新入社員研修会
25階は会議室を主とした階だ。他の階にも会議室はあるが、この階の会議室は特に広い。
ラシュレイとカーラがその会議室に入ると、早速声がかかった。
「あ、二人ともおはよう〜!」
それは、ケルシー・クレッグ(Kelsey Clegg)の声だった。今日は白衣ではなく、彼女はスーツ姿だ。ラシュレイもカーラも、同じくスーツに身を包んでいる。
「いよいよだねえ」
ケルシーはぐるりと会議室を見回した。四枚の壁のうち、三枚がガラス張りになったその会議室は、最上階ではないものの見晴らしは良い。
普段はロの字に机と椅子が並べてあるが、今はパイプ椅子のみが、前方のスクリーンに向くようにして何列も並べてある状態だ。
此処が、今日の新入社員研修会の会場なのである。
「どう? 二人とも緊張してる?」
ケルシーはラシュレイとカーラに目を戻した。
「少しだけ」
カーラははにかんで答えた。ラシュレイも「少しは」と続く。
「大丈夫! 二人が頑張ってきたことはこのケルシーお姉さんが保証するから!! 初めてのことだから、緊張するのはみんな一緒。だから、あまり固くならないでね。リラックス、リラックス〜」
ケルシーが肩を上下させ、手をプラプラと振る。カーラがそれを見てふふ、と笑みを零す。
今回の新入社員研修会で、ラシュレイは挨拶の係を、カーラは司会進行を務めることになっていた。
旧B.F.では、会社のトップにブライスやドワイト、ナッシュが置かれることが多かったが、新しいB.F.でその制度は廃止となった。権力分散型という形を取る事で、多くの人の意見を取り込み、発言がしやすい環境を作ったのだ。
新しいB.F.の中心メンバーには、ラシュレイとカーラの名前があった。
ラシュレイは素直に驚いた。自分よりも研究員として経験数が多い人が選ばれると思っていたのだ。自分がB.F.を引っ張っていく中心メンバーに選ばれるなど、予想もしないことだった。
自分を選んだのはケルシーやビクターであった。ケルシー曰く、あの事件の辛さがよくわかっている人が居るべき、という話であった。
あの事件は、様々な要因が重なり合ってできたものだ。エスペラントが最もな要因だが、同じくらいに大きいのはブライスやその周辺メンバーへの強い負荷である。責任者としての重い立場に押しつぶされる、彼らの苦痛は計り知れない。
意外にもその話に詳しいのは、エズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)であった。彼の元ペアであり、先輩のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)は、ブライスを近くで観察してきた研究員である。彼女が話すブライスの様子を聞いて、エズラはこの権力分散型の体制を提案したのであった。
会社の唯一の最高責任者ではなく、何人かで重要な任務を行う。
ラシュレイはそれならば、と引き受けたのだった。あまり深く考えすぎず、余裕を持って仕事が出来るという環境は、きっとブライスらが心から望んでいたことだ。
「カーラ、マイクの音量調節とリハーサルやるから、こっちに来てくれ」
そう言ってカーラを呼ぶのは、前方のスクリーンの前で機械の設置を行っていたコナー・フォレット(Connor Follett)だった。彼もまた、中心メンバーの一人だ。
「今行きます」
カーラが早足でラシュレイの横を離れて行った。
「ラシュレイも練習しておく?」
「はい」
ケルシーに促され、ラシュレイもカーラの後を追った。
*****
リハーサルは順調に進んだ。機械の調子も良く、これならば問題なく本番を迎えられそうだ。
「バレットさんと、エズラさんは居ないんですか?」
カーラがリハーサルを終え、会場設営をしている研究員を一通り眺めて聞いた。
「ああ、二人なら昨日から実験室に籠ってる。実験が終わらないらしい」
配線を繋げていたビクターが顔を上げて答えた。
「間に合うんですかね」
ラシュレイは腕時計を見る。研修会が始まるまであと二時間を切ったところだ。
「まあ、大丈夫だろう。時間内に来るように釘は刺しておいたから」
ビクターがそう言って立ち上がる。
「それより、心配なのはキエラだよ。あの子、寝坊してないかなあ」
ケルシーが不安げに呟くと、会議室の扉が勢いよく開いた。
「寝坊しました!!!」
そこから元気の良い声が聞こえてくる。
「......後で注意しておきます」
ラシュレイは静かに言った。
*****
「そろそろ人入れるから、トイレ行くなら今のうちな」
コナーが遠くの方でそう言ったのが聞こえた。熱心に台本に目を通していたカーラが、隣でパッと顔を上げた。
「私、行ってきます」
「うん、人入れたら忙しくなるだろうからね。ラシュレイとキエラは大丈夫?」
ケルシーの目が此方に向く。
「大丈夫です」
「僕も大丈夫です!」
ケルシーは「おっけー!」と頷いて、ビクターの手伝いに行った。ラシュレイとキエラはその場に残される。二人は、スクリーンに比較的近い席に座っていた。此処も新入社員で埋まるので、本番は壁際に立つ予定である。
「はあ、いよいよですね!! 僕緊張していて、昨日は眠れなくて!! 寝坊しちゃいましたよ〜」
全く緊張しているようには見えない彼が言った。
「普通は緊張して早く起きるんじゃないのか?」
「え? そうですか?」
キエラがきょとん、とした様子で首を横に傾げる。
「間に合ったので結果オーライですね!!」
「そうか......」
面倒なのでこれ以上は止めておいた。
ラシュレイはぼんやりとスクリーンを見上げる。スクリーンの前に置かれた台には、マイクがセットしてある。今から自分が彼処で喋るのだ。
予定では、新入社員の数は百人前後となっている。そんなに大人数の前で発言をすることは初めてだ。緊張はしないようにしていたが、意識するとやはり胸が苦しくなってきた。
「どんな人達が入社するんでしょうね〜」
キエラもスクリーンを見上げていた。
赤茶色の髪には、今日も元気にアホ毛が立っている。ぴょいん、と跳ねているので、恐らくまだ例の超常現象は健在だ。
「助手は取るのか?」
ラシュレイは、朝にエレベーターの中でカーラにされた質問を、キエラにしてみた。
彼も中心メンバーの一人だ。あの事件から三年経過し、彼は助手をとることができる星4へと昇格していた。
「ん〜、助手志願されたら考えますけれど......正直、自分が助手をとっている未来が想像できないんですよね〜。僕ってほら、ポンコツですし」
「一理ある」
少しは否定してくださいよ〜、とキエラは嘆いた。こういうところが変わっていない。
「でも本当に、想像できないです。でも出来たら出来たで、きっと楽しいですよね」
えへへ、と彼は笑った。
そういうものだろうか。
ラシュレイは考える。
自分が助手をとるとしても、楽しいと思えるだろうか。ノールズのように完璧な先輩を演じ切ることができるだろうか。
ラシュレイは自信がなかった。
彼の中で、まだ自分は永遠の助手で居たかった。
その地位を揺るがすものは、ひとつも要らなかったのだ。
「助手は要らないな」
ラシュレイは小さく呟いた。キエラの目が此方を見る。
「俺はノールズさんの、永遠の助手で居たい」
朝のエレベーターでも、こう答えれば良かった。
今になって、そんな答えが浮かんできてしまった。
ラシュレイの言葉に、キエラは「僕らは」と微笑んだ。
「永遠の助手ですよ。誰を助手にとろうと」
*****
会議室は10分と少しであっという間に埋まってしまった。年齢層はやはり若く、10代が目立つ。
「椅子の数から分かってはいましたけど......」
「凄い人ですね......」
キエラとカーラは落ち着かない様子で壁際に居た。ラシュレイは、もう何度見たか分からない腕時計に目を落とす。
バレットとエズラが来ない。
「本当に大丈夫かな」
ケルシーは不安げだ。
「死んでるんじゃないだろうな」
コナーもチラリと会議室の扉に目をやる。
バレットとエズラもまた中心メンバーだが、今日の新入社員研修会では話す出番がないのが幸いだった。とは言え、並んでいる場所に明らかな空白があるのは避けたいところである。
「あいつら......」
ビクターは既に諦めているようだ。無理もない。もう三分もしないうちに始まるのだ。
待っても来ないので迎えに行くことも考えたが、人の誘導や機材の確認作業などで時間を要した。
「まあ、そのうち来るよ。焦った顔して不安にさせても仕方が無いし、始めちゃう?」
「それもそうだな。後できつく言うとして」
ビクターが腕時計に目を落とし、頷いた。
ラシュレイは改めて会場を見回す。それにしても多い。ブライスたちが見ていた風景は、きっとこれ以上の人数だっただろう。圧倒される光景だ。
「じゃ、カーラちゃん。よろしくね」
ケルシーがそっとカーラの背中を押した。カーラは「はい」と頷いて、スクリーン横にずらした台まで歩いていく。彼女の顔から、緊張が此方まで伝わってくる。キエラも横で唾を飲んでいた。
「それでは、時間になりましたので始めさせて頂きます」
小さなざわめきが完全に収まった。
「皆さん、こんにちは。私はBlack File星4研究員カーラ・コフィと申します。今回の新入社員研修会では、司会進行を努めさせて頂きます。よろしくお願い致します」
ハキハキとした、明るい声で彼女は話し始めた。会場から拍手が起こり、ラシュレイも手を叩く。
「うんうん、練習の成果出てるねえ。とっても上手」
ケルシーが拍手をしながらそう言った。ラシュレイも頷く。
彼女は家でベティに、そして会社ではケルシーやコナーに熱血指導をしてもらっていたのだ。その成果が見える喋りだった。
「お手もとのプログラムの順番で進行させていただきます」
カーラが続けようとした時、ラシュレイたちが立っていた位置に最も近い扉が開いた。
入ってきたのは、バレット・ルーカス(Barrett Lucas)とエズラ・マクギニスだった。二人とも走ってきたらしい。汗だくになり、息が上がっている。
「ごめん」
バレットがビクターに小さく謝る。
「お前ら、着替えはどうした」
ビクターが呆れ顔を向けるのは、二人の服装だ。というのも、二人ともスーツではなく白衣を身にまとっていた。
気づいたバレットが「やべっ」と顔を真っ青にする。
「そうじゃん、着替え......」
「急いでたら忘れてた」
「もういいから、そのまま立ってろ」
新入社員たちの目は、突如現れた白衣の二人に釘付けだった。研究所とは言え、白衣を着た人間はこの会場に居なかったので、突然現れた研究員らしい格好の二人に注目しているのだ。
バレットが、司会を止めているカーラに手だけで謝った。カーラは頷き、「では」と司会を続ける。
「まず初めに、ラシュレイ・フェバリットさんより、ご挨拶を承ります。ラシュレイさん、お願いします」
カーラの目は此方を向く。ラシュレイは小さく頷き、スクリーン前まで行く。ビクターが台を動かしてくれた。
ラシュレイは会場を見回す。全員の目は此方を向いていた。頭に叩き込んだセリフが抜けないといいのだが。
ラシュレイはマイクを引き寄せた。コツン、と叩くとマイクがしっかり反応した。短いマイクテストを終え、ラシュレイは背筋を伸ばして小さく息を吸い込む。
「B.F.星5研究員のラシュレイ・フェバリットです。入社試験に合格した研究員の皆さん、おめでとうございます」
少し声が震えた。ラシュレイは小さく咳払いをする。やはり緊張はしてしまう。
「三年前のあの日のことを、皆さんはどれくらい覚えていますか」
話すスピードを調整しながら、ラシュレイは言葉を紡ぐ。
「入社試験に合格し研究員となる皆さんに、きっと知らない方はいないでしょう。ニュースや新聞で何度も目にしたはずです。危険な超常現象に立ち向かう勇敢な研究員たちが居たことを」
ラシュレイは自分の手が小さく震えていることに気がついた。落ち着け、と心の中で呟いた。
「勇敢に立ち向かい、そして我々を守り抜いた彼らが残した会社は、今こうして陽の光の中にやって来ました。我々はほとんどが手探りで、悲しみの泥の中を必死に藻がいてきました。今もまだ......まだ、振り切れない悲しみを背負っています」
ラシュレイはマイクをさらに引き寄せた。
その際、自分の腹部が目に入る。母がアイロンをかけてくれた白いシャツ。そして、新しく買ったネクタイ。そのネクタイに、小さな輝きがある。
「......一人の、研究員のお話をさせてください」
台本には無かった言葉だった。ぽん、と自分の口から出てきたそのセリフに、ラシュレイは自分でも驚いた。
「どこか抜けていて、お調子者だった研究員が居ます。入社したての私に、絆創膏をくれました。助手としてそばに置くことを選んでくれました。まるで、子供のように、家族のように大切に扱ってくれました。私は、彼の助手で心から良かったと思っています」
ラシュレイはマイクから手を離した。震える手は、ネクタイを握りしめた。ネクタイピンがついた辺りだ。手の震えが、ピタリと止まった。
「誰よりも尊敬しています。私は、彼のような研究員になることが夢です」
声は真っ直ぐ、会議室の後方に飛んでいくようだった。
「皆さんには、そう思える先輩を探して頂きたいです。ここでは、それが可能です。多くの研究員の中から、一人でも二人でも、そう思える方を見つけてください」
声の震えは、消えていた。
「超常現象の研究以上に、楽しいことが待っています。苦しいことも、もちろんあります。それを乗り越えられる仲間を見つけることが、この会社で最もして頂きたいことです」
会場をぐるりと見回した。壁際のケルシーらが目に入った。微笑んでいる。カーラも、キエラも。バレットとエズラも目が合った。バレットはニッと笑った。
「共に良い会社を作り上げていきましょう。これからよろしくお願いします。以上で、終わります」
ラシュレイはマイクのスイッチを切った。頭を下げると、会場には拍手が響いていた。
ネクタイピンからそっと手を離す。
どこに溜まっていたのか、大きく息を吐いた。体から力が抜けるようだ。
ラシュレイは壁際の定位置に戻る。カーラが入れ替わりで台に向かった。
「お疲れ様」
「かっこよかったよ!」
そんな言葉をかけられ、ラシュレイは「ありがとうございます」と返す。
自分の出番は終わりだ。
長い間の緊張が解け、ラシュレイは心地良い疲労感に襲われていた。
説明会が本格的に始まるようだ。スクリーンを見えやすくするために、窓のブラインドが自動で下げられていき、部屋は薄暗くなった。
ハイテクだな、ラシュレイはそれをぼんやりと眺める。
その時だった。
ラシュレイは何処からか強い視線を感じた。
思わず目を走らせる。
が、その原因はよく分からなかった。小首を傾げていると、カーラがマイクのスイッチをオンにした。
「それでは、説明会に移りたいと思います」
気のせいだろう。
ラシュレイは思い、スクリーンに目をやるのだった。