再生
大家族が乗れるような大きな車で、ラシュレイたちはビクターとケルシーの住むという家に向かうことになった。
「はえー......車とお家を買ったんですね」
キエラが落ち着かない様子で最後部の座席に座っている。その隣にはラシュレイ、中央の列にバレットとエズラ、助手席にはケルシー、運転席にはビクターだ。
「そうなの! 奮発したよー!」
退職金は多額だ。彼らは六、七年間という長期間を地下で過ごしたのでそれなりの額を貰えたらしい。
「結婚式はまだだけどねー! お金使いすぎちゃった! ねえビクター?」
「そうだな」
車は高速道路に入り、ラシュレイは知らない土地を走っていることが不思議でたまらなかった。この前まで家の中に籠っていたが、外に出て、こうして大人数でひとつの車に乗っていることが、信じ難いのである。
「ま、俺らはラブラブな新婚生活を見せつけられるためにこの車に乗せられてるわけだよなあ。羨ましいよな、ラシュレイ!」
「え」
「もー、そんなことばかり言ってると帰りの飛行機予約して送り返すからね!」
「え、急に怖い」
照れ隠しの割にはなかなか怖いことを言う。
「何だか賑やかで楽しいですね、ラシュレイさん」
キエラがニコニコと笑ってラシュレイを見た。
「......うん」
確かに、この賑やかさは嫌いじゃない。
この一年間で、最も賑やかな一日になるかもしれない。
ラシュレイはそう思った。
*****
高速を下りて30分ほど。大きな街を抜けて、閑静な住宅地にやってきた。大きな家が立ち並ぶその通りに、ビクターとケルシーの家はあった。
真っ白な外壁が眩しい、新築の一軒家だ。想像していた大きさを遥かに上回り、ラシュレイもキエラも「大きい」と思わず口にした。バレットとエズラもほとんど初めて見るらしい。
「写真よりもでかくね!?」
「よくこんな大きいの建てたな」
「やっぱり、一生使うものだからね! 奮発したよー!」
ビクターが全員を庭に下ろし、車庫に車を入れている間、ラシュレイたちは家の前で集まっていた。
「もはやこれはブライスさんたちからのプレゼントだよね!! ブライスさん、ありがとうございます!!」
ケルシーが空に向かって叫んだ。ラシュレイも彼女の声を追って空を見上げる。すっかり日が登り、真上から太陽が自分たちを照らしていた。
きっと、彼もあの空のどこかに居るのだろう。
「ラシュレイさん」
キエラに名前を呼ばれた。ラシュレイは空からキエラに視線を戻す。家の扉が開いて、ケルシー達が中に入っているところだった。
「行きましょう」
キエラが自分の手を引いて家の中に入った。
*****
家の中は二人の性格がよく感じられた。物は少なく、きちんと整頓されている。
ビクターは小物などは置かない主義らしいが、ケルシーはその逆で可愛らしい小物を集めるのが好きらしい。
研究員時代にはできなかったことをこの家で沢山したいらしく、テレビ周りや玄関周りなどに小物用の棚が作られていた。ビクターの手作りらしい。
彼女のためにトンカチと釘を手にする彼の姿が容易に想像できた四人だった。
今思えば二人の相性は驚くほど良かっただろう。もともと単体で仕事が出来るというのに、二人が合わされば怖いもの無しである。
ラシュレイたちはリビングのソファーに座らせてもらった。持ってきたキャリーケースなどの荷物は端に置く。予定では今夜はこの家に泊まることになっている。来客用の部屋もきちんと用意しているらしい。さすがはビクターとケルシーである。
「中も広いな」
リビングは、車が何台も入りそうなほどの広さだった。ビクターがさっき車を入れていた車庫も丸ごと入るくらいの広さだ。
「でしょー!」
ケルシーは紅茶とお茶菓子を用意してテーブルに置いていた。その食器もまた高級なブランド物であり、お菓子もラシュレイが家の近くの店では見たこともないような高価なものだった。
「二人の場所がオフィスから家に変わるなんて、人生何が起こるかわかんないよなー」
いつまでも感心しているバレットの横で、エズラは黙々と出されたお菓子を食べていた。顔がキラキラと輝いているのは気のせいではない。彼はB.F.でも指折りの甘党なのだ。
「そういや、ビクターは?」
「車を車庫に入れているんじゃないですかね?」
キエラが外を見る。レースカーテンがかかっており、外の様子はよく見えなかった。ケルシーは「ああ、ちょっと待ってね」と言ってレースカーテンを開ける。窓からは庭の様子がよく見えた。
そしてそんな庭に、さっきまでは無かった車が停まっていることに一同は気づいた。
「誰か来るのか?」
エズラがようやくお菓子を飲み込んでケルシーに問う。
「そうだよ」
ケルシーがレースカーテンを紐で縛ると、お茶の用意の続きをするためにテーブルに戻ってきた。そんな彼女の手元には、明らかに此処に居る人数を遥かに上回る数のティーカップとお菓子が用意されていた。
ラシュレイは外に停まっている車を見てみた。此処に来るまで乗ってきたケルシーとビクターの車よりは一回り小さいが、高級車であることはラシュレイも分かった。そして、その車に自分は過去一度だけ乗ったことがあることも。
「あーっ!!」
バレットが途端立ち上がって、車の助手席を指さす。
「なんだよ」
エズラはおまけに、とケルシーから貰った新しいお菓子の包みを開けながら、煩わしそうにバレットを見上げる。
「あれってカーラじゃね!?」
ラシュレイも彼の指さす先に視線を送った。確かに、助手席に座っているのはカーラ・コフィ(Carla Coffey)だ。いつぶりだろうか。もう一年近く会っていない。
彼女も此方に気づいたのか、控えめに微笑んで手を振っていた。
「え、じゃあ......運転席の方は......」
キエラが目を細めるが、カーラの影に隠れて運転席に座る者は分からなかった。
やがて、少し経過して玄関の方が騒がしくなった。
「お邪魔しま......広っ!」
それはラシュレイもよく知る男性の声だった。
「あらー、良いお家住んでるわね」
それに続いて何処か妖艶さを感じさせる女性の声。エズラが飲んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
「お、お邪魔します」
「へえー、広いな」
それに続いて落ち着いた少女の声と、また男性の声。
やがて、リビングに入ってきたのは四人の男女だった。
カーラ、ベティ・エヴァレット(Betty Everette)、コナー・フォレット(Connor Follett)、そしてジェイス・クレイトン(Jace Clayton)だ。
「あら! 久しぶり!」
エズラがラシュレイの後ろに隠れた。彼にしては珍しく怯えていた。視線の先にはベティ。何か苦い思い出でもあったのだろうか。
「よ、ラシュレイ」
ジェイスが微笑んで片手をあげる。ラシュレイも頭を軽く下げてそれに応じた。
「あの、ケルシーさん。これ......皆さんでどうぞ」
カーラがおずおずとケルシーに紙袋を渡す。
「わ〜、ロールケーキ!! ありがとう!! エズラ、やったね!」
「ロールケーキ......!」
お菓子に釣られて、簡単にラシュレイの背中の影から出てきたエズラを、バレットは呆れ顔で見た。
「すごい家ね。これ、新築でしょう」
「はい! 新しく建てました!」
「へえ、良いわねえ。子猫ちゃん、あたし達も建て直しましょうか」
ベティがカーラを見る。
「いえ、私は今のお家も気に入っているので」
カーラがそう言うと、「ん?」とバレットが眉をひそめる。キエラも首を傾げていた。
「え? お二人は......」
「一緒に住んでるのよ。その方が何かと都合もいいし、ねえ」
「えっ、初耳」
ジェイスとコナーがギョッとしてベティを振り返る。
「あら? ジェイスには言ってなかったかしら」
「いや、聞いてないですけど」
「ベティさんに折角なら、とお家に住まわせて貰っているんです。といっても、私はお家のことをやるだけなんですけれど......」
カーラがキエラの横に腰掛けた。
「医者の仕事も忙しいし、どうしてもお家が散らかるし......ご飯も作れないから、子猫ちゃんに任せてるのよ。賑やかだし一石二鳥よねえ」
「いいなー」
バレットの羨望の目がカーラに向けられる。
「お母さんと娘的な感じか」
「え? ジェイス何ですって?」
「あ、いや。お姉さんと妹さんって感じですね」
「そうよねー! よく言われるの!!」
ベティが頬に手を当てながら笑った。その手にいつかの指輪が光っていた。
「皆さん、好きなところに座ってくださいねー」
ケルシーがお茶とお茶菓子の準備を終えたらしい。テーブルには10個のティーカップが並んだ。
ビクターもやって来て、彼はケルシーの横に座った。客の人数を想定してあるのか、床に座っている者は誰も居らず、皆きちんとソファーに腰掛けていた。
それでもまだ空きがあるリビングなので、本当に広い。
「今日はお集まりいただいてありがとうございます」
華やかになったリビングで、話に花を咲かせていた一同だが、それも治まってきた頃ビクターが口を開いた。
彼の脇には分厚いファイルが挟まれていて、彼はそれを膝の上に移動させた。
「電話越しでも簡単にお話した通り、今回皆さんに集まっていただいたのは、Black Fileの再建を考えているためです」
「新たしく建て直すってことね?」
ベティの問いにビクターは「はい」と頷く。
「と言っても、まだ大まかなことしか考えていません。今日は意見を聞きたいと思ってお呼びしました。建て替えるかどうかで、意見は大きく別れると思っていますし」
「まあね。でも私は悪くないと思うわ。あれだけ頑張って建てた会社だし、皆で守ったものだもの。積み上げた結晶を今更無かったことにしようだなんてできないし。それはブライスも望んでいないでしょうしね」
ベティが目を細める。
「じゃあ、ベティさんは賛成ということで」
「ええ、そうよ」
「では、他に意見がある方」
ビクターが周りを見回すと、バレットがおずおずと手を挙げたのが見えた。
「そもそも、会社ってそんな簡単に作れるものなのか? 全く同じ規模でやるってなったらとんでもないお金と場所と、あと人が必要じゃんか」
「まあ、それなりに準備は必要だな。でも、此処には会社の設営に携わったベティさんが居るし、ブライスさんも何とか資料を残しておいてくれた。時間はかかるかもしれないけど、場所と費用さえあれば特に問題は無いと思う」
「そもそもさ」
ジェイスが口を開いた。
「どうして作り替えたいと思ったわけ?」
ビクターの目はちらりとケルシーを見た。アイコンタクトを貰ったケルシーはニコッと笑った。
「大きなところは、ベティさんと同じ意見です。私たちが心のケアのために隔離されていたときに使っていた施設で、ブライスさんたちが残してくれた大量の資料を見つけたんです。超常現象に関するものもですけれど......一番最初に、B.F.を設立する時に作ったものを。やっぱりブライスさん、もう一度B.F.が建つことを想定して資料を作っていたんですよ。私たちが理解しやすいように何度も推敲されていました」
「ブライスさんが......そんなことまでしていたのか」
コナーが目を丸くする。
「はい。ビクターが持っている資料がそうです」
ケルシーがビクターの膝の上にある分厚いファイルを見て言った。
「そんなに......」
バレットが呟く。
時間もない中だっただろうに。彼はやはり仕事の速さが尋常じゃない。
「気持ちが追い込まれている中でも、とにかく将来を背負う後輩を困らせたくはなかったみたいね」
ベティが苦笑した。
ケルシーも「はい」と頷く。
「何年も働いてきた場所はもう、我が家と変わらないくらい思い入れがある場所ですから。きっとみんなにとってもそうだろうな、って思ったんです」
彼女はコナーに笑いかけた。
確かに、とラシュレイは思った。三年とはいえ、あれだけ濃い経験をしながら過ごした施設は、もう家とは変わりない。共に過ごしてきた仲間も家族のような存在と化していた。ペアの研究員だったとしても、兄弟や親代わりになっていた人だって大勢居ただろう。
「じゃあ、B.F.は再建する方針で行くのね」
「はい! 反対意見、他にありますか?」
誰も手は挙げなかった。
「次に考えるべきことは、やっぱり場所だよな」
バレットが腕組をして首を傾げる。
「あの土地はもう使えないんだったか」
エズラが問うと、答えたのはビクターだった。
「地下にまだ埋まってるからな。そうなると、また新たに土地を確保する必要がある」
「じゃあ場所は、ノースロップ・シティじゃなくなってしまうということですか?」
キエラが聞いた。そうかもしれないな、とビクターが頷く。皆が目を伏せていた。やはりB.Fと言えばノースロップにあるものだ。彼処にしか本社がない、唯一無二の場所なのだから。
「でも、何もあれだけ巨大な施設を作る意味はないと思うのよね」
そう言ったのはベティだった。
「例えば、実験室だけ人気がない別の場所に作るとして......オフィスは街中にあったって構わないと思うの。危険な実験だけは郊外で、って感じで」
「なるほど......それならあまり人目を気にするとこもなく実験できるでしょうし、一般人への安全も考慮できています。オフィスも実験室も、何も地上にあったっていいわけですし」
ビクターがペンを紙に走らせた。
「自室もなくなるのか?」
バレットがビクターに聞いた。
「そうだな。仮眠室みたいなものはあってもいいだろうが、もう会社から出ては行けないというルールは捨ててもいいだろうな。大体の研究員は家からもオフィスに通えるだろうし」
「そうよね。ま、メディアに追っかけられるのが嫌なら会社に泊まり込んで実験でもしてればいいんじゃないかしら」
ベティがそう言って肩を竦めた。
あの事件以来B.F.は陽の光の元に出てしまった。あの爆発も何もかも派手にやりすぎたことが原因だろう。色々な憶測だけで物を言われ、傷ついた職員の数は計り知れない。今日まで何人も、元B.F.職員たちを追いかけるメディアの人間を見てきたのだ。
「この前も見ましたよ。献花してるところを撮られました」
不満げに言うのはケルシーだった。
「ま、あれだけ派手に暴れればメディアも黙ってられないわよ。ワイドショーのネタになるくらいのことはしたんだし、何しろ政府がねえ。エスペラントに頭空っぽにされて、もう言ってることが支離滅裂なのよ」
「そんな彼らとビクターは今からお話をする、と」
バレットが同情の目をビクターに注ぐ。
「仕方ないだろ。もう一度B.F.を作るなら」
「あんだけのことを乗り越えたら、政府なんて可愛いもんだよ」
ビクターにそう言ったのはジェイスだった。
「出来る限り交渉はしますが......手伝って欲しい時はすぐ連絡しますね」
「もちろんよ。その為の私たちだもの」
ベティが頷くと、ビクターは「では」と全員の顔を見回した。
「B.F.を作り直すという交渉を政府とする、ということで。結果は分かり次第メールや電話でお伝えします」
皆が頷いた。短い話し合いが、そこで幕を閉じた。
*****
「今日は来てくれてありがとう、ラシュレイ」
寝泊まりする部屋に荷物を運び込み、リビングに戻ってくると、ケルシーがカーラと並んで夕食の準備をしていた。何か手伝う、と言うと皿を並べて欲しいと言われたので、ラシュレイはテーブルに皿を丁寧に並べているところだった。
料理を皿に盛り付けに来たケルシーがそう言った。
「いっぱい悲しい思いをしたけど、まだやれることはあると思うんだよね」
シチュー、サラダ、そしてパンが手際よく皿に盛られていく。
「ブライスさんはさ、まだ希望を捨てていないと思う。私たちにバトンを繋いでくれたんだよ。将来を担うって信じてくれた。残してくれた資料を見るだけで、すごくそう思う」
「......はい」
「解決してない超常現象だってたっくさんある」
「......そうですね」
「あんなことがあると、まだ職員を続けるかは迷っちゃうけど」
ケルシーがふと手を止めた。彼女の横顔は寂しげだった。
「でも、あの不思議な体験をもう一度求めちゃうから、私たちはどうしても止められないんだよね。追求心ってやつ? 楽しいもんね、実験」
「......はい」
そう、実験は楽しい。超常現象がいくら恐ろしくて、どんなに危険なものかを知っていても。あの不思議なものを前にして、興味というものを止められないのは、研究員のほとんどが体験したことだろう。
ブライスを初めとした研究員の思いを引き継ぐという理由だってあるが、それ以前に_____自分たちは、超常現象に魅了されているのだろう。あの奇妙な体験を求めてしまっているのだ。
きっと、彼らもそうだった。最も初めにそれに気づいたブライスらも、そしてその世界に引きずり込まれた後世も。
果たして、彼らが居なくなった今、同じ気持ちを実験で味わえるのか。
それは分からない。まだ始まっていないからだ。
これから再び始まる。
次に出会える超常現象を、研究員らは自然と求めてしまうのだ。