開放日
「此方、施設のパンフレットになります。ゲート前に職員が立っておりますので、該当する列にお並びください」
「次の方どうぞ!」
「御手洗は右手です!」
今日は珍しい日だ。B.F.のエントランスには、スーツや白衣を着た研究員の他に、私服を着た老若男女が集まっている。
別段、一般人がB.F.のエントランスに入ってくるのは珍しいことでは無い。調査依頼をしに来た者が、エントランスの円形テーブルで研究員と話す景色は、日常と化した。
しかし、今日はそれでも珍しい日なのだ。一般人の大半がティーンエイジャーなのである。
彼らは名簿で確認を受けた後、その先でパンフレットを受け取ると、エントランスの中へ通される。
職員しか通過を許されないゲートの前では、大きなプラカードを掲げた職員を先頭にして、三つの太い列ができていた。
「いやあ、凄い数だなあ」
ジェイス・クレイトン(Jace Clayton)は、人の流れが切れたのを確認して、隣の二人に満面の笑みを向ける。一人はカーラ・コフィ(Carla Coffey)、もう一人はエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)である。
「応募を増やしたら、まさか一日で定員に達するなんて......」
カーラは太い列に目をやって、エズラの手元にある応募者リストを見た。ジェイスが日曜会議で提案していた頃から、その人数は大きく膨れ上がった。紙半分で済んだはずの応募者は、紙二枚を丸々埋め尽くすほどになっている。
Black File職業体験。
ジェイスの突拍子もない提案は、B.F.のかつてないビッグイベントだった。
老若男女が楽しめる三コースが用意され、特に学生はインターンシップまで体験できるお得なコースを受講可能だ。ノースロップ中の学生から応募があり、くじ引きで決められた幸運な者だけが、その特別インターンシップに参加できることになっている。
それ以外の一般人は、施設の見学、実際に超常現象を見てもらうなどの体験コースが用意されており、旧B.F.ではまず有り得ないことだ。
ジェイスが言うには、外部調査の機会も増え、一般人との接触も日常になったことで、彼らにはB.F.の活動を知ってもらう機会を作った方が良いということだった。
テレビや新聞を入れることに反対している研究員も居たが、これも活動を知ってもらうチャンスだと、ジェイスはケルシーと共に三社のテレビ局、新聞社に声をかけたのである。
既にエントランスには大きなカメラを構えたテレビ局の人間と、研究員や一般人にマイクを向けている新聞社の人間の姿があった。
「良いんですか? こんなに公にして」
エズラがペン回しをしながら、エントランスの様子を一瞥する。
「ブライスさんが見たらぶっ倒れるだろうね」
「ショックで死にますよ」
「でも、たぶん」
ジェイスの目に柔らかい色が浮かぶ。
「あの人は、こういう景色が見たかったんじゃないかなあ」
人は続々入ってくる。B.F.研究員は総動員で準備と案内を進め、時間はイベント開始まで迫っていた。
「エズラ、エズラ」
参加者が名簿にサインをするのを見守っていたエズラの背中に、相棒の声がかかった。彼は施設案内の際、超常現象を見せる担当になっていたはずだ。
「なんだよ」
「コナーさん知らない? なんかさっきから居なくて」
「コナーさん?」
エズラは周りを見回す。そう言えば今日は見かけていない。列の整備でもしているのだろうかと、ゲートの付近を見てみるが、それらしい橙色は見えない。
「トイレじゃねえの」
「えー、そうなのかなあ。だって、今日はあの人案内の担当になってるだろ」
「え、そうなんですか?」
意外そうに言ったのはカーラだった。隣でパンフレットを手渡しながら、目だけはバレットを見る。
「コナーさん、案内役は降りたって言ってましたよ......」
「はあ? まじで!?」
バレットは目を丸くしてカーラに迫る。
「え、じゃあ、何してんのさ」
「わからないです......昨日の夜、そういうふうに言っていたと思います......」
カーラが眉を顰めて言うので、バレットも、エズラも、そしてジェイスまでもが不安げな顔を見せた。
「こんな時にまでサボり癖を発揮するとは......全く、ちょこっと言ってやらないとなあ」
ジェイスが小さくため息をついて、次の参加者を案内する。
「こんなビックイベントをサボるような人じゃないと思うけどな......」
独り言のように呟いて、バレットは相棒の腕時計を見やる。その腕時計の向こうには、パンフレットがある。
オレンジの背景にホワイトの丸々したフォントは、学生向けのインターンシップの文字を強調していた。
*****
「そんなにしたら、鼻がブルドックみたいにペチャンコになるぜ」
そう背中で言われた時、ルネ・プラント(Rene Plant)はハッと顔を窓から離した。自分の鼻息で、窓には丸い円が二つできている。
ルネは恥ずかしくなって、椅子にきちんと座り直した。目的地までは、あと六つのバス停にとまらないとならないのだ。気が早すぎる。
「まあ、俺も楽しみだよ」
隣に座るのは、幼なじみのハドリー・エイミス(Hadley Amis)。彼の手には、小さな封筒がある。同じものは、ルネの手にも握られていた。
「まさか、こんな形で就活が始まるなんてなあ。ルネに言われなきゃ、卒業の前日まで将来のことなんか考えなかったよ」
二人は、バスの後部座席に腰を下ろしていた。他の席も、そして通路までもが人で埋まっている。
都会のバスというのは、座る場所を探すのに四苦八苦すると聞いていたが、本当にその通りだった。
幸運にもルネたちが座る席をゲットできたのは、乗ったバス停で降りる人が多く居たからだ。
今日は違う場所でも大きなイベントがあるらしい。
ルネたちが乗ったバス停で、そのイベントに行く人の大半が降りた。
今バスに乗っているこの大勢は、残るもうひとつのイベントの参加者なのだ。
「今更だけど、忘れ物ないかな」
「今更すぎるだろ」
ハドリーが呆れ顔を向けてきて、そして笑った。
「おしめは持ってきたか? 哺乳瓶は?」
「僕はもう高校生だってば!!」
ハドリーが笑って、ボタンに手を伸ばした。そろそろ着くのだ。バスはいつの間にか、目的地に近づいてきていた。
ハドリーが押すよりも先に、ボタンが押された。やはり予想通り。ほとんどが降りる準備を始める。
ルネはそれを見て、誇らしい気持ちで手の中の封筒を見た。
自分の家の庭先のポストにこの封筒が届いた時、向かいの家からハドリーも飛び出してきた。
「外れてても、恨みっこなしだぜ」
「うん」
二人で頭を寄せて、道の真ん中で「せーの」と中身を同時に取り出し、息を詰めて文章を読んだ。
「この度は、Black File職業体験にご応募いただき、誠にありがとうございます。抽選の結果、ルネ・プラント様は......」
パッと顔を上げた時、ハドリーも同じことをしたらしかった。ごつん、とお互いの額が当たった。いや、ルネは額だったが、身長差のせいで、ハドリーの顎に直撃した。
「あっ!!」
「あだっ」
痛みが去らないうちに、ルネもハドリーも顔を見合わせた。互いの顔に浮かぶ表情で、相手の手紙の中身は簡単に予想がついた。
「当たったー!!」
*****
「ほら、赤ちゃん。そんな上ばっか見てると後ろにひっくり返るぜ」
背負っていたリュックサックを押されて、仰け反っていた背中をまっすぐに戻される。巨大なビルに圧倒される幼なじみは、本当に後ろにひっくり返りそうだった。
「ご、ごめん。でも凄いや。見てよハドリー。こんなに大きな建物、僕らの家の近くにも、学校の近くにも無いよね」
「そうだなあ」
ハドリーも同じ気持ちだ。空まで続いていると思われる高い塔が、そこかしこに建っているのだ。ずんぐりした背の低い建物が、羨ましそうに隣の建物を見つめている。
「僕ら、今日から一週間此処に通えるんだねっ」
「ああ、分かったから。また背中反ってきてる」
幼なじみの背骨があらぬ方向に折れそうである。ホラー映画が始まる前に、ハドリーはルネを建物の入口へ促した。
入口では、三人の職員が長机越しに人を捌いている。名簿に名前を記入することになっているらしく、列ができていた。
「プラカードを持った研究員が居ますので、該当する場所に並んでお待ちください」
「お待ちしておりました。此方に名前を記入して、隣で資料を受け取ってお進みください」
二人の心臓は弾けそうだった。
研究員。しかも、ただの研究員ではない。Black Fileの研究員なのだ。
世間を騒がした事件から、数年の月日が流れた。世の中にその不思議な単語が出てきてから、世間の話題は彼らで持ち切りだったのだ。
超常現象。それは、自分たちが暮らしている日々の中でこっそりと悪さをし、または恩恵をもたらす、超自然的な現象のことを言う。
俗に言うオカルトと呼ばれるそれらは、好奇の目を集める傍らで、冷ややかな視線も浴びてきた。
しかし、それらは実在したのだ。ハドリーもルネも、その断片に遭遇したのだ。そこからの興味は、海のように広く深くなった。
「お待ちしておりました」
入口に入ると、青髪を後ろで結んだ男の研究員が迎えた。ペンと名簿が差し出され、そこに名前の記入をさせられる。ルネが代表でハドリーの名前も書き、ペンを返す。
隣には黒髪の女の研究員が居る。一見、自分達と同じ歳に見えるので、ハドリーは目を丸くした。
「此方、本日のパンフレットになります。お二方はインターンシップのコースを受講されるのですね。では、此方の資料もお受け取りください」
分厚い資料が二人の手の中に配られた。ルネは隣で今にも弾けそうな程に顔を輝かせている。
「インターンシップ楽しんでねえ〜」
一番端に座る研究員は、暇を持て余したのだろうか。黒髪をひとつにまとめた中年の研究員だ。
両手で頬を支えている仕草と、人懐っこい笑みで、歳を感じさせない若々しさがある。
ハドリーとルネは列を逸れ、エントランスを突っ切った。
ゲートが見えてくる。そこに人の列が三つ、プラカードを持った研究員を先頭に出来ている。最も左側の列は、分かりやすく子供だけで固められていた。
「インターンシップ参加者の列は此方でーす」
ルネが元気よく振り返る。緑色の瞳の中には、星でもばら蒔いたような輝きがあった。
「何とか着いたな」
「うん! 時間もちょうど良いね」
ルネの腕時計は、集合時間のちょうど五分前を示している。ハドリーは周りを見回してみた。
子供以外は隣の二列に、しかし、まだ親の腕に抱かれた子供も居る。たしか、五歳以下は親同伴で参加できるのだ。彼らはどのようなルートを辿って、この施設を楽しむのだろう。
今度は、研究員たちも見てみる。彼らは分かりやすく白衣を着ていた。胸からぶら下げているカードは、あの時に見たものだ。
好奇心から、恐ろしい噂のある幼稚園に忍び込んだ時、助けに来てくれた研究員。彼が胸ポケットに突き刺していたそれを、皆首からぶら下げている。
「あの人、居るかなあ」
隣の緑色の頭は、つむじを軸にくるくる回る。
彼がこのイベントに参加したいと言っていたのは、あの研究員に今一度礼を言いたいからなのだと言う。
あの出来事から、幼なじみの興味は植物から超常現象へと移った。
優秀な成績によって、将来がほとんど決まっていたというのに、教師たちの腕を片っ端から振りほどいてしまうのだから、ハドリーは心底驚いた。
しかし、彼の行く先はすぐに想像できた。自分もまた、驚くほどに興味を持ってしまったのである。あの幼稚園でのような恐ろしい出来事は、もう懲り懲りだ。
しかし、そういう不思議なものがもっと居るのならば_____見てみても良いと思ったのである。
「それでは、定刻となりましたので。只今より、Black File 職業体験イベントを開催させていただきます」
プラカードを持った研究員が声高に宣伝した時、その隣を、風のように一人の研究員が通り過ぎた。
*****
「此処は会議室です。広さは部屋によって異なります。一番広い会議室では、日曜会議という会議が行われます......」
プラカードが三つあった通り、イベントの参加者は三つに分けられ、それぞれが違う順で施設を回ることになっている。
ルネとハドリーの班は、研究室、食堂、会議室と、施設を軽く一周したところである。
会議室に入ると、昼食の用意がされていた。インターンシップ参加者は、一日目は此処で昼食をとることになっていた。食べながら、今後の予定を確認するのである。
サーモンとクリームチーズのサンドイッチ、卵、レタス、ハムのサンドイッチ。飲み物は数種類の中から選べるようになっていた。
ルネはハドリーと肩を並べてサンドイッチにかぶりつく。施設の中とは言え、広大な研究所だ。地下に行ったり階段を登ったり、午前中だけで随分歩いた。
「皆さん、お疲れ様でした。午後は早速、研究員の見習として施設を自由に見ていただきます。明日から本格に研究員としての生活が始まりますので、午後のうちに助手志願をしておくことをオススメします」
部屋の前方で、マイクを通して研究員が話している。
ルネはサーモンをごくん、と飲み込んだ。
助手志願。B.F.の研究員になると、まず初めに全員が通る道なのだ。仕事を教えてもらう師匠を探すのである。
「えー、助手志願は基本的に、首から緑色の紐でカードをぶら下げている研究員に行うようにしてください。それ以外の研究員ですと、既に助手をとっていたり、忙しい場合があります」
そう言う彼の首には、赤色の紐でカードがぶら下げてあった。彼には助手志願できないということである。
「また、基本的に一人の研究員につき、一人の助手です。先に助手をとってしまっていると、断られるかもしれません。が、根気強く次の研究員を探してみましょう。参加者の数には余裕で対応できる数を用意していますので、安心してくださいね。全員が素晴らしい先輩と出会えることを祈っております」
研究員が下がり、会議室は騒がしくなった。
「どんな人に雇ってもらおうな」
ハドリーは飲み物のパックにストローを突き刺した。
「ルネはもう決めてんだろ?」
「うん。でも、緑色の紐を付けているか分からないや......」
「まだ見かけてないもんな。早めに見つけるんだぞ。一人しか助手にとってもらえないそうだから」
「うん」
ルネは咀嚼するスピードを速めた。何としてでも助手にとってもらわねば。
*****
「すみません、人を探していまして......」
「ああ、職業体験の子?」
昼食を食べ終えてすぐ、ルネは例の研究員のオフィスを探すために研究員に片っ端から声をかけた。
特徴を言うと、彼らはすぐに誰を探しているか分かったようだ。どのくらいの立場の人間かは分からないが、相当顔を知られているらしい。
「コナーさんなら、実験場の方にオフィスあるから......エレベーターで降りると良いよ。行き方は分かるかい?」
「はい、午前中に通ったので。ありがとうございます」
ルネはぴょん、とお辞儀をしてエレベーターに乗った。白衣の壁に押しつぶされそうになりながら、下っていく数字を見つめる。
もう少しで会えるのだ。あの日以来、ずっと憧れていたのだ。
エレベーターを降りて、地下通路を歩く。白衣の人物がパラパラと見えるが、その中に彼の姿は無い。
ルネは近くの研究員を掴まえて、同じように特徴を話した。
すると、その研究員は何だか妙な顔をした。言葉に詰まった様子だ。
部屋を知らないのだろうか。それなら別の研究員に聞けば良い話である。
「コナーさんでしょ? あの人......」
彼はその先を言わなかった。
「まあ、行ってみな。あそこだから」
ルネは怪訝に思いながらも、礼を言って扉に向かう。『Connor Follett』と書かれたパネルがついた部屋だ。ルネの胸は高鳴っていた。二回、扉をノックする。中から「はい」と声がした。
ゆっくりとドアノブを回す。
「あ、こ、こんにちは......」
扉の隙間から見えた、橙色の髪。そうだ、この人だ。ルネは、あの日の記憶が鮮明に甦った。急いで彼の首からぶら下がったカードを見る。しかし、そこにカードは無かった。
目を走らせると、それはデスクの上に置かれていた。ダンボールまみれの、デスクの上に。
「ああ、もしかして、助手志願?」
コナーは、どうやら何も覚えていないようだった。ルネはガッカリしたが、それでも良かった。
ルネが頷くと、コナーは扉に寄ってくる。ルネの胸の高鳴りは最高潮に達しようとしていた。
「悪いけど俺、今日で、ここ辞めるから」
ぱたん、と扉が閉まった。ルネはぽかん、とネームプレートを見上げる。からんからんと、それは軽い音を立てて揺れた。
「.......え」
がちゃん。
内側で、冷たく鍵をかけられた。