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Black File  作者: 葱鮪命
18/193

File010 〜東病棟3階窓際〜

「ド、ドワイトさんっ......!!!」


 カーラはコンコン、と自分のオフィスの扉をノックする。


 何故、彼女はする理由もない自分のオフィスの扉をノックしているのだろうか。


 扉の向こうからは男性の声が聞こえてくる。


「ああ、もう少しで終わるよ! 10秒待ってくれ!」

「は、はい」


 カーラは今日、白衣を纏っていない。そのため廊下を行く他の研究員から不思議な目で見られてしまう。だから早くオフィスに逃げ込みたかったのだ。


 彼の言った10秒がとても長く感じた。


 やがて、


「いいよ、カーラ。入っておいで」


 声がかかったのでカーラははっと顔を上げて、ドアノブに手をかける。


「し、失礼します」


 自分のオフィスだと言うのにこれもおかしいか、とカーラは言ってから気づいた。


 ゆっくりと扉を開ける。そして彼女は息を呑んだ。


 そこには彼女のペアの研究員であるドワイトが立っていた。いや、それはいつもの事だ。


 だが、今日の彼には、いつもとは全く違う場所がある。


 それは、


「んー、どうかな?」


 彼はカーラ同様、白衣を脱いでいた。その代わり、スマートなジャケットに身を包み、下はジーンズと、まるで研究員ではなく「一般人」のような格好をしていたのだ。


「ふーむ、ナッシュに選んで貰ったとは言え、改めて見ると少し大人過ぎていないかい? 恥ずかしいな」


 鏡で何度もドワイトが服を確認する。


 カーラは扉を閉めてから、その場で動けなかった。


 口にはなかなか出せないが、まるで俳優のようだ、とカーラは思っていた。ドワイトの優しい雰囲気に良くあった服のチョイスで、いつも白衣ばかり見ているために新鮮である。


「凄く似合っています......」


 彼のあまりのかっこよさにカーラは彼を直視出来ず、ごにょごにょと歯切れの悪い褒め言葉を絞り出すことしかできなかったが、彼は照れ笑いを浮かべて「ありがとう」と言った。


「カーラもとっても似合っているね。とても素敵だよ」


 カーラは顔が熱くなっていくのを感じた。バクバクと心臓が変な鼓動になっている。


「そ、そんなっ......ありがとう、ございます......こ、光栄ですっ......!」


 まさか、彼にそんなことを言われる日が来るなんて。更に加速する鼓動を彼に悟られないように、カーラはオフィスの扉を開いた。


「い、行きましょうか」

「うん、そうだね」


 *****


 エレベーターの前にはナッシュ、ブライス、ノールズ、イザベル、コナーが立っていた。皆白衣ではなく、見慣れない私服に身を包んでいる。


「また随分洒落たものを選んだものだな」


 ブライスがドワイトの格好を見て、隣のナッシュに呆れ顔を向けた。


「似合っているだろう? やっぱりドワイトはジャケットじゃなきゃねえ。僕の目に狂いはなかったようだ」


 ナッシュがうんうん、と大きく頷いている後ろで、ノールズも「かっこいいー!」と顔を輝かせている。


「君のセンスはとても素晴らしいと思うけれど......こんなにオシャレにされるとは思ってなかったよ」


 ドワイトが苦笑して頬を搔く。


「すぐ慣れるよ。大事に着てくれよ? それ高かったんだから」

「はいはい」


 そこでエレベーターの扉が開いた。大人数が乗ることが出来る、かなり広いものだ。


「ほら、行くぞ。もたもたしていると夜になる」

「今が夜か朝かなんてわからないじゃないか」


 ブライスの言葉に対してナッシュが肩を竦め、冗談めかしたように言った。


 七人はエレベーターに乗り込む。


 カーラは今回、これに乗るのは二度目だ。これは地上に上がるためのもの。


 そう、今日は待ちに待った外部調査の日なのだ。


 B.F.に新しく出来た新制度、外部調査。その記念すべき第一回にカーラは参加出来ることになった。


 ドワイトが彼女を推薦したらしく、決まった時、カーラは信じられなかった。


 今も少し半信半疑だ。

 疑いたいわけでは無いが、こんな自分が他の研究員より先に外に出られるなんてそんな夢みたいな話あるのだろうか、とどうしても考えてしまう。


「いやあ、楽しみだねえ」


 ナッシュがニコニコと笑っている。


「遊びに行くのではないぞ」


 ブライスが眉を顰めた。


 その隣でドワイトは微笑んでいる。


「気持ちはとてもよく分かるけれどね」


 確かに、ワクワクする。仕事だと分かっていても、久しぶりの外なのだ。


 ノールズもコナーも、心做しかワクワクした顔をしている。


 やがて、ブライスがカバンの中から小さなメモ用紙を取り出した。


「今回の外部調査のペアを発表する。外部調査は基本的に二人一組で行動してもらうことになっている。俺は今回、一人だ。残りはそれぞれ今から言うペアと行動しろ」


 ブライスがメモ用紙に書いてあることを淡々と読み上げる。


「ナッシュは、コナーと組め」

「えっ」


 コナーが声を上げた。


「んー? 何かなコナー、その顔は」

「い、っやあ、嬉しすぎて声が漏れちゃったんすね!! すみません、黙ります!」


 コナーは冷や汗をかきながらナッシュに向かって言うと、ノールズとイザベルの後ろに隠れてしまった。


「ノールズはイザベルと組め」

「はーいっ」

「......はい」


 嬉しそうに挙手までして元気よく返事をするノールズとは対象に、イザベルはあまり嬉しくなさそうだ。


「ドワイトはカーラとだ」

「うん」

「はい」


 カーラの胸が再びときめく。


 彼との外部調査。思えばずっと楽しみにしていた。昨日などベッドに入ってから、寝るのに時間がかかったくらいである。


 カーラは浮かれそうになる心をぐっと抑える。


 仕事で外に出るのだ。こんな気持ちで挑んでは、失敗するに違いない。


 やがてエレベーターは地上へと着いた。地下一階から上がってきたはずだがかなり長い時間乗っていた。それだけこの施設が地下深くにあるということだ。


「おおー......!!!」

「わあああっ......!!!」


 扉がゆっくりと開くと、そこはB.F.の仮施設の中になっている。


 仮施設は、一般人にB.F.の研究所の存在が勘づかれないように置かれているフェイクの建物だ。自販機があったり、会議室があったりと、しっかりと建物としての役目は担っている。B.F.の入社試験の会場もこの仮施設なのだ。


 エレベーターから出ると、皆懐かしそうに辺りを見回している。カーラは一年も経過していないが、他の研究員は10年近く地下に潜りっぱなしだったものも居るだろう。


 地上は昼間だった。久しぶりに見る太陽の光に胸が高鳴る。外に出て、研究員らはグッと、腰を伸ばした。


「ああー! 外最高ー!!」


 ノールズが伸びをしながら言う。


 皆が嬉しそうだと自分も嬉しくなる、とカーラは自然と顔に笑みを浮かべていた。


「早速だが、別れて行動してもらう。時間は限られているからな。今日の夕方五時にホテルに集合、明日の夜には此処に戻ってくる予定だ。質問は」


「ありません!」


 ノールズが挙手をして叫ぶように言った。


「よし、気を引き締めていけよ」


 そのまま解散となった。


 皆それぞれの持ち場に向かう中、ドワイトはブライスに一言二言話してからカーラの元へやって来た。


「おまたせ、行こうか」

「はいっ......!!!」


 ノースロップ・シティの中央から少し外れた場所へと、カーラとドワイトは向かう。ビル群から少し離れた、落ち着いた場所だ。


「眩しいですね......」

 カーラは目を細めて青い空を見上げた。


「うん、そうだねえ」

 久しぶりの日の下は、少しだけクラクラする。


「ドワイトさんは久しぶりに外に出たんですか?」


 カーラは自分の隣を歩く彼に問う。


「いいや、定期的に何度か出ているよ。ブライスが国に研究資料を渡す時は私とナッシュが手伝いに行ったりするんだ。でも最後にそれをしたのは一年以上も前だね。ブライスはあまり人に頼りたがらないからさ、結局一人で外に出て行っちゃうんだよ」


 カーラはなるほど、と頷いた。


 確かにブライスは人に頼りたがらないように見える。ブライスは一度決めたことを貫き通す、頑固な人間であると、カーラはドワイトから聞いていた。


 だがその後に、優しいからだ、といつも付け足すのだ。


 ブライスの優しい一面をカーラはあまり知らない。どんな人間なのか、未だに掴みにくい。彼の優しさはどんなものなのだろう。


「そういうカーラだって外は久々なんだろう?」


 ドワイトがカーラに微笑む。


「は、はい......。でも、まだ一年も経っていませんが」

「それでも長いよ。ブライスは仕事仕事って言うけれど、せっかくの外だ、仕事が終わったら美味しいものでも食べに行こうね」

「......!!!」


 カーラはコクコクと頷いた。ドワイトとはいつも食事を共にしているが、外だと言うこともあって特別な感じがする。


 しかし、何度も忘れそうになるが、自分は仕事で外に出ているのだ。ブライスの言う通り、気を引き締めていかなければ。


 やがて、大通りから少し逸れて、人があまりいない静かな場所へとやって来た。車の量も少なく、緑が目立ち始める。


「今回の超常現象は病院だったかな」

「病院、ですか......」


 病院と聞いて思い浮かべるのは、痛い注射やお化けなどの怖いイメージだ。カーラは注射もお化けの類も得意ではなかった。


 今回はドワイトが近くにいてくれるから安心だが、もし一人で調査しろと言われていれば、泣いていたかもしれない。それだけ怖く、それだけドワイトには安心感があった。


 二人が辿り着いたのは大きな病院だった。仮施設から徒歩で30分ほどの場所だ。


 白い建物が聳え立ち、その足元には広い駐車場があった。どうやらこの病院が、今回の超常現象が見られる場所のようだ。


「さて、と」


 ドワイトが手元の研究員ファイルに目を落とし、こっちだね、と病院の敷地の中に入って行く。


 どうやら建物の中では無いらしい。


 それを知ってカーラはほっとした。


 ドワイトに着いていきながら、カーラは病院を見上げる。

 病院は二つの病棟から成り立っており、渡り廊下で繋がっているようだ。時折、渡り廊下の窓から看護師や病人らしき人達が歩いているのが見えた。


「此処だね」


 ドワイトが足を止めたのは東病棟側、つまり正門の裏側にある病棟で、公園のようになっている小さな広場だ。


 小川や舗装された小道、煉瓦道などがあり、ベンチや花壇で彩られている。時々入院着を着た子供が母親に手を引かれて歩いているのが見えるが、人は少ない。


「綺麗ですね」


 きちんと整備している人が居るようだ。花壇の雑草は抜かれており、低木も丸く切り揃えられている。


「うん、今回の超常現象は此処から観察するよ」


 ドワイトがカーラに研究員ファイルを見せてくれる。


 今回の超常現象はこの病院の東病棟、三階にある病室の一室、窓際に現れる少女らしい。毎日同じ時間帯に現れて一定の時間を過ぎると消えてしまう。


「......幽霊、ですかね」

 カーラは嫌な予感がしてドワイトを見上げる。


「さあ、どうだろうね」

 ドワイトが微笑む。


 カーラは恐る恐る三階の窓際を一通り眺めてみた。


 そして、


「!!」


 三階部分の右から七番目の窓際。そこから此方をじっと見つめる少女に気が付いた。


「ド、ドワイトさん......」

 ドワイトに目をやると彼もじっとそちらを見ている。


「ふむ、あの子のようだね」


「今がその時間、ということなんでしょうか......?」


「恐らくね。チャンスは一度ではないようだから、少し観察を続けてみよう」


「はいっ......」


 カーラの目には、彼女が普通の女の子に見えた。


 お化けなのだろうか。


 ベンチに腰を下ろして改めて見てみるが少女は既に居なくなっていた。カーラは背中にゾッと冷たいものが走ったのを感じた。


 10分ほどベンチに腰をかけて観察を続けていると、


「こんにちは」


 突然話しかけられて、カーラとドワイトはそちらに目をやった。


 ベンチから少し離れた場所に、眼鏡をかけた男性が立っている。歳はドワイトと同じか少し上くらいに見える。掃除をしていたのか手には枯葉を集める用の箒を持っていた。


 清掃員だろうか。


「こんにちは。お掃除をされていたんですか?」


 ドワイトはいつもの優しい声と笑顔で男性に問う。


「そうなんです。ボランティアで、広場の掃除をしています、セオドアと申します」


 男性_____セオドアが持っていた箒を軽く上げてニコリと笑った。


「ドワイトです。こっちは娘のカーラ」


 娘_____。


 カーラは顔には出さなかったが、心の中で叫んだ。ドワイトの娘という設定でいくようだ。


 セオドアがカーラに「やあ」と笑いかけるので、カーラも小さく会釈した。


「ボランティア活動なんて素晴らしいですね。それは、いつから?」


「10年も前でしょうね。此処は子供からお年寄りまで集まる憩いの場ですから、常に綺麗にしておかないと。今の時期、人が集まるには少しだけ寒い気もしますが......」


 セオドアが肩を竦めて、次はカーラ達に質問を投げてきた。


「ところで、あなた方は誰かのお見舞いに?」


「ええ、娘の友達が入院していて。お見舞いに行きたいと言うので付き添いで来ました」


「そうなんですか、怪我ですか?」


「はい、部活で足を痛めてしまったようで」


「そうなんですね。早く治るといいね、お友達」


 ドワイトから話の対象が急に自分に変わったことで、少し戸惑いながらもカーラは頷いた。


 彼女は油断していた。


 と言うのも、ドワイトの嘘がうますぎたのだ。


 彼はきっと、カーラの居ないところで練習していたのだろう。すらすらと口から出てくる嘘にぼんやりしていたら、いつの間にか話が自分に振られていたのだ。


「最近、変わったことはありますか?」


 不意にドワイトが問う。


 流石に勘づかれるのではないか、とカーラは内心ドキリとしたが、セオドアは特に気にもしていない様子で「そうですね」と視線を斜めに投げる。


「特にはないですね」

「そう、ですか」


 ふむ、と彼がセオドアには分からない程度に、病棟の窓をちらりと見上げた。カーラはそれを見て、彼が何かあの超常現象について情報を聞けないかと思考を練っているのだと気づいた。


 此処は自分が勇気をだして一歩出てみようか_____。


「あ、あの......セオドアさん......!!」


「ん? どうかしたかい、お嬢ちゃん」


 カーラは自分の身長に見合う知能と口調に合った喋り方を模索しながら、言葉を絞り出した。


 多分、自分は身長からして小学生としか思われていないだろう。

 ドワイトに娘が居るというのなら、あまり可笑しくはない年齢設定だ。


「お友達から、この病棟にはお化けが出るって聞いたんですけど......」


「おや、お嬢ちゃん知っているのかい?」


 セオドアの顔がパッと輝いた。ビンゴ、カーラは心の中でガッツポーズを決めたが、表情には出さないように、下を向いてもごもごと口を動かす。


「詳しくは知りません......でも気になっていて。セオドアさん、知っていたらお話を聞かせていただきたいんです」


「ふーむ、そうか......あの子のお話、ねえ」


 セオドアが懐かしそうに目を細めて、少しの間黙った。カーラはドキドキしながら次の言葉を待った。


「ああ、いいとも、話そう」


 *****


 セオドアは10年前からボランティア活動をしていた。始めたきっかけはこの広場の前を通り掛かった時、外から見かけた一人の少女だった。


 少女は彼がそこを通る度に見かけた。いつも一人で、周りが楽しそうに談笑している中、彼女だけは少し離れたベンチに座り、地面をじっと見つめていることが多かったそうだ。


 セオドアはある日彼女に話しかけみた。最初は無表情で口も開いてくれなかったが、徐々に心を開いていくと、花のように可愛らしい笑顔を見せることがあったという。


 少女の名前はティアと言った。


 病気で此処の病院に入院しているらしい。

 外が好きで、医師や看護師の目を掻い潜って外まで出てくるのだそうだ。


 ティアが外に居るのは、医師や看護師に勘づかれない10、15分ほどの短い時間だけである。そんな中で二人は他愛もない話をして楽しんだ。


 話していく中で、彼女が病棟でもひとりぼっちだということがわかった。


 母親が家にいるが毎日家のために働いていてなかなか見舞いには来られないらしい。


 生まれてから体が弱いティアはなかなか学校にも通えず、友達は一人も居ない状態だった。


 セオドアは彼女が寂しい思いをしないよう、毎日同じ時間帯に此処を訪れては、彼女とベンチで話をした。それが二人の日課となった。


 しかしある日、ティアはいつもの時間に来なかった。周りにいつもいた他の患者に聞くと、病状が悪化してしまったがために病室に隔離されてしまったらしい。


 詳しく聞くと、彼女は治療法が確立していない不治の病気で、余命はそう長くないようだ。


 セオドアはそれを聞いて彼女が一人、病室で寂しい思いをしているのではないかと考えた。


 次の日から彼は、彼女が気づいてくれるかどうか、とにかくいつも彼女と話していた広場をその時間帯だけ掃除することにした。


 彼女が窓から見て、気づいてくれるよう祈りながら。


 *****


「それから、彼女には会えたんですか?」


 一通り話し終えたセオドアに、ドワイトが聞いた。セオドアは苦笑して答える。


「話すことはできませんでした。ただ、彼女が入院していた病室が丁度東病棟の、三階の窓際でしてね」


 セオドアの目は優しかった。


「毎日、枯葉を集めて地面に絵を描いてあげたり、メッセージを書いたりして彼女に見せてあげたんです。毎日、何を書こうかとワクワクしていました。彼女もまた、キラキラした目で、時間になると必ず窓から顔を覗かせていたんです」


 でも、とセオドアは寂しげな表情で箒を見下ろす。


「彼女は一ヶ月ほど隔離された後、亡くなってしまいました。最後の日は窓を向いて、空しか見えないベッドから僕を見ようと必死になっていたと聞いています」


 カーラもドワイトも、何も言わずに彼の話を聞いていた。


「最後の日は、彼女が好きだと言っていたチョコレートケーキの絵でも描いてあげようかと意気込んでいたんですけれどね」


 セオドアが小さくため息をつく。


「それも、できませんでした」


 カーラはセオドアから視線を外し、病室の窓を見上げた。また少女が此方を見下ろしていた。


 カーラは次はもう怖くもなかった。ただ静かに彼女を見つめた後、セオドアに視線を戻した。


「その噂の幽霊の子って、その子のことなんでしょうか」


 カーラが問うが、セオドアは「さあ、どうだろうね」と微笑む。


「僕は彼女が亡くなって以来、あの窓を見上げることが怖くなってしまったんです。自分で彼女がいないという事実を掘り下げてしまうことが怖い。認めたくない。僕は、とても臆病な人間なのかもしれない」


「そんなことありませんよ」

 ドワイトが優しく、だが、しっかりと言った。


「彼女はどうやらあなたを待っているようですよ。今日も明日も明後日だって。思いが詰まった絵を、文字を」


「......!」


 セオドアが顔を上げた。病棟の窓に吸い寄せられように、彼が病棟の方向へ、一歩近づく。


 その目はしっかりと彼女を捉えていた。


「ええ、そうですね......そうみたいだ」


 セオドアは泣き笑いの表情を浮かべた。


 そして、


「明日、飛びっきりの作品をお見せします。是非、見にいらしてください」


「喜んで」

「もちろん」


 カーラとドワイトは同時に頷いた。


 *****


 次の日、カーラとドワイトは昨日の広場へと向かった。そこにはセオドアが居り、せっせと枯葉を集めていた。


「時間までまだ少しあります」

 セオドアが箒を少し止めて、病棟の窓を見上げる。


「なるべく多くの枯葉を集めなければなりません」

「私達も何か手伝いますよ」


 ドワイトの言葉にセオドアが微笑む。


「はい、ありがとうございます」


 *****


 枯葉を集め終えると、セオドアは箒の先を地面に滑らせ始めた。まるで魔法を操るように地面がカラフルになっていく。


 やがて、秋の色で染ったアートが広場の地面に完成した。


 カーラもドワイトも息を呑む。冷たい風を忘れるくらいに、二人の心がじんんわりと暖かくなっていく。


 セオドアはあの窓を見上げていた。その顔は少年のように輝いていた。

 後は少女が現れてくれるのを待つだけだ。


 *****


 少女は、今日も東病棟の三階の窓際から広場を見下ろすために、そこに来た。


 約束の時間。10年前から変わらない、その時間。彼女が生前、ボランティアの彼と談笑していた思い出の詰まった広場。


 彼女は窓からその広場を見下ろした。


 そして、目を見開いた。


 無いはずの心臓がドクン、と大きく音を立てたように感じた。


 感動のあまり、口から嗚咽が漏れる。

 出るはずがない涙と震えた呼吸が溢れてくる。


『沢山の楽しい時間をくれた君へ』


 懐かしい文字が、枯葉のアートが綴られている。


『また沢山お話しよう。沢山チョコレートケーキを食べよう。きっとまた会おう。この広場で。この時間に。』


 長い間、目が合わなかった彼がようやく目を合わせてくれた。


 少女は彼の少年のような笑顔に向かって微笑む。


『最高の思い出をありがとう。君の親友より』


 彼女は前が見えなかった。涙と、彼女を取り囲む光の粒のせいだった。


 彼女は窓を開いた。そして、大きく身を乗り出して、彼に向かって光の粒になって消えかけている手を大きく振った。


「ありがとう、またね」


 彼女は確かにそう言った。


 そしてゆっくり、ゆっくりと柔らかい午後の日差しに溶けていった。


 *****


 夕焼けに染る町を、二人の男女は歩いていた。


「暖かい気持ちになりました」


 カーラは、隣のドワイトにそう言った。


「うん、本当だ。きっと二人は、また会えるよ」


 ドワイトがそう言って、夕空を見上げる。


 彼女が溶けて行った空に、光の粒を散りばめたような星が瞬き始めていた。

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