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Black File  作者: 葱鮪命
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エントランス

 ひんやりとした空気の中、ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)は車から降りた。黒いステーションワゴンだ。その後部座席の扉を開くと、大きな花束が現れる。


 彼はそれを両手で抱えた。朝霧の中を彼は歩く。


 そして、ある場所で足を止めた。


 今日も石はそこに佇んでいる。


 ラシュレイは石の前に跪き、花束を置いた。既にお菓子や缶ジュース、お酒が置いてあるので誰かが来たらしい。ビクターやバレットだろう。


 この場所に来るのは、もう何度目になるのか分からない。いや、あの日から経過した日付を辿れば、すぐに分かることだが_____そんなことはどうでもいいのだ。何日経過しようが、彼らに対する思いが薄れることなどありはしないのだから。


 花屋の店員には、すっかり顔を覚えられてしまった。顔に湿布を貼った客など、毎日来るとなれば覚えるに決まっている。


 今日は大きな花束を作ってもらった。いつもは一回り小さいのだが、今日は特別だからである。


 自分の先輩を思い起こす黄色の配色にしてもらったのは、ある意味願かけだ。


 ラシュレイは、石に手を当て目を閉じた。

 心の中で自分の先輩を呼ぶ。


 今日は大仕事が待っている。あの日から三年。B.F.は、今再び動き出そうとしている。


 どうか見守っていて欲しい、とラシュレイは石に手を添えたまま心の中で呟いた。


 そして指を離す。


「行ってきます」


 今日から、B.F.は活気を取り戻すはずだ。

 なんと言っても今日は_____。


 *****


 ノースロップ・シティ(Northrop City)の中心部に、新たなビルが建った。鏡のようなガラスのついた、背の高いビルである。


 黒いステーションワゴンは、そのビルの地下の駐車場に入っていく。何層にもなった駐車場は、何百台と車が停められるようになっている。


 車の免許は、実家に帰ってからの療養期間でゆっくりと取った。母には負担をかけたくなかったため、B.F.の退職金で教習所に通い、そして車も買った。車選びはビクターやベティなど、既に車を持っていた先輩にアドバイスをもらった。


 人を乗せることはあまりないだろうが、母との旅行や買い物などで、荷物は積めた方が良いだろう、という結論になってこの大きさだ。


 広々としたスペースは、かなり荷物を積むことができる。四、五人くらいであれば、送り迎えが容易くできるような広さだ。


 ラシュレイは決められている自分のスペースに車を停めた。既に多くのスペースが埋まっていた。


 ラシュレイは助手席に置いていた鞄と、その上に乗せられたスーツのジャケットを手に取る。


 スーツなど久々に着たので、人前に出て笑われないような格好になっていると良いのだが、と彼はルームミラーに何度も目をやる。頬の湿布が目に入る。


 大丈夫だよ、と声が聞こえた気がした。


 彼は小さく頷き、車を降りた。


 *****


 ガラス張りのビルは、見上げているうちにひっくり返ってしまいそうな高さだ。


 研究員たちのオフィス、会議室、レストランなどの食事処のほとんどが、このビルに入った。屋上階は街が見渡せる展望台になっており、一般人も入ることができるようになっている。


 そんなビルに、ラシュレイは入っていく。


 此処が彼の職場である。そう、Black Fileだ。


 ベティの提案によって、B.F.は、地上に大まかな仕事場を移すことが決まった。ビクターが国と話し合いを根気強く進めたおかげで、この立地を確保したのだ。


 国との提案は簡単ではなかった、とビクターは言っていた。やはりエスペラントに脳の中を空っぽにされた彼らには、以前のB.F.との繋がりが薄くなってしまっていたらしい。


 だが、ビクターの仕事の腕は完璧だった。ケルシーと共に何度も彼らの元に足を運び、今までの経緯の説明を続け、雲を掴む思いで申請書を通したのだ。


 本当に、あのペアはとてつもない能力を持っている。


 ラシュレイや他の研究員も、この出来事でそれを痛感したのだった。


 さて、ラシュレイは自動ドアを潜る。

 迎えてくれるのは、太陽の光が届くように設計して作られた巨大なエントランス、そして大階段とエレベーターだ。


 エントランスの様子は外から見えるようになっており、白衣の研究員やスーツの研究員が、談笑していたり、カフェで話をしていたりする様子が、周りの一般人にも見られるようになっている。


 それは、昔のB.F.では考えられなかったことだ。地下に潜って、一般人には研究内容が絶対に知られてはならないようにしていたあの頃とは違い、今は一般人との距離が近いように設定されていた。


 あの事件で、世に科学では証明できない超常現象が溢れていると知った人々は、大きな衝撃を受けた。そして、それに関する本が飛ぶように売れ、またニュースやバラエティーに取り上げられることで、知らない人は居ないほど有名になってしまったのだ。


 B.F.は腹を割ることを決意した。いつまでも世間の目から逃げることをせず、正面から立ち向かうと。


 ブライスがあのような派手な作戦を考えたのは、B.F.の方向性を大きく変えたかったからではないか、とラシュレイは考える。


 一般の目が介入しない場で行われる、人道的では無い実験は廃止されるべきだと、彼はどこかで思ったのだろう。エスペラントを見て、そして悲しんできた多くの研究員を見て、彼は悟ったのかもしれない。


 本当のことは誰にも分からないが。彼は既にこの世には居ないのだ。


 ラシュレイは、鞄からIDカードを取り出した。首にかけられるように赤い紐がついたカードである。


 エントランスには、大階段やエレベーターの前に、一列に機械が並んでいる。駅の改札口のような機械だ。ここで、この施設に入るのが一般人なのか、それとも社員なのかが分かるようになっている。


 ラシュレイはカードを機械に押し当てて読み込ませた。ピッと音が鳴り、改札口が開く。


 通り抜け、奥のエレベーターに向かった。


「おはようございます」

「おはようございます、ラシュレイさん」


 エレベーターに行くまで、ラシュレイは様々な研究員に挨拶をもらった。ラシュレイは「おはようございます」と小さく頭を下げ、エレベーターのボタンを押す。


 向かうは25階だ。


 エレベーターを待っていると、後ろから声をかけられた。


「ラシュレイさん、おはようございますっ!」


 それは、明るい女性の声だった。振り返ると、若い女性の研究員が居る。黒い髪は三年前に比べて、鎖骨辺りまで伸びた。ただし、赤いリボンは今日も頭に乗っている。


 カーラ・コフィ(Carla Coffey)。星4の研究員で、ラシュレイの後輩だ。


「おはよう、カーラ」


 エレベーターがやって来て、扉が開く。ラシュレイとカーラはそれに乗り込んだ。


「今日は晴れて良かったですね」


 カーラはラシュレイの隣に並び、太陽の光が刺すエントランスを見て目を細めた。


 三年前の事件当時は15歳だった彼女も、もう18歳。まだ子供らしさを残しつつも、雰囲気は大人の女性へと近づきつつある。薄く化粧が乗った横顔もまた、大人らしさを含んでいた。


「新しい方々をお迎えする日は、やっぱり晴れていないと」


 カーラはそう言って、ラシュレイに柔らかく微笑みかけた。


「そうだな」


 ラシュレイは頷く。


 カーラの言った通り、今日は新しいB.F.になって以来、初めての入社説明会である。


 あの事件以来、マスコミや世間の目から逃げるために、研究員の多くがB.F.から完全に離れる道を選んだ。退職金はあるので、今後の生活には苦労しないほどの生活費は持っているのである。


 ラシュレイも、その道を選ぶか迷った。


 だが、それはできなかった。

 今まで築き上げてきたものを守っていくことの方が、彼は大事だと思ったのだ。


 人が離れたB.F.には、もちろんのこと研究員が足りない。超常現象の収容や、実験に必要な研究員の数は不足している。居ないのならば、雇わなければならない。そこで、今日が来た。


「何だか、自分に後輩が出来るんだと思うと少し不思議な感じがします」


 カーラが、感慨深そうに言った。


 彼女は事件前、最後の入社員だった。あれ以来、今日この日までB.F.は新しい研究員を雇っていなかったので、今回の研修で彼女も先輩になるということだ。


「ラシュレイさんは_____」


 途端、彼女が声のトーンを落とした。


「助手をとるんですか?」


 勇気のいる質問だったのだろう。声が震え、案の定「す、すみません」と謝ってきた。


 ラシュレイはエレベーターの数字を見上げる。駐車場など、地下にも階を持つのでボタンの数は多い。25という数字がオレンジ色に光っている。


「......さあ、どうだろうな」


 彼の助手だった頃を思い出す。

 面倒臭がりだが、やる時はきちんとやる彼から学んだものは少なくない。


 自分が彼の永遠の助手でいるのだから、自分に助手ができるなど絶対にないと思っていた。いや、今も思っている。


 助手がいるとはどんな感覚なのだろう。

 ノールズが感じた感覚は、どんな感覚だったのだろう。


「カーラはどうするんだ?」


 ラシュレイは、自分で少しずるいな、と思った。自分の考えをはぐらかした上で、相手に同じ質問を返したのだ。


 カーラは数字を見上げて、小さく微笑んだ。


「......さあ、どうしましょうね」


 彼女もまたずるいな、とラシュレイは口元を緩めた。

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