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Black File  作者: 葱鮪命
191/193

B.F.研究員の休日

 ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)は目を開いた。目覚まし時計が鳴る五分前である。


 ゆっくりと体を起こす。部屋の中は薄暗い。かろうじて間接照明の光で、物の輪郭がぼんやり浮かび上がるだけである。


 彼の手はベッドサイドに置いてある椅子の上に伸びた。昨日のうちに用意しておいた服を掴んで引き寄せる。


 着替えを終えて部屋を出ると、家の中はひっそりとしていた。母はまだ眠っているようだ。

 音を立てないように気をつけて階段を降りた。


 やってきたのは洗面所だ。

 右頬から湿布を剥がし、それをゴミ箱に捨てる。蛇口を捻って温水を出す。

 石鹸を泡立て、両手で顔を包み込んだ。母が最近買ってきたものは、随分甘い香りがする。特に拘りは無いのだが、たまに頭がクラクラするのだ。


 洗顔を終えたら歯を磨く。この時点で頭は既に冴え始めている。


 冷水を口に含み、吐き出した後に鏡を見る。痣は昨日と少し形を変えていた。今日はなんだか、馬の横顔のように見える。もちろん、きちんとしたモチーフを形作ることはない。


 母に少し見せた時、彼女はカッコイイと撫でてくれた。気恥しさと、誇らしい気持ちが同時に押し寄せてくる記憶だ。


 手ぐしで髪を整えながら、棚の扉を開く。湿布を一枚手に取って、接触面を覆うビニールを剥がす。痣の上にそれを貼った。ぎゅ、っと手のひらで上から抑える。


 顔を少し動かして、痣が湿布からはみ出ていないか確かめる。問題は無さそうだ。


 時計を見ると、起床から十五分が経過していた。


 洗面所を出て、玄関へ向かう。壁にかかったフックから鍵を取って外に出た。


 まだ太陽の眠る時間帯だ。新鮮な冷たい朝の空気が、体に染み入ってくる。


 ラシュレイは自分の車の鍵を開けた。助手席には、財布が入った鞄が置いてある。それを確認して運転席に乗り込んだ。エンジンをかけて、家を出た。


 *****


 早朝のノースロップは、昼間とは全く違う顔を持っている。街を歩く人間は一人も居ない。車も数台すれ違うだけで、まだ街は深い眠りの中に居るのだ。


 ラシュレイはある店の前に車を止めた。通りの店は全てシャッターを閉めているが、その店は半分だけシャッターを開けている。


 半分だけ眠りから覚めている店もあるのである。


「おはようございます」

「おはようございます、出来ていますよ」


 ラシュレイが店の中に入ると、そこは色で溢れた空間だった。新鮮な朝の空気が、彼らの香りをより一層引き立てている。


「調子はどうです?」

「まあ、普通です」


 カウンターにて、ラシュレイは財布を取り出す。

 中身を取り出していると、店の奥から中年の女性が出てきた。明るい茶色の髪を一つ結びにした、白いエプロンの女性である。


「今日は赤色を多くしてみました。どうでしょう?」

「良いと思います」


 女性が持ってきたのは、花束であった。


「希望の色があれば入れますよ」

「いえ、特には」


 女性は「そうですか」と苦笑する。いつも通りの会話であった。しかし時たまに、小さく注文が入ることがあるのだ。


「これで足りますか」

「はい、結構です。また明日もお待ちしております」


 淡々とした会話の末、ラシュレイは店を出た。腕の中の花束は、彼の車の後部座席に丁寧に座らせられた。


「今日は暖かくなるみたいですよ」


 店員の女性が店の中からそう言った。ラシュレイは軽い会釈だけして、運転席に座った。車内に鮮やかな香りが漂い始める。


 車はゆっくりと発進した。


 *****


 車はビル群を抜けて郊外へ出た。広い空き地に入っていくと、徐ろに速度を緩め、やがて静かに停止した。


 ラシュレイはエンジンを止めて、後部座席に回る。


 外は確かに暖かかった。霧のおかげで全ての輪郭が朧になっている。しかし、彼の足に迷いはなく、ある場所までやって来た。


 小さな石の前に花束を置く。


「今日は少し暖かくなるみたいです」


 ラシュレイは石に付いた露を拭ってやった。


 毎日磨く人が居て、花を手向ける人が居て、食べ物を置いていく人が居て、声をかけていく人が居る。


 皆、誰かを思って此処に来ているのだ。ラシュレイもまた、一人の人物を強く思って此処に居る。


「今日は痣の形が馬の横顔に似ていました。昨日はレモンのような形でした。形がまとまっている方が、湿布のサイズを気にしなくて良いから楽で良いですよね」


 露を拭ったら、今度は周りの雑草を抜いてやる。


「そう言えば、今日は休みなんです。特にこれといったこともしないですけど_____」


 ラシュレイは顔を上げた。遠くの方でエンジンの音がする。誰かが来るのだろう。


「そろそろ行きます」


 腰を上げて、ラシュレイは車に戻った。車内には花の香りがまだ残っている。


 昨日のものかもしれない。この車はずっとそんな香りがするのだ。


 霧が晴れてきた街を、一台の車は静かに走り抜けて行った。


 *****


 家では、母親が朝ごはんの支度をしていた。


 ラシュレイが手を洗って戻ってくると、ダイニングには二人分の食事が用意されていた。


「牛乳はいる?」

「うん」


「今日はちょっと焼きすぎちゃったわね。でも、目玉焼きの塩加減は最高ね」

「うん、美味しい」


 母親は表情の少ない息子にあれやこれやと話のタネを持ってくる。


 寝起きのはずだが、よく喋る。


 ラシュレイは咀嚼しながら、アトリエの窓から見える空の色と同じ絵の具が欲しいという彼女の話を、ぼんやりと聞き流していた。


「そうだ、今日は画材屋さんに行こうかしら。ラシュレイも手伝ってくれる? 今度の個展で出す絵なんだけど、とっても大きなキャンバスに描きたいのよ」


「個展?」


「言ってなかった? 再来月の末にね、ささやかだけど個展を開くことになったのよ。こういうのは初めてだけど、でも張り切って準備するつもりなの」


 母親は歌うように口を動かしている。彼女の口から飛び出す言葉は、どれも色を持っている。そういう喋り方をするのだ。


 自分はきっと、父親の方に似たのだろう。


 彼女を見ていると、対照的な父の堅苦しい喋り方を思い出すのだ。


「ラシュレイも手伝ってくれる? あなたの車なら、きっと大きな画材も乗ると思うわ」

「良いけど......」


 あまり乗り気では無いと捉えられたらしかった。


「今日、何かすることあるの?」


 ラシュレイは首を横に振る。


 今日は休みなのだ。週に二回、彼には休日がある。


 ただし、B.F.は休日というものがほとんど存在しない。超常現象の管理があるためだ。


 あの時のクルージングのような大掛かりなイベントが無い限り、B.F.から完全に職員が居なくなることはないのだ。

 あくまで、自分のオフィスが休みなのである。


 つまり、スカイラも同じく休みなのである。


 ラシュレイは、ふと時計を見た。


 いつもならば、そろそろ出社時間だ。スカイラは起きた頃だろうか。休日なのだから、彼は昼近くまで寝ているだろうか。


「そうと決まれば、足りない絵の具の色を確認しておかないとだわ。ラシュレイ、あとでアトリエに来てくれる? メモ帳とペンを持ってきてちょうだい」


 することがポンポン思いついて、タスクをどっさり抱えた母が先に朝食を終えた。

 何がなんでも息子を自分のタスクの中に巻き込みたいのだ。


 ラシュレイは適当な返事をして、目玉焼きの白身を口に運ぶ。


 今日、自分のオフィスには誰も居ない。中身の無い箱だけのオフィスである。


 その静けさを想像しようとしてみたが、何故かできなかった。母親の、階段を上る足音が随分と賑やかなのである。


 *****


 ラシュレイは母親を乗せて、街の画材屋に来ていた。

 今まで何度か彼女に連れられて入ったことはあったが、ラシュレイは陳列棚に並ぶ画材たちに触れもせず、いつも見るだけで終わってしまうのだった。


「クレアさんが個展ですかあ。良いですね、私も行きますよ」

「嬉しいわ。是非来てくださいな」


 母と店主がカウンターで盛り上がっている間、ラシュレイは絵の具の種類に圧倒されていた。何度も来ているのに、まるで初めて見るような新鮮さである。


 棚の右から左へ、虹のように緩やかに色が変わっていく。

 世界にはこんなにも色があるらしい。そこから更に、使う人の手で新たな色が生み出されるのである。


 無限に広がる色の花畑に、ラシュレイは軽い目眩を覚えた。


 ふっと視線が吸い込まれる色がある。それは、深い青色だった。ちょうど、助手がこんな色の髪を持っていた。もう少し明るかっただろうか。


 ラシュレイはその時初めて商品を手に取った。絵の具はどれも銀色のチューブに入っている。色はチューブに貼られたラベルと、そのチューブが陳列されている棚のパネルから分かるのだ。


 ラシュレイは他の色も見てみた。見れば見るほど、助手の髪色がどの色に最も近いのかが分からなくなってくる。


 直感的に手に取った、このチューブの色が、やはり正しいのだろうか?


 ラシュレイは手の中のチューブをじっと見つめた。


 助手の髪色は随分不思議な色である。光の当たり具合でも随分色の見え方が変わる。この絵の具は、光の当たり具合でどのような色を見せるのだろう。


「あら、その色素敵ね」


 視界の端に母の顔が映った時、ラシュレイは絵の具を落としそうになった。


「欲しいの?」

「いや、別に」

「でも素敵な色だし、入れても良いのよ」


 母はそう言って、腕にかけていたカゴを指さした。そこには既に筆が数本と、絵の具のチューブが入っていた。キャンバスはカウンターの方で預かってもらっているようだ。


「母さん、何の絵を描くつもりなの」

「え? そうねえ、まだ深くは考えていないんだけど......風景画かしらね。広い草原を描きたいの」

「空は青色使う?」

「ええ、でも、薄曇りの空にするつもりなのよ」


 ラシュレイはハッとして、チューブを棚に戻した。


「あら、戻さなくたって。その青色は草に良さそうね。二つ入れなさい」

「......」


 草原の草に生まれ変わるらしいその絵の具を、ラシュレイはカゴに入れた。


 *****


 その後、二人は家で食べる簡単な昼食と、夕飯の材料を買うためにスーパーへ出かけた。


 今夜はシチューにするそうで、母が野菜を選んでいる間、ラシュレイは二人分の昼食を買うために惣菜コーナーへ向かった。


 自分の分をひとまずカゴに入れ、母が好きそうなものを選びながら、ラシュレイは自分の腕時計に目をやった。


 家に着くのは午後一時くらいになりそうだ。つまり、食事の時間はいつもより遅いのだ、いつもというのは、B.F.内での日常を指す。


 いつものこの時間帯は、そろそろ食堂に移動した頃である。今の時間から食堂は混み始めるのだ。


 列に並んでいる間、スカイラが場所取りに行き、自分の料理を運んだ後に、彼が注文しに行くというのが最近のルーティーンとなっていた。


 スカイラが、料理が冷めるので先に食べて欲しいと言うのだが、ラシュレイはそれは何となく申し訳ない気持ちになるのだ。


 申し訳ないという気持ちがスカイラへ生まれる自分の心の変化に驚かされることは置いておいて、スカイラが席に戻ってくるまでは、報告書の添削やら資料の確認やらで、何だかんだ時間を使う。


 結局、スカイラが席に戻ってくるまでの時間は、貴重な仕事の時間になっているのだ。


「もお、僕が戻ってくるまでに一口も食べないつもりです!? ラシュレイさんは大丈夫でも、あなたのお腹は美味しそうな料理を目の前にして、悲鳴をあげているんですよ!」


 ミートボールスパゲッティを器用にフォークに巻いて、彼は口いっぱいに頬張るのだ。自分の口の大きさが果たして理解できているのか、毎度口周りにソースの輪っかが出来ている。


「あ、こういうことですね!! ラシュレイさんのお腹は料理を堪能するために泣いているんじゃなくって、目の前のデザート_____つまり、僕の体を欲しているんですね!!? もお、そういうことなら早く言ってくださいよお! 食事前からデザートにしか目が無いなんて、なんて大胆なラシュレイさん......!!」


「ごちそうさま」


「ええええ、早いです!!!」


「一人で喋ってるからだろ。先に戻ってるからな」


「ああーーん!! 今食べますからー!! 待ってください、待ってください!! 僕のこと見つめててくださいいい」


 一緒に食べ始めても、先に食べ終わるのは自分の方なのだ。スカイラはずっと喋っているので、その分フォークの進みは遅いのである。

 余った時間は、彼の弾丸トークをBGMに、再びペーパーワークに戻るのが常であった。


「ラシュレイ、お昼は決まった?」


 母がやって来た。ラシュレイは彼女の言葉に我に返り、自分の分だけがカゴに入っているこの状況を思い出した。


「あら、美味しそう。スパゲティは私のかしら」


 えっ、と声が出た。


 カゴの中にスパゲティが一つ入っているのだ。

 しかもそれは、ゴルフボールのように大きなミートボールが入ったスパゲティなのである。


 いつの間に、と妄想の内に自分が歩いた距離を図って、ラシュレイは頭が熱くなった。


「ごめん、これは俺の」

「え? でもラシュレイってサンドイッチが良いって言ってなかった?」


 その通り、カゴには惣菜コーナーに来て最初に入れたサンドイッチが、既に入っているのだ。この二つを食べようと思えば、腹がはち切れるに違いない。


「気が変わったから、戻そうと思って」


 ラシュレイはカゴの中のサンドイッチを掴んだ。動揺しているのか、二回、手が滑ってカゴに落とした。


「そう? じゃあそれは私が食べるわ。あとはサラダも入れてちょうだい。夜にも食べるから、大きいのね。私は牛乳のコーナーに居るから」


 母は様子のおかしい息子には気づかないようで、鼻歌を歌いながら角を曲がって行った。ラシュレイはホッと息をつく。


 休日に仕事場のことなど考えるものではない。ましてや、母と出かけている最中である。


 ラシュレイは頭を振って、サラダのコーナーに向かうのだった。


 *****


 家に帰って昼食をとった後、母はおやつ作りを始めた。ケーキを焼こうとしているようで、ケーキの型を探すためにキッチンを行ったり来たりしていた。


 ラシュレイはすることもないので本を開く。


 休日というのは週に二度も来るのに、彼はまだ何をすれば良いのかよく分からなかった。

 地下に潜っていた時は365日休みの無い日常だったのだ。仕事の少ない日はあっても、仕事の無い日は無かった。常にペンを握っていた。資料を読んでいたのだ。


 地上に出てきて、仕事以外の時間が増えた時、ラシュレイは途方に暮れたのである。


 母親との時間は増えたが、彼女との会話がぎこちないのは、彼女と離れていた空白の数年間があるからだ。


 そして、B.F.を知る前の日常では、彼女はただのオブジェに過ぎなかった。父親の暴力を半分買い取ってくれる者でしかなかったのだ。


 ここまで来ると、どのような会話が一般家庭の標準になるのかが分からないのである。今日だって、振り返れば随分会話のテンポが悪かった。


 毎日こうだ。家は嫌いではない。嫌いではないが、仕事場に居る方が、まだ自分らしさが保てる気がするのである。


「ラシュレイ、ちょっと手伝って」

「うん」


 母は一人で喋ってくれる。別段、息子の無愛想さを気にしていないようだ。

 後ろめたさを感じているのは、自分だけなのである。


 ******


 少し焦げたが、ケーキは上手く焼けた。クリームを塗って、二人は夕食後のデザートとしてそれを食べた。


「うん、美味しい。お菓子屋さんでも開いちゃおうかしら」


 母の冗談にラシュレイは無反応で、黙々とケーキを食んだ。時計を見ると、夜の八時になったところだ。そろそろ風呂に入って寝室に行きたい。


「ラシュレイ、今日は随分時計を見てるわね」

「......そうかな」


 波の無い声音を意識したが、心の中は荒波である。


「仕事、楽しいの?」

「......まあ」


 そう、自分は早くオフィスに行きたいのだ。今日の一日、ずっと考えていたのは仕事のことだ。仕事と、煩わしい助手のことである。


「前に聞かせてくれた、クルージングのお話......あの時の助手さんとは、今も仲良くお仕事しているの?」

「まあ......」


 仲良く、と言われれば首を傾げるが、今日のこの一日の頭の支配面積を考えれば、少なくとも自分の中では可愛がっているようだ。


「命の恩人だものね」


 母には、港から帰る車の中で、あの夢のような五日間のことを漏れなく話したつもりだ。

 特に、息子の身に起こった夢とも現実とも言えない不思議な出来事は、彼女の中でとても印象に残ったようだった。


 母の言葉を聞いて、ラシュレイは思い出す。


 そう言えば、自分はスカイラに何か礼をしただろうか。


 クルージングの最終日、バルコニーでの朝食で、海から助けてくれた助手に対して「ありがとう」とは言った。


 しかし、それだけで良いのか。


 言葉に感謝の気持ちは全て乗せたつもりだったが、あのクルージングで助手から貰った全てを天秤に乗せた時、自分の側は随分軽いのではないか。


 自分は助手に、言葉ではない、行動で感謝を示す必要があるのかもしれない。


 すっかり黙って、フォークを持つ手も止まってしまった息子に対し、母は優しい笑みを投げた。


「いっぺんに返せるものじゃないでしょう」

「......」

「ゆっくり返してあげたら良いのよ」

「......うん」


 ラシュレイは、テーブルの上で残り少なくなった、二色の薔薇を見た。母が毎日欠かさず水を替えてくれるおかげで、随分長いこと持った。


 これを貰ってきた時、彼女は目を丸くしていた。

 ビンゴ大会で助手が当てたものだと言うと、何だか嬉しそうな顔をして、その帰りに大きな花瓶を買って帰ったのだ。


「枯らさないようにしなきゃね」


 ラシュレイも管理はするものの、母の方がまるで第二の我が子の如く大事にしている。


 思えば、人生で花を貰った経験は二回だけである。一回目は星4昇格の、ノールズからの祝いの花束。


 そして、クルージングにて助手が引き当てた、この薔薇の二束。

 これを貰ったのは、最終日の朝食の後だった。

 何やら随分畏まった態度で渡してきたが、船を降りる時間も迫っていたので早く部屋を出たくて、いつものように軽く流したのだ。


 しかし、改めて花束を見た時_____この配色を選んだ、助手の行動に驚いたのだった。


 あの時、自分はどんな顔をしていたのだろう。


 *****


 次の日、ラシュレイはいつも通りの時間に出勤した。オフィスに入って今日の仕事の確認をしているところで、オフィスの扉が勢いよく開かれた。


「おはようございまーーすっ!!!」


 青髪の少年が飛び込んでくる。両腕を広げて近づいてくるのを、ラシュレイはスレスレで避けた。


「わーん、会いたかったです、ラシュレイさあん!! 一日も会えない時間があるだけで、僕はとーっても寂しかったんですから!!! おかげで写真集も完成しちゃいましたー!! 見ますか!?」

「見ない」


 ラシュレイは助手の鞄から取り出された、辞書のように分厚いアルバムに顔を青ざめさせた。


「お前、休日全部をそれに費やしたんじゃないだろうな」

「えっ、当たり前じゃないですかあ!! ラシュレイさんだって、昨日は僕のことばかり考えていたはずですよ!! ねー!」

「そんなわけないだろ」


 ラシュレイは助手に背を向けて、準備に戻る。


「えへへ、照れちゃってー! もお、そろそろ僕に本心を見せてくれても良いんですよー!」


 スカイラも後ろで準備を始めたようだ。今日の彼の主な仕事は、資料作りである。大まかなところは一人でやってもらう予定だ。


「コーヒー飲むか」

「はいっ! いただきます!」


 コーヒを淹れている間、軽く棚の整理を行う。分厚いファイルが数冊、全てラシュレイが管理しているが、そろそろ助手にも一冊くらい、大きなファイルを持たせても良いかもしれない。


「えへへへえ」

「何だよ」

「僕、やっぱりお仕事の日が好きです」


 スカイラは机に突っ伏していた。顔が見えないが、どんな表情をしているのかはよく分かる。


「ラシュレイさんはどうです? やっぱり、お家の方が楽しいですか?」

「......」


 機械音が鳴ったのでコーヒーメーカーに戻った。スカイラの分のカップを引き抜いて、自分の分のカップをセットする。


「砂糖、いくつ入れる」

「五個で!!」

「多い、二つにしとけ」


 シュガースティックを開け、傾けた時、コーヒーが鏡のように自分の顔を映した。


「砂糖は入れたら入れただけ美味しいんですよー。でも、ラシュレイさんがブラックを飲んでいるので、頑張って飲めるようにならないとですね!!」


 スカイラは机に伸びたまま、資料用に集めた書類を伸ばした腕の先に眺めている。

 ラシュレイは、そんな彼の横に砂糖入りのコーヒーを置いた。


「ありがとうございます!」

「うん」


 自分の方も出来上がったようだ。メーカーに戻りながら、ぽつりと小さく呟いた。


「俺も、家よりオフィスの方が好き」


「えへへへ、やっぱりそうですかあっ!!?」


「......普通は聞こえてないもんなんだけどな」


「僕の耳は誤魔化せませんよお、ラシュレイさん!!」


 せっかく聞こえないように返したつもりが、何処まで地獄耳なんだ。


 ラシュレイは背中に飛びついてくる助手を引き剥がし、コーヒーを手に取る。

 そのついでに、壁にかかった時計を見上げた。


 今日は、時間の進みが随分早い。

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