独り暮らし
「ゴミ屋敷だっ......!!」
「失礼っすね」
驚くジェイスをコナーは軽く睨んだ。ラシュレイはジェイスの後ろから部屋を覗いていたが、抱いている感想は失礼ながらジェイスと全く同じであった。
扉が開くと、薄暗い廊下が迎えた。奥は部屋になっているようだが、随分散らかっている。ざっと見た感じでは、ソファーの上に服やビニール、床には丸まった紙や飲んだまま投げ捨てられた缶ジュースが落ちていた。
ラシュレイは彼が此処で本当に生活しているのか疑問だった。人が住んでいる気配は、あるようでない。もう少しでゴミ屋敷である。
「本当に生活してるんだよな、此処で?」
「してますよ。一応」
散らかっているという自覚はあるようだ。
完全に家に入ると、廊下を右に曲がった場所に脱衣所らしきところがあった。洗濯物カゴには衣類が溢れている。数日前にコナーが着ていた服も、そのまま入っていた。洗濯物は溜まったら洗う主義らしい。どのラインまで行けば、彼の中で溜まっているという判定になるのかは分からないが。
「洗い物適当に出しておいてください。今、替え持ってくるんで。サイズ合うか知らないっすけど」
「ありがと」
奥の部屋にコナーが消えていき、ラシュレイとジェイスは脱衣所に入った。電気を付けると、その酷い有様がより明確になった。
トイレットペーパーの芯が床に散らばり、いくつものゴミ袋が端にまとめられている。小バエが集っているが、中身は生ものなのだろうか。問題はそれだけではない。洗面台にはカップ麺らしきものの残り汁が捨てられた痕があり、そのカスが排水溝を詰まらせているようだった。
「こりゃ......想像より酷いよ。コナーってもっと......なんだろ、しっかり者とまではいかないけどさ、ある程度自立している奴だと思ってたんだけどな」
ジェイスが耳元で言う。ラシュレイも同意である。
コナーは長い間オフィスも一人で持っていた。旧B.F.時代は今ほど関わりがなかったので、彼のオフィスに邪魔する機会は少なかったが、その数少ない記憶からすると、彼はそこまで部屋を散らかすタイプではなかった。今もオフィスは綺麗とまではいかないが、それなりに整理はされている。
彼はただ眠る場所と食べるものを求める家に帰っているだけなのかもしれない。たったそれだけならば、B.F.でも生活できるはずだ。泊まり込みで働く研究員はほとんど居ないが、許可さえあれば前のB.F.と同じような生活ができるはずである。
「これくらいしか無いっすね」
いつの間にか脱衣所の扉の傍にコナーが立っている。ラシュレイとジェイスにそれぞれ服を一式投げ、彼は着ていた白衣をカゴに放った。
「コナー、本当に此処で暮らしてるんだよね?」
「一人暮らしなんてこんなもんっすよ」
「いやいや、お前、やばいよ!!」
ジェイスがゴミ袋と洗面台を指さして訴えるが、コナーは煩わしそうにして聞く耳を持たない。文句ばっかり言うなら帰れ、と言われたので、ジェイスは渋々シャワー室に入った。
「取り敢えず座るとこ用意したから」
コナーに手招かれて、ラシュレイは脱衣所を後にした。
連れて来られたのは、玄関から見えていた奥の部屋だ。リビングとキッチンが一緒になっていて、一人暮らしを想像させる部屋の造りだ。寝室は無いようで、大抵ソファーか、酷い時はテーブルに突っ伏して朝を迎えるらしい。
リビングに用意されていたのは、ローテーブルに対して明らかに高さが合っていない椅子。ホコリを被っていたのを何かで拭った痕がある。ラシュレイはそこで着替えた。主な象の被害者はジェイスだったので、ラシュレイはそこまで酷く汚れていない。タオルで拭けば、もうほとんど乾いてしまった。
着替えを終えて椅子に座ると、コナーが言った。
「コーヒー淹れるな」
「ありがとうございます」
彼は背後のキッチンで湯を沸かしている。やかんの音とカップの音を聞きながら、ラシュレイは改めて部屋を見回した。
部屋にはソファーとローテーブル、ラシュレイが今腰かけている椅子の他に、ハンガーラックと本棚があった。目を懲らすと、本棚には本がぎっしり詰まっているのが分かる。棚の上には紙の束が重なっており、過去に雪崩が起きたのか、床には紙が散らばっていた。
ローテーブルの上は綺麗だった。たった今片付けたようではあるが。テーブルの上にはペンが一本も刺さっていないペン立てがあり、その中身というのは、本棚の書類に埋もれていた。
続いて、ラシュレイは長さが全く合っていないカーテンに目をやる。カーテンに隠れるようにして、小さな鉢植えが見えた。よく見ると、その横にブリキのジョウロが置いてある。育てているのだろうか。この部屋で唯一生気を感じる色をしていた。
「あれな、前の住人が忘れてったもんだよ」
コナーがいつの間にか横に居た。コーヒーがテーブルに置かれる。さっきまでの音は何だったのか、置かれたコーヒーは、紙コップに入っていた。
「前の住人、ですか」
「うん。このテーブルも、あとそこのラックも、全部置いてったんだと。まあ、ありがたく使わせてもらってるよ。前の人の方がちゃんとした使い方してただろうけどな」
コナーが苦笑したところで、脱衣所から叫び声がした。ジェイスである。
「コナー、コナー!! 水漏れてるっ!! この洗濯機、超常現象なの!?」
あっ、と思い出したようにコナーはラシュレイから離れた。
「洗濯機壊れてるんだったわ」
彼がそう言ってリビングから出て行き、ラシュレイは一人残された。椅子から立ち上がって、カーテン裏の鉢植えに近づいてみる。今さっき水やりされたのか、葉は雫をまとっていた。
こんな生活をしていても、植物を育てる気にはなるらしい。何だか不思議である。
ラシュレイは続いて、紙が散乱する本棚付近にやって来た。紙を一枚拾ってみると、それは何かの論文のように思えた。文字がびっしりで、一見何のことを言っているのか分からない。が、よく見てみると、ある単語が目に付いた。
「空白の一日」。
それは、B.F.が創設される理由にもなった超常現象だった。全ての人類の記憶から消された、一日のことである。ブライスやナッシュ、ドワイトたちがこの超常現象を長年追っていて、未だに解明されていない、最初にして最も問題の超常現象である。
ラシュレイは紙類を漁ってみた。どの紙も論文である。長く、難しい専門的な単語が並ぶ。たまに図が載っているものもあるが、全く意味の分からない図である。
あるメモ書きを見つけた。それは、コナーの字であった。論文の内容を整理するために使ったもののようである。日付が書いてあり、一番新しいもので昨日だった。
「おい、こら」
驚いて顔を上げると、コナーが上から見下ろしていた。
「常識のあるやつだと思ってたんだけどな。人の部屋勝手に漁るなんて」
「すみません」
ラシュレイは手に持っていたものを全て戻して、椅子に戻った。脱衣所の方はどうなっただろうと思ったが、ジェイスの鼻歌が聞こえてくるので大丈夫そうである。
「洗濯機、やっぱ壊れてたから。コインランドリー行ってくる」
「俺も行きます」
「じゃあ、そこのラックの毛布、本棚に被せといて」
ラシュレイは振り返った。確かに、ラックに薄い毛布がかかっている。かかり方からして、普段から使っているものらしい。ラシュレイはそれを掴んで本棚にかけた。普通ならおかしい行為だが、この部屋では特別変にも思えない出来栄えになった。
「ジェイスさん、俺らコインランドリー行ってきます」
「えっ!! 俺こんなお化け屋敷に一人で居たくないんだけど!!」
「じゃあ飯でも買ってきてください。近くにスーパーあるんで」
「わかった!!」
「良いのかよそれで」
コナーは小さく呟いて、外に出た。ラシュレイも続く。いつの間にか小雨になっていた。