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Black File  作者: 葱鮪命
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File068 〜スノーマンポリス〜

「うーん......」


 ベッドが微かに軋んだ。冷えた部屋の空気がその音を包み込む。少年はそんな空気から逃げるように、蓑虫のように布団を手繰り寄せて体を丸めた。


 布団に口まで埋めて、カーテンの隙間から差し込む朝日に煩わしそうに眉を潜める。そして、


「!!」


 ガバッと飛び起きた。時計を見ると、朝の七時を示している。彼はぽかんとしたまま時計を見上げていた。しかし、何を思い出したか、ワタワタとベッドから出ようとした。そうして、その動作の途中でピタリと止まった。


「あ......今日は休みか」


 壁にかかっているハンガーには、ネクタイだけがかけられている。白いシャツは昨晩洗濯したので、かかっていないのである。


 それを見て今日が休みだと思い出したその少年は、起こした体を再びベッドに横にしようとして、ハッと窓を振り返った。


 異様に冷えた部屋の空気と、異様に明るい窓の外。


「わああーっ!!」


 少年は窓に張り付いて、歓声を上げた。


 外は何処までも銀世界だった。


 *****


 真っ白なキャンバスに少年は飛び込んだ。朝食をとった後、はしゃいで外に出ていくのを母に止められたが気にせず飛び出した。


 ばふっ、と音がして少年の体は雪に倒れる。凍りつきそうな寒さが一気に顔に押し寄せ、少年は体を仰向けにした。


 両手を広げ、空をまっすぐ見つめる。この大雪を振らせた雲は既にそこには居ないようだ。何も無い青がそこには広がっている。


 彼はじっとその青を目に映す。真っ赤になった鼻のてっぺんと頬には、雪が付着していた。


「......イザベルさん」


 空の何処かに居るかもしれない人の名前を彼は呟いてみた。返事は無い。銀色の冷えた世界は、無音だった。


 キエラ・クレイン(Kiera Crane)は大きく息を吸い込む。肺が凍てつくように冷たい。そして、大きく足を振り上げ、反動を付けて体を起こした。


 キエラの家は住宅地にある一軒家だ。しかし、周りの家の生活音は、外まで溢れて来ない。外の雪に遠慮するように、どの家もその生活音を家の中に留めているらしい。外は澄み切った静けさだ。


 キエラはもう一度雪の上に倒れ込み、ゴロゴロと雪の中を転がった。砂浴びをしている小鳥のように、その体にスノーパウダーを浴びた。


 それから少しして、彼は今日のこの休日をどう過ごすか考えた。


 せっかくの銀世界を楽しまない休日があるだろうか。

 大人と子供の間にある壁を超えてしまった彼だが、まだまだ心は少年なのだ。19歳は、最高の子供だ。


「よーしっ!!」


 キエラは次こそ体を起こし、拳を天に向かって突き上げる。


「雪だるま作るぞー!!」


 静かな通りに、元気な少年の宣言が響き渡った。


 *****


「お母さん、人参とマフラー用意して!」


 キエラは玄関先から母に伝える。既に父が仕事に行った後だったため、彼女は家の掃除に入っていた。リビングで掃除機をかけていたそうだが、キエラのお願いに「雪だるまね?」と笑って、指定されたものを持ってきてくれた。


「お父さん言ってたわよ。まだまだ子供だって」

「こんなに雪が降るの久しぶりだもん! 早く!」


 キエラは手を出して母にせがむ。母は「はいはい」と彼の手に人参を一本、そして毛糸のマフラーを渡した。

 少年はそれを受け取り、早速雪玉を作り始めた。


 太陽はだんだんと高くなっていく。少年はせっせと雪だるまの胴体となる部分を転がした。


 隣家の住人は「キエラ君、雪だるま作ってるの?」と微笑ましそうに問いかけてくる。キエラは「はいっ!」とはきはき答え、ゴロゴロと雪玉を転がし続けた。


 一つ目の雪玉は、キエラの腰より少し低い位置までの大きさになった。キエラは続いて上に乗せる部分を作り出す。


 太陽が上から指すと、雪に覆われているとは言え辺りはポカポカと暖かい。当然少年の体も温まり、彼は途中でコートを脱ぐのだった。


 やがて、最初の雪玉を一回り小さくしたサイズの雪玉が出来上がった。その雪玉を、彼は「よいしょ」と最初の雪玉の上に乗せる。バランスを取って、そっと手を離すと、雪玉が見事縦に二つ並んだ。


「やった!」


 キエラはガッツポーズを決めて、早速その雪玉に飾り付けを始める。


 まずは二つの雪玉の境にマフラーを巻いた。赤い毛糸のマフラーは、真っ白な雪玉に鮮やかな色を加える。


 そして、キエラは庭に振り積もった雪を掻いて、細い枝を二本と、小石を大量に持ってきた。

 枝を下の雪玉の側面に一本ずつ刺す。手の完成である。

 続いて小石を上の雪玉の側面に均等に配置した。にっこり笑った目と口が出来上がる。


 続いて、彼は母に貰った人参を、上の雪玉に刺した。雪だるまの鼻の部分である。


 最後に、彼は物置小屋に走った。数分後、バケツを抱えて戻ってくる。青いバケツを、彼はひっくり返して雪玉に被せた。


 遠目からそれらを眺め、彼は満足気に頷く。


「完成ー!!」


 彼が頭に思い描いている通りの雪だるまが完成したようだ。右から見たり、左から見たりして、彼は何度も頷く。


「えへへ、可愛くできた」


 キエラは写真を撮ってラシュレイに送ってあげよう、と家に戻った。携帯は自分の部屋に置いてあるのだ。


「キエラ、お昼ご飯できたよ」


 階段を上がろうとしているキエラに、キッチンから出てきた母親が声をかける。


「はーい」


 部屋に戻るのは後でも良いだろう。今はこの空腹をどうにかするのが先だ。


 キエラは階段にかけていた片足を下ろして、ダイニングへ向かった。


 *****


 昼飯をとり、キエラは携帯を持って庭に戻ってきた。銀世界は高く昇った太陽にキラキラと輝き、庭中にキエラが雪玉を転がした痕が残っていた。


 キエラは雪だるまに駆け寄り、携帯で撮影を行う。この写真を送ることで、返ってくる返事は目に見えているのだが、キエラはプロのカメラマンになったような気持ちで雪だるまを撮影するのだった。


 やがて、満足のいく一枚が撮れたキエラは、ラシュレイにその写真を送った。すぐに返事は来た。


「でかい......」


 その短い文を読み上げ、キエラはニンマリ笑う。午前の時間を全て溶かした甲斐があったのだ。


「キエラー」


 遠くから母親が呼んでいる。


「買い物に行ってくるけど、一緒に行く?」

「行く!」


 キエラは小走りで家に戻った。


 *****


 五分後、クレイン家の庭を赤い車が出て行く。キエラは窓から雪だるまに手を振り、やがてスーパーマーケットの方向へ消えて行った。


 さて、クレイン家に限らず、ほかの家々の前にもキエラと同じことを考える子供の仕業か、雪だるまが何体も鎮座している。その中でもキエラの雪だるまが最も大きく、飾りも立派だった。


 皆午前に集中して遊んだのだろう、雪に体力を取られ、今は家の中でゆっくり休んでいるようだ。または、キエラのように外へ出かけたか。


 住宅街はしんと静まり返っていた。


 そんな昼下がりの住宅街を、誰かが歩いている。


 ギュ、ギュ、と靴裏で粉雪を踏みしめ、その音は時折止まった。


 それは、必ず庭先の雪だるまの前で止まるのだった。雪だるまの前で、足音はなかなか動かなかった。じっと何かを考えるように雪だるまを見つめているようだ。


 すると、


「むっ!! 腕が無いだと!?」


 突然、ひとつの雪だるまの頭が片手で握り潰された。その家の雪だるまは、塀の上に作られた、両手に乗るほど小さな雪だるまだった。


 どうやら、気に入らなかったようだ。


 その雪だるまは、黒い手袋がはめられた手によって原型もないほどに握りつぶされてしまった。


 足音は続く。


 今度は向かいの家だった。此処の家の雪だるまは、子供が一生懸命作ったのだろう、不格好ながら可愛らしい顔が付いていた。木の枝でできた腕には、砂場用の小さなシャベルがぶら下がっている。


 何とも可愛らしい雪だるまだが_____、


「帽子はどこだっ!!」


 ぐしゃっ。


 その雪だるまもまた、壊されてしまった。今度は手のひらで潰せるサイズではないと悟ったのか、右足で勢いよく蹴り、胴体と頭を雪に返すように踏みつけた。


 その後も、彼は庭先の雪だるまを潰して回った。


 潰す前に「腕が無いじゃないかっ!!」「顔まで付けろ!!」「足など要らぬ!!」と、その雪だるまに足りないものや余分な部分を一人で叫んでから壊すのだ。


 最初に雪だるまを壊された家の子供が出てきた。塀の上でぺしゃんこになった雪だるまを見て、目を丸くしている。当然、次に出てくるのは涙である。


 泣きながら家に帰って行き、少しして親らしき男性が出てくる。また作ろうと子供を宥め、彼らは再び雪だるま作りを始めるのだった。


 犯人の男はまだ庭先の雪だるまを潰して回っていた。自分の行為に楽しさを感じているわけではないようだ。完全体の雪だるまにしか満足しないのだろう。


「マフラーが無い!! やり直しだ!」

「目が片方取れているではないか!」

「鼻が無いだと!? ふざけるなっ!!」


 そうして、何十体もの雪だるまを壊した彼は、クレイン家の前までやってきた。ドンドンと足を踏み鳴らし、今までの完全体では無い雪だるまに心底機嫌が悪いようだ。


 彼はキエラが作った雪だるまの前で足を止めた。


「むっ......」


 これでもか、というくらいに顔を近づける。彼の鼻先を、人参のとんがりが押し返すくらいに。


 彼は続いて、その雪だるまの頭から尻まで、舐めまわすように見た。


「帽子良し、鼻も目も口も良し、腕は二本、マフラーも巻いてある......」


 突然、彼は「ほうっ!」と目を丸くした。


「完璧だぞ!! これこそが雪だるまだ!! 私が求める完全体だ!!」


 素晴らしい、と彼はその雪だるまに一人拍手を与える。


「なるほど、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな。完璧なものを作る子供も居たものだ」


 彼がその雪だるまをうっとりと見つめていると、


「それは壊さないのかよ?」


 後ろから声が掛けられた。それは、小さな子供だった。泣き腫らした目、寒さでなのか、それとも泣いてなのか、真っ赤になった鼻。


 子供は恨みの籠った目を向けている。


「俺のは壊したのに、此処のは壊さねーのかよっ!!」

「完璧な雪だるまは美しい。この辺の雪だるまで、完璧なのはこの家だけだ。他の家は欠陥ばかりだ。あれでは雪だるまじゃない。ただの飾りをつけた雪玉だ」


 得意げに言われ、子供の目に今にも溢れそうなほど涙が浮かぶ。そして、


 ドンッ!


「むっ!?」


 子供は目の前の存在を押しやって、その奥に居る雪だるまを張り倒した。

 胴体と頭が分離し、頭は地面に落ちた衝撃で簡単に割れてしまった。バケツが音を立てて転がり、人参は雪に埋もれて見えなくなった。


 子供はそれでも飽き足らず、バケツを拾い上げると精一杯遠くへ投げつけた。マフラーを踏んで、同時に枝も折ってしまった。


 もはや雪だるまの原型はそこには無かった。


「俺のはカッコイイ雪だるまだったんだぞ!! 母さんと父さんに褒めてもらったんだ!! お兄と一緒に頑張って作った最高傑作だったんだ!!」


 子供は、黒いコートにしがみついて泣き喚く。


「お前に欠陥なんて言われる筋合いなんて、無いんだぞ!!」


 騒ぎを駆けつけて、大人がやって来た。大人は目を丸くする。黒いコートを羽織って、頭にはシルクハットを被り、手には黒い手袋をはめた、全身黒ずくめの男がそこには立っているのだ。


 崩れた雪だるまを前に呆然と立ち尽くし、裾を掴んで泣き喚く子供などは相手にしなかった。


「私の完璧な雪だるま......」


 彼はうわ言のように呟いた。


「ちょっと、アンタ!!」

「人の家で何してる!」


 周りの大人が彼を掴もうとした。しかし、それは叶わなかった。


 まるで魔法のように、彼は消えてしまったのだ。大人たちは呆然とした。辺りを見回すも、それらしい人影も無い。


 子供はただ泣いており、大人は幽霊でも見たかのように立ち尽くす、奇妙な光景が広がった。


 *****


 キエラは家に帰ってきてショックを受けた。あれほど頑張って作った雪だるまが、買い物に行っているうちに壊されてしまったのだ。


「また作ったらいいわよ」


 母にそう宥められ、キエラはとぼとぼと家に入るのだった。慰められたとしても、あれだけ上手に作るのはもう難しいのだ。キエラの心は晴れなかった。


 夕方、キエラがリビングでテレビを見ていると、チャイム音が聞こえてきた。母は夕食の準備で手が離せないので、キエラが出ることにした。


「はーい」


 扉を開くと、目の前に女性が立っている。ピンク色の派手なコートを着ているので、すぐ分かった。斜め前に住む、リーガン家の人だ。


「すみませんね、ご夕飯中でしたか?」


 彼女は申し訳なさそうな顔をしている。キエラの後ろから、母が作る夕飯の良い香りが漂ってくるからそう思ったのだろう。


 キエラは「まだです!」と元気に答える。すると、彼女はキエラから視線を下げた。キエラも彼女の視線を追って、下の方を見る。

 今まで気づかなかったが、彼女の前に小さな子供が立っていた。四、五歳程の男の子だ。散歩の時によく見かける、リーガン家の次男である。


 男の子は腫れた目をして、唇をきゅっと結んでいた。女性に肩を軽く叩かれても尚、その口を開かない。


 何か自分に伝えたいことがあるようだ。


 キエラは彼の前に膝をついた。目線を合わせるが、男の子は目を逸らしてしまった。


「すみませんねえ」


 謝ったのは女性だった。


「この子、キエラ君のお家の雪だるま壊しちゃって......何でも、自分の雪だるまが壊されたのに、キエラ君の雪だるまが壊されていないことに腹が立ったみたいで......キエラ君は悪くないのに、本当にごめんね」


「え!? いや、そんな......」


 キエラは驚いて顔を上げる。


 たしかに、あの雪だるまは意図して壊されたようだったが、それがまさか近所の子供の仕業だったとは。そして、雪だるまを壊しながら回るような輩が居るらしい。


 そういえば、とキエラは思い出す。


 買い物から帰ってくる時、行きには確実にあった他の家の庭先の雪だるまが壊されていたのだ。


「僕は気にしてないから、大丈夫だよ」


 キエラはそう言って子供に微笑む。


「うん......」


 子供は頷いた。


「酷い人も居るもんねえ。キエラ君、犯人を知らない?」

「犯人ですか......」


 キエラは首を傾げる。


 この辺りに住んでいる乱暴な性格の人と言えば......人では無いが、二軒先の大型の犬だろうか。よく飼い主と共に散歩をしているのを見かけるが、やんちゃな性格なのか散歩が大変そうだった。子供に噛み付くという話も聞いたことがある。


「子供が一生懸命作った雪だるまを壊す人なんて、なかなか酷いわよ。うちの子もそうだけど、人の気持ちを考えられるようにならないとね」


 子供は俯いていた。キエラは彼の頭を撫で、その日は親子を返した。


 親子が去っていった後も、彼は扉を開けたまま暗闇に浮かぶ、こんもりとした雪山を見つめる。まだバケツは転がっており、あのこんもりとした山が雪だるまであったことを知らせる形跡が残っていた。


 雪だるまを壊すような、心無い輩が居るとなると、許し難いことである。子供の産物を壊して楽しむなど、なかなか人間ができることではない。


 犯人を見つけて怒るのも勇気が居るが、あの子供の顔を見て何もしないという気は無い。


 キエラは暗闇に沈んでいく雪山を、母親に名前を呼ばれるまでずっと見つめていた。


 *****


 夜中、キエラはふと目が覚めた。外で雪を踏む音を耳に聞き、彼は体を起こして窓の外を見る。雪の明るさもあって、ぼんやりとした闇が広がっている。


 仄かな月明かりが、庭を照らしていた。

 そこに居る誰かも。


「!」


 キエラは目を丸くして、顔を窓に押し付けた。


 誰かが雪玉を転がしている。それは、父でも母でも無かった。


 昼間の事件を思い出す。子供たちが懸命に作った雪だるまを粉々に壊されてしまう、あの事件である。


 その犯人だろうか。


 キエラはそっとベッドを抜け出し、音を立てないように階段を降りた。玄関まで行き、パジャマの上にコートを着て、ゆっくりと外へ続く扉を開く。


 人感のライトがぴかっと視界を照らした。途端、雪玉を転がしていた人物が動きを止めた。此方を見ているようだ。


 キエラは意を決して外に出た。近づくにつれ、それがどのような人物なのかキエラは理解していった。


 膝下まで隠すような黒いコート、今のファッションでは珍しいシルクハット、手には艶のある黒い手袋。


 身長は190cmはあるだろう。キエラはずんずんと彼に近づいた。


「こんな夜に、雪だるまを作っているんですか?」


 相手は黙っていた。シルクハットのつばの向こうから、じっとグレーの目がキエラを見つめる。


「此処、僕のお家なんです。公園は向こうにあります。そこでなら、いくらでも雪だるまを作れますよ」


 キエラは向こうを指さす。しかし、相手はその指先を追うことは無かった。まだキエラを見下ろしている。


 キエラはどうしようか、と思った。


 彼が此処で雪玉を転がしている理由は、もう考えずとも分かる。雪だるまを作っているのだ。

 しかし、なぜクレイン家の庭なのだろう。そして、雪だるまをこんな時間に作る理由はなんだろう。果たして、この人は何者なのか_____。


「君が、あの雪だるまを作った人か」


 突然、低い声が聞こえてキエラは顔の方向を戻した。グレーの目は、今も尚キエラに向けられている。


 あの雪だるま、というのは、キエラが午前中に作ったものだろう。今はこんもりとした雪山になってしまっているが。


 キエラはぎこちなく頷いた。寒さでぶるっと全身が震えた。


「あの雪だるまは完璧だった」


 グレーの目が細められた。


「私が求めていた最上級だ。美しかった。とても素晴らしい出来だった」


 まさか褒められるとは思っておらず、キエラは「えっと......」と言葉に詰まる。


「私は完璧以外は要らないと思っている。あの雪だるまさえあれば、目障りなものは排除すべきだ」


 キエラは言葉が引っかかった。やはり、この人物が犯人らしい。彼がこの通りの家々の雪だるまを壊して回っているのだ。


「どうして、そんなに完璧を求めるんですか?」


 キエラは聞いてみた。雪だるまに完璧などあるだろうか。それらしい形はあっても、法律で決められているわけではない。それぞれが自由に作ることができるのだから、楽しい遊びなのである。


「完全体は、きっと消えない」


 彼が答えた。


「欠陥があるものは、衝撃に弱い。熱にだって。春が来たら、跡形もない」


 キエラはぽかんと彼を見上げる。


「溶けてなくなるものが存在する意味はあるか? 私は、この世に雪だるまを作るとしたら、万年溶けないで残り続けることが最終目標だと考えている。春の陽気に溶けていくあの姿を思い浮かべると、本当に心が張り裂けそうだ。だから、完璧でなければ先に壊して、悲惨な姿を見ない方が良いだろう」


 キエラは彼の考えを頭で整理した。


 つまりこの男は、完璧な雪だるまであれば一年中溶けることなく、存在するのだと思っている。子供たちの雪だるまを壊して回ったのは、いずれ溶けて消えてしまう雪だるまの心情や、それを見た子供たちの悲しみを想像しての行為だったらしい。


 しかし、雪だるまは溶けるものだ。どんなに完璧な雪だるまを作ろうが、春が来れば、それどころか春が来る前にだって、暖かければ溶けてしまう。


 雪とはそういうものである。


 完全体でも、消えてしまう。


 そう伝えたいが、それをありのまま伝えることにキエラは心を痛めた。相手が自分の夢を信じて止まないのなら、まだそれを見せてあげるのもまた優しさかもしれない。


「......僕も、また同じ雪だるまは作れるか分かりませんが......でも、条件を飲んでくだされば、作るのを手伝いますよ」


 キエラが言うと、グレーの目が輝いた。


「本当か? また、あの完璧な雪だるまを作ってくれるんだな」

「でも、条件があるんです」

「何だって聞こう。さあ、言いなさい」


 男は頷いて、キエラを促す。


「完璧でなくても壊さないことです」

「しかし......」


 男はたじろいだ。


 完璧を求めて作るのならば、完成したものが完璧出なかった場合、きっと男は壊すに違いなかった。


「しかし、不格好な雪だるまを壊すのは正義だ。春に溶ける前に子供の前から消すのだ」

「此処には僕とあなたしか居ないんです。子供は居ないんです。出来上がったものは、一応完璧な雪だるまが出来るまで取っておきましょう」

「むう......」


 男は唸り、今作っていた雪玉を見つめる。


「分かったが、完璧な雪だるまが出来たら、欠陥のあるものは壊すんだぞ」

「もちろんです」


 キエラは頷き、じゃあ、と足元の雪をすくった。


「作りましょ、雪だるま!」


 夜中の雪遊び。キエラは心からワクワクしていた。


 *****


「まだ小さい! もっと大きくだ!!」


 男の指示になるべく沿って、キエラは雪玉を転がし続けた。何体か作ったが、まだ納得のいくものは出来ていないらしい。


 キエラは他の雪玉を再び作り始める。


「雪だるまは奥が深いのだ」


 雪玉を固めていると、隣で同じように雪玉を固める男が言う。


「雪の硬さや、玉の大きさによって完成度が微妙に変わるのだ。同じものは二度と作れない。だからこそ、完璧を求めるのだ。君が作ったあれは、最高だった。しかし、あのガキ_____」


 男が言う「ガキ」とは、きっとリーガン家の長男のことだろう。故意に壊されたとは言え、あの子は被害者なのだから、キエラは責めることはできない。


「作った雪だるまを壊されるのは悲しいことですよ」


 キエラは雪玉を転がし始める。庭の雪も、何体も雪だるまを作ることで踏み固められてきたため、固くなってきた。


「僕もそうです。でも、あなたが壊してきた雪だるまの作者もそう思っていますよ」

「欠陥を作っているのだから、あれは正義に基づいた行為だ」

「なら完璧な雪だるまは、作れません」


 キエラはキッパリと言った。男の手が止まる。


「なんだと?」

「雪だるまに必要な材料を、あげてくださいますか?」

「......雪と、人参、目や口にするための豆や小石、枝とバケツ、マフラーだ」

「忘れているものがあります」

「なんだ」


 男は眉を顰める。

 キエラは微笑んだ。


「それは自分で考えて下さらないと」

「何? 今あげたものに不足は無い。お前の雪だるまはそれが全て揃っていたのだぞ」

「一つ足りませんよ」

「分からん」


 男は文句を言いながら雪玉を転がし始める。

 もはや小さなものしか作れなくなってきていた。


「完璧な雪だるまに足りないものだと? なんだそれは......足は要らんぞ。耳もだ。歯だって無いし、まつ毛も要らんのだ」


 彼はブツブツ言いながら遠くまで雪玉を転がして行った。キエラはその様子を見届け、手元の雪玉を手に取った。まだ手に収まるサイズのものである。


 それを、彼は振り被り_____、


 バシュン!!


「痛っ!!!」


 男の背中目掛けて投げつけた。男は瞬時にキエラを振り返る。


「何をする!!」

「雪合戦ですよ! 雪玉をたくさん当てられた方が勝ちです!! まずは一球、僕がリードです!!」


 キエラは笑って、再び雪玉の生成を始める。


「おい、遊んでいる暇は無いんだぞ!! 真剣に作れ!!」

「二球目完成です!! 行っきますよー!!」

「待てやめろ!! やめ......うわあああ!!!」


 二球目は見事、男の顔に当たる。


「ふふ、三球目は何処にしようかなー!」

「くそ......負けてられるか!! 完璧な雪だるまの作者とは言え容赦せんぞ!!」


 男は手に持っていた雪玉をキエラ目掛けて投げつけた。キエラは慌てて頭を下げて雪玉を避ける。


「こっちだって負けてません!! じゃんじゃん行きますよー!!」


 元気な笑い声が、真夜中の庭に響いた。


 *****


「......これで、よし」


 キエラは雪だるまにマフラーを巻いてあげた。最後の雪だるまが完成した。男からは「完璧に最高に近い形」と言われた。


 雪合戦によって、庭中を駆け回ったので、地面の雪は更に踏み固められてしまった。

 よって、最初に比べて小さな雪だるましか生成出来なくなってしまっていた。


 最後に出来上がったのは、最初の半分も身長が無い、小さな雪だるまである。


 マフラーを何重にも巻いて、頭にはキエラが子供の頃に砂場で使っていたバケツを乗せた。枝は、細いのを見つけるのに苦労したが、何とか二本確保した。小石が窮屈そうに顔を形成している。


「悪くない」


 男は頷いた。


「だが、完璧ではない。もっと素晴らしい形のものがある。完璧寄りの欠陥品だ」


「厳しいですね」


 キエラは苦笑し、周りを見回す。雪合戦によって、大抵の雪だるまの体には、取ってつけたような雪がポコポコと付いている。あれは、雪合戦を見守り続けた勲章と言えるだろう。


 東の空が白み始める。朝がそこまで迫っているのだ。


「じゃあ、この子達を壊しましょう」


 キエラが言って、目の前の雪だるまを見下ろした時、


「まあ、待て」


 と、男が肩に手を置いた。


「このまま此処に居させて欲しい」

「でも、この子達は完璧ではないんですよ?」


 キエラが問うと、男は頷いた。そして、二人の前にある小さな雪だるまを撫でる。


「さっき私が挙げた雪だるまの材料に、足りないものが分かった気がする」


 男は微笑んだ。


「気持ちだ」


 キエラは彼を見上げる。

 どうやら、気づいてくれたようだ。


「作っていく過程でどんな気持ちを込めるかが重要なのだな」

「そうだと思います。僕の意見、ですけど」

「それが良いんだ。私も、それが正解だと思う」


 彼は明るくなり始めた辺りを見回す。まだ家々は眠りについているが、時期に目を覚ますだろう。


「子供たちには悪い事をした。不格好でも、作る過程を考えると、壊すのは心に来るものがあるな」


 庭にできた雪だるまは、数えて七体。どれも作る過程に大小様々なドラマがあるのだ。


 彼は、それを壊すことに抵抗を覚えたらしい。


「春が来るのは惜しいが、また冬が来るのが楽しみになったよ。完璧を求めて、また雪だるまを作ろう、少年」

「僕はもっと雪合戦がしたいです」


 キエラが言うと、男は「まだやるか」と呆れ顔を向ける。


「では、雪だるまを作りながら雪合戦をしよう。今度は子供たちも呼ぶと良い」


 彼はそう言って、シルクハットを取った。白髪の混ざった、柔らかい髪が現れる。彼はそれをキエラの頭に被せた。グッと押し込まれ、一瞬視界が遮られる。


 キエラは慌ててつばを掴んでシルクハットを上げたが、既にそこには男は居なかった。


 *****


「俺のマフラーを知らないか」


 クレイン家の朝、キエラの父はキッチンに立つ妻に聞いた。


「あら? 玄関に無いの?」

「それが、あんなにあったマフラーが無いんだ」

「変ね。そう言えば、人参も何本か消えているの。昨日、そんなに料理に使ったかしら」


 二人は眉を顰める。


 父は仕方なくキッチンから出て、リビングに向かう。すると、


「あっ」


 息子がリビングのソファーで丸まって眠っているのが見えた。


「こんなところで一晩明かしたのか?」


 キエラを揺するも、彼は全く起きる気配が無い。腕に大事そうに何かを抱えているので、マフラーかと思って覗くと、立派なシルクハットであった。


「こんなの、いつ買ったんだ......?」


 父はキエラが眠るソファーから顔を上げて、まだ閉まっているカーテンを開けた。


「......はは」


 彼は苦笑いを浮かべる。後ろから妻がやって来た。


「どうしたの?」

「見てくれ。すごい量だぞ」


 妻は夫の後ろから窓の外を見た。そこには、たくさんの雪だるまが並んでいた。他の家の子供たちも庭に出てきた。驚いたことに、その家の庭にも雪だるまが大量に置いてあった。その隣の家も、その隣の家にも......。


「雪だるまの妖精でも来たのかしらね」

「そう信じよう」


 クレイン夫妻は少しの間、一夜にして賑やかになった庭たちを眺めるのだった。

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