File015 〜幸福病〜
どうして自分は彼と地上を歩いているのだろう_____。
B.F.星4研究員コナー・フォレット(Connor Follett)は思う。
久しぶりの地上で、本来なら心が踊るほど楽しいはずなのに、隣を歩く男性のおかげでまったく楽しくない。
早く終わらないだろうか、外部調査。
彼の隣を歩くのは伝説の博士の一人である、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)。彼の元で星3まで助手をしていたコナーは、あまり良い思い出とは呼べないあの頃を嫌でも思い出していた。
「顔に輝きがないけれど、もしかして僕と歩くのが嫌だとは言わないよね?」
「ヒェッ」
コナーはナッシュの負のオーラ全開の言葉に文字通り震え上がった。
顔を逸らして、
「嫌じゃないっす、あはは......」
「目が笑ってない」
「......」
嫌に決まってるだろう!! と、心の中でコナーは叫んだ。
何しろ彼の代名詞とも言えるこの性格の悪さときたら、自分の知る研究員では第一位である。あのノールズでさえ苦手とする彼だ。自分が好きになれるはずもない。
「せっかく一緒の外部調査なんだ。タッグにしてくれたブライスには感謝しなくちゃね」
どうやら、外部調査のペアを決めたのは彼と同じく伝説の博士の一人であり、B.F.の最高責任者であるブライス・カドガン(Brice Cadogan)らしい。
果たして、どういう心境で自分とナッシュを組ませたのか、コナーは訊きたくて仕方がなかった。
本当ならイザベルや、ノールズのような頼りになる先輩とタッグを組みたかったのだが......。何故自分はこの人なのだ。
コナーは小さくため息をついた。本当に早く、外部調査が終わって欲しい。
*****
今回はかなり街から離れての調査になるようだ。駅で電車に乗り、その先でバスに乗るらしい。
今日中に帰ってこられるのだろうか。
ナッシュが電車の切符を買っている間、駅舎の中に貼ってある路線図を見ながらコナーはぼんやり考えていた。
「はい、これが子供用ね」
「俺大人っすけど」
「おっと、そうだった。はい」
こういうところである。分かってて言ってくるのだから尚更腹が立つコナーであった。今日昨日に始まったことでないので怒る気にもならないが。
二人はホームに入った。次の電車までは10分あるようだ。10分とはまた長い。コナーとナッシュはホームのベンチに座ったが、勿論、会話が飛び交うことはない。というか、コナーが一方的に拒んでいた。しかし、二分もすればだんだん沈黙にも耐えられなくなってくる。
必死に考えて絞り出した話題は、自分にとってあまり良いものではなかった、とコナーは言ってから気づいた。
「ドワイトさん、新しい助手とったんですね」
資料を読んでいたナッシュが顔を上げた。
「ああ、カーラのことかい? そうだねえ、最初は僕も驚いたよ」
「あんなことがあったのに?」
コナーは言った途端、しまった、と思った。しかし、言ってしまった言葉は取り消せない。ナッシュは案の定目の色を変えてコナーを見た。
「.......まだ、怒っているのかい?」
「......別に、怒ってるわけじゃ......」
コナーはホームの床に目を落とした。
「......ドワイトだってそりゃあ少しは悩んだだろうね。でも、カーラが一生懸命に助手を志願する姿が、彼にとっては凄く嬉しかったし、懐かしくもあったんだと思うよ」
「......あいつと重なっていたってことですか」
コナーはぶっきらぼうに言った。
「うん、そう思う」
ナッシュは優しい目をしていた。時々彼はこんな表情をする。コナーが彼の元で助手をしていた時にはあまり見なかった表情だ。老けたなあ、とコナーは少しだけ思った。
「どうか、ドワイトのことを悪く思わないでくれ」
ナッシュは微笑んだ。
「親友の僕からのお願いだよ」
「わかってますよ、そんなの.......」
コナーは不貞腐れたような顔を作ってそう言った。
やがて、ホームに電車がやって来た。さて、とナッシュが立ち上がったので、コナーも少し遅れて立ち上がる。
「そういえばコナー、君は電車に乗れるのかい? 降りる駅を通り過ぎないようにね」
「な......いつまで子供扱いするつもりっすか!」
「昔は社内で迷ってよく泣いていたじゃないか」
「三度あるかないかでしょうが! んなこと早く忘れてくださいよね! 墓場までその記憶持っていくつもりですか!」
「どうだろうねえ、記憶力だけはいいからねえ、僕」
「自分で言うんすね.......」
いつの間にかナッシュのペースに乗せられていた自分がいた。まるで昔の師弟関係に戻ったようだ。やはりどんなことも時間が解決してくれるものなんだろうか。
コナーはそんなことを思いながら、電車に乗り込んだ。
*****
電車とバスに揺られて約二時間半。
「これだけ遠いともう、車を自分で運転して来た方が早かったんじゃないですか?」
一体どのくらい揺れていただろう。腰が痛くて、バスを降りたらコナーはまず大きく伸びをした。
二人の目の前には鬱蒼と広がる森がある。
「運転ねえ......もう長いことハンドルを握っていないなあ」
ナッシュが歩き始めたのでコナーもあとを着いていく。
「俺も、入社試験前に免許取っておけば良かったっすかね」
「運転の仕方なんて入社したら忘れちゃうよ。僕みたいにずーっと彼処に居るならね。今回のようなケースは稀だけど」
ナッシュは肩を竦める。
確かに、B.F.は比較的都市部にあるので、交通機関は揃っている。近くの調査であれば徒歩と電車で何とかなるだろう。此処まで遠いと自分の車があればそれで来たいが......。
「さてと、仕事だ。帰り道は、まあ......ブライスにでも迎えに来てもらおうか」
「え、ブライスさん、車で移動しているんですか?」
「彼は国のお偉いさんのところに行っているからね。人前に持ち出せない書類とかもあるようだし、車は必須なんだよ」
そう言えば、今朝別れた時に腕に分厚い茶封筒を抱えていた気がする、とコナーは思い出した。
B.F.職員の私服姿もレアだが、車を運転する姿もレアである。コナーは少し見てみたい気もした。
「さーて、山に入るよ」
山に入ると、思っていた以上に暗かった。まだ太陽が出ているのにも関わらず、光は生い茂る木々の葉で遮られて森の中は不気味な闇が広がっている。得体の知れない鳥の鳴き声もするので、コナーはナッシュの近くに自然と体を寄せた。
「二人で仕事なんて久しぶりだよね」
ナッシュがコナーが怖がっているのを知ってか、そんなことを言った。そして、ニヤッと笑い、
「少しは成長したかな?」
と聞いた。コナーは怖さも忘れて、
「せ、成長くらいしますから!!! ナッシュさん、驚くと思いますよ!? 俺をもう一度助手にしたいと思うくらいには!!」
と言い返した。ナッシュが楽しそうに笑う。
「さあ、それはわからないな。君がいるといくつ命があっても足りる気がしないからね」
コナーは「はあ!?」と、声を荒らげる。
「いつかその台詞、絶対返してやりますからね!!」
今のやり取りでコナーの中からはすっかり恐怖心が消えていた。
*****
歩き続けて20分。獣道のような山道はコナーの体力をどんどん奪っていく。
今日の超常現象について、コナーは「山の中にある村」としか聞いていない。ただ、周りを見回してもあるのは草木だけで、人工物らしきものは見当たらない。
コナーは不安になってきて、さっきから黙々と前を歩くナッシュに聞いた。
「本当にこの山であってるんですか? もうかれこれ20分は歩いてますよ」
「だらしないねえ、もう疲れたのかい」
「いや、疲れてないっす!! まだ若いんで!!」
「誰がおじさんだって?」
「何も言ってないじゃないですか!!!」
怖い顔で睨まれたので、コナーは慌てて首を横に振った。
「ふーむ......恐らくそろそろのはずなんだけれど.......」
ナッシュが前を向いて呟いたのが聞こえた。
すると突然、
「!」
視界が開けた。
「おわ!! 高っ......!!」
二人が立っていたのは崖っぷちだった。奥まで永遠と緑は続いているが、遠くに人工物らしきものが点々と見える。どうやら、あれが村らしい。
「あんな森の奥に......村が......」
「うん、間違いなさそうだね。降りて行ってみようか」
「は、はい」
*****
村までは下り道なのでそこまで時間がかからなかった。
村には人が居らず、閑散としている。煉瓦調の建物で統一され、カフェや八百屋などかなり活気のある村だったようだ。いや、果たして、「だった」、と言うべきなのだろうか?
コナーは、とある違和感に気づいた。
「......この村、さっきまで人が居たような佇まいですね」
カフェのテラスにある開かれた新聞と、その隣に置いてあるコーヒーカップ。カップにはコーヒーが入っていて、まるで今淹れたかのように湯気を立てている。
「でも、この新聞は12年前のものだねえ」
ナッシュが開かれた新聞を手に取って眺めている。
「12年前っすか......? 此処でコーヒーを飲んでいた人は、12年前の新聞を読んでいたってことっすか?」
「うーん、そうなのかなあ」
コナーはそれらしき人を探したが、カフェの中も八百屋も、家も、人っ子一人見当たらない。まるで「人だけ消えてしまった」かのようだ。
ナッシュは、キョロキョロと辺りを見回すコナーの隣で自分の腕時計に目をやった。
「ねえ、コナー」
「はい?」
コナーがナッシュを振り返る。彼の視線は腕時計に注がれている。何か急ぎの用事でもあるのだろうか、とコナーが不思議に思っていると、
「僕らがバスを降りた時間は何時何分だったか分かるかい?」
と、質問をしてきた。
「バス?」
コナーは質問の意図がわからなかったが、取り敢えず考えた。
「えーっと......15:39でした」
「じゃあ、今は何時だろう」
「え? そんなの_____」
山道を歩くのにおよそ30分かかったのだから、16:00頃では_____。
そう思ってコナーは自分の腕時計を見た。時計は17:42を指していた。
「え......?」
「どうやら、時間が歪んでいるようだね」
「いや、簡単に言いますけど......」
コナーが何度も時計を見る。壊れてはいないはずだ。電車に乗るときだって、何度もこの時計を見て時間を確認したのだから。
「コナー、君は12年前のニュースを覚えているかな?」
「12年前、ですか?」
うん、とナッシュが頷く。
「ここら一体で子供の行方不明が多発した事件があってね。誰一人として見つからないまま、詳細が不明のまま終わってしまった。そんなニュースだよ」
「そう言えば......」
12年前といえば自分はまだ幼かったので記憶にはほとんどないが、いつだったか、ニュースでは行方不明者の情報ばかりが出回っていた時期があった気がする。
「でも、急にどうしたんです? 12年前の事件なんて」
「ああ、その事件はね、連続して子供が居なくなるものだから、メディアは皆面白がって次々と取り上げていたんだ。でも」
ナッシュは手に持っていた新聞をパサっと机に置いた。
「本当に急に、メディアはその事件を取り上げなくなった。まるで『忘れてしまった』かのようにね。そして、その失踪事件に巻き込まれただろう子供の親や親族も、事件に関して一切口を出さなくなったのさ」
「そんなこと、あるんですか......?」
コナーは信じられない、と首を横に振る。
子供が連続で失踪しているというのに、メディアがそれをパタリと追わなくなる。
自分の子供が居なくなってそれを一瞬で忘れ去ったり、何も言わなくなったりすることなんて、親として出来ることなのだろうか?
しかし、ナッシュはコナーの質問に対して頷いた。
「ああ、あるよ。現に僕だって、この仕事を受け持つまでこの事件を忘れていたんだ。いや、忘れさせられていた」
ナッシュの目が細く鋭くなり、村の奥へと向けられる。
「記憶改変という、厄介な現象のおかげでね」
*****
村の奥に進むと倉庫らしき建物があった。その倉庫には目もくれず、ナッシュは村の奥へとどんどん進んでいく。
「ちょ、早いっすよ!!」
コナーは遅れないように小走りで彼の後ろを追った。
辿り着いたのは、白い建物だった。壁のないその建物は柱だけで屋根を支えており、一言で言い表すなら神殿だった。森の雰囲気とはまるで合っていない。
見た目で近いのはパルテノン神殿だろう。それよりは小さく、新しいのだが。
「こんな森の中に神殿......?」
二人は神殿の中に入る。床は毎日磨かれているかのようにピカピカで、廃れているような雰囲気は全くなかった。まるでさっき建てられたのではないかと疑う程だ。
暗い森に白く新しい神殿。それだけで不気味だと言うのに、コナーは更に目を疑うようなものを発見した。
神殿の一番奥。床に何かが転がっている。近づいてみてみると、
「!!」
白骨化した遺体だった。背丈はそこまで大きくない。子供だろうか?
頭蓋骨の一部が割れてしまっていて、近くには錆びた拳銃と赤い紙が落ちている。
コナーの後ろからナッシュが顔を覗かせた。
「彼女が居なければ、あの村は永遠の悪夢に苦しめられていたことだろうね」
コナーの頭にハテナが沢山できる。
「彼女? 悪夢? 意味がわからないですよ!!」
ナッシュはコナーの隣にやってきて、遺体をじっくりと観察した。そして、12年前の事件の詳細について淡々と話し出したのだ。
*****
この村には、元々時間を歪める化け物が存在していた。その化け物は後にワイアットと名付けられた。
ワイアットは人間の子供を食うことで子孫を残す、という方法でその村に存在していた。
村の時間は彼の能力で歪んでおり、ワイアットが生まれた17:42を永遠に繰り返すようになってしまったのだ。
村の子供を喰らい尽くした彼。
そもそも、村には村を守るための強い若者で結成された警備団のようなものが存在していた。
しかし、子供は一人残らずワイアットの餌食となった。子供が食われている間、大人達はそれに見向きもしなかったという。
というのも、ワイアットには時間の操る能力の他に、記憶の改変という能力があった。
その能力は、彼が生み出す赤い紙を、人々に「持つだけで幸福になる紙幣」と強く認識させた。大人はその紙をワイアットにばら撒かれ、自分の子供を放ったらかしに、夢中でその紙を拾い集めたらしい。子供にその症状は現れない。現れるのは大人だけだ。子供は食べられている間、自分の母親や父親にどれだけ泣き叫んだことだろう。きっと両親は子供より紙幣に夢中で、子供の悲鳴など耳にも入っていなかったはずだ。
他にも、その噂を聞いた子供が面白半分で村にやって来ることがあったという。勿論、戻ってきた者など存在しない。村にやってきた子供は誰一人残らずワイアットの餌食となったからだ。
また、その子供らの親族もあの記憶の改変により、「子供より紙幣」という思考に切り替えられた。
しかし、そんな中、ある勇敢な少女が負の連鎖を断ち切ったのだとか。
*****
「彼女の名前はザヘリーと言ってね。その子はワイアットを前にして此処で自害したんだそうだ」
「自害......? じゃあ、もしかして、この骨って......」
コナーは遺体を見下ろす。
「ああ、彼女のものだろう」
コナーは言葉が出なかった。
何年もこんな寂しい場所に、この子はポツンと居たということなのか?
「それって、誰も気づかなかったんですか!? 12年間も!?」
「ああ、彼女の存在自体、世間では記憶の改変によって記憶から抹消されていたんだろう」
「そんな......でも、村の人がどこに行ったかは知りませんが、彼女は遺体として此処に居るんですね......?」
「うん、彼女は特別だからね」
ナッシュが頷いた。
「特別......?」
「そう。彼女が自害するということは、ワイアットにとって何かしらまずいことがあったんだろうね。例えば、食うつもりだった獲物が自ら死ぬと自分も死ぬ、だとか、食べるつもりだった対象がこの神殿までやって来たら自分も死ぬ、だとか。どっちにしろ、ザヘリーがワイアットに対して今までの子供たちがしてこなかった、何かしらのアクションを起こしたことで彼は死んだ。だから、村は時間を繰り返すだけになった。記憶から忘れ去られたまま、世間の目に着くことも無いまま_____そんなところかな」
ナッシュは息を吐いて、遺体を見下ろす。
「自害されたことを誰にも知られず、放ったらかしにされるというのはどんな気分なんだろうね......」
「......何だか、悲しい気持ちになります」
コナーも骨を見下ろしてボソリと小さく言った。
*****
彼女の骨は、二人で土に埋葬した。花を添えて、二人は神殿の写真を撮ったり、森の写真を撮ったりして資料を作るための材料を集める。
ある程度集まったところでコナーが、
「ワイアットが消えても村の時間は狂ったままなんですね」
と首を傾げた。
「そうみたいだね。そこだけは永久に紡がれる能力なのかもしれない。この村の存在さえ、誰も気づかない。狂っていることを知っているのは、僕とコナーと、ブライスくらいじゃないのかな」
記憶の改変。もし、それがまた違う超常現象として現れたら、どんな記憶にすり替えられるんだろうか_____。
コナーは想像しただけで、背筋に冷たいものが走ったのを感じた。
「さ、埋葬も済みましたし、資料の写真だって撮りました。早く出ましょうよ、こんな場所。ブライスさんの迎え、そろそろ来たんじゃないですか?」
来た道に足を向けてコナーはナッシュを振り返る。
「なんだい、コナー。怖くなってきたかい?」
ナッシュが楽しげにそれを見て笑ったので、コナーはブンブンと首を横に振った。
「んなことないっすけど!!! もう日が暮れそうですし、山は暗くなるのが早いんですから!」
コナーは「行きますよ!」と、ナッシュの服の袖を引っ張って神殿から出た。ナッシュも「はいはい」と笑って彼についていく。
そして、暗闇の中にぼんやりと佇む白い建物を振り返った。
「......記憶の改変、ねえ」
「はい?」
「いや、何でもないよ。行こう」