覚悟
食堂は、夜遅くまで仕事をする研究員のために12時までやっている。ラシュレイは仕事を全て片付けた後で、そこにやって来ていた。窓際の席に座ると、もうすっかり暗くなった空と、眼下に輝く車のライトが見えた。
「それで......俺の助手になりたいっていう話だったな」
目の前には青い髪を持つ少年スカイラ・ブレッシン(Skylar Blethyn)がニコニコとした顔で座っていた。
「はいっ!! ラシュレイさんに一目惚れして、絶対に助手になると決めて此処まで来ました!!!」
「そんなに大声で言わなくて良い」
食堂はもう人が少ない時間ではあるが、離れた席では何人かが食事をしていた。ラシュレイは恥ずかしくなって彼に言うが、彼の表情は反省の色を見せない。
さて、ラシュレイはスカイラというこの少年に助手志願をされた。理由は何と、テレビで見て一目惚れだと言う。
そこからどうやってストーカーに発展するのか、ラシュレイには理解ができなかったが。
それは置いておいて、彼は助手をとる気など微塵もなかった。新入社員研修会の日にカーラとキエラに同じ質問をされ、二人にはそれぞれ異なる返事をしたが、嘘偽りない答えを返したのはキエラの方だった。
助手はいらない。何故なら、同じ悲劇を繰り返したくないからだ。
かつて助手を持ち、その助手が死ぬなどして、二度と助手をとらないと決めてきた研究員を、ラシュレイは何人も見てきた。B.F.ではそう思うことは珍しくは無いことで、むしろ当たり前である。
人が死ぬ瞬間を、その人が自分の目の前から居なくなる瞬間を、とくと味わえるその関係。
望んで手に入れるべきものでは無い。
かと言って、いやいや手に入れるべきものでもないのだが。
「......俺は、助手はいらないと思っている」
ラシュレイは言葉を選んだ。慎重に、彼を傷つけないように。この状況を自分に当て嵌めた時_____ノールズがもしあの時自分の助手志願を断ったりなどしたら、と考えると、胸が苦しくなるのだ。
「それは、あの事件が原因ですか?」
ラシュレイの言葉に対して、スカイラは聞いてきた。かなり踏み込んでくるな、とラシュレイは警戒する。
「大丈夫です!! 僕はラシュレイさんのお傍を離れませんから!!」
スカイラは胸を打ち、顔を上げて得意そうにした。ラシュレイはそんな彼を白けた目で見ていた。
あの経験を知らないから、こういうことが簡単に言えてしまうのだ。もしあの現場に彼が居たら、すぐに引き下がるだろう。
「......俺の事を育ててくれた先輩も、そういうことを言っていた。でも、居なくなった」
ラシュレイは目を伏せる。
「約束を守れない人は周りに置かないって決めた。もうああいう経験をしたくない」
「......」
スカイラの視線を感じ、ラシュレイは更に目を伏せた。
「あの人が死んだ時、途方に暮れた。八つ当たりもたくさんした。そして、もう誰も失いたくないって思うようになった」
遠くで人の笑い声がした。
「俺に助手志願をしたのは間違いだ。俺はまだ独立してない。あの人から完全に離れていない。まだ助手だ」
ラシュレイは伏せていた目を上げ、スカイラを見る。彼はじっとラシュレイを見つめていた。それは、かつてない真剣な表情だった。
「......ラシュレイさん、研修会で何と言ったか覚えていますか?」
「......」
ラシュレイは彼から目を逸らした。
「私は、彼のような研究員になることが夢です。って、そう言いましたね」
スカイラは微笑んだ。
「それって、その先輩みたいに、助手を大切にできる人になりたいということですよね」
「......」
「そして、こうも言いました」
スカイラは一呼吸置いた。
「皆さんには、そう思える先輩を探して頂きたいです、って」
ラシュレイは夜景に目をやった。眼下のビルで人影がチラチラと動いている。
「僕、あの言葉を受けて更に前に進む勇気を貰えたんです。僕の日常に陽の光を差し込んでくれたあなたが、【そう思える先輩】でした。だから、此処に居ます」
スカイラがソファーに座り直した。背筋を伸ばし、真っ直ぐな視線を送ってくる。ラシュレイは夜景を見ていたが、その視線はスカイラの方を意識していた。
見ても良いだろうか。彼の顔を上手く見られないのは、何処か彼を感じるからか。あの強引さ、声の明るさ......何か、通じるものがある。
「ラシュレイ・フェバリットさん、僕を助手にしてください。お願いします」
決してふざけた声色には聞こえなかった。
ラシュレイはそこで、ようやくスカイラに視線を戻した。真っ直ぐな視線に刺されるように、ラシュレイは言葉に詰まった。
まだ何処かに、断ろうとしている自分が居た。これだけ真面目に助手志願をしてくれているというのに。
あの研修会で話した言葉が、全て嘘になってしまうと分かっても、やはりあの陽だまりの日常が消えるのは恐ろしいのだ。
トラウマの払拭ほど難しいことは無い。
スカイラは深深と頭を下げた。テーブルに額がつきそうなほど、深深と。
ラシュレイはそれを見つめていた。
彼もそうだったのだろうか。
ジェイスが施設から消え、同じような感覚を味わったのだろうか。
エスペラント誘拐事件で、ジェイスに泣きついていた彼の姿が蘇る。あの時、彼は何を思ったのだろう。
自分は、彼の何番目に居ただろう。
この子は、自分の何番目まで登ってこられるのか。
「......ノールズさんを越えられる人が居ない前提で言う。俺は、あの人以上の人にはもう会えない。それでも」
ラシュレイは拳を作った。覚悟を決めよう、と目を閉じる。
「それでも、ついてくると決めるなら」
スカイラがゆっくりと顔を上げた。
「助手として置いていても良い」
「......ラシュレイさん」
彼の頬に赤味がさした。
「助手になっても良いんですか......?」
「一回しか言わない。あとは自由に決めればいい」
「なりますっ!! なりますよう!!! 僕はラシュレイさんの助手になりますっ!!!!」
がっ!!!
両手を掴まれて引き寄せられた。ラシュレイは身を引く。
「僕、精一杯頑張ります!! 毎秒あなたのことを考えます!! 寝る時も、お風呂でも、いつでもどこでも!!」
「そこまでしなくていい」
ラシュレイはスカイラから顔を逸らす。ガラスに映った自分の顔は、何処か楽しげだったような。
手が、じんわりと暖かい。