File063 〜はらぺこな鳥かご〜
「さあ、今日の実験対象を確認しよう」
セーフティールームに入ると、目の前の揺れる白衣は足を止めた。振り返る彼の手には、研究員ファイルと、パンくずが入ったビニール袋。口を縛るように彼はそれを持っていた。
「はい」
カーラ・コフィ(Carla Coffey)は頷いた。彼女はガラスの向こう側に目をやる。
此処は二重構造になった特殊な部屋だ。セーフティールームは中に住む超常現象に合わせた部屋の構造をしている。
カーラ、そして彼女の先輩であるドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)は、そんな特殊なセーフティールームに入っていた。
ガラスの向こう側に見えるのは、部屋の壁から対岸の壁に巡らされた細い木の枝。少し高い天井が、時折歪んで見えるのが不思議だ。
「あれが君の初めての実験対象だよ。名前は、【囀るガラス】。体がガラスで出来ている、不思議な小鳥たちなんだ」
カーラはガラスの向こう側を飛んでいるのだろう小鳥たちを見つめる。しかし、目を凝らしてもそれらしいものが見えない。
不安になって彼を見上げると、「大丈夫」と優しい笑みが降ってきた。
「時期に見えるようになるさ。さあ、手を出して」
カーラは首を傾げて、両手を彼に差し出す。
ドワイトは、持っていた袋からパンくずを掴んで、彼女の手のひらに乗せた。
「手のひらを閉じて。そう。じゃあ、行くよ」
ドワイトがガラスの向こう側に続く扉を開く。そして、カーラの背を優しく押して、彼女を先に部屋に入れた。
「真ん中まで行こう」
ドワイトが背中を押すので、彼女は従って歩いた。かちゃん、かちゃん、と、ガラス同士をぶつけたような音が上から降ってくる。カーラは不思議に思って上を見上げる。しかし、何もいない。
「よし、この辺で良いかな」
ドワイトが、カーラの背を押すのを止めた。
「手のひらを開けてみて」
そう促され、カーラは手のひらをそっと開いた。すると、
かちゃん、かちゃん、かちゃん。
上から大量の音が降ってくる。カーラは思わず目を閉じた。何かが頬を掠める。風が起こって、手のひらに冷たく固いものが乗ったと思うと、すぐに離れた。
「目を開けてごらん、カーラ。すごい景色だ」
ドワイトに言われて、カーラは恐る恐る目を開いた。
「わあ......」
彼女の口からため息と共に感動の声が盛れる。
手のひらのパンくずを啄む小鳥を、彼女の目は確かに捉えた。普通の小鳥と違うのは、その体が半透明であり、ガラスで出来ているということ。
そして、その体は薄い青やピンク、黄色や緑に色づいていた。透明なガラスの向こうは景色が歪み、それは彼らの存在を確かに証明していた。
____これが、超常現象。
「パンくずが好きなところは、普通の鳥と変わらない性質なんだ。不思議なのは、好きなものにありつくときに、体が色づくところなんだよ」
ドワイトは床にパンくずをばらまく。小鳥の大群は、体を色付けてパンくずに夢中になっている。
「美しい超常現象だとは思わないかい?」
「......本当ですね」
本当なら、感想をもっと伝えたかった。耳元で鳴る翼の音が、グラスをぶつけたあの清涼感ある音であったり、鳴き声は無いのに、ガラスの音が鳴き声の代わりに思えて面白かったり。
ただ、彼女は声にならない感動を感じていた。超常現象に初めて触れて、このようなものが実在しているという感動に、静かに浸りたかった。
*****
「もう少しで着くよ」
運転席でハンドルを操作していた、ケルシー・クレッグ(Kelsey Clegg)が言った。カーラはその言葉に、研究員ファイルから外へと視線を移した。
高層ビルが立ち並ぶ、ノースロップ・シティ(Northrop City)の中心部。そこから少し西に行き、マンションが多い地区へとやって来た。
今日は外部調査の日である。旧B.F.の時に出来上がったその制度は、文字通りB.F.の外に存在する超常現象についての調査を行うというものである。
施設の外に出ることを固く禁じられていた旧B.F.に対し、新しいB.F.は外に出ることなど普通のことだ。職員は施設に自由に出入りできるようになっただけではなく、一般人ですら施設の一部分に入ることが出来るようになった。
そういうところを考えると、「外部調査」という名前は改名しても良いのだが、もうすっかり職員の中では定着してしまった。今更新しいものを考えても、ということで、ビクターたちと話し合った結果、そのままの名前で呼ぶことにしたのだ。
さて、カーラは今日、B.F.から出て外部調査に向かっている。車には運転席にケルシー、後部座席にはカーラ、そしてその隣には助手のアドニス・エルガー(Adonis Elgar)が座っている。
そう、今日は助手をとって初めての外部調査。新入社員研修会の前に、あの事件で施設から出ていった超常現象を追うための外部調査は、何度も行われていた。カーラも何度も参加し、既に多くの超常現象達がB.F.に戻ってきている。
しかし、新入社員研修会があってからは、アドニスが慣れるまで外部調査はお預け。B.F.の施設内で彼に報告書の書き方や、実験の仕方を伝授していたら、彼を助手にとってから一ヶ月が経とうとしていた。
アドニスも、そろそろB.F.での研究員生活に慣れてきたということで、ケルシーの提案により今日の外部調査が決まったのだ。
「アドニス、緊張してる?」
ケルシーがルームミラー越しに、彼を見た。アドニスは窓の縁に肘を乗せて、その掌に顎を置いていた。外の景色を静かに眺めているだけで、車に乗ってからはそれほど喋っていない。
ケルシーの問いに対して、彼は短く「いや」と答える。
あまりに短い返答に、先輩のカーラが申し訳ないと思い、言葉を付け足した。
「今回は、一般の方からの依頼なんですよね。何でも、鳥が消えちゃう鳥かごなんだとか......」
カーラが言うと、ケルシーは「そうなんだよー」と頷く。
「鳥好きの人なんだけれど、凄く困っているんだって。呪われた鳥かごだから、どうにかして欲しいってことみたい」
今回は、一般人の依頼主だ。
超常現象の存在が世に知らしめられた例の事件から、B.F.は外部から簡単にアクセスできるような状況を作った。世界中に起こる超常現象を、調査する会社。その存在を、世間は少しずつ認めてきている。
カーラは、一般人の依頼主が初めてだった。自分が主に動くことになる外部調査というのも初めてだ。
もし今の質問をアドニスにではなく自分にされたなら、彼女は間違いなく「はい」と答えただろう。
今回の依頼者は、ノースロップ・シティの西区のマンションに住む、30代の女性。鳥好きな彼女の最近の悩みは、ネット通販で買った鳥かごに鳥を入れると、数日後には鳥かごの中が空っぽになってしまうこと、らしい。
さらに不思議なことに、彼女がその鳥かごを開くのは、餌やりと水換えの時くらいで、鳥が逃げないように気をつけているのだそうだ。
であるから、鳥かごから鳥が勝手に居なくなるということは、決して無いはずである、というのが彼女の話であった。
「あ、此処だね」
ケルシーがウインカーをつける。地下駐車場に入っていくようだ。見てみると、天を貫きそうな程に高いマンションである。外観は、ほかの建物に比べて高級感の漂うもので、カーラの緊張は更に高まるのであった。
*****
「じゃあ、午後の三時に此処に迎えに来るから。二人とも、頑張ってねー!」
ケルシーがそう言って、窓から手を振りながら去っていく。カーラとアドニスは駐車場を出て、エントランスの方へと回る。
「大きな建物だね」
カーラは隣を歩く助手に言った。一ヶ月も居ると、最初は慣れなかったタメ口も、今ではすっかり慣れた。彼に話しかける際、敬語に戻ることは極端に減ったのだ。
カーラの言葉に、アドニスは「だな」と返す。今日は随分と静かだ。いつもならば、「お前とは対照的だな」と鼻で笑うような彼であるのに。
緊張しているのだろう。
カーラはそう思って、早速建物の中に入った。
中は、厳重なロックがしてあった。何重にもなっている扉の横にインターホンがあり、カーラはそれを押した。スピーカーから警備員らしい男性の声がしたので、カーラは午前10時に約束している者だ、という旨を伝えた。
すると、扉は呆気なく開いた。
ガラスの向こう側は、高級ホテルのようなロビーだった。カウンターで女性と男性がそれぞれ一人ずつ、柔らかい笑みを浮かべてカーラとアドニスを迎える。
「あの、えっと......807室の、メリナ・ハンクスさんに用事がありまして......」
「はい、お伺いしております。Black Fileの研究員、カーラ・コフィ様と、アドニス・エルガー様でいらっしゃいますね。此方へどうぞ」
女性のスタッフがカウンター裏から出てきて、カーラとアドニスをエレベーターへと案内した。
「ハンクスさんには我々からお伝えしますので、お先にお乗り下さい」
「あ、ありがとうございます」
これだけ仰々しくされては、何だか自分が偉くなってしまったようだ。自分はただの研究員だと言うのに。
カーラは思いながら、開けられたエレベーターの扉を潜る。アドニスも続き、扉は閉まってエレベーターは動き始めた。
カーラは小さく息を吐いて、変わっていく数字を見上げた。
少しだけ胸がドキドキしている。それは、これから待っている依頼者と超常現象に対する緊張だけではない。
受付の女性が言った言葉だ。
Black Fileの研究員_____。
この単語を外で聞くことは増えたが、やはり一般人から言われてしまうとドキリとする。彼らは当たり前にB.F.の存在を知っているのだ。
カーラが初めて出た外部調査では、ドワイトと共にどうにかして一般人になりすまそうと努めた。
今はもう、その必要が無い。
B.F.は、誰もがアクセスできる会社へと進化した。
それはきっと良い事だと、彼女は思いたかった。
人差し指を指されて非難されようが、誰かの監視の目を持ってして危険すぎることを行えない状況というのは、ブライスも、ナッシュも、そしてドワイトも望んでいたことなのだろうから。
「なあ」
突然、隣で助手が口を開いた。カーラは「どうしたの?」と、頭二つ高い彼を見上げる。
「......」
彼は数字を見上げている。細い目は、今日もナイフのような鋭さを持っている。
彼はなかなか言葉を続けなかった。今日はやけに喋らない。緊張が伝わらないように、と意識はしていたが、やはり伝播してしまっているようだ。
カーラは自分の頬をぱちぱち叩いて気合いを入れる。
今日は自分が中心になって事を進めなければ。ビクターも、ケルシーも、ラシュレイだって居ないのだ。
しっかりしなければ。
結局、アドニスが口を開くことは無いまま、エレベーターは指定の階に到着した。
*****
「えっと......あ、この部屋かな」
依頼主が居るのは、マンションの807号室。表札に名前を発見し、カーラはその扉のインターホンを押した。
やがて、トタトタと音が近づいてきた。鍵が開く音がして、扉は開けられた。出てきたのは、話に聞いていた通りの女性である。30代の半ばほど、髪は短く、顎の辺りで切りそろえてある。黒いブラウスに金のネックレスが輝き、香る香水が富裕層であることを仄めかしていた。
このマンションは、ノースロップでもかなりの富裕層が住む場所なのだ。カーラの緊張の理由には、それも含まれているのだった。
「あら、随分若いお方だこと!」
女性はカーラを見るなり目を丸くした。カーラは何とか笑みを浮かべる。
「Black Fileより参りました、研究員のカーラ・コフィと、助手のアドニス・エルガーです」
「カーラちゃん、アドニスさんね。よろしく。メリナ・ハンクスよ」
握手を求めてきたので、カーラは彼女の手を握る。ゴツゴツとした感触は指輪である。彼女は複数の指に大きな指輪をはめていた。
「今日はありがとうね。さあ、中へ入って」
「失礼します」
部屋はとても広かった。ワンフロアが全て彼女の部屋なのではないかと疑うほどの広さだ。
二人が通されたのは、リビングだった。ノースロップ・シティを一望できる窓際に、その鳥かごは置かれていた。
シックな色の木で作られた、アンティーク調の鳥かごだ。四足が一本の細い胴を成し、カーラの身長を少し超えたくらいのところに、大きな鳥かごがぶら下がっている。丸みを帯びた円錐の籠の中には、水の入ったトレーや、餌箱、止まり木が置いてある。
その中に鳥は見当たらなかった。
「これが、言っていたものです」
メリナは籠を手で軽く押して揺らした。引っかかっている部分が軋んで、キイキイと音を立てた。カーラはポケットからカメラを取り出して、鳥かごを撮影する。
一見、普通の鳥かごのようである。これが中に入れた鳥を消してしまうものであるとは、誰も分からないだろう。
「特に変わった様子はありませんね」
カーラは籠の扉を開いてみる。ここから水や餌を交換していたのだろうが、気をつけていれば鳥が外へ逃げることは無さそうだ。鍵も壊れていることはなく、鳥が中から開けられるような設計にも見えない。
「そうなんだけれどねえ......不思議なことに、消えちゃったのよ。警察にも届けは出したんだけれど、見つからなくて」
メリナは頬に手を当てて首を傾げた。
カーラはそうですか、と部屋の中を見回す。鳥が外へ出ていくとすれば、やはり窓からだろう。しかし、ブラインドは降りていて、鍵もしっかり閉まっているようだ。
「窓を開けることはあるんですか?」
「無いわ。時々、鳥たちを室内で自由に遊ばせていたから......もちろん、みんな居るかどうか確かめて、ちゃんと一羽ずつゲージに戻すの。だから、入れ忘れというのは有り得ないわ」
「そうなんですね」
カーラは頷き、もう一度鳥かごを見た。
では、やはりこの鳥かごに問題があるのだ。しかし、今は何も起こっていない。中に鳥を入れて実験をしたいところだが、生き物を粗末に扱うことなどできない。
カーラが考えていると、アドニスが「あれって、なんですか?」とある場所を指さした。それは、鳥かごの隣に置いてある棚に括り付けられた、黒い小さな機械だ。レンズのようなものから考えて、小型のカメラらしい。
メリナが「それはね」と微笑む。
「ペットの監視用のカメラよ。私、猫も飼っているから。私が寝ている間に、猫が鳥を食べちゃわないか監視をしているものなの。猫が行くところには大抵取り付けているわ」
「猫......」
猫と鳥を同時に飼っているとなると、心配になるのは猫が鳥を食べてしまうことだろう。考えたら分かることではあるので、メリナは最初からそれを疑ってはいないようだ。
鳥かごから鳥を引きずり出して食べようとするにしても、このかごの隙間から手を入れるのは難しいだろう。
「あの、そのカメラで撮った映像は確認出来ますか?」
カーラはメリナを見た。彼女は「そう言えば、確認していなかったわ」とハッとした様子で、後ろのテーブルを見た。そこには、タブレットが充電して置いてある。彼女はそれを起動させた。
「鳥が消える瞬間が映っているかもしれないものね。猫の監視用に、いつもライブ映像だけの確認をしていたから......」
メリナはブツブツと言いながら、画面を操作している。やがて、二人に画面を見せてきた。六つの区切られた映像がそれぞれ映し出されている。
寝室、キッチン、ダイニング、脱衣所、書斎、そしてリビング。
「あの子が消えたのは一週間前だから......そうね、一週間前の映像を見てみましょうか」
メリナが再び操作をした。次に映し出されたのは、昼間の光が一切ない、赤外線によって暗闇の中撮影されたことが分かる映像だった。右下の数字は、一週間前の日付を示しているようだ。
リビングに設置されている定点カメラには、カーラたちが今まで見ていた鳥かごの中に、一羽の小鳥が入っていた。止まり木に止まっている様子が伺える。
「この子が、消えてしまった子ですね」
「そうなの。とっても可愛かったんだから」
メリナが頷いて、画面にリビングのカメラだけが映るように設定した。
大きく映るようになった画面の中央には、小鳥が入った鳥かご。早送りにしているようで、水を飲んだり、餌を啄んだりと忙しなくカゴの中をかごの中を行き来している。
「あっ」
次の瞬間、三人の声が重なった。一瞬にして鳥が消えてしまったのである。メリナが慌てて速さを標準に戻して、同じ箇所を再生する。
かごの中の止まり木に、小鳥が止まっている。数秒ほどすると、その姿がパッと見えなくなった。居なくなる瞬間、飛び立とうとした様子でパタパタと羽を広げようとしたので、何かの気配には気づいていたようだ。
もちろん、かごの扉は開いていない。かごの周りには、何も映っていない。
「消えたな」
アドニスが眉を顰めて言った。カーラも頷いた。
「この後は、かごに小鳥は入れていないんですね」
「ええ。もし壊れていたらと思うと、恐ろしくてねえ」
メリナが頷く。
カーラはもう一度映像を見る。鳥は何かに気づいたように、飛び立とうとした。しかし、そのモーションに完全に入る前に、消えてしまったのだ。
カーラは他の定点カメラも見て見たが、猫はメリナと寝室で眠っているようで、他の鳥はしっかりゲージに収まっている様子だ。
「ね、変な話でしょう。これは一体何なの? 分かりそうかしら」
メリナが不安げな表情でカーラを見る。カーラは鳥かごに目を戻す。
「もう一度同じことを起こせるようにできたら良いんですけれど......」
「でも、私の小鳥たちは使わないで欲しいわ。大事な子達なのよ」
「はい、大丈夫です」
カーラは彼女に微笑んだ。さて、どうしようか。
*****
カーラは実験をするため、数日間メリナの家に向かうことになった。鳥かごをB.F.へ持っていかないのは、メリナが目の前で行われる実験に興味を示しているからだ。彼女はB.F.研究員というものに興味津々だった。
「じゃあ、始めますね」
カーラは手袋をはめていた。彼女の後ろには、小さな四角いかごを持ったアドニスが立っている。彼もまた手袋をはめていた。
「ええ、よろしく」
メリナが頷き、その様子を見守る。
数日間で、カーラとアドニスはあるものを手に入れた。それは、ネズミ。生きているネズミである。
カーラとアドニスは、それを鳥かごの中にそっと入れた。ネズミはすんなりと鳥かごの中に入り、かごの中央に置かれた餌に夢中になった。
心は痛むが、これも実験だ。
カーラはとある仮説を立てた。
数日間の間、鳥かごの中に実験として、鳥の形をしたマスコットを置いた。しかし、それは数日経っても、何も起こらなかった。
続いて、カゴから出られない大きさの甲虫。すると、甲虫は次の日姿を消した。念の為にかごの外を網目の細かい網で覆っていたので、外に逃げ出したとは考えにくい。
これによって、カーラが立てた仮説は、「生き物のみ、このかごの中で消えてしまう」というもの。この仮説を強くするため、彼女は生きているネズミの実験に踏切った。
甲虫は、最初に消えた小鳥とは異なり、一日で姿を消してしまった。もしかしたら、生物の体の大きさも関係しているのかもしれない。
カーラは比較的小さなネズミを用意し、そのかごに入れたのだった。
「実験の結果が出るまでは、此処で待たせていただいてもよろしいですか?」
手袋を外しながらカーラがメリナに問うと、彼女は大喜びだった。すっかりこの数日で心を許し、昨日は手土産まで持たしてくれたのだ。
「お茶を入れるから、座っていて」
「そ、そんな、お構いなく......」
そう言ったが、カーラとアドニスは大きなソファーに座らせられた。
「消えるのは、鳥だけじゃなかったな」
アドニスが鳥かごを見つめて独り言のように呟く。カーラも隣で頷いた。
「もしかしたら、鳥かご自体が超常現象なんじゃなくて、そういう概念の超常現象かもね。中に生き物を入れる物体になら、何にでも取り憑くものなのかも。例えば、虫かごとか、牧場の柵とか」
「牧場が取り憑かれたら、たまったもんじゃねえな」
たしかにね、とカーラは笑った。生産性のある生き物が消えてしまえば、それで生計を立てる人が困ってしまうのだ。
「あ、いけない」
紅茶を淹れていたメリナはハッとした様子で時計を見た。時計は、昼の一時を回ったところだった。
「今日はお日様に当ててないわ。うちの子たち」
「うちの子たち?」
カーラが首を傾げると、メリナが「小鳥たちよ」と微笑んだ。そして、奥の部屋に引っ込んでいく。少しして、三つの鳥かごを手にぶら下げた彼女が戻ってきた。
「昼と夜に部屋に放つことにしているのよ。たまには外に出て運動してもらわないと」
そう言って、彼女が鳥かごの扉をひとつずつ開いた。黄色や緑色のカラフルな鳥たちが、かごの中から一斉に飛び立つ。
「わあ」
カーラが目を輝かせて、やって来る鳥たちに触れようとしたとき、何故か隣の存在が消えていることに気づいた。驚いて隣を見ると、彼は遥か後ろの方で頭を抱えて蹲っている。
「アドニス!?」
カーラが慌てて立ち上がって彼に駆け寄る。
「ど、どうしたの? お腹痛いの......?」
カーラが心配になって彼の肩に手を置くと、絞り出すような声が聞こえてきた。
「......鳥」
「え?」
「......鳥、嫌いなんだよ」
*****
どうやら、彼が唯一苦手な動物が鳥であるそうだった。
あまりにも意外で、カーラもメリナも一瞬唖然とした。その後は可哀想に思ったメリナが鳥をかごに戻してくれたのだが、アドニスはなかなか落ち着かなかった。
どうも、彼はこの外部調査の話を聞いた時点で既に寒気がしていたそうな。苦手なものがたくさん居る家など、入りたくはないのだろう。
初日にあまり口を開かなかったのは、どうやらそういうことらしかった。
しかし、この実験期間中、カーラとアドニスの仕事の邪魔にならないように、とメリナは鳥を放つことを止めていたらしい。それによって、アドニスもすっかり気持ちを落ち着けていた。
だが、三人が打ち解けてきたことによって、鳥の解放を良しとしたメリナ。
アドニスは、完全に気を落としてソファーに腰掛けていた。
「だっせえ」
彼はずん、と沈んだ様子でクッキーを摘んでいる。出されたクッキーは、簡単には手に入らない高級菓子である。
「そんなに落ち込まないで......苦手なものくらいあるんだから」
カーラが苦笑して背中を撫でていると、メリナも「そうよ」と頷いた。
「鳥が苦手なら、どうしてこの調査にやってきたの?」
メリナが問うと、アドニスが黙った。
「他の研究員さんを連れてきたら良かったのよ。無理をせずに。ねえ」
同意を求めるメリナに、カーラは頷く。アドニスには事前に鳥を飼っている場所へ行くことは伝えており、場合によっては鳥を触る可能性もあることを言っていたのだが......彼はそれでもついてきたのだ。
「......別に、予想外だっただけなんで」
ぶっきらぼうに答えて、アドニスは紅茶を喉に流し込んだ。
*****
ぐしゃっ!!
ゴリゴリ......。
突然、ほのぼのと団欒をしていたリビングに、不似合いな音が響いた。
カーラもアドニスも、そしてメリナも目を丸くして、音が聞こえた方向に目をやる。それは、例の鳥かごであった。
カーラは急いで立ち上がり、かごを確認する。ネズミの姿は消えていた。
「今のって......!」
「確認してみましょう」
カーラたちはタブレットに残っている動画を見る。やはり、今のタイミングでネズミは消えていた。
気になったのは、消えたタイミングの音である。
「カメラは音は拾わないから......」
メリナが複雑な表情を浮かべて、タブレットと鳥かごを交互に見る。
何かを歯で潰すような音だ。咀嚼をしている音である。それは、何かがネズミを食っている音に間違いなかった。
「消えているんじゃなくて、食われてるんだな」
アドニスがタブレットを見つめて呟く。
「そうみたい......最初の小鳥さんも、おそらく食べられたのだと」
「ええ、そうみたいね......でも、不思議よ。見た目はただの鳥かごなのに......」
メリナは納得できない様子で、鳥かごを見つめている。
「これが超常現象なんです。不思議かもしれませんが......」
「ええ、本当にね......。でも、どうしようかしら。私、この子のこと許せないわ。だって、大切な家族を奪っているのよ。他の命だって。ただの超常現象で片付けられるわけないわ」
メリナはそう言って、鳥かごを睨みつける。ペットだって大切な家族。彼女の目には復讐の色が燃えている。
「爆弾でも食べさせて爆発させたいわ」
「でも、生き物以外は食わないんですよ」
興奮するメリナに、アドニスが冷静に言った。
「そうだけど......こんなのあんまりだわ」
メリナは肩を落とした。カーラは考える。
意思があるとするならば、この子を反省させることが出来るもの。
爆弾を食べさせることは不可能だ。小鳥のマスコットは食べなかったように、この鳥かごは生き物しか口にしない。
ハリネズミでも突っ込んだらまた別かもしれないが、そんなことをして再び犠牲を増やすのは心が痛い。
そんな彼女の頭に、ひとつの案が浮かんだ。
*****
「この子達の個体数は、永遠に101羽なんだ」
ドワイトの柔らかい声が説明を続ける。カーラはその隣で、ガラスの小鳥たちに邪魔されながらも、必死にメモをとっていた。
オフィスに戻ったら、報告書の練習をするために、今は情報が必要だったのだ。
「101羽、ですか?」
半端な数に、カーラはメモから顔を上げる。優しい横顔が目に入る。
「ナッシュと数えてみたんだよ。そうしたら、きっかり101羽でね。心痛いけれど、一度、三羽の小鳥を潰してみたんだ。パリン、と綺麗に割れた。そうしたら、ほかの個体が三つの卵を産んだ。再び群れは101羽に戻ったんだ」
彼の肩に、ほんのり桃色に染まった透明な小鳥が止まった。羽を畳むと、かちゃん、と小気味の良い音を立てた。
「不思議な性質だろう。彼らは101羽を永遠に保つんだよ」
*****
「これも......超常現象なの?」
メリナは目を丸くし、カーラの腕に抱えられた鳥かごを見る。その鳥かごの中には、薄緑に染まった半透明な小鳥が一羽居た。
「はい。【囀るガラス】という超常現象です。普段は101羽の群れを成しているんです。一個体が死んでしまうと、他の鳥が101羽に戻るように、一個卵を産んでくれるんです。これなら、おそらく......」
「生き物って言えるのか、それ」
アドニスが遠くからその様子を見ている。超常現象とは言え、性質が鳥なので嫌がっているのだ。
カーラは、この超常現象を例の鳥かごに入れることにした。これならば、半永久的に命を紡ぐことができるのだ。
問題は、この鳥かごが、ガラスの小鳥を生き物と見なすかどうかなのだが......。
カーラは腕の中の鳥かごから、その一羽を出す。指を差し出せば、簡単に指に乗ってくれた。固く冷たい感覚が人差し指にまとわりつく。
彼女にとって、この超常現象は大切な存在である。
「ごめんね。協力、してくれるかな」
カーラが小鳥に問うと、かちゃん、とガラスの音が鳴った。カーラは「ありがとう」と微笑んで、例の鳥かごの扉を開く。その中にガラスの小鳥をそっと離した。
すると、次の瞬間。
パリン!!
「!」
三人は息を飲んだ。一瞬にして小鳥が消えたかと思うと、まだ開いていた鳥かごの扉から、粉々になったガラスが吐き出された。
ゲホゲホ、と、人が咳をするように。
その瞬間、鳥かごがぐにゃりと歪んだ。細い胴体部分が折れ曲がり、床に力なく倒れた。
その後の実験で、かご部分に生き物を入れたものの、その生き物が消えることは無かった。
現象は、完全に消滅したのだ。
*****
「アドニスは、外で見てて良いからね」
新しいB.F.にもできた、セーフティールーム。そこに、あの101羽のガラスの小鳥は収容されている。カーラが投げるパンくずによって、ほんのりと色がついていく小鳥たちは、準備室で待機するアドニスの目を奪うのだった。
それだけ美しい光景を彼は知らなかった。
ガラスの小鳥と対話するのが、自分のペアであることがさらに誇らしかった。
意を決して、中に入ろうとも思ったが、あの美しい景色を汚してしまうことが勿体ないと思い、最後までそれはできなかった。
「囀るガラス」。それは、彼女にとって特別な超常現象だと言う。ドワイト・ジェナーという先輩を初めて見た時、彼はその超常現象の実験中だったそうだ。美しいガラスの中で、白衣を翻す彼に、彼女は心を奪われたのだという。
あの事件で施設から出ていった鳥たちは、一部の個体が熱によって体を溶かしていた。上手く飛べず、地面に落ちて割れてしまった個体のために、ほかの個体は卵を産んだ。こうして、完全な群れは再びB.F.に蘇った。
群れを森で発見し、捕獲に至ったのは主にカーラだった。カーラの顔を覚えていた個体も居たようで、収容は簡単に行えた。
カーラは、ドワイトとの思い出の超常現象を失いたくはなかった。彼と自分を引き合わせてくれた、大切な子たちなのだ、と。
アドニスはそれを聞いて、彼女の恩師に思いを馳せる。
一体、どんな人だったのか。
自分が彼以上になれるなら、と彼は心の中で静かに闘志を燃やす。
彼の目の前を、ほんのり赤に染ったガラスの小鳥が、横切って行った。
*****
「......ありがとうございました」
メリナが鼻を赤くして、玄関先まで二人を見送った。カーラは微笑んで、「そんな」と首を横に振る。
「自分の子を食われた復讐のおかげで、また一羽の命を奪ってしまったのよ」
「囀るガラスは、半永久に命を紡ぐんです。また同じ子が、卵として生まれてきます。大切にB.F.で育てていますから、そう気を落とさないでください」
カーラの言葉に、メリナは頷いた。何度も礼を言われ、高級菓子の詰め合わせを持たされ、二人はマンションを出ることとなった。
「一週間もかかっちゃったね」
カーラは隣のアドニスに苦笑を向ける。アドニスは前を向いたまま、「そうだな」と同意した。
「まあ、良かったんじゃねえの。無事に全部解決したんだから」
「......うん」
鳥かごの超常現象は、ガラスの小鳥を食べさせることで消失した。この一週間で報告書をまとめられるくらいには情報を得られたのだから、十分な収穫はあったのだ。
初めての大きな仕事を終え、カーラはどっと疲れが押し寄せていた。
助手にも、かっこいいところは見せられただろうか。
「なあ」
カーラが歩いていると、アドニスが足を止めた。
「どうしたの?」
カーラが振り返って彼に問う。
「......ドワイトさんって、どんな人」
無愛想な彼から出てくる恩師の名前に、カーラは目を丸くした。
「どうしたの急に」
「聞いただけ」
「知りたいの?」
「......まあ」
カーラは「えっとね」と懐かしいあの頃を思い出す。二人の研究員は、もらった紙袋を揺らしながら、ノースロップの街をゆっくりと歩いて行った。