立が可能になるということだ。
B.F.では星4からペアを組まずに一人で実験をすることが可能だ。
ラシュレイがもし自分から離れていく道を選ぶことにしていたら......。
そう思うと、ノールズは居ても立っても居られないのであった。
当然、彼にいつものだる絡みが始まる。
「なああ......ラシュレイ? 独立とかしないよなああ? 俺と、まだ一緒に居てくれるよなああ?」
準備をしているラシュレイの視界に、ノールズは無理やり映り込もうとする。
「ノールズさん、ちょっと煩いです」
ラシュレイは試験会場に持っていく物の確認をしているようだった。
「ペン持った? 忘れ物しないでね? あ、そうだ。寂しい思いしないように、お人形さん持ってく?」
ギロっと擬音が付きそうなほどに物凄い睨まれた。
「ちょっと黙れないんですか?」
「ゴメンナサイ」
*****
オフィスに居ては肩身が狭いので、ノールズは食堂に逃げ込んだ。
いつもの席で同僚のイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)と、その助手であるキエラ・クレイン(Kiera Crane)を見つけたので、ノールズはヨロヨロと二人に近づいて行った。
「おはよおぉ......」
「あ、ノールズさん、おはようございま_____って、どうしたんですか!?」
彼から放たれる負のオーラを感じ取ったのか、キエラはぎょっとした様子で聞いてきた。
「うう......反抗期の娘さんを持つお父さんの気持ちって、こんな感じなのかなあって思ってさあ......」
「はあ......」
よく分からないノールズの発言にキエラが曖昧な返事をしていると、
「そう言えば、今日は昇格試験の日だったわね」
と、彼の隣でイザベルが口を開いた。
「そうなんだよお......朝からトゲトゲしちゃってさあ......肩身が狭いから逃げてきちゃった」
「そりゃそうでしょう。朝からこんな暑苦しいのがベタベタしてきたら誰だって嫌よ」
「イザベルって時々グサッと来ること言うよね......」
更に落ち込むノールズをキエラがまあまあ、と宥める。
「そう言えば、私たちが昇格試験を受ける度、ジェイスさんが会場まであなたについてきていたわよね」
イザベルの話にノールズもああ、と顔を顰める。
「そうだったねえ.....一回受ければ場所も分かるってのに、会場まで手を引いて連れて来るんだよ!? あの時の周りの視線と来たら......今思い出すだけでも恥ずかしいよ......」
「あら、恥ずかしいって感覚があなたにもあったのね」
「そりゃねえ!?」
ノールズはイザベルを軽く睨むが、彼女は涼しい顔でアイスコーヒーを飲んでいる。
「ジェイスさんって、ノールズさんと昔ペアだった研究員さんですよね?」
キエラが首を傾げて訊いた。
ジェイス・クレイトン(Jace Clayton)はノールズを育て上げた先輩である。ノールズの頬にある湿布の下に居る超常現象も、彼から受け継いだものだった。
キエラの問いにノールズ頷いた。
「そうだよ〜......もうめーっちゃ変わり者でさあ。ほんっとに、煩い人でね?」
「へえー」
「あなただってそこまで変わらないわよ」
「んえ!? 何でさっ!」
「挙げて言ったらキリがないから言わないわ」
「何だとー!?」
「ちょ、近い!! 近いです二人とも!! 少し離れてください!!」
三人でワイワイしていると、
「ノールズさん」
ラシュレイがその席にやって来た。手にはオフィスで用意していた試験の準備物を持っている。しかし、座るわけではないらしい。立ったまま、ノールズを見ている。
「おー、ラシュレイ! どうしたの?」
ノールズは、「席空いてるけど?」と自分の隣を指すが、彼はそこには目も向けず、ノールズに向かって小さく一礼した。
「今日までありがとうございました。行ってきます」
「.................ほ?」
ラシュレイはそれだけ言うと、サッと踵を返して食堂から出ていく。
ノールズはポカン、としたまま少しの間フリーズした。ラシュレイの言った言葉をもう一度口の中で唱える。
今日までありがとうございました。
今日までありがとうございました。
今日まで_____
「はああああああっ!!!? え、ちょっ、まっ......。はあああああっ!!!!??」
「うるっさい」
「え!? ねえ......ねえ聞いた!? 今、今、ラシュレイ、今日までありがとうございました、って!!! 聞き間違いじゃないよね!!?」
「そう聞こえたわよ」
イザベルが煩わしそうに彼に言い、シーザーサラダをフォークですくっている。
「いやいやいやいや、何、平然と食事進めてんだよ!! ラシュレイ、独立するってこと!!? 今、そういう雰囲気の言い方だったよね!!?」
「それはどうかしら」
「そ、そうですよ、まだわかりません......」
二人は言うが、ノールズは頑なに認めようとしない。
「絶対そうじゃん!!」
「今日まで育ててくれてありがとうございました。また明日からよろしくお願いします、って意味でしょ」
「違ったら!?」
「巣立ちとして暖かい目で見守ってあげなさい」
「無理いいいい!!! ラシュレイイイィィィイ!!! やっぱり行かないでえぇぇぇえ!!!」
席から立って走り出そうとするノールズを、イザベルとキエラが全力で止める。
「あなた今、ジェイスさんと同じことしようとしているわよ」
「だってそうするしかないじゃん!!」
「落ち着いてください、ノールズさん!!!!」
「うわああああああ!!! ラシュレエエェェイ!!」
イザベルは思った。彼はやはり、ジェイスの後輩だな、と。そして煩い。
*****
会場にはまだ人は少ないが、皆椅子に座って今まで集めてきたレポートや研究成果を見直していた。
ラシュレイも椅子に座り、最期の最後まで抜かりなく、ファイルの中身を見ていた。
こう見ると、本当に色々な実験をしてきたんだな、と感じた。
実験は実技と筆記。前半に筆記、後半は実技だ。実技では、単体実験と同じように、実際に対象と向き合い、対象の性質にきちんと気づけるか、報告書、レポートの作成が正しく出来ているかが見られる。
「それでは、渡された番号札に従って、呼ばれた人は部屋を移動してくださーい」
女性の職員が言う。
ラシュレイは番号札を見下ろす。「021」だ。呼ばれるのは五分後くらいだろうか。
今回は試験を受ける研究員が、ざっと50人ほどだ。その中でも星4の昇格試験を受けるのは自分も入れて十数人。今回は例年に比べて比較的少人数だ。
ラシュレイは小さくため息をついた。朝からピリピリしていたものの、やはり少し不安になって来たのだ。
彼はファイルの一番後ろのページを開いた。そこには透明なケースが入っており、中には写真が入っている。ノールズと一緒に二人で撮った写真だった。
星1から星3に昇格した時、会場で記念に撮ったものだ。あの時、自分より喜んでいた彼を昨日の事のように思い出せる。今回も合格したら、あの時のように喜んでくれるだろうか。
「21番から30番の方は移動を開始してください!」
女性職員が部屋に入ってきてよく通る声で言った。
いよいよである。
「......頑張りますね」
ラシュレイは写真に小さくそう呟いて、ファイルをぱたん、と閉じた。
*****
ノールズは悶々とした気持ちのまま、「伸び放題」の枝を切っていた。
「はあああああ............」
「まあまあ、ラシュレイがノールズさんの元から離れる真似なんて絶対しないっすよ」
今日はラシュレイが不在なので、代わりに独立している星4研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)が「伸び放題」の枝の剪定作業を手伝いに来ていた。
大きなため息をついたノールズに対して、枝を集めながら苦笑している。
「そんなのわっかんないじゃん! もし、もしラシュレイが独立するってなって、俺の傍から離れていったら俺は......もう............」
がっくり、と音が聞こえそうなくらいに、ノールズは肩を落とした。
「ほんと、仲良いっすねえ」
コナーはテキパキと枝を一箇所に集めて、言った。
「ああ......ラシュレイが独立したら、俺......もう助手いらない......」
「んな大袈裟な......そんなことないっすって」
「なーんでそんなことが分かるんだよおー......」
「うーん......何となくっすかねえ」
コナーは首を傾げる。
「だってラシュレイって意外とノールズさんにくっついてますよ。そりゃあ、キエラみたいにベッタベタとは言いませんけど。でも、あの『記憶の焔』のときだって二人の絆はちゃんと証明されたわけですし! そんな急に独立なんてできませんって!」
にっ、と笑うコナーを見てノールズはまだ納得がいかないようだった。剪定バサミを無駄にチョキチョキと鳴らしながら、
「皆そう言うけどね、俺は気が気でないんだよお......」
結果は人数からして今夜出るはずだ。果たして、ラシュレイと今夜同じ部屋で自分は寝ているのだろうか。いや、独立したからと言って寝室が別個になるわけではないが、あのラシュレイならやりかねない。
「もう、一人の研究員なので。一人部屋を持ちます」
なんて、言ってきそうだ。
「やばい、泣きそう」
ノールズが声を震わしたのでギョッとした様子でコナーが、
「ちょ、ちょ、涙はせめて結果聞いたときのために取っときましょうよ!?」
と、枝を抱えたまま言った。
「うううう......」
*****
終了の鐘が鳴った瞬間、ラシュレイは肩の力を抜いた。書いたレポートと報告書を提出しながら、取り敢えず人の流れに乗って食堂へと移動する。
夕食をとった後ですぐ合格発表だ。少人数でも、結果が今日出るというのはありがたいことだった。
食堂に入ると、あちこちから「おつかれ」、「頑張ったな」などと言う声が聞こえてくる。勿論、それが自分に向けられているものではないとラシュレイは分かっているので、スルーして食堂の中へとどんどん入っていく。
夕食はスープパスタにした。受け取りながら、ノールズの姿を探す。どこかの席を取っていてくれているのでは無いかという少しの期待を抱いたが、どこを見ても彼の姿は見えない。
人混みに紛れているのだろうか、とラシュレイは少しの間食堂内を歩き回ってみたが、それらしい姿は見つからなかった。
彼なら真っ先に飛んでくるのではないか、と思っていたがどうやら違ったようだ。
今日は「伸び放題」の剪定日であるし、書かねばならない報告書もあったはずだ。それで忙しいのだろう。
ラシュレイは探すのを諦めて空いている席に向かう。
別に気にしてなどいない。仕事をすることは悪いことではない。やるべき事はきちんとやらねばならないのだ。それで自分を後回しにしたからと言ってラシュレイは怒るほど子供ではない。
ラシュレイは空いている席を見つけてそこに座った。食べている間は目が暇なので適当にファイルを見返した。だが結局、周りの音や声に集中出来ず、ぱたん、と閉じた。
パスタを咀嚼しながら周りを見てみる。
ケーキやクッキーを貰っている人達。ハグや抱っこをしてもらって喜んでいる人達。
まだ結果は出ていないのに、何であんなに喜べるのだろう、とラシュレイはくるくるとフォークにパスタを巻いていく。
終わったあとの安心感を体全体で表しているのだろうが、少し派手ではないだろうか。
パスタを口に運び、再び咀嚼を繰り返す。
ごくん、と飲み込み、小さく、
「ノールズさん、来ないな」
と、呟いた。
やはり、誰も何も言ってくれないことと、一人で食事をするということが、彼は少しだけ寂しかった。
パスタをほとんど食べ終え、あと二口ほどというところで、
「あの......」
声が降ってきた。
ラシュレイは顔を上げる。B.F.星1研究員のカーラ・コフィ(Carla Coffey)とその先輩であり星5のドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)がいつの間にか自分の前に立っていたのだ。
「お疲れ様、ラシュレイ君」
ドワイトが微笑む。
カーラは彼の横でもじもじとしていたが、ドワイトがぽん、と彼女の肩に手を置いてあげるとハッとして顔を上げた。
「あ、あの......一緒に合格発表を見に行きませんか......!」
「......え」
ラシュレイは手を止めて困り、ドワイトを見上げる。
「実はカーラも星2昇格のために試験を受けたんだよ。ノールズ君、急用で外出しているようでね。私たちと良かったら一緒に見に行かないかい?」
「......急用......」
ノールズはどうやら外に出ているらしい。そりゃ飛んでくるわけないよな、とラシュレイはソワソワしていた自分が急に馬鹿らしく思えた。
考えてみれば、仕事がどんなに忙しかろうと、大事な会議中だろうと、彼ならすっぽかしてでも飛んできそうだ。外に居るなら、来れなくて当たり前だ。
「分かりました」
「うん、ありがとう」
ドワイトは優しく笑った。
*****
夕食を食べ終えて、ラシュレイはカーラ、ドワイトと共に大きな会議室へと向かった。合格発表の会場だ。会場に入ると、ブライスとナッシュが裏返されたホワイトボードの両脇に立っていた。
「うう、ドキドキします.....」
カーラが胸に手を当ててホワイトボードを見ている。
「大丈夫、深呼吸だよ、カーラ」
ドワイトがその横で彼女に言った。
あと一分。
ラシュレイはチラチラと会議室の入口付近に目をやった。ノールズらしき人の気配はない。
「......寂しいのかい?」
気づくと、ドワイトが此方を見ていた。
ラシュレイは慌てて入口から目を逸らした。
「別に、そんなわけじゃありません」
あと、10秒だ。
ナッシュが時計を見て、ブライス、と声をかける。
3、2、1.......。
クルッとボードが回転させられた。カラカラ、という静かな音と共に、皆が息を潜めて吸い寄せられるようにボードへと近づく。そして、次々と歓声を上げた。
「021」の番号は、きちんとあった。
「ドワイトさん、ありましたよっ!」
カーラが飛び跳ねて喜んでいた。
「うんうん、凄いよ、二人とも。よく頑張ったね」
ドワイトが満面の笑みでラシュレイとカーラの頭を撫でた。
「ドワイトさんのおかげです......」
カーラは顔を赤くして照れ笑いを浮かべている。ラシュレイはどういう顔をしていいか分からず、されるがままになっていた。
「ラシュレイ君、頑張ったね」
「......はい」
居心地が悪いわけではなかった。
試験が終わってからずっと求めていたものであった。
「きっと君の日頃の努力が実を結んだんだよ」
「......ありがとうございます」
小さく頷いた時だった。
「......おっと」
ドワイトがラシュレイの頭から手を浮かした。
もう終わりなのか、と少し残念な気持ちでいたその時だった。
「ラシュレエエェェェェイ!!!」
「......!!」
振り返ろうとした彼を圧迫感が襲う。グルグルと体が空中を回りながら飛んだ。心地いい香りが彼の鼻腔をくすぐった。
「おめでとう!! やったじゃんっ!!!!」
やっと地面に降ろされた頃にはラシュレイの視界はグルグルと回っていて、目の前の人物の顔がよく見えなかった。
しかし、少しずつ、それが今一番その反応を求めていた人で、更には手には小さな花束を持っているということにラシュレイは気づいた。
そしてそれを、グイッと彼に押し付けられる。
「ん! お祝い!!」
ノールズは笑顔で、花束を片手で押し付ける。
「花屋、ほとんど閉まってたんだけど、たまたまやってるとこ見つけたから、大急ぎで作ってもらったんだよ! 外出許可貰っちゃった!! これでお前も晴れて独立研究員だな! 今日はラシュレイの巣立ち記念日だろ?」
弾丸のように言葉を並べていく彼。ラシュレイは、彼が泣くのを我慢しているのだということに気づいていた。
だから、花束に手を伸ばして、口元を緩めた。
「......ノールズさん」
周りがさっきのノールズの派手すぎる登場によって此方を見ている。しかし、ラシュレイはそれに動じず、彼の目を真正面から見据えた。
「今まで、ありがとうございました」
そして、と言葉を紡ぐ。
「明日から、またよろしくお願いします」
「!」
彼が目を見開いた。しかしそれは一瞬で、じわりと涙を浮かべた。
「ったり前だろ!! こちらこそ宜しく!! ラシュレイ!!」
再び圧迫感。ラシュレイも、彼に負けないくらい、しっかりとその背中に腕を回した。