File083 〜或る魔性〜 4
「ラーシューレーイーさーん」
スカイラ・ブレッシン(Skylar Blethyn)は自分の部屋から出てすぐ、隣の部屋の扉を叩いた。
長い廊下に連なる扉からは続々と研究員たちが姿を現す。それぞれが、持ってきた正装に身を包んでいる。スカイラも例外ではない。クリーニングに出したスーツ一式を身にまとい、胸元に青い花の飾りをつけている。
今日は、このクルージングがスタートして二日目。五日間のクルージングの中で、最も盛り上がる日になるだろう。
五日間ほとんど自由に過ごすことを許されている研究員が、唯一同じ時間に指定場所に集まることになっている日。
ガラパーティーと呼ばれる、フォーマルなパーティーが行われるのである。
「ラシュレイさん......どんな服を着て出てくるんだろうなあ。白衣も私服もパジャマも可愛いしかっこいいけど、やっぱりビシッと決まった服も似合うんだろうなあ」
スカイラは扉から少し離れて立ち、その瞬間を待ち望む。ややあって、扉が開いた。
「......おまたせ」
「はうううう!!!」
バシャバシャバシャバシャ......。
まるで記者会見のような激しいフラッシュを浴びせられて、ラシュレイは思わず目を細めた。
「カメラしまえ」
「ラシュレイさん、かっこいいです、かっこいいです!! 海に浮かぶ宝石です!! いえ、地球上で最も輝く太陽です!! 今地球は、ラシュレイさんのおかげで恒星へとレベルアップしたんですね!! きゃー、こっち向いてください!! はわあ!! 後ろ姿も!! 360度撮らせてください!!」
「カメラしまえ」
よくもまあ、そんなにスラスラと言葉が出てくるものだ。
ラシュレイはため息をついて、自分の格好を改めて見下ろす。黒いシンプルなものを選んだのだが、母に勝手に差し色を足されてしまっている。その差し色というのが、ラシュレイは納得できない。
「ええ!! ラシュレイさん、その胸の薔薇......僕とお揃いですね!? まさか、僕を意識して......!?」
そう、青色なのだ。母にはスカイラの髪色の話など一切していないはずなのだが。とんでもない誤解を生むだろうと、これを付けるのに二十分は悩んだ。
「僕ら、今夜のパーティーの主役ですねっ!! えへへ、やっぱりハネムーンだったんですね、このクルージング!」
「外してくる」
「あー!!! 待ってください、待ってください!!」
部屋から引きずり離され、ラシュレイの右腕はがっちりとホールディングされた。慣れたものである。二人は会場に向かって歩き始めた。
「ほわ〜、かっこいいです、歩くだけで様になるなんて、さすがはラシュレイさん......!」
「会場、何階だったか覚えてるか?」
「ええっと、確か五階の大ホールでしたよね!」
五階となると、階を降りなければならない。エレベーターは当然混んでいるだろうし、階段の方が早そうだ。
「ガラパーティーって言葉、僕今回初めて聞きましたよ! 何だか不思議な響きですね」
「こういう豪華客船では割と普通に聞かれるみたいだけどな」
ケルシーがくれた、あの辞書のようなパンフレットは、本当に辞書のような役割をしていた。船に関する知識をつけるためには、もってこいの代物と言って良いだろう。
この旅に慣れてきて、部屋ですることもなくなったら、あのパンフレットが良い娯楽になりそうだ。
二人は階段を降りた。研究員たちはペアや同期と集まり、お互いの身なりや、これから振る舞われる料理について楽しそうに喋っている。
「料理を食べるお作法とか、少しだけ不安ですけど......でも、ケルシーさんのパンフレットにはあまり固くなりすぎないようにって注意書きがされてましたね!」
「そうなのか」
「はい! フォーマルなパーティーだけど、名前だけなんですって! 喋る言葉も堅苦しくしなくて良いので、カジュアルパーティーとして考えてもらって構わないと言っていました!」
あのパンフレットを読み込んでいるらしい。ラシュレイは自分が何処かホッとしていることに気がついた。フォーマルパーティーというのは形だけのようだ。確かに、普段フォーマルとは程遠い生活をする自分たちに、堅苦しさを求められるわけがなかった。
「はーい、ちょっと通りますよー!」
その時、階段の上から声が降ってきた。彼の服装は随分気合いが入っている。タキシードかと思えば、ヒラヒラと揺れる薄い布をまとっているのである。いつもの赤い髪は、シルクハットによって大半が隠れていた。
それから彼は大荷物を手にしていた。白い布に包まれたものを片手に抱え、もう一方の手には持ち手の曲がったステッキを持っている。一見マジシャンのような格好であるが、ドタドタと激しい足音で階段を降りてくる様は、美しいマジックで人を魅せる力が失われたようにしか思えない。
「バレット、マジックでもすんの?」
「転がり落ちるなよー」
同期の研究員たちに半分笑われて、バレットは階下に姿を消した。
「そう言えば、今回のパーティーは出し物をするって話でしたね!」
バレットの格好を見て、スカイラは思い出したようだ。
ペアでも数人のグループでも、個人でも、パーティーで出し物をしたい人はケルシーに申し出るようにという話になっていた。
ラシュレイは特にそれといったものは考えていなかったが、実はスカイラはやる気だった。少し前に、ラシュレイは何をするのかとこっそり彼の準備物を確認した。「ラシュレイさんの」という文字が見えた時、本人の承諾を取らずに、ケルシーに取り消し願いを出したのだった。
「ううー、僕も出し物したかったなあ」
「俺が関係ない出し物だったら許可は出したんだけどな」
「それは無理ですよ!! 何もかもラシュレイさんの為だけに行うものですから! 出し物だって貴方一色にしないといけません!」
「じゃあ許可はしない」
分かりきっていることだろうに、会場は通夜状態になることなど。何故そんなにも自信があるのだろうか。自分のことなど興味の無い人間からすれば、ひとつも楽しいと思えないだろう。
階段を降りてすぐ、大きな扉が両開きで研究員たちを迎えていた。ラシュレイはその扉を潜った途端、軽い目眩を覚えた。上の階とこの階を繋ぐ階段が妙に長かったのは、この部屋の存在が原因だろう。
天井があまりにも高い。「大ホール」という名が果たして相応しいのか分からない。名前の前に「超」がついても良いくらいだ。
奥にはステージを囲うようにして大きな階段がある。その階段の踊り場にかかるように、巨大なスクリーンが降りていた。会場全体に流れる優雅なクラシックは、映画のサントラだ。昨晩の映画館に負けない美しい音が、会場の壁に張り巡らされたスピーカーから流れ出ている。
テーブルは数えるのを諦めるほどだった。全員の席がきちんと決められており、プレートの上に一人一人の名前が刻まれているらしい。
「わあ、わあ、凄いです!! とっても広いです!!」
スカイラがぴょんぴょん飛び跳ねている。
「僕らの席、何処でしょうね!? 探しましょうよ!!」
「そうだな......」
ケルシーの話では、なるべく顔の知っている者たちで固めたと言っていた。このクルージングには、知らない人間同士が親睦を深めるという意図が、あまり無いようだ。とにかく楽しんでもらうということだけが目的らしい。
ラシュレイが親しい者など限られている。ちょうど、前方にジェイスを見つけた。此処から見ると豆粒のような小ささだ。
「彼処、行ってみるか」
「はいっ、行きましょう!!」
ぎゅっと腕に抱きつかれる。迷子になるよりはマシかもしれない。この会場には、この席分だけの人数が収まるのだから。
*****
「あれ、バレット。マジックでもするの?」
同じ会話がそこでも繰り返されていた。
バレットは椅子を一脚引いて、その上に白い布をかぶせた荷物を置いたところだった。置く際に金属がシャカシャカと音を立てたので、彼の身なりから連想させるものは鳥かごだった。
「その感じだと鳩が出てくるのか?」
「コナーさん、しーっ!!」
「この前研究室貸し切って練習してたもんな」
「ちょっと、ビクターに聞かれてたら怒られるんですから!!」
バレットが顔を青くして唇に指を当てる。近くにビクターは居ない。彼は少し離れた場所でパソコンの操作をしている。巨大なプロジェクターとパソコンを連携させる作業をしているようだ。近くにはそれ専門の給仕も居て、彼と共にパソコンを覗き込みながら、入念な打ち合わせを行っていた。
「出し物楽しみだねー。みんな何するつもりなのかな?」
ジェイスは部屋を見回す。まだ半分の人も集まっていない。着替えに時間がかかっているのだろう。人によってはかなりの気合いが入っているのである。
「バンド演奏するグループがあるって聞きましたよ。人気の曲をカバーするんだとか。そのために、街のスタジオ借りて練習していたみたいです」
「へー。何だか今まで見られなかった皆の一面が見られて、新鮮な感じがするね」
ジェイスが微笑んだところで、ラシュレイがやって来た。右腕にはコアラのようにガッチリと助手が掴まっている。
「お、ラシュレイだ。助手とおそろい? 良いねー」
ジェイスが口笛を吹く。
現れたラシュレイは黒と青の衣装に身を包んでいる。隣のスカイラも似たような衣装なので、並んでいるとペアルックでも着ているようだ。
ジェイスの言葉にラシュレイは心外だとでも言うかのように顔を顰めた。一方でスカイラは嬉しさで顔が綻んでいる。
「エズラさんは......」
ラシュレイはこの場にエズラが居ないことに気がついた。バレットが居るならば、彼が居ても良いはずだが。この場に居る青髪は、自分の助手だけであることに気がついたのだ。
すると、バレットが「あー」と苦笑いを浮かべる。
「実は、ちょっとしたアクシデントがあってさ......」
*****
「やめろ、やめろっ!!」
「はーい、良い子だから座ろうねエズラ君。そうしないとパーティー、遅れちゃうから」
「そ、それを着るくらいなら、海に飛び下りる!!」
「大丈夫だって〜。ちゃんとエズラって分からないようにしてあげるから。エズラは顔も良いんだし、ヘアアレンジとお化粧をしちゃえば別人だよ!」
此処は、クレッグ夫婦の部屋。今から約一時間前、ビクターが先にパソコンの設置のために部屋を出ていくと、それと入れ替わるように入ってきたのはバレットとエズラだった。
バレットの方は既に衣装に身を包んでいたが、エズラの方はまだ着替えていない。顔を真っ青にして、彼は部屋の中を見回したのだった。
「ビ、ビクターは?」
「もう会場に向かっちゃったけど......」
ケルシーはショールを羽織り、胸につけるブローチを選んでいるところだった。ドレッサーの前からエズラを振り返る。
「どうかした?」
「えっと......」
エズラが顔を伏せて黙り込んでしまったので、バレットが代わりに口を開く。
「エズラ、服忘れてきちゃったんだってさ」
ケルシーは目を丸くして立ち上がる。
「ちゃんと荷物の中確認した?」
「したっ」
子供のようにエズラは言い放つ。
「でも、でも、無いんだよ、何処探しても」
「何処かに落としてきたのかな?」
「家出る日、何回かスーツケースの中身出し入れしてたからなあ。俺が忘れ物多いから、確認してもらってたんだよ」
バレットが頬を掻く。なるほど、とケルシー。
それで、荷物を忘れてきてしまったのだ。そもそも散らかっているバレットの家でパッキングをしたと言っていたし、部屋の物に混ざって目につかなかったのだろう。
「それで、ビクターのを借りようと思ったわけだね?」
「うん、あるか......?」
祈るように見てくるが、ケルシーは首を横に振るしかない。荷物を減らすために、夫はパーティー用の服を一着だけしか持ってきていないのである。
ケルシーの反応を見たエズラは、見事に床に崩れた。
「フルコース......デザート......」
必死になっていたのはそういうことだったらしい。
「何とかなんないかな。此奴、結構楽しみにしてたんだよね」
バレットは頭を搔いて、相棒を見下ろす。
「なあ、私服じゃダメなの?」
「アホ!! 後輩居るのに、そんな醜態晒せるか!!」
「だよなー......」
ばっちり決めている相棒が横に座るのなら、私服は尚更目立つだろう。ケルシーは「うーん」と首を捻る。そして、
「そうだ!!」
「何か案があるのか!?」
「うん!! ちょっとチャレンジすることになるけど......」
ケルシーはニッコリと笑って、奥に引っ込んで行った。
*****
エズラは逃げ回ったが、とうとう部屋の隅に追い詰められてしまった。壁を背にして、ケルシーの手の中にあるものを見つめる。
「エズラって、私と同じくらいの細さだし、レディースなら入ると思うんだよね」
「入るかっ!!」
「大丈夫だよー。マタニティ用に少し大きいサイズ持ってきたんだから」
「だからってドレス着るのかよ!!」
「何も変じゃないよー。最近じゃファッションの一部だし」
ケルシーが手に持っているのは、紺色のドレスだ。万が一、一方のドレスが汚れてしまったり、キツくて入らなかったりした時のことを想定して、彼女は二着持ってきていたのだ。そのうち一着を、エズラに着せようとしているのであった。
「たった四時間だけなんだから。早くしないとパーティー始まっちゃう」
「俺は着ないからな!!」
「ふーん」
ケルシーは一旦ドレスを下ろした。そして、背を向けてドレッサーの方に歩いて行く。
「良いのかな? 凄く美味しいフルコースを逃すことになっても。あんなに美味しいフレンチレストランのオーナーが企画したパーティーだもん。とんでもない料理が出てくるに違いないけどなあ」
エズラはゴクリと喉を鳴らした。
「前菜は何だろう? 特製ドレッシングが絡んだサラダかな? 砕けたナッツが振りかけてあって、香ばしいナッツの香りがふんわり鼻に抜けていって......お肉はきっと柔らかな羊肉!」
ケルシーは頬に手を当てて、ほっぺたが落ちる仕草をしてみせる。
「お魚は新鮮で、ホロホロ身がほぐれて、少しスパイシーで......きっと今までの人生で食べたことの無い不思議な味がするんだろうなあ。また食べたいなんて願っても、絶対に、ぜーったいに二度と食べられない最高級の料理ばっかりなんだろうなあ」
ケルシーはドレッサーの前に言って、櫛と髪ゴムを手に取った。鏡に映っている同期は、今にも泣き出しそうである。もうひと踏ん張り欲しいところだ。ケルシーは禁断の単語を取り出すのだった。
「デザートはジェラートかなあ」
「っ......!!」
「それともプディングかな? ケーキも良いなあ」
「......着る」
か細い声がした。ケルシーはエズラを振り返る。目に限界まで涙を溜めて、此方を見る彼が居た。
「着ます、それ」
*****
「あ、あー......皆さん、お揃いですか?」
ジェイスの声がマイクを通して会場全体に響き渡る。彼は会場の前方で、今日の司会進行を担当していた。本来ならばキエラが担当するところだったのだが、彼が来られなくなったがために自ずからその役を引き受けたのだ。
「それでは、これよりBlack File研究員特別クルージングのガラパーティーを始めます!! みんな、最高の夜にする用意はできてるかーっ!?」
彼は適度なアドリブを含めて、会場を上手く盛り上げている。プログラムの順番は、料理が運ばれてくる都度に進むのだが、まだ皿は空だ。しかし、既に会場には良い香りが漂い始めていた。
ジェイスは「それでは初めに、このパーティーの特別ゲストを紹介します!」と、その右腕を振り上げた。スポットライトが会場の前方、階段の頂上に集まる。そこの扉がぱっと両方に開いた。奥から現れたのは、グラントリー・ローランズ(Grantley Rowlands)だった。
「なんと、おめでたいことに本日はグラントリーさんの誕生日! この会場で一緒に誕生日パーティーも行っちゃいますよ!!」
会場が湧き上がる。助手と共に前方の席に座っていたカーラは、自分たちのテーブルにひとつ分空きがあるのを不思議に思っていた。その理由が明らかになったのだ。
彼女の居るテーブルには、名前の部分が意味ありげにナプキンで隠されたプレートが置いてある。きっと紙の下には、グラントリーの名前が書いてあるに違いない。
「この席に来るってことかな!?」
「わあ、何話そうね!」
同じテーブルについている研究員たちが顔を見合せて興奮しているのが分かる。カーラは隣を見た。アドニスもまた顔を輝かせているのだ。なかなか見られない顔である。
「それではグラントリーさん、席へどうぞ! 今宵は一緒に楽しみましょう!」
ジェイスの声に誘導されて、グラントリーが階段を降りて来た。皆にハイタッチし、その顔にプロの笑顔を浮かべている。
「よろしくお願い致します」
グラントリーは椅子を引いて、席に着いた。カーラはアドニスに「席交換しようか?」と耳打ちしたが、ジェイスの声のせいでそれは掻き消されてしまった。
「では、早速出し物大会行っちゃいますよー!! エントリーナンバー・1番!! 奇術師バレット・ルーカス君による、世にも奇妙なマジックショー!!!」
*****
「全部美味しいですね!! 頬っぺた落ちそうです!!」
スカイラがそう言って頬を抑えている。ラシュレイも相槌を打ちながら、グラスを手に取った。その上を、バレットが放った鳩がバサバサと横切っていく。
バレットはシルクハットから鳩を出し、服の中からも鳩を出し、それを最後鳥かごに収めた。会場からは割れんばかりの拍手と歓声が送られ、彼は続いてのマジックの準備を始めたところだ。
繋ぎとして楽器の演奏が始まると、
「ひゃー、ごめんごめん。遅れたよー」
ラシュレイたちのテーブルに、ケルシーがやって来る。彼らのテーブルには二人分の空きがあったのだ。ケルシーとエズラだろうが、彼女はエズラではない誰かを連れていた。青髪の女性である。
「どうした? 随分かかったな」
演奏用の機械のセッティングを手伝って来たビクターが、席に戻ってくる。
「ちょっと色々あってね」
ケルシーがそう言って、青髪の女性を自分の隣に座らせた。皆眉を顰めて彼女を見る。はて、誰だろうか、そこの女性は。
「ケルシーさん、そちらの方は......」
一緒のテーブルに居たセリーヌが口を開いた時、演奏が終わった。間髪入れずバレットの元気な声がする。
「次は錬金術!! ただの石ころを、金塊に変えてみせます!!」
皆の目はすぐ其方に集まった。ビクターとラシュレイだけは、謎の女性から目を離さずにはいられない。
「......もしかしてエズラか?」
「黙れ」
「何があったんだよケルシー」
ケルシーはこっそりと話してくれた。
エズラが衣装を忘れたこと、パーティーにはどうしても参加したかったこと、ケルシーがドレスを貸したこと。
なるほど、とビクターは納得したらしい。ラシュレイはまじまじとエズラを見る。
化粧を乗せられた顔は、よく見ればたしかに彼である。髪型も、いつもの一つ結びではない。小さく結んで残りを垂らす、所謂ハーフアップにされている。
華やかなピンやピアスで顔周りが整えられ、普段のエズラからはかけ離れた、一人の女性が完成されていた。
「ちょっと気合い入れすぎちゃった」
「入れすぎだ馬鹿」
エズラが小さく言ってケルシーを睨むが、遅れて運ばれてきた料理を前に表情を戻している。美味しそうに食べているので、一件落着のようだ。
ラシュレイはバレットの方を向いた。相棒のことは全く気にしていない。物凄く集中している。白い布の下にある灰色の石ころが、黄金に変わるらしい。会場も息を飲んでそれを見守っていた。
「はいっ!!!」
布を避けると、今までそこにあった石ころは何処にも無い。同じサイズの金塊が山盛りになって、スポットライトの眩い光を会場の隅々に反射した。
「すげー! 本当に金になった!!」
「どうなってんの!?」
バレットは近くに居た研究員に金を触らせる。種も仕掛けもないようだ。「重い! 本物だ!」と研究員が叫ぶと、拍手はより大きくなった。
「どういう仕組みなんでしょう!! あれがあれば、ラシュレイさんのグッズを大量に量産できます!!」
スカイラが手を叩きながら恐ろしいことを言っている。ラシュレイは聞こえないふりをしながら、周りを見回す。次の料理が運ばれてくるのか、給仕が皿を回収し始めた。プログラムも次に移るのだろう、ジェイスがマイクの前にやって来る。
「奇術師バレットさん、夢のような時間をありがとうございました! えー、尚、彼は研究室を貸し切って一ヶ月でこの技を習得したようです!! 素晴らしいですね!!」
「へえ、聞き捨てなんないな」
「ジェイスさん、それ言っちゃダメなやつ!!」
ビクターに睨まれて、バレットは顔を真っ青にした。
さて、バレットに集中していたスポットライトが消え、今度はジェイスが暗闇にぱっと浮かび上がる。
「それでは次、行ってみましょう! これであなたもB.F.研究員!? 超常現象クイズ大会〜!!!」
*****
バレットのマジックショーから始まったパーティーの出し物は、クイズ大会、バンド演奏、ダンス、劇や写真のスライドショーと、皿の上に置かれる料理と共に次々と変わった。
おかげで研究員たちは飽きずに楽しむことが出来たらしい。特にスライドショーの写真は、B.F.に再収容した超常現象、カメラマンのベレニスによる写真ばかりで、研究員たちは時に叫び、時に椅子から転げ落ちそうになるほど爆笑した。
次はビンゴ大会らしい。皆の手元にそれぞれビンゴ用のカードが配られ、豪華な景品を前に研究員たちは自分のカードと、スクリーンに映し出される数字を鬼の形相で見比べている。
「ああ!! 8です!! もう少しでリーチです!!」
スカイラがゆさゆさと揺さぶってくるので、ラシュレイはやりづらい。皿の上も定期的に片付けなければ給仕が下げにくいだろうと、フォークを手にした。
料理を口に運びながら、グラントリーの方を見る。彼のテーブル席はすっかり彼の存在に慣れたようで、楽しげに言葉を交わしている様子が見て取れる。近くの席には映画スタッフだけで固められた席があり、時々彼の様子を見守っているようだった。
「あー!! 22ですってラシュレイさん!! ついにリーチですよ!! もし前に行ったら何を貰ってきましょうか!?」
視界がガタガタと揺れるので、強制的に視界は助手のビンゴカードにされる。たしかにリーチだが、一列のみのリーチである。既に四列リーチの自分からすれば、確率は圧倒的に低いように見えるが。
「すごいな」
「えへへ、優秀なビンゴカード引いちゃいました! まるで僕みたいですね!!」
「いつ誰が優秀だって決めたんだ」
ラシュレイは皿を空にして、腕時計にそっと目をやった。パーティーが終わるまでまだ時間はある。このビンゴ大会が終わったら、おそらくグラントリーの誕生日会にすぐ移るだろう。食後のデザートは、その時のケーキになるという想定だ。
「......ちょっとトイレ」
「ええ!! 僕も行かなきゃ!!」
「何でだよ」
ラシュレイはスカイラに自分のビンゴカードを押し付けた。
「長くなりそうだから、続き頼んでも良いか」
「もちろんです!!」
仕事を与えられたスカイラは、真剣な表情でカードを受け取った。ラシュレイはテーブルの合間を縫って部屋から出る。部屋の後方も大きなスクリーンがついているので、後方に座る者は自然と其方を向くことになっている。ラシュレイはスクリーンいっぱいの数字を軽く睨みつけた。
*****
「あ、ラシュレイ」
廊下を出て、指定されていた六階にやって来る。そこにはケルシー、そして会場に一度も顔を出していなかったセドリックが居る。
彼はラシュレイが歩いて来るのを見て、何処か安堵の表情を浮かべた。
「良かった。貴方なら来て下さると信じていたんです。待った甲斐がありました」
ラシュレイはケルシーに目をやる。彼女はニコニコと笑っている。
「話は大体聞いてるよ。一緒にグラントリーさんを喜ばせよう!」
昨夜、出港パーティーでの出来事だ。セドリックは真剣な表情で、ある頼み事をしてきた。それは、ラシュレイにとって引き受けるには荷が重すぎるものだった。
「誕生日ですからね。取っておきのサプライズを計画しているんですよ」
セドリックは少し赤みを帯びた顔で迫ってきた。
「ラシュレイさんに、あるお願いがあるんです」
ラシュレイは眉を顰めた。映画監督が、自分のような研究員に何のお願いをするのだろう。
「あなた程美しい黒髪は、過去に一度しか見たことがありません。いえ、何度も見ていると言ったら良いのかな。でも、この世にいる人間で、現在あなただけがその美しい黒を持っているんです。ハリエットの髪をね」
「えっと」
ラシュレイは言葉に困った。さっき髪の色について話題があったが、まさかそこに戻ってくるとは思っていなかったのだ。それがグラントリーの誕生日と何の関係があるのだろうか。
セドリックの目は真剣だった。目の奥に、何かが燃えている。それが情熱の炎だと気づくのに、ラシュレイはそう時間がかからなかった。
彼は次のように言った。
「その髪を持つ貴方に、明日の夜、ハリエットを復活させてもらいたい。貴方が、ハリエットとしてステージに立っては下さいませんか」