File079 〜回り続ける複製物〜
その情報が入ってきたのは、バレットとエズラのオフィスであった。ケルシーの妊娠が分かって、定期的な通院が必要になると、ビクターがそれについていき、彼らの仕事は中心メンバーで平等に分けられることになったのだった。
「はい、こちらバレット・ルーカス(Barrett Lucas)」
電話に出ると、相手は警察だった。
「はあ......行方不明者の捜索協力ですか」
彼の背中には、パソコンを叩くエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)が居る。彼は手を止めて、相棒を振り返った。
「なるほど。分かりました。詳細は後ほど。はい、はい......」
電話を置いたのを見て、「なんだった」とエズラ。
「人が行方不明になってるんだって。今のところ、十三人」
「十三人? 多いな」
「な。それで、捜査隊を派遣したんだけど......その捜査隊で五人が戻ってきてないみたい」
「つまり、十八人が行方不明ってことか」
「そういうこと」
あまりにも多い数である。行方不明者が居て、彼らを探すための捜査隊もまた行方不明になっている。一気に人が消えるとなると、超常現象の可能性を疑わざるを得ない。行方不明になった捜査隊の詳細は、今から来る者が説明してくれるそうだ。
*****
「はあ、なるほど。住宅地で消息を経ったと」
やって来たのは、この行方不明者捜査隊の長である男だった。名前はヒューバート。珈琲と煙草の臭いが体にこびりついたこの男は、もう三日も家に帰らず捜査をしているらしい。
行方不明者を探している隊が消息を経ったのは、驚くことに閑静な住宅街であった。
「事の発端は、ある通報だ」
__シャーマン家から、もう四日も人が出て来ていない。
それは、近隣の住人からの通報だった。シャーマン一家の住む家から、まる四日、人が出て来ていないらしい。その四日間は平日で、特別な休みも無ければ、朝の八時きっかりに男が一人仕事に出て行き、その一時間後に息子を自転車に乗せた妻が出て来て、戻ってくる。そして、その後は妻も車で仕事へ行くのだ。
その一連の流れがまる四日も無いことに気がついた近隣の人による通報だったらしい。
「シャーマン家というのは、この赤い屋根の家のことだ」
ヒューバートが示したのは衛星写真である。青のマーカーで囲まれたその家は、確かに住宅街の中にあった。「通報者」と書かれた丸も近くにあり、その家の者が通報をしたのだろう。シャーマン家とは二軒離れている。
「ん?」
その衛星写真を見て、バレットは気づくことがあった。
シャーマン家に丸が二重についているのだ。ぐるぐる、勢いに任せて囲んだと言うよりは、意図的に丁寧に囲んだように思える。
「シャーマン家に丸が二つ付いているんですが、これは......?」
バレットが指さすと、ああ、とヒューバート。
「行方不明者となった探索隊が消息を経った場所だ。彼らに持たせた無線機がずっとそこから動かないのだ。署で見張っていた時、初めに二人の隊員がその家に入ったようでな。全く出てこないから、残りの三人が家に入ったそうだ。そうしたら、」
「全員が出てこなかったと」
「そういうことだ」
バレットもエズラも眉を顰める。シャーマン家に人が消えていっていると考えることができそうだ。
「通報者はその後何か情報を提供してくれましたか?」
エズラが問うと、
「それがだな」
ヒューバートが言いづらそうに煙草を取り出す。それに火をつけて彼は一服した。
「その通報者も消息を絶ったんだ」
「通報者が消息を絶つ......そうなると、この家に入った可能性が高いですね」
「間違いない」
「シャーマン家は何人家族ですか?」
「三人だ」
三人、とバレットは呟く。シャーマン一家と、行方不明になった隊員、そして通報者本人の数も合わせると、あと九人足りない。
「残りの九人は?」
「おそらく、それも近隣の住人と見ている。同様の通報が近くの家から何件も入っていてな。家主が戻ってこないとか、社員が通勤していなければ、家にも戻っていないとか......」
「シャーマン家に入って出てこないってことで良いのかな」
バレットはエズラを見る。
「まあ、それしか考えられないよな。中が異空間になっているとか、家に閉じ込められた......ってのは考えづらいか。外から何人も人が入ってるわけだからな」
「強盗にしたって、一軒家に十八人もの人間を人質に立てこもるやつなんか居ないよな......全員の動きを封じるにしたって、その数に太刀打ちできるかどうか......」
考え込む二人をヒューバートは見ていた。三日間まともな睡眠をとっていない彼は、この待ち時間が辛かった。そんな彼の制服のポケットで携帯が鳴った。
「すまんね」
ヒューバートはその場で電話に出た。相手は探索隊の一人だったようだ。
「行方不明者がまた増えたのか。家に入ってきた二人が戻ってこない、と。分かった」
エズラとバレットは顔を見合わせた。
これで、二十人の行方が分からなくなったのである。
*****
「俺らも戻ってこられないとか有り得るかな」
「さあな。まあ、何かあればコナーさんに言うように伝えたし......」
二人は車で現場に向かっていた。既に何台かのパトカーが停まっており、閑静な住宅地は物騒な雰囲気に変わっている。黄色のテープで、ある家が囲まれているところを見ると、あの家がシャーマン家らしい。周りは野次馬でいっぱいだった。バレットとエズラはその野次馬を潜ってテープの中に入る。
「Black Fileから来ました。バレット・ルーカスと」
「エズラ・マクギニスと申します」
探索隊は皆疲れきった表情をしていた。人が消える不気味な家など、専門の調査員でもない限り関わりたくもないと言った顔である。
「あの、中に入っても?」
「戻れなくなる可能性を考えるとあまり推奨できません」
「まあ、そうですよね」
バレットは家を見上げた。パトカーのランプで反射する色が目まぐるしく変わることを除けば、至って普通の家である。家の扉は開いており、薄暗い家の中が見えた。廊下が奥まで続いているが、そこに誰かの背中が見える。
「あの方は?」
「今さっき入った隊員の一人です。ただ、呼びかけても反応が無くて......」
バレットは隊員を見た。石のように動かない。生きているのかすら分からない。
「直前まで彼とは会話出来ていましたか?」
エズラが問うと、「ええ」と隊員。
「部屋の中に沢山の人がひしめき合っていると話していました。みんな、何かを見ているそうで......」
「何かを見ている?」
「はい。でも、その何かについて問うと、彼は動かなくなってしまったんです」
「なるほど」
バレットとエズラは互いを見る。
「見るとダメなやつか。エズラ、カメラある?」
「ああ、ある」
「それで現象だけ撮影できないかな。カメラ越しになら、何とかなるかも」
エズラは車の中からカメラを持ってきた。それに長い棒を取り付け、バレットはシャーマン家の玄関口に立った。
「エズラ、俺五分で戻るから。五分で戻ってこなかったらコナーさん呼んでな」
「ああ、わかった。気をつけろよ」
「うん」
バレットは家の中に足を踏み入れた。ひんやりした空気の中で、彼は神経を集中させる。まずは一番安全性の高そうな、匂いから。何度か息を吸うと、彼はその中に腐敗臭を感じた。
二歩進む。すると、腐敗臭はより強くなった。バレットさらに三歩進んだ。隊員の背中にもう少しで手が届きそうだ。
隊員は、ある部屋の内側を見ていた。場所から考えるにリビングだろう。腐敗臭はそこから香っていた。
「これはちょっと、まずいやつか?」
バレットは腕を伸ばして、隊員の脇からカメラを部屋の中へ差し込んだ。普通の家となれば、部屋広さは大方想像できる。ある程度カメラを空間に這わして、彼はカメラを回収した。去り際に隊員の腕の脈をはかると、生暖かくて、まだ生きている感覚があった。
バレットはそれを確認してすぐに撤収した。時間にして三分と少しである。外に戻ってくると、エズラがすぐに近づいてくる。
「待って」
バレットがエズラを手で制し、それ以上近づかないように言った。そして、
「何かあった時のために、情報だけ先に伝えておくな」
「おう」
エズラがメモ用紙を取り出す。バレットは、リビングと思われる場所から腐敗臭がしたことを話した。
「人が死んでるかもしれない。死因は分からない。今から見る映像に映ってるとは思うけど......」
「映像はお前一人で確認する、と」
「そういうこと」
見るだけで体が硬直する超常現象の可能性が高いという判断である。映像越しに見てその効果を受けるかは分からない。が、もしバレットも動かなくなったら。また誰か情報を得る人が必要になる。
「隊員の人は生きてたよ」
バレットの言葉に、周りに居た隊員たちがホッとした表情を浮かべる。が、皆顔が浮かない。
「あの人も危ないかもしれない。見たら動けなくなる超常現象だとすれば......死因は」
「餓死?」
「その辺」
エズラはペンを走らせ、バレットに頷いた。
「じゃあ、俺だけ見るから」
バレットは白衣を脱ぎ、それを頭から被った。彼だけの空間を作ったのである。
「五分。五分で俺が何も反応無かったら、エズラはコナーさんに電話な。そうしたら、俺のカメラ回収しないで、白衣にカメラ包んだままにしてくれ」
「分かった」
エズラは外で見守る。白衣を被ってしゃがみこむ相棒の背中をじっと見つめた。周りの隊員も固唾を飲んでバレットを見守る。
「部屋の中に人がいっぱい居る。うん、やっぱり亡くなってる。死後数日ってところかな。そこまで酷い感じじゃないけど......大人が何人か。隊員じゃない人も居る。みんな、テーブルの上を見てる。なんだろ、あれ_____」
バレットの実況を、エズラはボイスレコーダーで録音していた。しかし、ピタリとその実況が止んだ。
「......バレット?」
声をかけるが、反応がない。エズラは隊員にボイスレコーダーを手渡し、コナーに連絡をした。すぐに向かう、と返事があり、エズラは続いてバレットの背中に近づく。隊員たちに後ろを向かせ、自分はバレットの正面にしゃがむ。白衣の中に手を突っ込み、カメラの位置を確認した。そっと白衣を取って、カメラごと包み込む。白衣の中から出てきた相棒は、白衣に包まれたカメラをじっと見たまま動かなかった。
*****
「リビングのテーブルの上に何かあるみたいだな」
B.F.星5研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)は、エズラがメモしたものを一通り読んでから言った。
「映像越しでもダメか。鏡も危険だからやめた方が良さそうだな」
「ええ」
エズラは頷き、自分の足元で石と化したバレットを見る。このまま戻らなくなったら、と最悪な想像が頭をよぎる。が、今一番不安なのは、この住宅地に住む住人たちであり、周囲の隊員たちだ。此処は自分たち専門家がどうにかするしかない。
「家の中の構造はシンプルって話だったな」
「はい。普通の一軒家で、特に異空間ってわけでもなさそうでしたね」
「ふーん」
コナーはボイスレコーダーを何度も再生していた。バレットの映像実況の声の他に、映像内の音声が聞こえてくる。バレットが家を歩く音と呼吸音だけである。
「わかんねえな。これだと」
「実際の映像を確認しましょうか」
「お前も凍るぞ」
石化することである。コナーに言われて、エズラは肩を竦めた。
「まあ、音は確認してみるか。ボイスレコーダーじゃ限度がある」
コナーがそう言って、バレットの前にしゃがみ込んだ。彼は未だ自分の手を見つめたままだ。瞬きひとつしないので、エズラは蝋人形を見ているようだと思った。
コナーは白衣に手を突っ込み、中のカメラの存在を確認した。B.F.で主に使うカメラなので、何処にどのボタンがあるのかは把握しているのだ。手探りで、映像再生ボタンと音量ボタンを見つけたらしい。
足音と息遣いが、家の庭を抜けて通りまで響く。
『これはちょっと、まずいやつか?』
バレットの声だ。おそらく腐敗臭に対するコメントだ。コナーは耳を澄ませて音を拾っている。片手のボイスレコーダーは、録音中のランプがついていた。
やがて、音が終わった。外に出たところで録画を止めたようだ。
「静かだったな」
「はい」
コナーが白衣から手を引き抜き、ボイスレコーダーを止める。
「でも、何か音がした。何の音かは分からないけど」
「はい......」
実は、エズラも聞こえていた。僅かにカメラが拾った音だった。遠くの方で、何か小さな音がするのだ。コナーは今録音したボイスレコーダーを再生した。耳を近づけて聞いてみると、その不思議な音は入っている。何処かで聞いたことがある音だな、とエズラは思った。
「これって、コインが回ってる音じゃないか?」
「コイン......ですか」
言われてみれば、そう聞こえなくもない。コインを指で弾いた時、縦になってグルグル回るあの現象の音がする。
「なるほど。テーブルの上に全員の視線が集まってるとなると、ありえない話じゃないですね」
エズラが頷く横で、コナーは自分の財布からコインを取りだした。それを玄関前のポーチの上に立て、指で弾いた。コインはコナーの手を離れると、ある一定の距離まで行き、そこでクルクルと回り始める。その音は、確かに録音していた音と同じだった。
「コインが止まらない超常現象。もしくは、そのコイン自体、見ちゃいけないやつだろうな」
コナーはそう言って、回っていたコインを手に取る。
「前者だった場合は、コインを止めるのが目的になりますね」
「だな。触れるのもアウトなら、さらに厄介だぞ」
コナーは考え込んでいる。対象を見られないとなると、手は出しづらい。エズラは再度、石になった相棒を見た。触れてみると、まだ肌は温かい。生きている感触があるのだ。
「背中で近づいていくしかないな。コインを止めるって方法で行ってみるか」
「分かりました」
コナーは周りの隊員たちに頼み、バレットをさらに大きな囲いで囲んで完全に外界から姿が見えないようさせた。そして、何かあればすぐ次の研究員を呼べるように手配した。
家の中に入るのはコナーとエズラだ。二人は背中を家の中に向け、後ろ向きに家に入る。リビングに近づくと、確かにあの音がする。人の壁によって音が上手く部屋から出てこないが、それは確かに聞こえた。
「回ってるな」
コナーがカメラを手にしていた。今映っているのはエズラの背中だけである。やがて、背中に隊員の肘が当たった。部屋の入口まで来たのだ。
「入るぞ」
「はい」
二人は背中向きでリビングに入った。生き物の死臭がする。部屋の中央に行くにつれて、それは強くなった。
部屋に入るにつれて、すれ違う人々が居る。皆視線を一点に向けている。目が充血し、乾燥している。生きているのだ。彼らは確実に生きている。エズラは自分の相棒がいずれこうなることを知ってゾッとした。
コナーは一足先に例のテーブルに近づいていた。コインが回る音が、もう既に背中に迫っている。
「エズラ、カメラ持ってくれ」
コナーが後輩の背中にそう声をかける。手袋をはめ、直接コインに触らないようにしようと思ったのだ。
しかし、後輩から反応は無かった。
「......おい、まじか」
後輩の背中を押す。彼はピクリとも動かなかった。
「人間の目か。確かにな、鏡みたいなもんだ」
間接的に見る方法は全てダメなのだ。コナーはカメラを抱えて、一呼吸置く。そして、勢いよく後ろに倒れた。テーブルの上にバタンと彼の体が乗り、蝿が舞った。コインが背中で押さえつけられた感覚があった。人々の目が自分を見ている。一番手前の子供は、悲しいほどゲッソリとしていた。
やがて、部屋の中でものが動く気配があった。順々に、皆の石化が取れたのだ。外で歓声が上がった。バレットの拘束も溶けたらしい。エズラの背中が動いた。ハッとして、恐る恐る振り返ってくる。
コナーは自分の背中に手を回して、固く平たいものに触れる。手で覆いを作って、エズラに全員を外に出すように言った。エズラがすぐに動いて、やがて部屋の中にはコナーと、亡くなった人間と、コインだけが残る。
亡くなった者の死因は、大抵が餓死と見て取れた。
「ご対面だ」
コナーがそっと手の蓋を外す。何の変哲もないコインだった。体も不自由なく動く。ホッとした時、外で発狂に近い叫び声が上がった。
*****
その後、この超常現象はB.F.の中でも最も危険なものとして、厳重に保管されることになった。コインが回り出した原因はよく分からない。子供が遊び半分で指で弾いて、それを家族が見ていたのだろう、という仮説になった。
もしそうならば、コイン自体はそれほど恐ろしいものでもない。回さなければ良いのである。ただし問題は、バレットが撮影した映像であった。
コナーがコインを止めた後、カメラを覆っていた白衣が風で捲れ、作業員の一人が映像の中で回っていたコインを見てしまったのだそうだ。彼の石化は始まった。
この超常現象の怖いところが明らかになった。それは、複製されたものでは対処のしようがないという点である。
映像の中の世界のコインは回り続けている。誰も止めることはできないコインである。それを見れば最後、死ぬまで石化は続くのだ。
バレットが映像のコインから石化を始めても無事に直ったのは、同じ時間軸のコインに影響を受けたからだろう、とエズラは仮説を立てた。コナーがコインを止めた後、複製物を除けば回っているコインは存在しないことになる。本物が止まれば、複製物に影響を受けたバレットの石化も直る。
しかし、本物が止まってしまったら_____複製物は次なる「本物」となり、触れることは愚か、誰も止められないものとなるのである。
後にその映像は、カメラごとB.F.の有害超常現象保管庫へとしまわれたのだそうだ。当然、例の作業員は、今は冷たい土の下である。