朝日が昇る
赤茶色の髪の少年は何度も同じ夢を見る。
オフィスに入ると金髪の彼女は自分に優しい表情でおはよう、と言ってくる。自分も元気よくおはようございますと返す。
それから一緒に背中合わせで仕事をし、報告書を提出しに行くと、どこだっただろうか、と忘れて彼女に呆れられる。二人でまた書き直す。
ありふれた日常を切り取っただけのはずなのに、どうしてこんなにも幸せに溢れているのか。
それが戻らないものだと夢から覚めてわかった瞬間、どうして涙が溢れて止まらないのか。
*****
キエラはベッドに横になって手の中のコインを見つめていた。
幼い頃に迷子になった自分は当時まだ子供だったイザベルに助けられた。彼女は自分にチョコレートを買ってくれた。その中に入っていた玩具がこのメダルだった。
絶対に忘れないと思っていたのに。気づけば少女の顔だけを忘れて、欠けた記憶だけを、パズルのピースのように大事に握りしめていた。
彼女は思い返せば、一年以上ずっとモヤモヤしていたのではないか。
目の前の少年は自分があの日公園で出会った迷子だ、と気づいていたのだ。そして、十何年もの間それを忘れないでいた。メダルを持っていたことがそれを現している。普通あんなに小さな子供との約束事など忘れてしまうのがオチだ。なのに彼女は、大事なメダルを持っていてくれた。約束通りこれを返してくれた。
「イザベルさん......」
彼女は迷子になる自分を許してくれた。会社の地図が頭に入らず、報告書を紛失しても、彼女はほとんど怒らなかった。迷子になると、またか、など言われた。そして成長したのは身長くらい、とも。
今ならその意味が分かる。自分はあの日から本当に背しか成長していないだろう。幼いままだろう。今でさえ、迷子と変わりなく、居なくなってしまった彼女を探して、気づけば泣き出している。
イザベルはもう戻ってこない。あの優しい顔で何かを言われることも無い。美しい顔をもう見ることも出来ない。それがとてつもなく悲しい。
彼女に一言言いたいのだ。今度は彼女の大切なものを自分に預けて欲しいと。それを何年でも何十年でも自分は持ち続けると。そうすればいつかそれが導いて、再び会うことができる。
とにかく会いたい。それだけだった。
あの日と同じ願望を、少年はまだ持ち続けていた。
*****
カーラはブランケットに包まれて眠っていた。彼女もまたベッドの上の住人だった。
赤いブランケットはクリスマスの日にドワイトから貰ったものだ。よく机で眠っていた自分が風邪をひかないようにと彼がプレゼントしてくれたのだ。
爆破事件の際、職員らが運び出していたに持ちものの中にこのブランケットを見つけた時、ドワイトが入れてくれたのだと瞬時に理解した。
それから毎日のようにこれに包まれて眠っている。これが無いと眠れないほどになっていた。
ガラスのエレベーターに最後に乗せられた時、ドワイトはひとりじゃないと言った。地上で待っていると。ラシュレイやコナーやキエラ。自分の仲間はまだ居ると、教えてくれた。
皆、等しく親しい人を亡くしただろうしその点では、仲間に変わりないだろう。だが、あの日から二ヶ月が経過して、カーラはほとんど誰とも顔を合わせていない状況だ。こんなに気持ちが沈んでいる状態で誰かと会話ができる気がしなかった。
こんな自分を見たらドワイトはどう思うだろうか。情けないと思われるだろうか。いや、彼ならきっと優しい笑みを浮かべて、あの大きな手で優しく頭を撫でてくれるだろう。
心地良いあの重みを思い出して、カーラは再び眠りに戻った。
*****
ラシュレイは家に戻ってきて、普通の少年へと戻った。といっても心の傷は深く、週に何度かはシャーロットが家に来てカウンセリングをしてくれる。母親とも仲が良くなったらしい。シャーロットが美味しいお菓子とお茶を置いていってくれるとそれがそのままおやつに出てくるということもあった。
母親はまだ絵本作家として活躍していた。ラシュレイが地下に潜っている間に大作を生んだらしく、大ヒットしたのだとか。しかし、さらに驚いたことがあった。
「貯金のお金が増えていたのよ」
母親はある日不思議そうに言った。
名前はノールズ・ミラーとなっていた。シャーロットに聞くと、ブライスが星5達に給料の使い道については、それぞれが使いたいように使うという形をとったらしい。ノールズは半分を自分の家に、そして半分はラシュレイにくれた。手紙にはそんなこと一言も書いていなかったのに。
ニュースはつける度にあの日を連想させる言葉が出てきた。爆発、炎、煙。そのどれもがラシュレイの心をざわめかせる。だから彼は家でニュースをつけなかった。テレビを消して、食事を済ませたらすぐ部屋に戻った。母親はシャーロットから様々なことを聞いているようで特に何かを言うこともなかった。
「美味しかった?」
聞いてもそれくらいだった。ラシュレイも「うん」と頷くくらいだ。
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施設から出てきて二ヶ月後、つまりあの日から四ヶ月が経過した。ラシュレイの元に再び手紙が送られてきた。
封を切ってみると、シャーロットからだ。『見せたいものがあるから、明日の朝四時に迎えに行く。』とそんな内容だった。
一体そんな朝早くから何を見せられるのだろうか。治療の一環ならば参加することになる。
*****
ラシュレイが早起きすると、まだ太陽は登っていなかった。シャーロットはきちんと迎えに来た。後部座席にキエラ、カーラ、そしてコナーの姿があった。
あの三人はB.F.に居た時はよく見かけたものの、あの日以来はすっかり見かけなくなった。
「よろしくお願い致します」
シャーロットに母親が頭を下げる。シャーロットは「はい」と頷いてラシュレイを車に案内した。助手席に乗せられ、彼女も運転席に乗り込む。
「あの人がラシュレイのお母さんか?」
コナーの声がした。ラシュレイは玄関先でラシュレイに小さく手を振る彼女を見る。
「はい、そうです」
久しぶりにシャーロット以外の職員と話した。コナーの声色はあまり明るくはなかった。彼の場合、ナッシュやドワイトを亡くした悲しみが大きいのだろう。ドワイトとも仲を深められたし、ナッシュとだってよく実験をしていたから、仲が悪いというのは上辺だけのようだ。
「綺麗な方ですね」
カーラの声がした。バックミラー越しにちらりと見ると、彼女は母親に向かって小さく手を振っていた。母親から見れば年齢がちぐはぐなこの車の中は奇妙に見えるかもしれない。だが、あの施設での日々を聞いた後であるからか、嬉しそうに手を振り返していた。
「さ、行くわよ」
シャーロットが車を出す。
「一体何処に行くつもりなんすか」
どうやら三人とも知らないらしい。車の方向を考えるに、ラシュレイが数ヶ月を過ごしたあの施設に戻るわけでは無さそうだ。
*****
やがて辿り着いたのはまっさらな更地だった。全員の顔が強ばる。だが、シャーロットはたんたんと扉を開いて、外に出た。それにコナーが続き、カーラ、キエラと続く。ラシュレイはなかなか車から下りることができなかった。
この場所はB.F.の跡地だ。地面の上には何も無いが、地下にはまだ研究員たちが眠っている。その事実にラシュレイは車から下りることは愚か、窓も扉も開くことができなかった。
「ラシュレイ、あなたに会いたい人が居るそうよ」
シャーロットがなかなか下りてこないラシュレイにそう言った。ラシュレイはその人を目だけで探した。すると、遠くの方から誰かが歩いてくる。一瞬自分の先輩のように思えた。笑い方も、目の光も。だが違う。圧倒的に違うのは髪の色だ。ノールズは金色だったのに対して彼は黒なのだ。
「ジェイスさん......」
ノールズの元ペアであるジェイス・クレイトン(Jace Clayton)だった。彼は車の傍らにやって来て、ラシュレイ側の扉を開いた。
「久しぶり」
彼とはあの日以来だ。彼はあの日自分に手紙をくれたのだ。ノールズが自分宛に書いた手紙は、彼の手から渡されたのだ。
「元気そうだな。似合ってるよ、それ」
ジェイスは笑って自分の頬をトントン、と指で叩く。ラシュレイは「あ」と声を上げて自分の頬に触れた。湿布だ。その下にある超常現象は、ノールズの形見だった。
「よっしゃ、俺についてきな。お前に見せたいものがあるんだから」
ジェイスはそう言ってラシュレイの手を取る。彼のおかげか、すんなり車から下りることができた。
何が待っているというのだろう。
ラシュレイは手を引かれながら考える。もし彼らが生きていたとしてあの場所に立っていれば......。
「ほら、見てみ」
ジェイスが足を止めたのでラシュレイも足を止める。三人の背中が見えた。自分よりも先に車を下りた三人である。シャーロットもその傍らに立っている。
「形として残しておきたくてさ」
三人の背中の向こうに、膝くらいまでの石が地面から生えるようにして立っている。よく磨かれた石だった。
「政府にOK貰うのはちょっと時間かかったけど、でも、やっぱり何も無いのは辛いじゃんか」
ジェイスが手を引いて石の前まで連れてくる。石の表面に文字が掘られていた。
【英雄達此処に眠る】
じわりと視界が揺れた。
その文字を見た瞬間、彼らとの楽しかった日々がラシュレイの頭の中を駆け巡った。
そう、彼らは英雄だった。まさにヒーローだった。
忌々しい家から出た自分を迎えてくれた、もう一つの家。
家族のように毎日同じ時間を過ごした人達。
後輩を守る為ならば何だってする、あまりにも勇敢すぎるヒーロー達が、そこには居た。
ラシュレイは石にそっと手を伸ばす。ひんやりしている。体制を変えると、視界の端で何かが光った。オレンジ色の光だ。
朝日だ。
その光を受けてキラキラと石が輝きだす。
「朝が来たわね」
シャーロットが目を細めてそう言った。
それはあの日、真っ暗闇に放り込まれた自分たちの夜が明けたことを示す光だった。
温かい光の中、ラシュレイは小さく名前を呼ぶ。
「......ノールズさん」
何処かで、優しく自分を呼び返す、先輩の声が聞こえたような気がした。それはきっと幻聴ではなかったと、ラシュレイは今も信じている。
読んでいただきありがとうございます。
これにてシーズン1終了です!
沢山の方に読んでいただけてとっても嬉しいです!!
シーズン2もまたよろしくお願い致します!