植物博士と三人組
「でな、その幼稚園がやばいんだって」
此処はノースロップにある学校だ。放課のチャイムが鳴れば、子供たちは教室から飛び出して行ったり、残って話をしたり、賑やかで自由な時間が訪れる。
主に15~17歳の子供が集まるクラスで、少年たちが三人、顔を寄せあって話をしていた。それはまるで周りに聞かれることを憚るようで、声を最低限のボリュームに留めている。
クラスには生徒が数人残っているが、彼らがまとう空気は何処か怪しげだった。まるで悪巧みを考える子供のようだ。
「何でも、預けた園児が帰ってこないそうだ」
「親御さんはカンカンだろうな」
「ああ、もう凄いって。隣のクラスのやつの弟も居なくなって、大騒ぎになってんの。最悪、学校辞めてまで園と戦うって」
「ほえー」
「こんな話もあるぜ、園長が夜な夜な園児の着ていた服をだな_____」
そこで話は途切れた。教室に見回りの教師がやって来たのだ。
「お前たち、まだ残っていたのか」
「ボーナム先生」
「教室は早くに閉めるから、すぐに出なさい。最近は物騒だからね」
「先生も知っているんですね? ポッティンジャー幼稚園の噂」
ボーナムと呼ばれた教師は眉を顰めて首を横に振った。なんの事やら、という彼のジェスチャーは、生徒たちには全く反対の答えを表すものとして映った。
「とにかく、あと五分で出なければ閉めるからね」
「はーい」
教師が出て行ったので、三人は再び顔を寄せた。
「見たかよ。園児の行方不明事件の手は俺らの学校生活にまで影響してんだと」
「まあ、子供が拐われてるんだったら、そうだろうなあ。俺らだってまだ子供だろ」
「でも、こんなでかい子供は犯人の好みじゃないだろ。もっと柔らかくて、小さい子供が好きなんだ。食いやすいのか、それとも別の意味かは分からねえけどさ......」
話が一区切り付き、三人は黙った。皆の頭には曖昧な犯人像が浮かんでいた。探偵ごっこでもしているつもりなのだ。
「なあ、あれじゃね」
一人がぽつりと呟く。
「Black Fileだとか言うさ、研究機関が動くんじゃないか。今回のって、そういう類っぽいじゃん」
「幽霊とかってことか?」
「そうそう」
一人が顔を上げると、さっきの教師の声がけが聞いたのだろう。三人の他に、教室に生徒は一人も居なくなっていた。
「ますます面白そうじゃん。オカルトって俺好きなんだよな」
「人が一番怖いっていうんだから、幽霊ってなれば何てことないかもな」
「そんな簡単に考えて大丈夫かあ?」
廊下から誰かが歩いてくる音がした。教師の声掛けによってもうほとんど校内に生徒は居ない。
よって、教師がいよいよ帰れと言いにきたらしい。三人はリュックを背負ってそれらしい様子を見せようとした。
が、教室に入ってきたのは一人の少年だった。緑色の髪を後ろで軽く結び、余った髪を顔の横に垂らしている。手にはこのクラスで育てている花が植えられた鉢植えが、大事そうに抱えられていた。
このクラスの生徒の一人である。少年が「よう、ルネ」と彼に呼びかける。
ルネと呼ばれた少年は、植物に負けない生き生きとした緑色の髪を揺らして此方を振り返った。緑色の瞳は、これまた水をかけられた植物のように生き生きとしている。
「ハドリー」
ルネは名前は呼んでも足は止めず、小さな緑が植えられた鉢植えを、いつも日が当たる窓辺へ置きに行った。位置を微調整し、棚から植物の栄養が入った薬剤を取り出して真剣な顔で吟味を始める。
「植物博士は、また居残りか」
「そのうち舌まで緑になるぞー」
三人は定位置から動かず、緑髪の少年の背中にそう言った。
「お前らはまだ残ってたのか」
そこで、呆れ声が部屋に入ってきた。今度こそさっきの教師である。彼は教室の中をぐるりと見回し、机を囲む三人の少年を軽く睨んだ。
「さあ、帰るんだ。もう外も暗いんだから」
「はいはい、ボーナム先生。でも俺らだけじゃなくて、そこの植物博士にも注意してよ」
ハドリーは、ルネを顎で指して二人の生徒と共に教室を出る。ボーナムは軽いため息をついて、教室に入った。未だ栄養剤を決めかねている少年の肩を、後ろからポンポンと叩いた。
少年は栄養剤のボトルに書かれた説明書きを睨みながら、
「ちょっと待って、ハドリー。今真剣なんだ。このアンプル剤は、前のアンプル剤より強すぎるかなあ。最近この子、栄養が足りないみたいだ」
と、言った。
「逆にあげすぎているのかもしれないよ、ルネ」
ルネは弾かれたように振り返った。そして、ようやく自分の背後に居たのがハドリーでは無いことに気がついたらしい。
「ボーナム先生......」
「君、三日前にもあげていたじゃないか。栄養剤はね、あげすぎると逆に毒なんだ」
ボーナムは窓辺に置かれた鉢を、窓から離した。
「おそらく、この子は寒すぎるんだと思う。窓辺は寒いんだよ、陽の光に当てたいのも分かるけどね」
「そうなんですか......てっきり、陽の光に近い方が良いのかと......」
ルネは眉を顰め、窓から離れた棚に置かれた鉢を見る。
「クラスの植物委員に選ばれたんだってね、ルネ。シュワード先生に聞いたよ」
ボーナムはルネの肩に手を置いた。ルネは肩を竦める。
「植物は好きですが......これだけ責任感のある仕事をさせられるとは思いませんでした」
でも、とルネは植物を見る。
「クラスの人達はこの子に対して何の感情も抱いていませんよ。枯れたって何の感想も抱かないかと」
「そんなことないと思うよ。たしかに、動物と違って動きが少ない植物は、動くものに見慣れすぎた人には退屈かもね。でも、小さな命が芽吹く素晴らしさというのは、こういうものでこそ感じられるものさ」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
ボーナムは微笑んで、「そうだ」と置いたばかりの鉢を抱えた。そして、それをルネに差し出す。
「君こそがそういうものに敏感にならないとね。シュワード先生には話をしておくから、この鉢を一週間、君の家に置いておきなさい」
「ええっ」
ルネは目を丸くしてボーナムを見上げる。
「そんなことして、もし割ったりでもしたら......」
「大丈夫。鉢は割れても植物は無事だろう? そういう時はほかの鉢にでも入れ替えなさい。穴の空いた長靴なんか最高だろうね」
「でも、でも先生。みんなの見えないところで枯らしたら?」
「大丈夫。その時は新しい種を撒けば良い。どうして枯れたのか、君もじっくり考えられるだろう」
「でも......」
ルネはまだ納得しない様子で、腕の中の鉢を見つめる。土からぷっくりとした双葉が出ている。種を撒いたのはルネだった。土を押し上げてきたその小さな命に会うことは、彼が密かに学校に行く楽しみの一つである。
しかし、家に持ち帰って育てるというのは、色々とまずい気がした。まず、みんなが見えないところで何かあったらどうしたら良いのか、という不安だ。
鉢を割ったら、この命を枯らしたら_____。
この教室の中に居ても見向きもされないことは、この数週間でよく理解した。皆、確かに動きのない植物は退屈なのだ。道に咲く花に感動していちいち足を止めているような人間に、ルネはかつて会ったことが無い。
この小さな命が一週間でどのような動きを見せるのか......植物博士と笑われて観察を続けるよりは、もっと軽い気持ちで向き合えるかもしれない。
そう考えたら魅力的な提案ではある。
それでも、やはり全ての責任が自分にのし掛かるのは、少年にとっては重いことであった。
「君は植物の観察だけではなく、他のものも観察しないとならないよ」
「......他のもの?」
そうさ、とボーナムは頷いた。
「この子が居なくなって、教室の空気がどう変わるか。生徒の様子がどう変わるか。大切なものは、無くなって初めて気づくものさ」
「大切なもの......」
ルネは鉢を抱きしめる。体温が伝わって、鉢はほんのり温かかった。
「......やってみます」
「ああ、やってみよう」
*****
鉢を抱えた少年は、最後に学校を出た。校門の警備員に挨拶をすると、怪訝な目で見られた。腕の中の存在が気になるのだろう。
ルネは足早に歩き出そうとしたが、
「植物博士、待ってよ」
横から声がかかった。自販機の裏から三人の少年が出てくる。
「あれ? 持って帰るの?」
ルネの腕の中にある鉢を見て、首を傾げるのは、グレイソン。
「うん、家で一週間預かるんだ」
「さすがは植物博士!」
笑うのはハドリー。彼はルネとは家が近く、幼い頃からよく遊んでいた。今はグレイソン、そしてトビーと一緒に三人で行動することが多くなったが、時々ルネも混ぜてくれる。
「みんなは此処で何してるの?」
ルネはせっかく足を止めたので、彼らに問うことにした。
時々素行が悪いと教師に注意される三人。ルネがその中に入ると教師の目は途端柔らかくなる。
彼らに無理やり仲間に入れられているのだろう、という同情の目。もしくは、ルネという素行の良い生徒と仲が良い三人は、己が思っているよりも良い奴らなのか、という目になるのだ。
教師が思っている以上に、この三人は悪では無い。もちろん、今まで起こしてきた問題はルネが数えるのを諦めるほどではあるのだが......。
しかし、こうして自分を入れて何かをするというのは、友達が少ないルネにとっては嬉しいことだった。
「ルネは知ってるか? この付近の幼稚園で、園児が立て続けに行方不明になってる事件」
グレイソンが聞いてくる。ルネは「園児?」と首を傾げる。最近は植物図鑑を眺めている時間の方が多かった。撮り溜めていたドラマは、他の映画を見たいという母の手によって消されてしまっている。
「そう。あんまりにも大人数居なくなるもんだから、この辺りじゃ外に子供は出さないそうだ」
トビーが続けた。ルネは「へえ」と目を丸くする。
たしかに、今日は見回り教師が居るのが変だと思ったのだ。いつもはクラブもあって、これほど早く学校が閉められることもないのに。
「その幼稚園っていうのは?」
「ポッティンジャー幼稚園。此処からだと......バスで20分くらいかな」
「そうなんだ。結構近いね」
それならば教師たちが警戒するのも頷ける、とルネは思うのだった。
「俺ら、今からそこに行くんだけど、ルネもどう?」
「え?」
ルネは聞き捨てならずに聞き返す。ハドリーはニヤニヤと笑っていた。あの顔の時の彼は、大抵良からぬことを考えている。気に入らない先生に水風船を投げつけるという悪行を企んでいた時もあんな顔だった。
「でも、危険だよ。人が消えてるんでしょ?」
「だから調査するんだろ? こんなに面白そうなことないじゃん。もう少しで卒業だしさ、お前も何か思い出っていうものを作っておいた方が良いと思うんだよね」
ハドリーがルネに近づく。彼の身長は頭二個分高いので、ルネは自然と彼を見あげる形になった。
「でも......」
「卒業までその子と過ごすわけ? そんなつまらないもんじゃなくてさあ、俺らはもっと面白いものを求めてるんだよ」
ハドリーの視線はルネの腕の中に落とされる。そこには、大事に抱えられた鉢植えがある。これはルネが今まさに「面白い」と感じているものなのだが_____やはり、人によっては限りなくつまらないものになってしまうようだ。
「......先生達に怒られないかな」
しかし、ルネの心は惹かれていた。園児が消える幼稚園。そんなものが存在し、この辺りを騒がせているというのなら、どうにかしようという単純な好奇心と正義感が、少年の胸にふつふつと湧き上がってくるのだ。おそらく、目の前の三人も同じ気持ちを持っているに違いない。
「ちょっと悪なのが面白いんだぜ、なあ」
ハドリーが他の二人を振り返った。トビーが「まあな」と笑い、グレイソンは肩を竦めた。
「どうする? ルネ」
「ぼ、僕......」
ルネは彼らの後ろにある時計に目を向けた。そろそろ17時。門限まで30分。しかし、家に帰っても待っているのは植物図鑑と学校の課題だけ。
今日の小さな冒険は、それを天秤にかけるとあまりにも重すぎる。そうして、ルネは心を決めた。
「ちょっとだけ、興味ある」
「よし、仲間が増えたぜ」
ハドリーのがっしりした腕が、華奢なルネの首に巻かれる。
「トビー、幼稚園の最寄りのバス停に行くバス、調べたか?」
「あと五分後に出るって」
「よっしゃ! 行こうぜ!!」
四人の少年は夜の街を走り出した。それは、あまりにも長い夜の始まりであった。




