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Black File  作者: 葱鮪命
14/193

File008 〜水と油〜

「んあー......? なあ、この資料さ、なんか数字ズレてないか?」


 オフィスのデスクで資料のまとめ方をしていた、B.F.星4研究員ビクター・クレッグ(Victor Clegg)は、座っていた椅子をくるりと回転させて、後ろで同じように書類を纏めていた女性研究員を振り返る。


「へ? 数字?」


 女性研究員は振り返る。


 彼女はケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)。ビクターとペアを組んでおり、彼と同じ星4だ。


「どれどれー? 見してみてー」


 ケルシーはビクターから資料を受け取り、まじまじとそれを見ている。


「うーん、確かにそうみたい」

「な? 微妙にズレてるんだよな」

「確か、この資料作ったのってさ」


 ケルシーが資料から顔を上げてビクターを見た。ビクターは「あっ」と声を漏らす。そして、手で半分顔を覆った。


「あいつらだ......」


 *****


 昼食をとった後、ビクターはさっきの数字がズレていたという資料を持って、あるオフィスへと向かった。


 扉の前に着いて、コンコンとノックしようとしたときであった。


 ガタン!


 突然激しい物音が扉の向こうから聞こえてきたのだ。それに続いて、争うような声がビクターの耳に届く。


「お、おい、大丈夫か!」


 ビクターはノックも忘れ扉を開いた。


 彼の目に飛び込んできたのは床に重なるようにして倒れ、取っ組み合う二人の研究員の姿だった。


「絶対にお前だっ」


「はあ!? ちっげーし! 証拠あんのか、証拠!」


「証拠も何も、お前の机の下に落ちてたんだから、絶対にお前しか居ないだろっ!」


「はあー!? どうせ自分で食って自分で蹴ったんだろっ! 人に罪を押し付けるなんて最低なヤツだな!」


 ビクターは大きなため息をついた。


 またこれだ。

 この二人は、どうしていつもこうなんだ。


 赤髪の研究員バレット・ルーカス(Barrett Lucas)、青髪の研究員エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)。


 彼らはビクター、ケルシーと同期の星4の研究員だが、いつもいつも喧嘩ばかりしている。星4の中では問題児ペアとされていた。


 大抵彼らの喧嘩は些細なことが原因なのだが、果たして今回は何で喧嘩をしているのか。


「......おい」

「こらあ、髪引っ張んなよエズラ!!」

「お前こそ白衣引っ張んな!!」


「おいっ!!」


 ビクターの鋭い声に二人がビクッと肩を竦めた。ビクターの方を見上げて、目を丸くしている。


「あれ? ビクター」

「いつからいたんだよ」


 どうやらビクターが部屋に入ったことさえ気づかないほどに騒いでいたようだ。


「お前らさ......今度は一体何で揉めてるんだよ?」


 喧嘩の仲裁をしたところで彼らは反省もせず、同じことを繰り返すのはビクターも分かっているのだが......。もう入社当時からの恒例行事と化してきている。


 ビクターの質問に対してエズラが口を開いた。


「聞いてくれよっ、ビクター! バレットが俺の菓子を食いやがったんだ! 俺は仕事が終わったら食おうと思ってデスクの中にしまっておいたのに!!!」


 エズラの言葉に、ビクターは眉を潜めてバレットを見る。バレットは、反省する素振りも見せずにエズラを睨みつけている。


「いやいや! こいつだってこの前俺の昼飯奪ってきやがったし!!」

「今否定しなかったな! やっぱりお前じゃねえか!!」

「だからちっげーよ!!!」


 聞いていると耳が痛くなってくる。


 ビクターはため息をついて、最終手段に出ることにした。


 このまま落ち着くまで聞いていても、全く仕事は片付かない。


「おい、お前ら」


「もうお前はもう一生、昼飯食うな!!」

「エズラこそお菓子食うなよ!! 一人でこそこそ食いやがってよ!! 子供かよ!」

「んだとてめえ! もういっぺん言ってみろ!!!」


「お前ら。いい加減にしないと、ブライスさん呼んでくるぞ」


「!」

「!」


 二人の動きがピタリと止まった。


「だめ!」

「それだけは......」


 さっきの威勢はどこへやら、二人揃ってオロオロになっている。


「じゃあ、今日はもう喧嘩すんな。いいな? うるせーよ、お前ら」

「はーい......」

「......すまん」


 やっと収まった。


 本当、この二人がペアを組んでいるのが不思議で堪らない。


 ビクターは、この日何度目になるか分からないため息をついた。


 *****


 そんな喧嘩ばかりのバレットとエズラの元に超常現象が持ってこられたのはその日の翌日だった。


 どっちが報告書を上に提出にするかで再び喧嘩をしていると、仕事を持ってきたビクターに大目玉を食らった。


「いい加減にしろ」

「うう.......」

「すまない......」


 ビクターは、床に座らせられている二人に持っていた紙を渡した。


「お前らの仕事だ。いいか? 仕事の時くらいはきちんとやれよ。命関わってくるんだからな」

「うん」

「わかった」


 返事はピッタリだった。


 ビクターが部屋から出ていき、バレットとエズラは早速紙に目を通す。それは今回の超常現象の特徴について書かれているものだった。


「ペアのグラス......」


 バレットが持つ紙を覗き込んでいたエズラが呟く。


「それぞれのグラスに水と油を入れると、半径三メートル以内に居た場合に、グラス同士が忽ち喧嘩を始めるんだってさ」


「なんか......」

「俺らみたいだなー」


 二人は顔を見合わせ、


「やってみよっか」

「ああ」


 頷き合った。


 *****


 準備室で実験の用意をして、二人は実験室に入った。


 白い床と壁の部屋の中央に、これまた白い台がひとつ。その台の上に二つのグラスが、仲良く寄り添うようにして置かれていた。


 二人はそれに近づいていく。


「見た感じ何の変哲もないグラスだね?」

「ああ」


 グラスはどこからどう見ても普通のグラスに見える。持ってみても、叩いてみてもガラス製のしっかりしたグラスだ。


「油と水はあるんだな?」


 エズラが隣のバレットに確認する。


「あるよー」


 バレットは手に持っていた袋を顔の高さまで上げて見せた。その中には食用の油と、ペットボトルに入った水が入っている。


「それを注ぐんだったな」


「そうそう、どっちかのグラスに水、そんでどっちかのグラスに油を注ぐんだって」


 バレットは説明をして、持っていた袋を床に置くと水を取り出した。


「じゃあ注ぐよ!」


「は? そこは俺にやらせろ」


「え? 何でだよ? お前絶対に手滑らすだろ」


「そんなことするかよ!」


「うっそだー、床にぶちまけて掃除大変になる未来しか見えないんですけど〜?」


「俺はそんなに不器用じゃねえ!」


「ええ〜? どうだかー」


 バレットはグラスの片方に水を注いだ。


「お前こそ床にぶちまけるんじゃないのか?」


 バレットの隣で嫌味たっぷりにそんなことを言うエズラ。


「はー!? 俺失敗しないしっ!!」


「もうエズラには触らせないからな!」と小学生並みの台詞を吐いたバレットは水を注ぎ終え、続いてもう片方のグラスに油を注いだ。


 それにしても地味な実験である。


 水と油が入ったグラスを観察するだけだなんて、ビクターは自分達を嘗めているのだろうか?


 バレットは油を注ぎながら心の中でそう思いながら、


「よーし、これでオッケー」


 もうひとつのグラスも油で満たした。


「こぼさなかったな」


 ふん、とはエズラが鼻で笑った。


「あったりまえだろ! いーからほら、実験やるぞ!!」


 バレットがべー、と舌を出し、床に転がっていたバインダーを手に取るとグラスの観察を始めた。


 二人はしっかりグラスの三メートル以内に居り、グラスにもそれぞれ一定量の水と油は注いである。現象が起こる条件は完璧に揃っていた。


 やがて、


『おいっ、てめえ』

『は!? なんだよっ』


 突然声が聞こえてきた。


 バレットとエズラは思わず顔を見合わせた。もちろん二人は口すら開いていない。


 バレットはもう一度グラスに視線をやる。


『その忌々しい顔を今すぐ引っ込めろ!! 見ていて酷く気分が悪いっ』


『ふんっ、目を開けばお前が居る俺の身にもなってみろ!! 気分の悪い目覚め程嫌いなものはねえな!!』


『何だと!!? お前、やるか!?』


 やはりグラスから発せられているようだ。その声は二人の耳を劈くような騒音で、バレットは思わずバインダーを放り投げて耳を覆った。


「うるっ......さ」

「耳がっ......」


 エズラも耳を塞いで、グラスを睨んでいる。


 グラスの声はまだ続く。


『お前の声はもう聞き飽きたな!! いい加減お前とペアを組むことも辞めるべきなんじゃねえか!?』


『俺はとっくの昔からそう思ってたぜ!? お前みたいなやつと一緒にいたら使う人間も気分悪いだろ!』


『お前みたいなやつ?「俺みたいな奴」の間違いだろっ!!!!』


 グラスから発せられる声はどんどん大きくなっていき、もう耳を抑えているだけでも会話が聞こえてきてしまう。バレットはジリジリと後退りを始めた。


 この尋常じゃない口喧嘩を観察しろと言うのか。観察する以前に耳から手を離したら耳が壊れる。


 命の危険すら感じたバレットは、涙目になって後退りを続ける。鼓膜が限界を迎えそうだ。


「くっそおお......こんなのどうしろって言うんだよおお......」


 その時、バレットはふとこの超常現象の発生条件を思い出した。これは三メートル以内に居ると現れるもの。つまり三メートル離れることさえ出来れば_____。


「エズラ!!! エズラアァァア!? なあっ、聞こえるっ!!?」


 バレットはエズラに向かって叫んだ。エズラは、バレットよりもグラスに近い位置でまだ耐えようとしていた。


「エズラ、エ、エズラ!!? おいっ、返事くらいしろよ!!! おぉぉぉぉおいっ!!」


 エズラがこっちを向いた。どうやら気づいたらしい。


「ああっ!? なんか言ったか!!!?」


「そいつらから三メートル離れろおおっ!!」


「ああっ!? 何っ!!!」


「離れろって!!! は、な、れ、ろっ!!!!」


 バレットは声が枯れそうになるくらい、彼に向かって叫んだ。

 何もかも、凄く煩い。


 *****


「あれ? バレットとエズラは実験入ってるんだっけ」


 他の部屋で実験を行っていたケルシー、ビクターペアが実験を終えてオフィスに戻る途中、ケルシーはビクターに尋ねた。


「ああ、あいつらの煩さが可愛く思えるような超常現象が見つかったからな。ちょっとプレゼントした」


 ビクターの言葉にケルシーは「へえー?」と眉を上げて、


「何だか面白そう! ちょっと見に行こう!」


 とビクターの腕を引っ張った。


「あ、おい、いいのかよ?」

「ふふ、ちょっと覗くだけだって」


 *****


 実験室の手前の部屋、実験準備室。ケルシーとビクターはガラスの向こうを眺めた。


 何だかよく分からないが、二人が耳を塞いでジリジリと後退りをしているところが見える。声は此処まで聞こえないが、雰囲気からしてとても煩いのだろう。


「大丈夫なの? あれ」

「さあな」


 ビクターは差程興味もなさそうに、自分たちの実験で出た記録に目を落としていた。


 *****


 やがて、見事グラスから逃げ切った二人が準備室へと駆け込んできた。いつもの元気さは何処にもなく、げっそりとしている。


「大丈夫?」


 パイプ椅子に座ってゼイゼイと息をする二人を見下ろして、ケルシーは聞いた。


「だいじょばない」


 エズラが答えた。


「無理......具合悪い......」


 バレットもパイプ椅子の背に頭を預けて、目を瞑っている。


「なあ、俺らっていつもあんなんなの?」


 呼吸を整えたバレットが、ビクターを見上げた。ビクターはいつの間にか資料から顔を上げ、ぐったりする二人を腕組して見下ろしていた。


「やっと分かったか、お前らの煩さ」


 その声は冷たく、怒りを孕んでいた。


「うう......ごめん、なさい」

「まさか、あんなに騒音だとは......」


 ビクターが説教をする隣で、ケルシーは実験室に置いてあるグラスを見た。


 あんなに普段賑やかな二人を、此処まで静かにさせてしまうとは。よっぽど煩かったのだろう。


「でもまあ、」


 ケルシーは、ビクターに説教されているバレットとエズラを見て小さく笑った。


「喧嘩するほど仲がいい、ってね」


 *****


 その後、二人の喧嘩が激減したことは言うまでもない。

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