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Black File  作者: 葱鮪命
168/193

File078 〜遊び足りない象さん〜

「だから、無理です」


 苛立った男の声がする。拳で軽くテーブルを打つ音が続いた。


「そういうのは其方の仕事です。我々はあくまで、性質を調べるだけですから」


 苛立ちを抑えられない男の声は、あるテーブル席から発せられているものだった。皆、チラリと其方を見やって、やりづらそうな顔をしていた。


「ですが、ああいうものを我々で回収するのも......たかが遊具ですよ。此処にはそれぐらいのスペースもありそうですし......」


 もうひとつ男の声がする。苛立つ声にすっかり萎縮しているが、意見はさっきから変わらないようだ。


「無理です。この前の調査の結果、有害ではないと判断しました。過去に似た事象を取り扱いましたけど、その時はきちんと業者側が対処しました」

「で、ですが......もし実は凶暴なやつだったとすれば、どうするおつもりで......?」

「凶暴っすか」


 はっ、と男は笑った。


「車のトランクいっぱいにバスタオルでも積んでいりゃ良いんじゃないっすか?」


 この相手が可哀想になるまでに威圧的で腹立たしい物言いをする男の正体は、B.F.星5研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)である。


 新しい方針として、外との連携を取りながら超常現象の調査をしていくことになったB.F.は、外からの依頼を受けることも珍しくない。

 電話で依頼を受けることもあれば、依頼人がB.F.にやって来て直接相談することもある。エントランスには、そのための丸テーブルと椅子のセットがいくつも置いてあり、どの席にも白衣の研究員と一般人が相対する形で座っている。


 何処も柔らかな雰囲気である。研究員たちは新しいB.F.の方針を呑んで、一般人とスムーズな交渉を行うことを心がけているのだ。


 この橙髪の研究員を除いては。


「有害って言っても水吹き出すだけでしょうが。そんなことを有害と言ってちゃ、あれですか。水鉄砲も怖いんですか、お宅は」


「コナーさん」


 コナーが次なる嫌味を考えていると、後ろから声をかけられた。振り返るとラシュレイである。


「何」

「ビクターさんがお呼びです。俺が対応しておくので」

「わかった」


 コナーは眉を顰めて席を立った。代わりにラシュレイがその席につくと、向かい合う男の顔も、そして周りに座る研究員とその相手の顔も、何処かホッとしたものに変わった。


「星5研究員のラシュレイ・フェバリットと申します」

「ああ、良かった。もうあの怖いお兄さんではないんですね」

「ええ」


 実はビクターが呼んでいたというのは半分嘘である。今の一連の会話を気の毒に思った研究員の誰かが、ビクターに言ったそうだ。ラシュレイにヘルプが出て、スカイラを振り切ってやって来たのである。


「それで......依頼の内容を確認させて頂きますね」


 ラシュレイはコナーがテーブルに放置したままの資料に簡単に目を通す。なるほど、ある小さな公園の遊具が老朽化が原因で撤去されることになったらしい。目の前の彼は、その撤去専門の業者なのだそうだ。


 問題になっている遊具は、象の滑り台。あの鼻の部分が滑れるようになっている、ありがちな遊具である。


 この遊具の不可思議な部分は、撤去しようと手をかけると、鼻の部分から謎の液体が噴出されることだという。無味無臭であることから、水という判定が下されているようだが、真相は分からない。


 水を吹き出すだけならば、確かに有害の度合いは低いだろう。


「なるほど、遊具から水が出ると。聞きますが、もともとそういうものであったという可能性は否定できますか?」

「ええ。撤去もそうですが、設置したのも我々の会社なんです。さっきの方は、それなら尚更、あなた方で片付けるべき事案だと言って鼻で笑っておりましたが......」


 男はそう言ってため息をついた。

 ラシュレイは、取り敢えずコナーの態度について全て謝った。


 コナーはB.F.の中でも一、二を争う交渉下手なのだ。何かと相手の機嫌を損ねることを言ってしまうので、よく相手と口論になることもある。だが、結局は仕事をきちんと行うので、そういう口論は彼の中でも仕事の一部なのだろう。

 案外、怒っている時の、冷静さを失っている人間の方が本当のことを言いやすいのだ。それがプロの仕事だとしても、彼の交渉術は素人から見たって少々乱暴なのだが。


「それで、此方で対処するかしないかという問題ですが、超常現象というのは、例え無害でも我々の方で一旦保護することになっています。もしその上で害がなければ、あとはあなた方に引き渡して完全に解体していただくことになります」


 ラシュレイの説明を聞いても、男の顔はまだ晴れなかった。


「あのう......もし、無害と分かっても、我々の手に触れて暴れ出すとなれば......」


 ラシュレイは、この男が超常現象に対して極度に怖がっていることに気がついた。確かに一般人からすれば有害も無害も無いのである。これは、全て一から十まで自分たちで解決する他なさそうだ。


「そこまで不安でしたら、我々の方で解体させていただきます。解体方法さえ教えてくだされば、我々も対処できるかと思いますので」


 そう言うと、男の顔にようやく笑みが浮かんだ。


「ああ、貴方が来てくれて良かった。そのやり方でお願い致します」


 *****


「やらせときゃ良かったのに」


 ハンドルを握るコナーは不満げである。運転にもそれが現れている。

 ラシュレイは助手席で資料を捲っていた。依頼人から渡された、遊具解体のマニュアルだ。専門用語は全て、ラシュレイたちが読みやすいように書き換えてあり、彼らもなるべく積極的にこの仕事に関わろうとしてくれている意志は伝わってきた。


「コナー、ああいう対応の仕方はまずいよ。俺らも外に出る身になったんだからさ、もう好き勝手できる身内は居ないんだよ」


 そんな説教を後ろから飛ばすのは、B.F.特殊級研究員のジェイス・クレイトン(Jace Clayton)。コナーは鏡越しにジェイスを睨んだ。


「そもそもジェイスさん呼んでないんで。怒られる意味わかんないっす」


「いやあ、何か面白そうな超常現象だと思って。それに、解体作業は人が必要でしょ? 俺の前の職場は重い物を扱うところだったからね! こういう時はお兄さんをどんと頼りなさい!! どんと!!」


「乗せる人間違えたな、ラシュレイ」


「ひっどー!」


 車内は賑やかだ。ジェイスは面白いと思えば、どんな調査や実験にも顔を出す。研究員の血が騒ぐのだろうか。彼のような研究員気質の人間が職場に居ることはありがたい。


 ラシュレイは解体推奨人数の欄に目を落とす。例の滑り台を解体するには、最低でも成人男性が三人必要だという情報が載っていた。


 *****


「此処かあ」


 公園には着いたが、駐車場が無かったために、コナーは少し遠い有料パーキングまで車を停めに行った。先に車を降ろされたラシュレイとジェイスは、公園に入る。

 今の子供が喜ぶような遊具はほとんど無い。滑り台は最も奥に鎮座していたが、老朽化と言われれば遠目からでも納得出来た。しかし、ほかの遊具も同様になかなか酷いものである。


「こりゃ、象どころかこの公園丸ごと無くなっちゃうかもな」


 と、ジェイスも横で呟く。二人は取り敢えずコナーが来る前に滑り台に近づくことにした。聞いていたものと同じものであるか確認し、終わったら写真を撮る。それが終わる頃にはコナーが公園にやって来た。


「ったく、無駄に高いパーキングに停めたわ。ビクターに請求しとかないと」


 そんな悪態を聞きながら、ラシュレイはカメラをしまう。


「前準備は終わりました。あとは解体だけです」

「おう。って、それが問題なんだってな。水吹き出すんだろ」


 コナーは象に触れた。すると、


「ほぎゃああ!!」


 鼻の先に居たジェイスが叫び声をあげる。彼の体の前面がびっしょりと濡れていた。しかし、それは水ではない。


「あっま!!! これ、サイダー!!?」

「はあ? 聞いてた話と違うんだけど」


 コナーに言われて、ラシュレイはすぐ資料を開いた。何処を見ても「サイダー」の文字は見えない。


「味も分かんねえのか、あの業者」

「まあまあ、コナー!! こっち来てみなよ!! 美味しいよ!!」

「飲んでんじゃねえっすよ」

「ジェイスさん、そんなに浴びて良いんですか」

「大丈夫!! 水着着てきた!」


 飛び入り参加の割には誰よりも準備万端のようである。


 ラシュレイはコナーと目を合わせた。取り敢えず、早いこと解体しなければ全身砂糖まみれになるに違いない。


 ラシュレイたちはマニュアルを見ながら象の解体作業を始めた。


 *****


「ぐわあああ!!! 何か赤いの飛び出してきた!! 何これ、ケチャップ!? ちが、辛っ!! ハバネロソースだっ!! んぎゃああ!! 目があああ!!!」


 象は、なかなか地面から抜けなかった。辺りは色々な香りが漂っている。手で触れる度に吐き出す液体が変わるのだ。


 サイダーに始まり、ごま油、ワイン......そして、今はハバネロソース。


 まるで料理をされる身になったような気分である。


 ハバネロソースを全身に浴びて悶絶しているジェイスの隣で、ラシュレイは象の足元をスコップで掘り進めていた。下の土台が地面にしっかり固定されているので、それを掘り出さない限りはどうしようもないのだ。しかし、踏み固められた公園の地面である。十センチ掘り進めるのも重労働だ。


「夜になるぞ」


 コナーがスコップを止めて空を見上げる。園内の街灯がつき始めた。作業を始めてから三時間が経過しようとしている。


「これじゃ明日も此処だな。ジェイスさん、遊んでないで仕事してください」

「痛いんだもん、ラシュレイ、水、水ぅう!!」


 ラシュレイはスコップを置いて水道に走った。ペットボトルに水を汲んでジェイスにあげている間、コナーはスコップを置いて地面に腰を下ろしている。


 やがて、ジェイスが復活すると、三人は効率化をはかるための作戦会議を始めた。


「そもそもどうして液体を吹き出すんだろうね?」

 ジェイスは腫れた唇にペットボトルを当てながら二人の顔を交互に見た。コナーが肩を竦め、ラシュレイは象を見る。


「解体されることを嫌がってると考えられそうですけど......」

「たしかに。解体しようとすると抵抗するんだもんな。でも、こんなに危険なのは此処に置いておけないし......」


 ジェイスはピリピリする目にもペットボトルを当てる。「マジで何しに来たんですか」とコナー。


「やっぱり、B.F.に持っていきますか」


 ラシュレイの提案にジェイスは頷く。


「うん。俺もそれが良いと思うな」


 二人がコナーを見ると、コナーは「ええー」と顔を顰めた。


 結局あの業者のお願いを一から十まで飲み込んでしまった。癪に思っていることは、目の前の二人に十分に伝わったようである。


「まあ、場所は俺が何とか確保するからさ」


 ジェイスはコナーにそう言って、


「完全な解体はしないで、明日B.F.に連れてってあげるからね」


 象の体をトントンと優しく叩いた。それからはどんなに触れても液体を吹き出さなくなった。


 *****


 ラシュレイがビクターに持ち込み許可の電話をするために離れると、ジェイスとコナーはその場に残された。


 暇を持て余していたジェイスは、地面に寝転がりながら、コナーに「しりとりしようよ」と声をかけた。が、一向に返事が無いので諦めた。続いて「じゃんけんしない?」と誘ったが一向に手が出ないので諦めた。


 空は薄雲がかかり、その向こうに星が透けて見える。街の明かりで、見えるのはほんの一部だが、ジェイスはいつかの星空を思い出していた。


「コナーさ」


 手持ち無沙汰で草をむしっていたコナーは、ジェイスをチラリと見た。


「寂しい?」

「は?」

「ほら、だって助手も何もとってないじゃん。一人が好きなら分かるけど、そういうわけでもないでしょ」

「何すか急に。そういう湿っぽい話したい気分じゃないんすけど。体だけで良いっす、びっしょびしょになるの」

「それそれ。ナッシュさんそっくり」


 ジェイスが笑い転げている。コナーは腹が立って、地面に落ちていたハバネロソースを掴んで投げつけた。ぎゃあ! と痛々しい叫び声がした。


「まじで連れてくるんじゃなかった」

「そういうこと言うなよお。俺は一番お前が心配だな」

「勝手に心配してれば良いんじゃないっすか。何も合ってないです。助手はとりたくないからとってないだけっす。今までだってそうだったでしょ」

「うーん......やっぱ寂しいんだよ。その顔はそう言ってんね」

「怒りますよ」

「いいよ、怒ったって」


 コナーは怒りを通り越して呆れていた。このお人好し具合はラシュレイにまで遺伝しなかったらしい。それはホッとすべきことだが、しかし何でまた面倒な問いを投げてくるのだろう。


 ラシュレイにはある程度話をしていた。一年でB.F.を辞めるつもりであること。それまで、あと半年くらいである。「しんどい」と自分が零したこと。上手く隠せているつもりである。


 いや、とコナーはジェイスを見た。


 彼はラシュレイよりも自分を知っているはずだ。何故なら、全て揃っている頃の自分の姿を見ているからだ。


 ミゲルが居て、ナッシュが居て、ドワイトが居る頃の自分を知っているからだ。


 だからこそ、あの時の自分の表情を見ていた彼からすれば、今の自分の顔が過去と圧倒的に違うことを知っているのだ。


「その話、一生しないでください」


 コナーは立ち上がった。ラシュレイが戻ってくるところだった。


「くっそ腹立つんで」


 *****


 後日、改めて回収をするという話になって、その日は解散になった。といっても、


「あーん、寒いなあー! 誰かが家まで連れて行ってくれて、俺らに暖かいシャワーを浴びさせてくれないかなあー!!」


 ジェイスのわざとらしいにも程がある演技によって、ラシュレイとジェイスは、コナーの家でシャワーを浴びさせてもらうことになった。直帰することも考えたが、ラシュレイはB.F.に車を停めているので取りに行く必要がある。全身びしょ濡れでは風邪を引くことは確実だ。それを見込んだジェイスの提案である。


「ラシュレイなら良いけど、ジェイスさんは家帰れる距離でしょうが」

「まあまあ、そう言わず! 頼れる先輩が風邪で寝込むなんてあっちゃならんのだよ、コナー君!!」

「まじで連れてくるんじゃなかった」


 ラシュレイはチラリと公園を見る。地面に横倒しにされた象は、シートがかけられて寂しそうだった。明日はあの象をB.F.に連れて行くため、大きなトラックの準備が必要だろう。

 実験も全て済んで、倉庫に入れられたら、またあの厄介な性質が復活するだろうか。もしそうなったら、倉庫が嫌な液体で水浸しになる。貴重な資料も餌食となるだろう。何とか良い方法を考えねば。


 公園も過ぎてコナーが車を走らせている間、ジェイスは車内の淀んだ空気を入れ替えようと明るい声で話し続けていた。ラシュレイが居ない間に何かあったようだ。コナーは何だかいつも以上に機嫌が悪い。だが、ジェイスは構わず話し続けている。


 ラシュレイは外を眺めながら、今向かっている目的地について考えていた。


 コナーの家_____。


 彼はたしか、とラシュレイは思い出す。あの事件からは一人暮らしをしていたはずだった。


 バレットやエズラのように互いに隣同士で住んでいるわけでもなければ、クレッグ夫婦のように結婚しているわけでもない。自分やキエラのように実家に住んでいるわけでもない。


 彼は唯一、中心メンバーの中で一人だった。


 *****


「此処?」

「はい」


 街も終わりに差し掛かってきた頃、コナーが徐ろにスピードを弛めた。


 それは、小さなアパートだった。ノースロップにこんなにぼろいアパートがあることが驚きだが、ラシュレイもジェイスも、何も言わずに車を降りた。

 駐車場は狭く、コナーの車の他にもう一台停まっている。更に一台空きスペースがあるが、そこには誰かが停めている形跡はなく、潰れた空き缶が転がっているだけである。


「言っとくけど、人を歓迎するための何かは期待しないでください」


 コナーはそう言って、金属で出来た外階段を登っていく。ラシュレイとジェイスはその後ろに続いた。


「俺らお化け屋敷に来ちゃったのかな。此処って本当にノースロップだと思う? ラシュレイ」


 耳元でジェイスに問われて、ラシュレイも「さあ」と肩を竦める。


 錆びていて心もとない階段は、歩くと近所が気になるほどに煩かった。また濡れた靴では非常に滑りやすく、ラシュレイは慎重にコナーについて行った。


 階段の先は廊下になっていた。駐車場の数に合っていない部屋数だが、コナーは「俺ともう一人しか住んでないから」と言って、一番奥の部屋に向かう。


「死体でも出てきたら一目散に逃げるぞ、ラシュレイ」

「はあ」

「万が一女の子が居た場合は即退散だ」

「分かってっと思いますけど、誰もいないっす」


 コナーが先の部屋の前まで行き、「さっさとしてください」と二人を呼ぶ。


 ラシュレイはジェイスの後ろをついて行く。部屋の扉もまた錆びていた。郵便受けには紙の束が乱暴に詰め込まれている。届いた手紙を引き抜くことすらしていないようだった。


 コナーは鍵を開け、ドアノブ捻った。


「どんな部屋だろうね」


 ジェイスはさっきから悪戯っぽい笑みを浮かべている。ラシュレイも密かに気になっていた。彼が普段どんな生活をしているのか。彼の私生活はB.F.でもトップレベルに謎が多いのである。


 扉がぎい、と音を立てて開いた。


「おお......」


 暗闇がゆっくりと外の光に押し退けられていく。


「おおっ......!!」


 完全に扉が開いて、中の景色が見えた。


「こ、これはーっ!!」

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