小さな箱
金の粉が舞う夜空の下に、警察の声や消防隊のホースの水音が絶え間なく響いている。力なく項垂れる白衣の研究員たちの背中を見つめながら、ジェイスは泣き崩れたベティの背中を撫でていた。
彼女の手には、もはや使い物にならない携帯電話。通話中の文字は既に消え、画面は暗く何も映さない。
指に光る輝きを共に持つ相手は、この作戦を決行した張本人である。
ジェイスは、ただ消火活動が行われる自分のもうひとつの家を見つめることしかできなかった。怪我人が運ばれていくのを、シャーロットが遠くで手伝っている。救急隊の人間が目を丸くして彼女を見ているということは、よっぽど業界では有名人だったのだろう。
ジェイスはベティの背中から手を浮かし、足元に置かれた封筒に目を落とした。それを拾い上げると、そこには見慣れた字で「ジェイス・クレイトン様へ」と書かれている。
ノールズの字だった。
ジェイスはそれを開けるのが怖かった。彼が生きている頃の字を見るのは、今の精神状態に良くないことだった。
しかし、皆ああして手紙を開き、地面の下に居る恩師の気配を感じている。
ジェイスは手紙の封を切った。震える手で中から手紙を取り出し、恐る恐る開いた。そこには、やはりびっしりと文字が並んでいた。
彼の助手に宛てた手紙のように、きっと心を込めて書いたのだ。
『ジェイスさんへ
ジェイスさん、俺、作戦成功しましたかね? ラシュレイ、ちゃんと仮施設の外に居ますかね? 他の子たちも、みんな無事ですか?
無事だったら良いなって思います。一人でも多くの後輩の未来が守れる仕事に貢献ができて、俺は幸せです。
あの日、ジェイスさんが施設から出ていって、俺は本当に悲しかったです。どのくらい悲しかったかというと、目の前にあったドーナツが突然瞬間移動して消えちゃって......いや、そんなんじゃ表現出来ないくらい悲しかったです。
俺は、捨てられたのかもしれないと思いました。ジェイスさんを満足させられなかったのかもしれないと思いました。だから、助手ができたら、いっぱい、本当にいっぱい愛してあげるって決めました。ラシュレイって、凄く辛い家庭環境の中で頑張ってきた子なんです。俺は、恥ずかしいことにそれを超常現象に教えてもらったんですけれど、だからもっと愛そうって思えるようになったんです。
でも、なかなか上手くいかないものです。ラシュレイって子は気難しいし、無口で素直じゃないし、とにかく凄く難しかったんです。だから、本当にジェイスさんは凄かったんです。
俺とラシュレイの家庭環境は、少しだけ似ていました。俺の父親のことは心の底から嫌いで、逃げるように家を出たんです。その先でジェイスさんに会って、同期に会って、素敵な先輩たちに会って、大好きな後輩たちに会って、そして、あなたに会いました。
幸せでした。
戻りたいと思うくらい、幸せな日々でした。
この事件を機に、B.F.がこれから先どうなっていくのか、俺はよく分かりません。それでも、きっと後輩たちが精一杯やってくれます。あの日々を思い出して。
ジェイスさん、俺からは二つだけお願いがあるんです。
まず、俺の助手をお願いします。あんなに無愛想で、気難しくて、本当に大変な子なんですけれど_____可愛くて、どうしようもないヤツです。あの子が、俺とB.Fを繋ぐ役割を果たしてくれました。
俺は、ここだけの話ですよ、ジェイスさんを追ってB.F.を辞めようと思ってました。抜け殻みたいな毎日が本当に辛くて、エレベーターを見る度に辛くて......。
でも、ラシュレイは俺の目の前に現れてくれた。B.F.から俺が出ていかない理由を作ってくれた、かけがえのない存在です。もし彼が困っていたら、俺の代わりにたくさん助けて欲しいんです。いっぱい愛して欲しいんです。よろしくお願いします。
そして、二つ目です。
俺は、いや、これは多分、ブライスさんたちも思っている事だと思います。
俺はこの作戦が決行されるとブライスさんから聞かされた日、同時にジェイスさんが郵便配達の役割をして手紙をみんなに配ると聞きました。だから、ドワイトさんに一つだけお願いをしたんです。
お家に帰ったら分かりますよ。
ブライスさん、ちゃんとジェイスさんの分を残しておいてくれたんですね。
俺の、大好きな場所で_____
ジェイスさんが、どうか、また、白衣を纏える日が来ますように。
ノールズ・ミラー』
ジェイスは走った。炎に背を向け、ただ一目散に走った。家に帰る頃には、足が震えて呼吸もままならなかった。
ポケットに手を突っ込み、鍵を回して玄関の扉を勢いよく開くと、そこには小包が一つ、ぽつんと置いてあった。
彼はそれを開いた。もう視界はほとんど役目を果たさない。
ダンボールから立ち上がる香りは、あの日々の香りだった。
畳まれた白衣と、研究員カード。
少し傷がついたゴーグルと手袋は、その上に。
彼は声を枯らして泣いた。
全てゴミ箱に捨て、全て置いてきたものを、彼らはきちんと、最期まで守ってくれたのだった。




