File065 〜常夏広告〜
「はあ、疲れたー」
ある冬の正午。工事現場の傍らにある小さなプレハブ小屋に、作業服の男たちが戻ってきた。プレハブ小屋に入ると、芯まで冷えきった体がストーブによって温められた部屋の空気に溶かされていく感覚を覚える。
「あったかー」
先に休憩をもらったのは、五人の工事員。その中に黒の長髪を持った男も混じっている。ジェイス・クレイトン(Jace Clayton)だ。
「おっ、今日はハンバーガーだぜ」
プレハブ小屋に入るや否や、部屋の中央に置かれた四角いテーブルが目に入る。その上には有名チェーンの袋が置かれており、食欲をそそる油の香りは部屋に充満していた。
「やったー。最近食ってなかったんだ」
他の工事員らも嬉しそうに袋を囲む。
やがて、彼らは食事を取り終えた。他のプレハブ小屋を見ると、やはり食事をとり終えた工事員たちがぞろぞろと出てくる。まだ現場に出ている人と交代するのだ。ジェイスたちも当然、この場所を空けなければならない。
「よし、午後も頑張るかー」
そんな先輩の声にジェイスは「はい」と返事をし、小屋を後にするのだった。
*****
午後の三時。ジェイスたちが資材を運んでいると、現場監督の男から声がかかった。
「なあ、そこにブレーデンは居るか?」
ジェイスたちは足を止めて周りを見回す。ブレーデンはこの現場から入り始めた新人の工事員だ。まだ20代と若く、ジェイスもよく話をする好青年である。
ジェイスは見渡せる限り足場を見たが、見える範囲ではブレーデンの姿は見えない。他の工事員も彼を探しているようだが、見当たらないようだ。
「居ないっすね」
上の足場からそう答える者が居り、現場監督の男は「そうか」と眉を顰める。
「トイレじゃないですか?」
「いや、にしては長いだろ。俺はもう少し向こう側を探してくるから、誰か手が空いたら休憩小屋の方を見てきてくれるか?」
「はーい」
それぞれが返事をし、止まっていた作業を再開する。
「運び終わったら見に行こうぜ」
ジェイスが資材を運んでいると、隣にやってきたのはロイス・ベイカー(Royce Baker)。彼の鼻は寒さのために赤くなっており、口からは白い息を吐いていた。
「温まりたいしさ」
彼がいたずらっぽく言うので、ジェイスも笑って頷いた。
*****
案外同じ考えの者は居たらしい。結局、五、六人という明らかに多い人数でプレハブ小屋に向かうことになった。
「いやー、にしても今日は冷えるなー」
作業着の上から二の腕を擦りながら、ロイスが言う。ジェイスも「そうですね」と頷いて、プレハブ小屋の扉を開いた。ふわりと温かい空気が外に流れ出てきて、一同が顔を綻ばせる。このためだけに此処に来たのである。
真冬の工事現場は、手足がかじかんでまるで作業が進まない。冬の資材運びは、その資材の材質が運ぶ者の命運を分けると言っても過言では無い。冬の金属は触れるのが億劫になるほどに冷たいのだ。
男たちはわらわらとプレハブ小屋に入っていき、中で十分に温まった。現場監督も少し遠くまで見に行くとのことだったので、気づかれなければ大丈夫だ。
案外こういうところがある仲間に囲まれ、ジェイスは何処か懐かしさも感じるのだった。
さて、肝心なことを忘れてはならない。自分たちが此処に来たのは、何処かへと行方を眩ませてしまった工事員の男を探すためなのだ。
男たちは部屋の中を見回す。特に誰か居る気配は無い。
「居ないみたいだな」
「ブレーデンだろ? 真面目なやつだし、こうしてサボるような俺らとは違うけどな」
「ま、あれだけ寒けりゃサボりたくもなるさ。他のプレハブに居るんだろ」
そう言って男たちは団欒をしながら体を温めていた。
五分ほど経つと、そろそろ出るか、というロイスの声を合図に、他の者は扉に向かう。その時、ジェイスはふと部屋の奥に目を向けた。部屋にはテーブルが置いてあり、テーブルから向こう側はよく見えない。
温まるつもりだけでプレハブに来たが、一応奥も見ておこうという気になったのだ。
そして、彼は「あっ」と声を上げる。サッと血の気が引く感覚を覚え、思わず部屋の奥に走る。
「どうした?」
他の男がジェイスに問う。彼らからはまだ何も見えていないが、ジェイスは既にテーブルの向こうまでやって来ていた。
「救急車を呼んでください!!」
ジェイスは彼らに向かってそう叫んだ。
*****
工事現場は一時騒然となった。
救急車の明かりが遠くなっていき、工事員たちはそれを心配そうに見守った。夕刻も迫り、そのまま解散となったが、ジェイスは運ばれて行った彼が気がかりだった。
プレハブ小屋に倒れていたのは、ブレーデンだった。彼の顔は真っ青で、全身が汗で濡れていた。声をかけてもほとんど反応は無く、彼は痙攣を起こしていた。
悶々としたまま家に帰ると、共に救急車に乗っていった監督から一斉メールが届いた。ブレーデンは一命を取り留めたようで、原因は熱中症とのことだった。
「熱中症......」
シャワーを浴び、髪を乾かしながらジェイスは考える。
今は真冬だ。暖房が強すぎて熱中症になるとは。しかし、それでもおかしな話ではないか。あのブレーデンが、熱中症になるほど長い時間あの小屋に居たというのだろうか。真面目な彼は、食事を済ませればすぐに外に出て作業に戻るだろうに。
「......熱中症、か」
ジェイスは眉を顰め、時計を見る。19時を示す時計は、既に工事現場には誰も居ないことを示していた。
*****
「さむ......」
ジェイスは工事現場へとやって来ていた。壁の無い骨だけの建物は、夜に見ると不気味な影となって空を支配していた。プレハブ小屋はその建物から少し離れた場所に建てられている。工事員が寒さから逃げるための場所となっており、食事も主に此処だ。当然、鍵は閉められていた。
「だよなー......」
ジェイスはどうしようか、と周りを見回す。そして、裏に回った。
プレハブには窓が二箇所ついており、その片方は換気のために少しだけ開けられていることがある。もしかしたら、と思って一方に近づくと、
「あ」
ジェイスはその窓の向こうから吹いてくる温かな風に思わず声を上げる。
ブレーデンの事件によって、相当頭が回らなかったらしい。こんな管理で大丈夫だろうか、とジェイスは半ば呆れながらも、巡ってきた幸運に感謝して窓を全開にした。
そして、違和感に気づく。
温かい。
それは、プレハブの暖房設備が完全にオフにされていないことを示していた。しかし、そんな変な話あるだろうか。
緊急用のランプくらいしか点滅していない工場で、何故誰も居ないプレハブの暖房は消されないのだろうか。
ジェイスは窓の桟を掴み、そのまま体を上に引き上げた。靴を桟に引っかけ、反対側に降りる。やはり温かい。
「暖房......」
照明をつけるのは怪しまれると思い、ジェイスは持ってきた携帯電話の明かりをつけた。すると、更なる違和感に気づく。
暖房の電源ははなからオフにされているのだ。電源は完璧なほどまでに全て切られている。
では、この温かさは何か。
突然、ジェイスは体中から汗が吹き出る感覚を覚えた。
それは温かいという範疇を超えていた。暑い。燃えるような暑さである。冬用に着込んだものを脱がなければ、暑さで倒れてしまいそうなくらいだ_____。
ジェイスはそこでハッとした。
この暑さ_____人が倒れるような、そんな暑さ。
ブレーデンの熱中症と関係があるのではないか。
ジェイスは構わずに部屋の照明をつけた。視界が広くなって、見えなかった闇の部分もよく見えるようになった。部屋をくまなく周り、熱の発生源を探る。
しかし、壁伝いに歩いても、暖房に近づいても熱は感じられない。ジャケットを脱ぎながら、ジェイスは眉を顰めていた。
この部屋全体が熱を持っているかのようである。熱は全体的に発せられているようだ。
彼は続いて視覚を使う。見回してみて、この部屋で何かおかしな点は無いか。暑さを出しそうなもの。
考えていると頭が煮えってくるようである。
ジェイスは着ていたトレーナーも脱いだ。筋肉質な肌には、タンクトップを一枚だけまとっている。汗が額に浮き出て、口が乾き始める。鎖骨の周辺にに浮かぶ汗が、彼のチェーンのネックレスを肌にぺったりと引っ付かせた。
長居は危険だ。
ジェイスは気合いを入れ、再び探索を再開した。
そして彼はそれを見つけた。
「常夏......」
それは、壁に何気なく貼ってあった。常夏の島へフェリーでの旅行を誘うポスターだ。季節に見合わないそのポスターは、部屋によく溶け込んでいた。
ジェイスはその広告をじっと見つめる。額の汗が顎まで流れてきて、床にぽとりと落ちて染みを作った。
「これが......暑さの原因なのか?」
ジェイスはポスターに触れた。ただの紙だ。ゆっくりとテープを剥がし、彼はそれをビリビリと破った。すると、
「!」
部屋の中が突然冷たくなった。ブレーカーが落ちるように、本当に突然。
ジェイスはポスターを見下ろす。
これは_____。
「超常現象だ......」
うわ言のように、彼は一人呟いた。
*****
数日後、ブレーデンは現場に戻ってきた。原因は暖房が強すぎるために起こった熱中症。
プレハブ小屋はそれから、暖房の温度は細かく調整し、換気のために窓はしっかり開けるという対策をすることになった。
ジェイスはあの後、時間を置いてB.F.へ向かった。一般人としてだが、今のB.F.は誰でも入ることができる造りになっているのだ。
ビクターには電話をしており、彼はすぐ超常現象を受け取りに来てくれた。
「ごめん......写真撮ってから破るべきだったよな」
ジェイスは申し訳なく思いながら、ビリビリに破かれたポスターを彼に見せた。
「いえ、修復作業はいくらでもできますから。熱中症になる前に原因が分かって良かったです。ありがとうございます」
ビクターはそう言って、事務的に事を済ませていく。なるほど、これはたしかにB.F.の頂点に君臨するだけあるな、とジェイスは彼の手元を見ながら思うのだった。
そして、周りを見回す。
忙しそうに廊下を行く白衣の研究員たち。忙しそうで、難しい顔をして大変そうだというのに、その顔には楽しそうな表情が浮かんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
ジェイスは彼らから目が離せなかった。
熱中症の原因を探ろうなどと思ったのは、研究員時代の名残なのだろうか。暖房が強すぎたのだ、とだけで済ませられなかったのは、何処かに抗えない知的好奇心を感じたからか。
超常現象に触れて、色々な思い出が蘇ってきてしまった。
あの、答えを探っていく楽しさ。原因を探して皆で頭を傾げる楽しさ。未知のものを発見する楽しさ。
同期も、可愛い後輩ももう居ない。頼れる上司も、今はもう遠い世界の住人だ。
「ジェイスさん」
ビクターに呼ばれ、ジェイスはハッと我に返った。
「あ、ごめん。何だった?」
「此方は預かってもよろしいですか? 他の場所にも出現している可能性があるので」
「ああ、うん。そうだね。普通の人には暖房が原因の熱中症にしか思えないだろうし......」
ジェイスは頷いて、再び彼の手元を見守る。聞きこみ調査もまた、研究員の大事な仕事だ。外部の人間が入ってくることによって、こうして自分で超常現象を持ってくる人も多くなった。彼らの仕事の幅もぐんと増えたのだ。
B.F.は進化している。まだ前に進めないのは、自分だけなのかもしれない。
ジェイスは遠くを見つめながら、今回の研究員としての自分の行動を思い返す。
外部調査という制度は、自分が外に出てから開始したものらしいが、きっとあのような感じで行われるのだろう。
超常現象は外にも居るのだ。
当たり前のことではあるが、施設の中、真っ白な実験室の中だけで彼らの存在を認知していたジェイスにとって、今回のことは新鮮だったのだ。
その新鮮さは、ついに彼の心に芽生えた芽に、青々とした葉をつけ、実を実らせたのだった。