File062 〜クエスチョンフラワー〜 後編
その実験室に入った瞬間、ラシュレイは鼻を覆った。強烈な香りだ。決して良い匂いとは言えず、かといって人工的に作られたものではない。
植物の青臭さと、虫の喜ぶ甘さを含んだ匂いの元は、実験室の中央から発せられていた。
横に立っていたスカイラが「うあー!!」と鼻を抑えて後ろに下がるが、ラシュレイは意を決して実験室の中に踏み入っていく。
「ラ、ラシュレイさん! 凄い臭いですよ!? 近づかない方が身のためです!!」
「これも実験だ。スカイラ、行くぞ」
「あうう......」
スカイラは何とか足を踏み出して、ラシュレイに並ぶ。
聞いていた以上の臭い。それを発する元凶は、部屋の中央に存在する。
斑模様の巨大な花弁を持つ、食虫植物。花弁は口を窄めたラッパのような形をしており、大きくしなった茎に、一輪のみ花が咲いている。茎の根はマングローブのように複雑に絡み、床に根を張っていた。
「これが......今回の超常現象ですか!?」
スカイラは鼻を抑えたままラシュレイに問う。
「ああ、そうだ」
ある日突然、テレビのクイズ番組に現れたというこの植物。番組を占領し、番組スタッフから参加者にそれぞれ質問を出した。その質問に答えられない者は、花に食われて戻ってきていない。
食虫植物ならぬ、食人植物だ。出現したクイズ番組は放送中止、警察へ通報後、B.F.へと声がかかったのはいつものこと。
何とか超常現象を見つけ出し、この施設に連れてきたのだった。
「この超常現象の特徴は、きちんと頭に入っているか?」
「なんでしたっけ!」
「......」
ラシュレイは呆れ顔で彼を見た。資料を読み込むように伝えていたはずだ。やる気を出させるために、せめてご褒美でも用意しておくべきだったか。一体何が彼にとってのご褒美になるのかは、想像したくはないのだが。
「この植物から出される質問に対して、正解しないと食われるんだ。火が苦手らしいから、食われた場合はこれを頼む」
ラシュレイは床に大きな火炎放射器を置いた。実験においてあまり使われることは無いのだが、耐熱性のある部屋の造りなので、人に向けなければ使用可能である。
今回は銃の使用も考えたが、万が一飲み込まれた人間に銃弾が当たることも考え、火炎放射器となったのだ。少しの火でも怯んでしまう超常現象らしいので、銃よりも安全に扱うことが出来るのは、むしろ此方であった。
「分かりました!! 愛の炎で燃やし尽くしましょう!」
「燃やし尽くすな」
あくまで実験なのだ。最悪の場合を除いては、対象の焼失は何としてでも避けなければならない。
「スカイラは此処に立ってろ。俺は部屋の奥で質問に答える」
「了解です!!」
スカイラが頷くので、ラシュレイは火炎放射器を引いて実験室の奥に向かった。さて、練習の成果は発揮されるだろうか。
彼についての質問は色々したが、それはどれも踏み込んだものでは無い、単純な質問ばかりであった。スカイラと自分とでは、持っている情報に差がありすぎるのが、不安な要素の一つだ。
だが、此処まで来たら引き返すことも出来ない。仮に植物に食われても、早く助けられれば胃液に溶かされることはない。前実験でそれは立証済みだ。
あのラッパ型の花弁の中には、中腹部まで琥珀色の粘液が注がれている。それがいわば胃液の役割を果たすようで、中に入った人間を三日かけてドロドロに溶かし、栄養として吸収するらしい。
今まで何人に人間が犠牲になったのか。
記録によれば、人間を食うにつれて巨大化しているそうだ。あのクイズ番組に居た者たちは大半が食われ、その時から急激な成長を見せているのだとか。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。
今回は、この植物の質問のバリエーションを知ることを目的としている。スカイラと前日に確認した沢山の質問には無かったタイプの質問もあるかもしれないのだ。
緊張感が漂う中、ラシュレイは植物を挟み、スカイラと向かい合うようにして立った。
巨大な植物で助手の姿は見えない。植物はビルの二階ならば簡単に届きそうなくらいに巨大なのだ。横に葉も広がっているので、尚更スカイラの姿は隠れてしまっている。
「スカイラ、準備は良いか!」
植物の向こう側の助手に、ラシュレイは大きな声で問う。「大丈夫でーす!」と返事があった。よし、とラシュレイは目の前の植物を見上げた。
すると、花弁が突然ラシュレイの方を向いた。
そこから、人の声が発せられる。美しい女性の声である。
「第一問目。回答者ラシュレイ・フェバリット」
ラシュレイは植物を睨みつける。
「質問、スカイラ・ブレッシンが幼少期に飼っていた犬の名前を答えよ」
やはりそれなりの質問が来る。だが、もちろん把握済みである。この前、共に確認をしたのだから。
「マックス!」
ラシュレイが応えると、植物の口はくるりとスカイラが居る方向を向いた。
「正解。第二問目。回答者はスカイラ・ブレッシン」
「よーし、来い!!」
スカイラの元気な声が聞こえてくる。ラシュレイは火炎放射器を構えた。
練習はしたのだ。きっと、大丈夫_____。
「問題、ラシュレイ・フェバリットが生まれた時の体重を答えよ」
「3442グラム!!」
「何で知ってるんだよ」
「正解」
「正解なのか......」
正解らしかった。本当に、何処から漏れているというのか。外で母子手帳を落としていないか、家に帰ったら母親に聞く必要がありそうだ。
植物はすぐにラシュレイの方に向きを戻した。つっこんでいる暇など無いのだ。ラシュレイは腰を低くして構える。
「第三問目。回答者はラシュレイ・フェバリット。問題、スカイラ・ブレッシンの得意なスポーツを二つ以上挙げよ」
「サッカー、バスケ!」
「正解」
ラシュレイは拍子抜けした。こんなに簡単な問題が出題されるとは思っていなかったのだ。
だがもちろん、油断は禁物。植物の花弁が閉じれば、質問終了の合図だ。それまでは気が抜けない。
「第四問目。回答者はスカイラ・ブレッシン。問題、ラシュレイ・フェバリットの嫌いな食べ物を、ワースト一位から順に挙げよ」
「嫌いな食べ物......?」
ラシュレイは思わず口に出す。
嫌いな食べ物など、自分でも自信が無かった。しかも順位付けまでされている。
これは流石にスカイラが答えられないかもしれない。
ラシュレイは彼が食べられた時のために、いつでも炎を出せる準備をする。
しかし、
「一位はメロン!! 次いでクルミにひよこ豆!!」
「正解」
「待て待て」
ラシュレイは頭が追いつかない。
今挙げられたものを頭で考える。そういえば、嫌いかもしれない。出されれば何でも食べるが、メロンもクルミもひよこ豆も少しだけ苦手だ。
ただ、それの嫌いの具合は大差ないし、ラシュレイ自身でさえ全くもって優劣をつけられない。
一体何を持ってランキングとしたのか。適当に答えているのだろうか。
しかし、この植物は回答に厳しかったはずだ。順位付けされた回答など、その通りでなければ全て間違いになってしまうのだ。
だが、やはり混乱している時間は無い。次の質問の回答者はラシュレイである。
植物の花弁が此方を向く。
「第五問目。回答者はラシュレイ・フェバリット。問題、スカイラ・ブレッシンの部屋にある、最も大きな家具を答えよ」
「......は」
ラシュレイは突然来た難問に思考が止まりかける。
まさかの、助手の家の自室にある家具についての質問だ。これは流石に皆で出し合った質問の紙には無かった。
ラシュレイは急いで答えを頭の中で導き出す。
まず、可能性があるならばベッドだろうか。
テーブルなどは、部屋に置くならばひとまずローテーブル。一人部屋だとしたら尚更小さくて構わないはず。
続いて思い浮かぶのはクローゼットだ。服を入れるとすれば、それなりのものが必要だ。彼は私服をどのくらい持っているのか。
ラシュレイは更に考える。照明、ソファー......。
考え出したらキリがなかった。
これは無理なのではないか。流石に。
植物の向こうからはスカイラの声が聞こえてきた。
「ラシュレイさーん、大丈夫ですかー!」
大丈夫では無い。しかし、諦めるわけにはいかない。
万が一に備えて火炎放射器に手を添え、ラシュレイは口を開く。一か八かの答えを叫ぶ。
「クローゼット!」
「正解」
呆気なく後ろを向いてしまう植物に、ラシュレイはホッとした。
その後も二人は、交互に出される質問に的確に答えた。
ラシュレイにとって、なかなか答えるのが難しかった質問は、「スカイラ・ブレッシンの座右の銘を答えよ」、そして、「スカイラ・ブレッシンが今最も気に入っているものはなにか」だった。
前者はラシュレイが入社説明会で言った最初の挨拶だった。答えながら嘘だろ、と思ったが、もっと衝撃的だったのは、後半の質問に対する答えだ。
何となく嫌な予感はしていたが、浮かび上がったものをあげているとキリがないので、「俺に冠したグッズ全般」とかなり抽象的な答えを出した。正解、と言われたあと「ちなみに」と植物は口を開いた。
「最近の彼が最も大切にしているのは、ラシュレイ・フェバリットの匂いがする香水と、等身大パネルだ」
「......それは、どうも」
_____この実験が終わったら覚えてろよ。
ラシュレイは、植物越しに彼を睨みつけたのだった。
*****
実験は最後の質問になった。
「最終問題。回答者はスカイラ・ブレッシン」
「はーいっ!!」
スカイラは始終元気だった。あれならば、最後の質問も難なく終わらせるのだろう。
寒気を覚えるものだけは避けてくれよ、とラシュレイは植物の方が心配になってきた。
「ラシュレイ・フェバリットの心を今一番に埋めている人物を答えよ」
「ええ!!!」
スカイラの嬉嬉とした声が聞こえてきた。ラシュレイはウンザリ顔でスカイラを見やる。スカイラが植物越しにラシュレイに熱い視線を送ってきた。
分かったからさっさと答えて欲しい。
ラシュレイはそう思って彼を見ていた。
「ええっとー.......それは、ですねえ......」
もったいぶって、スカイラはなかなか答えなかった。ラシュレイはため息をつく。
問題の答えが明確なのだ。結局、スカイラにはこうした問いしか行かなかった。
「答えは僕です!! スカイラ・ブレッシン!!」
「残念」
「え」
「えっ」
次の瞬間、植物の頭が大きく動いた。それは彼に向かうと、窄めていた口を大きく開き、一瞬でその口を閉じた。
「......スカイラ」
ラシュレイは彼を呼んだ。さっきまで居た彼の場所に、研究員ファイルだけがぽつんと落ちてるのが僅かに見えた。
彼は何処にも居ない。部屋がしん、と静まった。
植物がこちらを振り返った。その口は動いていた。食べ物を咀嚼しているように、もぐもぐと。
「回答者が一人減りました。回答権は残りの回答者に委ねられます」
声が何処か弾んでいる。よっぽど美味かったのか。それとも、今自分の顔に浮かぶ表情が面白いのか。
ラシュレイは無言で火炎放射器を突きつけた。そのまま花弁に向かって放った。
花弁が燃え上がって散る。続いて太い茎の下の方を焦がす。続いて茎の根元、葉、また花弁。植物に穴が空いていく。その穴から琥珀色の粘液が血のように流れ出てきた。
「......返せ」
ラシュレイが声を振り絞った。炎を止めると、植物はぐったりと茎を折って床に伏していた。花弁の口は固く閉じられたままで、空いた穴からは絶えず粘液が流れ出ている。
ラシュレイは火炎放射器を床に放り出し、焦げ臭くなったその植物に走り寄った。空いていた穴に両腕を突っ込む。そのまま左右に腕を広げ、肉厚の皮を引き裂いた。粘液が肌に付くと、ヒリヒリと傷んだ。
何故。どうして、あの質問の正解は「スカイラ・ブレッシン」ではないのか。
少なくともラシュレイはそうだと感じていた。スカイラだって_____。
「......」
ラシュレイは手を止めた。
そうだ。もう一人居るじゃないか。
スカイラが来るまでその人だけだった。
彼が来てからも、その人のことは考える。考えない日は無い。
つまり、答えは_____。
「......ノールズ・ミラー」
震えた声でラシュレイが言った。すると、突然植物が膨らんだ。咲きかけのつぼみのように。
花に変化があった。茎がうねうねと激しく動きだした。その動きはまるで蛇のようだ。
それに続いて、
ばしゅっ!!
植物の体が大きな音ともに弾け飛んだ。ラシュレイの体に、あの穴から漏れ出していた琥珀色の液体がかかった。これは、植物の消化液である。体全体にヒリヒリとした痛みが広がった。三日で人をドロドロにしてしまう粘液なのだ。早いこと落とさなければ危険である。
ラシュレイはすぐに助手の姿を探した。スカイラは、弾け飛んで根元しか残っていない植物の足元で、うつ伏せになって倒れていた。
「スカイラッ」
ラシュレイは、すぐさま彼に駆け寄り、抱き起こそうと努める。
スカイラの体にはラシュレイ同様、べっとりと液体がついていた。
この粘液の臭いは、実験室に入った時に感じた強力なものだ。実験をしているうちにすっかり慣れたようで、今は最初ほど強く臭いを感じない。
スカイラが植物の体内に居た時間は、それほど長くなかったはずだ。よって、すぐに目を覚ますはずだ。
しかし、ラシュレイの声にスカイラは反応しない。
「おい、おい!」
ラシュレイは必死に彼を揺さぶってなんとか意識を取り戻そうとするが、彼の意識はなかなか戻ってこない。
こんなに早くに助手を失うことがあるだろうか。
やはり自分には早すぎたのだ。ノールズのように、あんなに上手く助手を導くことなどできなかった。
「......」
.やはり、彼のことは無意識に考えてしまう。
こんな気持ちのせいで、スカイラが_____。
「......さい」
ラシュレイは眉を顰めた。何かが聞こえた気がするのだ。まさか、まだ植物が生きているのか、と床に散らばった破片を睨みつけるが、耳を傾けても一向に声は聞こえない。
「......してください」
「......?」
ならば、腕の中の彼からなのか。
ラシュレイはスカイラに目を戻す。瞳は開かない。しかし、唇は動いていた。
「目覚めのキスをしてください」
「......」
ラシュレイは彼をそっと床に下ろした。
「......後で一緒に飯でも食うか」
「わあいっ!!」
飛び起きた。何のコントを自分たちは今までやっていたというのだろう。
ラシュレイは深いため息をついたが、自分が心から安心しているのだと分かった。
「何食べます!? あ、僕と食べさせ合いっこしましょうよ!!」
「しない」
ラシュレイは部屋を見回した。これは、かなり掃除が面倒臭い。
*****
臭いは三日三晩取れなかった。おかげで色々な研究員から白い目で見られたラシュレイは、デジャブを感じていた。
「あ、ラシュレイさーん!! おはようございます!」
今日は臭いがかなりマシになった、と思いたい。
自分のシャツの袖に鼻を埋めて臭いを確認していたラシュレイは、前方から飛んでくる元気な助手の声に顔を上げた。
「おはよう」
「えへえ、やっぱりラシュレイさんに挨拶されるの嬉しいです〜!」
「そうか」
二人はオフィスに向かって歩き出す。
今回の実験で分かったことは三つ。
一つ、まだ自分は彼の存在に依存していること。
二つ、自分の助手はあまりにも自分が好きすぎること。
三つ、彼と行う実験は、想像以上に楽しいこと。
「また近々実験が入るからな」
「え!! また白衣のラシュレイさんが見られるんですね!? 僕は何て幸せ者なんでしょう!! 次こそカメラに収めさせてくださいね!」
「嫌だ」
二人の研究員は、肩を並べて廊下を歩いて行った。