表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Black File  作者: 葱鮪命
178/193

File082 〜憎たらしい辞書〜

「じゃあ、俺は別室で待機するから、よろしくお願いしますね」


 リース・ティペット(Rhys Tippett)は、そう言って自分のオフィスを出た。向かう先は会議室。今から、今度の合同実験のミーティングがあるのである。しかし、何回か足は止まり、ちらりと後ろを振り返ってしまう。


 本当に大丈夫だろうか。


 リースは数ヶ月前に助手を一人とった。自分より遥かに年上の男だ。名前はウィル・ドイル(Will Doyle)。何だか裏がありそうなジェントルマンという、矛盾していなくもない言葉がぴったりな男だ。

 そんな彼は二週間前に無事、星1から星2への昇格を遂げた。採点係だったエズラに聞けば、一問も外すことなく完璧な解答だったらしい。


 またしても自分の顔に泥を塗られた気分である。


 最初から受かるとは思っていたが、此処までされると、先輩として顔が無い。もう何をしたって驚かないが、少しは先輩の面子が潰れていることを自覚して欲しいと思っている。


 そんなこんなで、次なる昇格試験に備え、リースは助手に単体実験の機会を与えることにした。どうせこれも簡単にクリアしてしまうのだろうが、表の先輩としては後輩をしっかり教育するということをしなければ。こういう面でも、自分は人間性に欠けている。


 だが、一応ソワソワと心配もしているのだ。初めての助手で、いつでも自分の元から他の研究員の元へ行ってもらっても良いのだが、一応、この数ヶ月のうちに先輩としての自覚は芽生えてきた。

 死ぬような超常現象を選んだ訳では無いから、大丈夫だとは思っている。

 しかし、もし死んだら......何だか、恐ろしい怨霊になって、末代まで呪われそうなのである。


 あの助手と接すると、一般の考えから少しズレた考え方が育つことは、リースが良い例になっている。


 さて、リースはエレベーターまでやって来た。此処まで来れば、どう首を伸ばそうが自分のオフィスの扉は見えない。リースの意識は自然と会議の内容へと移るのだった。


 *****


 ウィル・ドイルは一人オフィスに残っていた。今日は初めての単体実験である。綺麗に片付けられたオフィスは、今日だけ実験室の役割を担う。と言っても、デスクを二つ退かすとか、棚を退かすとか、実験室らしい外見に近づける作業は全く必要としない。


 実験台として、唯一ウィルのデスクが綺麗に片してあるだけである。


「さてと」


 ウィルは自分のデスクの前に立ち、その上を見下ろした。彼のデスクには、分厚い本が置いてある。表紙を見れば、それは辞書だった。


「対象さん、本日は宜しくお願い致します。星2研究員のウィル・ドイルと申します。物に話しかけるのも変なお話ですが、貴方は超常現象です。人間の言葉を汲んで現象を発生させるとなれば、コミュニケーションとまでは行かずとも、私は積極的に話かけていきますね」


 辞書に微笑み、ウィルは腕の中の研究員ファイルを開いた。


「本日は初めての単体実験なんです。とっても楽しみにしていたのですよ」


 ウィルはあるページで手を止めた。実験前の確認動作を行い、対象の詳細を読み上げる。


「貴方は全国の書店でも購入可能な辞書です。ですが、何やらある一部の辞書に不可解な現象が起こっているそうですね。言葉を調べようと開いたら、言葉が勝手に書き換えられている、と。しかも開く度に内容は異なり、まるで辞書を引いている人に話しかけるような言葉遣いになるそうで......何とも興味深い」


 ウィルは研究員ファイルから顔を上げて、その向こうに居る辞書を見る。


「つまり、私のこのコミュニケーションは間違っていなかったということですね。例えば、『よろしく』という言葉を引けば、私に対して挨拶をするという言葉に置き変わっているのでしょうか」


 ウィルは手袋とゴーグルをつけて、早速辞書を手に取った。側面で適当に目星をつけて、該当ページを引く。すると、「よろしく」という言葉が書かれているところを見つけた。


『よろしく:しけた面見せてんじゃねえぞ、おっさん』


 ぱたん。


 ウィルは辞書を閉じた。


「見間違いでしょうか。とても読めた文ではありませんでしたが」


 ウィルはもう一度同じページを開いた。


『よろしく:二度と俺に構うな!』


 ぱたん。


「全くよろしくないですね。ほかの言葉にしてみましょう......貴方は辞書ですか?」


 ウィルは「辞書」と引いた。


『辞書:表紙見りゃ分かるだろ、ポンコツ!!』


「なるほど。確かにその通りでした。では、もう少し踏み込んだ質問をしましょう。貴方はどうして喋れるのでしょう」


『喋る:うるせー!! バアーカ!』


「おや、辞書のくせに人を煽るボキャブラリーは酷く稚拙で少ないんですね。本当に辞書ですか?」


『辞書:そう言ってるだろ!! 俺に構うな!! じじい!!』


「それ以上嘗めた口を利くなら、一枚一枚ページを剥いでライターで炙りますよ」


『ライター:ごめんなさい』


『あなた:貴方が正しいです。怖い』


 ウィルは微笑んだ。


「ようやく人に接する態度になってくれましたね。では、実験記録のために、色々お話しましょうね」


 *****


 ウィルはそれからいくつかの言葉を調べてみた。どんなに不思議な辞書だとしても、変幻自在に操れるのは説明書きの部分だけのようだ。見出しの「よろしく」や「あなた」などの言葉はどう頑張っても変わらず、新しい言葉を付け足すような荒業はできないようだった。


 大抵の実験を終えたウィル。辞書に微笑んだ。


「はい、もう大体終わりましたよ。ご協力ありがとうございました」

『ありがとう:お前なんかどっか行っちまえ。二度と面見せるなよ!!』

「実験が終わったら態度は戻るのですね。あなたらしくてとっても良い。でも、勘違いしないでくださいね」


 ウィルはにっこりと笑い、デスクの文房具が入っている引き出しを開いた。そこからとても切れ味の良さそうなハサミを取り出す。


「実験が終われば、此方だって対象はどう扱おうと構いません。ましてや貴方は同じ性質を持つ複製品がいくつもあるのですから、ひとつくらい悲惨な未来を辿っても文句は言えませんね」


『ハサミ:ごめんなさい』

『悲惨:バラバラにしないでください。ごめんなさい』


 ガチャ。


「あっ」

「あっ」


 オフィスの扉が開いた。リースである。


「......何してるんですか」


 リースはウィルが手に持っているものを見た。ハサミが辞書の背表紙に当てられているところだった。ウィルはサッとそれを背中に回して、リースの視界から隠す。


「いえ。ちょっとした出来心です」

「にしてはえげつないことしますけどね」


 リースは後ろ手に扉を閉めながら、辞書を見た。開かれているページにある言葉は、どの説明書きも「ごめんなさい」「申し訳ございません」で埋め尽くされている。


 生意気な超常現象とは聞いていたが、自分が居ない間に一体何があったと言うのだろう。


「とてもお利口さんな超常現象でした。この子、私のデスクに飾って置いてあげたいです」

「はあ、それは構わないですけど......」


 リースは自分のデスクに戻る。ウィルも自分のデスクに向き直った。辞書のページは謝罪の言葉で埋め尽くされている。にっこりとウィルがそれに微笑むと、辞書はひとりでにパタンと閉じた。表紙の「辞書」の字は「怖い」に変わっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ