File016 〜おかあさん、あのね〜
「外部調査、楽しみだねー!」
B.F.星4研究員ケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)は、そう言ってバサッと茶色のコートを羽織った。
彼女の後ろでは、同じく星4研究員ビクター・クレッグ(Victor Clegg)がファイルを鞄に入れている。彼もまた、ケルシーと同じくコートを羽織っていた。
「仕事だ、ってブライスさんに怒られるぞ」
声を弾ませるケルシーに対して、ビクターは落ち着いた様子で言った。
「んもー、わかってるよ」
二人は星4同士でペアを組んでいる研究員だ。しっかり者の二人は早速、最近始まった外部調査に早い段階から参加する権利を得た。
そして、今日がその日である。
「本当に分かっているのか? 外に出てからはしゃぐなよ」
「大丈夫だって! そう言ってビクターだって昨日からソワソワしてたくせに!」
ケルシーがビクターに隣に飛んできて彼の顔を覗き込んだ。
「......そうだけど」
ビクターは否定しない。
外部調査は何年かぶりに外に出られる、ぶっ飛んだ企画だ。発表された時は夢なのではないかと自分の頬をつねるケルシーと同じく、ビクターも言葉を失っていた。
一体いつぶりの外なんだろうか。
昨日は確かにベッドに入ってからも、ビクターはソワソワして眠れなかった。
*****
外に出ると、何ら変わらない景色がそこには広がっていた。数年ぶりの太陽の光に感動していると、早速班分けをされて、数個の班がそれぞれ自分の持ち場へと向かっていった。
ビクターとケルシーは他の二人の研究員と合同の四人班になっているが、今回彼らが調査する超常現象は夕方限定のものなので、午前中はやることがなく、暇である。
ビクターとケルシーを置いて、二人の研究員は何処かに暇つぶしに行く、とフラフラとその場を離れていった。残された二人は顔を見合わせる。
「どうしようね?」
「どうしような」
ケルシーはうーん、と周りを見回すが、仮施設周辺は建物がない。ビクターはと言うと、何処か手の足りない班にサポートに行こうかと考えていた。
「うーん、バレットとエズラに何か買っていく?」
「土産ってことか?」
「そうそう!」
「いらないだろ。あいつらもいずれ外部調査に来ることになるだろうし」
ビクターは首を横に振って言った。
バレット・ルーカス(Barrett Lucas)とエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)はケルシー、ビクターの同期で星4のペアだ。いつも喧嘩ばかりしているので星4の研究員内では問題児扱いされているペアだが、最近はその喧嘩も少しずつ数を減らしている。まあ、減ると言っても、一日三回あった喧嘩が一日一回に減ったというような感じなのだが。
「それに、買っていったところで喧嘩になるだけだろ」
「おー、それもそうだねえ」
ケルシーも納得したのか大きく頷く。
「じゃあ、本当にやることないよね。夕方まで何しよっか」
「まあ、他の班のところにサポートに、行くか_____」
と、ビクターが彼女を見ると、
「何笑ってんだよ」
ケルシーはにんまりと笑っていた。
「暇なんだよ? せっかく外にいるんだよ? これはもう、遊ぶしかないじゃん!!!」
「はあ? 遊ぶって、一体何すんだ_____」
言いかけていたビクターの腕を、ケルシーは強引に引っ張った。
「近くに美味しいレストランがあるんだー!」
「待て待て、遊びに来るために外に出てきたわけじゃ......」
「ご飯なら何の問題もないって! 許容範囲、許容範囲!!」
ケルシーにぐいぐい引っ張られながらビクターはレストランがあるらしい方向へと引っ張られて行った。道行く一般人は微笑ましく恋人を見るような目で通り過ぎていく。ビクターはそれに気づいてケルシーの腕を振り払った。
「恥ずかしいから普通に歩かせろ」
「あれれ? 顔真っ赤になっちゃってー、かっわいーー」
ぷぷぷ、と口に手を当ててケルシーが笑っている。
「やっぱどっかの班のサポートに_____」
「わああ、ごめん! 行こう!!普通に行こう!!」
*****
B.F.研究員は地上の流行りに疎い。というのも、B.F.内にはテレビや新聞がないからだ。ラジオはあるが、忙しい日々の中ではほとんどの研究員の部屋でホコリを被っているだろう。
ビクターとケルシーも当然、流行りは分からなかった。
若者の間で流行っている遊びや食べ物。通りは見たことも聞いたこともないような物で溢れかえっていた。しかし、ケルシーは好奇心がビクターと比べて旺盛なのもあり、あれやこれやと手を出していた。
レストランから出れば彼女にビクターは街中連れ回されていた。服屋、雑貨屋、ジェラート屋......。夕方になる頃にはビクターはヘトヘトになってしまっていた。
「ったく......満喫しすぎだ」
「いいじゃん、いいじゃん! 久しぶりの地上だもん! これくらい楽しまないとね!」
ケルシーは、手に持っていたスナック菓子の最後の一口を口に放り込んだ。
*****
やがて、午前中に別れた、同じ班であるもう二人の研究員と合流し、四人で超常現象が現れるというポイントへ向かった。
そこは全長30m程の歩道で、人通りは少なかった。
「おお!! 研究員には優しいポイントだね!」
ケルシーが言った。確かに、一般人に見られてはいけない実験もこれなら堂々と出来そうなほど閑散としている。
ビクターとケルシー、30m先には合流した二人の研究員を置いて実験は始まった。
現象が見られる時間は限られており、始まるのは17時からだ。辺りが夕日によって赤く染められ始めると、それは現れるらしい。
ビクターとケルシーは物陰に息を潜めてそれを待っていた。そして、
「ビクター......!!! 来たよ!」
ケルシーは興奮気味に囁いた。
赤い夕日に向かうようにして子供とその母親が手を繋いでいるような影が突然現れたのだ。影は立体的で、ビクターとケルシーが居る場所から二人の研究員が待つ向こう側へとゆっくり歩き始めた。
「わあ、凄い凄い! 追いかけてみよっか!」
「ああ、そうだな」
二人は影の後ろからゆっくりと近づいていく。近づいていくと、影から男の子の舌っ足らずな声が聞こえてきた。
『おかあさん、あのね、今日ね、○○君がかけっこで一位を取ったんだよ』
男の子の言葉を聞いて反応したのはケルシーだった。目を丸くして男の子を見つめる。
「○○君って......私の家の近くに住んでいた子だよ」
ケルシーがビクターに耳打ちする。
「じゃあ......あの子はその子の友達ってことか......?」
ビクターが眉を顰めていると、再び声が聞こえてきた。やはり男の子だ。
『おかあさん、あのね、今日隣の家に住んでいる猫の△△が、庭を歩いているのを見たんだよ』
ビクターは「これも知っているか?」とケルシーを見たがケルシーは分からないようで首を横に振っていた。
その後も男の子が「おかあさん、あのね」から始まる話をただ一方的に母親に話しているだけの状態が続いた。男の子の話に対して、母親らしき影は何も反応しなかった。男の子の方は向いてはいるものの、相槌を打つようなマネはしなかった。
『おかあさん、あのね』
やがて、影は夕日に溶けるようにして消えてしまった。
「消えちゃった_____」
ケルシーがボソッと、呟く。気づくと、目の前にあの二人の研究員がいた。どうやらいつの間にか30m歩いていたらしい。
四人は今の現象について簡単に整理した。
*****
男の子の話にでてきた人物、場所などの名前は全てこの場にいる研究員の誰かしらの記憶から抜き取ったものであることがわかった。
例えば男の子が話していた猫の名前は30m先で待っていた研究員の一人が小さい頃に飼っていた猫の名前であった。更にはケルシーの母親の名前も出てきたという。
しかし、四人は自分たちが知っている単語や名前が出てきたからと言って不快な感じや不気味な感じは決してしなかった。母親らしき影が子供であろう影の話に相槌を打たなかったことに対しても、それに不快感は覚えなかったし、寧ろ幸福感が溜まっていくような感じがした。
あの風景が幸せなものだったかと改めて問われれば少しそうでも無いような気がするが、何故か四人は幸せである、と強制的に錯覚させられるのだった。
*****
「何だか寂しいような、暖かいような、不思議な超常現象だったね」
記録を取りながらケルシーがぽそぽそと言った。
「ああ、どういう意図であんなことしてるんだろうな」
ビクターも頷いた。
*****
その後、ビクターらはあの歩道で過去に事故があったか、男の子の声の特定などを試みて色々と調べてみたものの、結局何の情報も見つからなかった。
わかったのは、四人の研究員の他にも、その超常現象の捜査に関与した研究員が、関与するだけで幸せな気持ちになったということだった。
オフィスは少しの間、幸せな雰囲気に包まれていたらしい。