助手志願
いつも読んで頂きありがとうございます!
月曜日ですが、少し時間ができたので
特別投稿です!
「それでは、昼食休憩を挟みます。14時までに、この場所に戻って席についていてください」
B.F.星4研究員のカーラ・コフィ(Carla Coffey)はそう言って、午前の部を締め括った。
「やっと終わりだな」
緊張感が漂っていた会議室の空気は一変。下げられていたブラインドも上がり、会議室には陽の光が差し込んだ。
壁際に立っていた星5研究員のバレット・ルーカス(Barrett Lucas)は、白衣のまま壁に寄りかかる。
「ずっと立ちっぱだったから、疲れたよな」
同じく白衣を着ていた青髪の星5研究員、エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)も大きく息を吐いた。
「みんなお疲れ様〜! 取り敢えず午前の部はクリアだね!」
そう言って明るい笑顔を見せるのは、星5のケルシー・クレッグ(Kelsey Clegg)。隣には夫であり、星5のビクター・クレッグ(Victor Clegg)も立っている。
「午後は星4に任せるからな。俺らはオフィスに戻って仕事だな」
「うん! キエラ君、カーラちゃん、あとは宜しくね!」
ケルシーの視線の先には二人の研究員が居る。カーラ、そして、キエラ・クレイン(Kiera Crane)だ。二人とも星4の研究員である。
新入社員研修会の午後の部は、施設内研修。星4を先頭に、班に別れた新入社員が施設内を見て回るのだ。
「はい! 午後の部も頑張りましょうね、キエラさん」
「うん、頑張ろ!」
カーラとキエラが頷きあっているのを眺めていた星5のラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)は、午後の仕事を頭で数えた。
B.F.を纏める立場になってから、仕事の量は前のB.F.で研究員をしていた頃とは比べ物にならない程に多くなった。
手軽に食べられるサンドイッチでもテイクアウトしようか、とラシュレイが思っていると、
「あー、腹減った!! ガッツリ食おうぜ!」
バレットがラシュレイの肩に片腕を乗せてきたので、ラシュレイはよろめく。
「食堂に新メニュー出たってさ、ラシュレイ!」
「ラシュレイ困ってるだろ」
エズラが呆れ顔を向けるも、バレットは気にせず歩き出す。
「それにしても、長い実験だったよなあ。その上、新入社員研修会......俺ら、そろそろ過労死するぞ?」
バレットが白衣を脱いだ。白いシャツに赤いネクタイが結ばれ、ジャケットにさえ着替えたら研修会に相応しい格好にはなっていただろう。
「実験は無事に終わったんですか?」
「うん、あとは報告書かなー。長い実験だったから、とんでもない枚数だろうけど」
バレットが大きなため息をつく。
あの事件によって、施設から逃げ出した多くの超常現象は、着々と外部調査で連れ戻されている状態だ。自然に帰って、害のないものは敢えて経過観察をするだけにしているが、有害なものは施設に連れ戻す必要がある。
その超常現象の相手をするのは、やはりかつてのB.F.で働いていた研究員たちだ。
実際にその超常現象たちの実験に携わっていた者も居るので、超常現象集めは極めてスムーズに進められていた。
「新入社員も凄い数だったなあ。俺、会議室に入った時倒れそうになったよ」
バレットの言葉にラシュレイも頷く。
今回の研修会の人数は、例年以上だとケルシーたちは言っていた。あの会議室が埋まるので、本当に多いのだ。
「助手志願来るかな」
「お前は無理だ」
「はー!? 何でっ!」
「時間内に仕事終わらせないからだ」
「お前だって一緒に遅刻したろ!?」
二人が騒ぎ始める。ラシュレイはそっとその場を離れたかったが、バレットはなかなか解放してくれない。
それにしても、とラシュレイは二人を見る。
この二人が助手をとっているところを想像できない。二人はずっとペアとして過ごしてきたのだ。エズラが居るところにバレットが居り、バレットが居るところにエズラが居る。
そのような関係の二人が助手をとるとなれば、ペアは解散するのだろうか。
それとも、新しく助手を入れて三人体制でオフィスを持つのだろうか。
いや、それぞれ助手をとるという未来も考えられる。
「あー、俺エズラ嫌い! ラシュレイ、二人で食おう!」
「だから、困らせんな」
三人はエレベーターにやって来る。既にエレベーターは、会議室から流れ出した新入社員でいっぱいだ。体を縮こませるようにして、そこに三人は乗り込んだ。
流石にエレベーターの中は静かにするらしい。と、思ったが、お互いに足を踏みあっていた。
ラシュレイはそっと目をつぶった。
ビクターならば確実に怒っているところだが、今ここで注意するのは、B.F.の顔に泥を塗りそうだ。
聞いたことがあるだろうか、エレベーターの中で足を踏みあって喧嘩をする上司たちなど。
「いたっ」
「お前だって踏んでるくせに」
「うるせっ」
小声でそう聞こえてきたが、ラシュレイは無視を貫く。彼が社会に出て覚えたことのひとつは、スルースキルであった。主に自分の先輩で鍛えてきたのだ。
エレベーターが指定の階についたらしい。ラシュレイは静かに離れようとしたが、流石の人の量だ。
エレベーターから出られず、さらにはバレットとエズラの足に、足を絡めてしまった。
「あ、やべ」
「ラシュレイ」
二人が慌てて助けようとするが、ラシュレイは既に大きく体が斜めになっていた。人混みで上手く体制も立て直すことが出来ず、ラシュレイは床に手をつこうとしたが_____、
ポスッ。
誰かの胸の中に倒れ込んだ。
「悪い、大丈夫!?」
「怪我してないか」
バレットとエズラが慌ててやって来て、ラシュレイは「はい」と頷く。
そして、今自分を抱きとめているだろう誰かを見上げた。
青い髪の少年だ。
色白で、ぱっちりと開いた目の中に星が瞬くような輝き。
自分の背を優に越す彼の腕の中に、ラシュレイは居た。
「......ありがとうございます」
ラシュレイはすぐに離れ、小さく頭を下げる。バレットもエズラも「すみません」と頭を下げた。さすがに反省したらしい。
こういうパターンで反省することもあるのだな、とラシュレイが思っていると。
パシッ。
「え」
突然、自分の両手に圧が加わった。両手の手の甲を包み込まれる感覚。その手を何かに押し当てられる感覚。
「ラ、ラシュレイ・フェバリットさんですよねっ!!!??」
それは、自分を抱きとめてくれた青髪の少年だった。さっきも輝いていた目をさらに輝かせ、頬は紅潮し、息が荒い。
少年はラシュレイの両手を、自分の両手で包み込んでいた。それを自分の胸に押し当てて、物凄い圧で迫ってくるのだ。
ラシュレイは恐ろしくて数歩後ろに下がった。当然のように少年は数歩前に進んでくる。
バレットとエズラはぽかんと口を開け、その状況を眺めていた。
まるで何が起きているのか分からない、といった様子である。
自分だってそうだ。
「僕っ、新入社員のスカイラ・ブレッシンと言います!!!」
スカイラと名乗るその少年は、壁際までラシュレイを追い込んだ。逃げ場を失ったラシュレイは、ただただ彼を見上げるしかない。
「あなたの大ファンなんです!!!」
大ファン......?
ラシュレイの頭の中にハテナが生える。
ファンがつくものというのは、普通アイドルや俳優など、有名な人である。自分はただの研究員だ。
「あの、何かの間違いでは......」
「いいえ、合っています!!! 僕はあなたに会うために入社したんですからっ!!!」
合っていたらしい。
逃げ場を失ったがために、ラシュレイはスカイラという少年に押しつぶされそうになっていた。
そして、頭の中にある考えが浮かぶ。
自分はもしや、助手志願をされるのではないだろうか。
この感覚を知っている。
自分がノールズに助手志願をするとき......ここまで大興奮した様子でもないが、こんな感じだったような。
ラシュレイはスカイラの言葉を待ってみた。
近くで見ると、どこかキエラを思わせる童顔であることが分かる。左目の下にある涙ボクロが、チャームポイントだろうか。
彼の口はゆっくり開く。
ラシュレイは身構える。
助手志願。
自分は助手をとらないのだ。
傷つけず、断る方法を考えなければ。
そう思っていたのに、彼の口から出てきた言葉は、予想の斜め上を飛んでいった。
「僕と結婚してくださいっ!!!!」
*****
新しいB.F.にできた食堂は、フロア全体が飲食スペースになっている。ゆったりとした空間で、外の景色を見ながら、豊富なメニューを楽しむことが出来るのが醍醐味だ。
特に最も大きく変わった点は、外部の人間も飲食が可能になったこと。展望台に来て、そのままエレベーターで降りてくれば、空腹を満たすことができる。
そんな食堂のある席に、四人の男性が座った。
「なるほど、ラシュレイのファンなのか」
バレットはトマトパスタをフォークに巻いていた。ひき肉たっぷりの、ボリュームのある生パスタだ。
「はいっ!! ラシュレイさんをテレビで見て、絶対に助手にしてもらうって決めたんです!!」
元気にそう答えるのは、例の少年だ。ラシュレイの横を陣取り、さっきから料理に手をつけずに話をしている。
彼がラシュレイのファンになるきっかけを作ったのは、あるテレビの放送だった。
ノースロップ・シティ(Northrop City)爆発事件をテレビで取り上げ、そこで働いていた研究員をマスコミは追い続けた。
テレビのカメラは研究員たちにしつこく付きまとい、しまいには無断で放映される始末。ラシュレイも、思えば何度もそう言った場面に遭遇してきたのだ。
「ラシュレイは外に出る時、顔を隠したりして対策はしていたけどな」
エズラが骨付きのチキンを手にしてそう言った。
そうなのだ。
ラシュレイは、人混みに行く時は必ずマスクをするようにしていた。帽子で顔を隠すこともあり、マスコミの目に触れないようにしていたのだ。
会社の周りにはカメラマンが押しかけてこともあり、その時はビクターが先頭になって質問に答えるなどの対応をしていた。
例の場所に花を手向ける際は、帽子もマスクもしなかったが、自分があの場所に行く時にはマスコミに追われることもなかった。その対策で、早朝に車を走らせるのだ。
「でも、テレビには映っていました!! 録画も撮ってあります!! 写真も何枚も!!」
ラシュレイの横で、スカイラは突然席に置いていたリュックサックを開き始めた。
ラシュレイとバレット、そしてエズラは食べていたものを喉につまらせそうになった。
というのも、スカイラのリュックサックにはストラップがついているのだ。そのストラップは、明らかに見知った人物をアクリルにプリントしたものであった。
そう、ラシュレイだ。
解像度が悪いので、今まで気づかなかったのである。あの解像度の悪さから、テレビに映っていたものをさらにカメラで撮ったものだろうと推測できる。
ラシュレイは大きく息を吐く。
一旦心を落ち着かせた。
頼んでいた冷製スープを口に含み、頭を冷やそうとした。
あれは自分だが、自分ではない。
似た何かだ。
有名人ですらない自分がアクリルキーホルダーを出すものか。
「あ、これです!」
スカイラは透明なファイルを取り出した。
「うわあ」
三人の口から全く同じ声が出た。
そのクリアファイルに挟まれているのは、アクリルキーホルダーの元の写真だ。カメラ目線とは言え、普通の写真を撮るような感覚でカメラに目を向けていたわけではないので、写真の中のラシュレイは此方を睨んでいるように見える。
「これだけじゃありませんよ! えーっと」
まだあるのか、とラシュレイは顔を覆いたい衝動に駆られる。
「これと......あと、これです!!」
スカイラは次々と写真を出してきた。
同じくテレビに映ったもの、そして新聞や雑誌の切り抜き、さらには、花屋で花束を買っているところまで撮られている。
「これって......」
バレットはエズラと顔を見合わせた。
完全なるストーカーである。
「......俺、気分悪いのでトイレ行きますね」
ラシュレイはそっと席を立つ。
「ええ!? 大丈夫ですか!! 僕もついて行きますよ!」
「いや、いい。たぶん原因はアンタだ」
ラシュレイに続いて席を立とうとするスカイラを、バレットが止めた。スカイラはキョトンとした顔をし、席に座り直した。
何処か覚束無い足取りでトイレに向かう後輩の背中を見届けたバレットとエズラは、目の前の少年に向き直る。
テーブルに置かれたままのファイルを、エズラが恐る恐る手に取った。
「中身、見てもいいか?」
「はい!! あ、でも汚さないでくださいね! それ、お部屋に貼っているものなので!」
「......」
エズラは聞こえないふりをして、ファイルの中身を取り出した。ラシュレイだけで構成されたその中身に、言葉にならない恐怖を覚える。
「すごい量だな」
バレットも横でオレンジジュースのストローを咥えて、写真を見ていた。
「聞くけど、ラシュレイのどこに惹かれたんだ?」
エズラがスカイラを見る。スカイラは、ラシュレイが口をつけたストローをそっと摘み上げようとしているところだった。バレットがそれを止めさせる。
「そりゃあ、全部ですよ!! 顔はもちろん、声も目の鋭さも肌の色も、何もかもが大好きです!! 名前だけですら愛おしいです!!」
「は、はえー......」
あまりの熱量に、バレットもエズラも引き気味だ。
「でも、ラシュレイって助手をとる気はないと思うよ。一匹狼なところあるからさ」
「いえ、助手になれなくても傍に居ます!! 助手になるのは一番の目標ですけれど、諦めるには早いですし!!!」
「お、おう」
ラシュレイが気の毒なので、どうにか彼からスカイラを離そうと試みるバレットだが、ひらりと躱されてしまった。
「将来は一緒に過ごせるようにしますけれどね!」
「う、うん......」
*****
ラシュレイはトイレから出てきたは良いものの、食堂に戻る気力は無かった。
あの少年は一体何者なのだろう。
どうして自分は彼にあれほど好かれているのか。
一目惚れでストーカーまで発展するものなのだろうか。
「ラシュレイ、どうかしたのか?」
その場でため息をついていると、声がかかった。見ると橙の髪を持つ男性研究員が此方に向かってくるところだった。
コナーだ。
彼はスーツから白衣に着替えている。今から実験の予定でも入っているのだろう。
「実は......」
ラシュレイは自分に助手志願に来た少年が、あまりにも恐ろしいことを伝えた。聞いたコナーも「大丈夫なのか、それ」と眉を顰めている。
「大丈夫ではないですね」
「だよな、聞いたことないぜ、一目惚れした人のキーホルダーを無許可で作る人間なんて」
そう、普通のストーカーというものも分からないが、自分が勝手にグッズ化されていることも大きな問題である。
「ねじ曲がった愛だな」
「そんな言葉で片付けられません」
ラシュレイは二度目のため息をついた。すると、ポケットに入れていた携帯電話が震える。見ると、バレットからメールが入っていた。
ビクター、ケルシーが合流したらしい。
あの二人が居るならば、まだ何とか精神を保てるだろうか。
ラシュレイは携帯電話をしまい、コナーを見る。彼は苦笑した。
「まあ、無理に助手にとる必要はないと思うけどな。相手が諦めてくれたらの話だけど」
「......そうですね」
あの様子では諦めてくれる未来が見えない、とラシュレイは遠くを見る。
「じゃ、俺は実験に行ってくる。何かあったら俺にも相談しろよ。オフィスに匿うくらいはしてやる」
「はい、お願いします」
ラシュレイはその場を去るコナーに頭を下げ、食堂に戻ろうと振り返った。
「あー、ラシュレイさん!!!」
青髪の少年が、手をブンブンと振りながら駆け寄ってくる。
軽く目眩を覚えたのは、きっと気のせいではない。