プロローグ:夜明け
始まるということは、いつか終わりが来るということ。
終わりが来るということは、いつか始まりが来るということ。
この世界は誰かの犠牲の上に成り立っている。
そんな言葉をすんなりと受け入れられたのなら、どれほど良いだろうか。
ああ、そうだな、と、頷くことが出来るのなら、どれほど良いだろうか。
自分にそんな素晴らしい考えがあったのなら、どれほど良いだろうか。
もしそんな考えがあれば自分は、わざわざ早朝に起きて、こんな場所まで車を走らせ、足を運ぶことなどないだろうに。
*****
空を突き刺すように並ぶビルの谷間に、朝の靄が立ち込めている。人々はまだ夢の中なのか、道路を走る車も少なければ、歩道もがらんとしている。
そんな朝の静寂に浸かる街を、一台の黒いステーションワゴンが音もなく走っていく。
ハンドルを握っているのは、一人の男だった。目にかかりそうな程に長い前髪。その隙間から覗く瞳は恐ろしい程に冷たく、生気を感じられない。彼が道を歩いていたのなら、誰もが彼の放つ負のオーラに振り返ることだろう。
だが、人々の目を引きつけるのはそれだけでは無いはずだ。
男の右頬である。彼は湿布らしき白い布を右頬に貼り付けていた。
喧嘩で怪我をしたのか、と男の負のオーラに関連して考えるかもしれないが、彼の体は喧嘩に勝てるようにはまるで見えない。
腕まくりしたシャツから、白く今にも折れそうな程に細い腕が覗いており、筋肉は少しはあれども彼が喧嘩して勝てるかと言われれば、誰もが首を横に振るだろう。
車はビル群を抜けて、郊外の緑が広がる場所へとやってきた。男はおもむろに車を減速させて建物すら建たないその緑の芝生に車を停めた。
扉が開いてさっきの男が芝生に靴裏を付ける。澄んだ朝の空気が、さらりと男の頬を撫でていく。
やはり細いその体は、後部座席の扉を開き、積んでいただろう大きな色とりどりの花束を抱えた。そして朝の霧の中へと歩いていく。
一分ほど歩いたところで男は歩みを止めた。彼の前に膝下辺りまでの高さの石が置いてある。
一言で石と言ってもそれは意図的に置かれたものらしく、長方形に綺麗に切り出されて、表面には文字が彫ってある。石の前にはすでに花やお菓子といった供え物が置いてあった。
男はそれに倣って、腕の中の大きな花束をそこに置いた。そして石に手を伸ばし、指先で表面に彫ってある文字をすっとなぞった。
「英雄達此処に眠る」
*****
三年前、世間を騒がせた大きなニュースがあった。
ノースロップ・シティ(Northrop City)の郊外にて死傷者250人以上出た史上最悪と呼ばれる爆発事故である。
メディアの話によれば、現在更地となっているノースロップ公園の地下に巨大な研究施設があり、そこの研究員が可燃性の薬品を誤った使い方をしてしまい、大きな爆発を引き起こしたという。
空まで昇る黒煙と木々を焼き尽くす巨大な炎は、一週間かかって治まったようだ。新聞もテレビも一時期その話題で持ち切りだった。
その爆発事故はきっと誰かが裏で動いて意図的に行ったものだ_____。
政府が何かを隠そうとして研究所を爆発させたのではないか_____。
誰もがそんなことを言った。詳細は謎なままにその事件はすっかり世間から忘れ去られた過去のこととなったのである。一部の人間を除いては。
*****
かなり長い間石に触れていたようだ。男は石から指先を離した。その横顔は相変わらずの無表情で、彼が何を考えているのかは全く分からない。
だが少なくとも、此処があの悲惨な事件があった場所であり、彼が此処に花を手向けているということは、彼は此処で惜しい人を亡くしたのだろうということが伺える。
彼は立ち上がり、空を仰いだ。霧は晴れ、今は雲ひとつない青空が眩しい。木々の隙間から聞こえる鳥の囀りが、今日が始まろうとしていることを男に告げているようだった。男の口が小さく開く。
「行ってきます」
男は石に背を向けると、車へと歩いていった。