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Black File  作者: 葱鮪命
124/193

炎の中で

 彼女はエレベーターの中に腰をかけて目をつぶっていた。撃ち抜かれた腹から流れ出るものが、エレベーター内に海のように広がっている。


 キエラは落とした資料に目もくれず、エレベーターの中に歩いて行った。


「イザベルさん」


 ストン、とその場に膝をつくと、ズボンに液体が染み入る感覚が伝わった。彼女の顔を見ると、雪のような白い肌に血がついていた。彼女のものか、それとも他人のものなのか。キエラにはどうでもいいことだった。


「イザベルさん_____」


 キエラが声をかけても、彼女は目を開かない。いつもの「何?」というあの眉を顰めて怪訝そうに聞き返してくる彼女が、今日はとてつもなく静かである。


「イザベルさんっ!!」


 キエラは耐えきれず、彼女の肩を掴んで前後に揺すった。


「返事をしてください!! 僕ですよ!? キエラ・クレインです!! 嘘ですよね!? 死んでいませんよねっ!!? 地上で会うっていう約束だったじゃないですか!! 何で_____何でっ......」


 目から溢れて止まらない涙が、血の上にポタポタ滴った。キエラは下を向いて、震えた唇で言葉を紡ぐ。


「何で......何で......何でですか......」


 彼女が約束を破る人間じゃないことを、彼はこの一年と少しで身に染みて感じてきた。ルールや約束を忠実に守る彼女が、まさかこんな形でそれを破る日が来るとは。


 自分は彼女にとって約束を守るに値しない人間だったというのか。


 自分は彼女の何だったのだろう。


 エスペラントに誘拐された時、真っ先に気絶をさせられて足でまといになった自分。

 また、どんな実験においても、自分が変なミスをするせいで完璧主義の彼女が失敗を犯すことも少なくはなかった。

 報告書の制作が思うようにできず、それを届ける度に迷子になり、更には報告書を紛失するものだから、彼女の時間を大幅に使ってそれを直した。


 彼女にとって、自分はどんな助手だっただろう。

 少なくとも自分は、最高の先輩に出逢えたと思った。


 初めて彼女に出会った瞬間を今でも忘れない。

 入社式の、先輩たちが並ぶあの列に、一際目立つ綺麗な女性を見つけたこと。その瞬間、自分の助手志願の相手は決まっていた。

 どんなに断られようが、自分には彼女しか居ないと思ってしつこく頭を下げに行ったのだ。


 助手にしてもらえた瞬間は、人生で一番嬉しかった。


 彼女との日々がかけがえのない一日一日で、毎日大切にしてきたつもりだった。何がいけなかったのだろう。それの何がダメで、この状況が生まれてしまうんだ_____どうして、ひとりでこんな場所に座らせてしまっているんだろう。


「キエラ_____」

「!!」


 顔を上げると、彼女が薄目で此方を見つめていた。


 意識が朦朧としているのか、その瞳に自分は映っていないが、キエラは彼女の手を取って自分の胸に当てさせた。


「僕は此処です!! イザベルさん、しっかりしてください!! 死んじゃ嫌です!! 僕と外に出ましょう! 僕とまだ一緒に実験をしましょうよ!!」


「......どうして、泣いているの?」


 イザベルはキエラの頬にゆっくりと手を伸ばし、その指で涙を掬いとった。


「......守れない約束、してしまったわね」

「そんなことありません! 今から果たすんですよ!! 背中に乗ってくださいっ!」

「......」


 イザベルは微笑んで彼の頬を撫でている。


「いいの、もう、いいのよ。キエラ、今日までありがとう。すごく楽しかったわ、幸せだった」


 イザベルはおもむろに手をキエラの赤毛に乗せる。愛おしげに何度も何度も、その柔らかい髪に指を埋めて、幸せそうに顔に笑みを浮かべていた。


「迷子になってばかりの、私の助手_____誰よりも一生懸命で、誰よりも可愛くて......あなたに会えて、本当に良かった」


「嫌ですよ......僕はまだ、まだ、イザベルさんに見合う助手になんてなれていないんです。まだ、あなたに教えてもらいたいことがいっぱいあって......だから、教えてください。報告書の書き方も、実験の仕方も......食堂でいっぱいご飯食べましょうよ......ね、ね? イザベルさん......イザベルさんっ......」


 キエラがイザベルの手を握りしめて、自分の目に押し当てた。震える唇から、とうとう堪えきれず嗚咽が漏れた。イザベルはその様子を、微笑みを浮かべながら見守っていた。頭を撫でる手が、段々とゆっくりになっていく。


『緊急放送、緊急放送。階段に居る星4研究員の人達は、武器を持って応戦をしてください。階段の周りの守りを固めてください_____』


 それはリディアの声だった。


 イザベルはその放送を聞いて、キエラの頭から手を離した。その手を、彼女は自分の白衣のポケットに入れた。そのポケットから取り出したものを、彼女は自分の口元に持っていった。


「......キエラ」


 キエラは涙を握って、視界いっぱいに彼女を入れようと思った。ぼやけた視界に映った彼女は、とても綺麗だった。


 イザベルは、手に何かを持っている。それは、金色に輝く、一枚のコインだった。イザベルはそれを、自分の唇に優しく押し付ける。


 キエラはそれを見て目を見開いた。


「_____イザベルさん」

「キエラ・クレイン君」


 イザベルが微笑んで、コインから唇を離す。それを、ゆっくりとキエラの口元にかざした。


「メダル、返したわよ。もう、迷子になっちゃダメだからね」


 メダルが、キエラの唇に押し付けられた。キエラは、メダルを持つ彼女の手に、自分の手を重ねた。


 _____嘘だ。


 口からそんな言葉が出るはずが、代わりに出てきたのは涙だけだった。だが、彼は呼吸ができなかった。この場にある酸素を使いきってしまったかのような、そんな感覚だ。体の底から、何かが蘇る。頭が、熱くなっていく。


 そんなことあるはずがない。


 今まで、一緒に過ごしてきた彼女は_____自分がずっと探していた_____。


 イザベルの手が、キエラの手の中からするりと抜けた。


「イザベルさん」

「キエラ、大好きよ」


 キエラはその時、思い出した。


 昔、迷子になったことがある。

 母親とおもちゃ屋ではぐれた小さな男の子は、自分の足で公園まで歩いた。

 そこで二人の姉妹に助けてもらった。金髪がお揃いの、優しい少女たちだった。


 メダル入りチョコレートというものを、近くのケーキ屋で姉の方に買ってもらった。キエラはそれが大好きで、中のメダルをコレクションしていた。


 唯一出なかった、王冠を被ったワシのメダルが、その時奇跡的にキエラのチョコレートの中に入っていた。あの時は本当に、本当に嬉しかったのだ。


 彼は当時、去り際にその姉妹の姉の方にメダルを手渡した。それは、もう二度とあの少女に会えないと思った彼が思いついた唯一の方法だった。


 このメダルを渡して、次会った時に返してもらう約束をするのだ。そうすれば、また必ず会わなければならなくなる。また、あの少女に会える。


 そう思って、今日此処まで来た。


 いや、この瞬間は想像すらしていなかった。


「イザベルさん_____」


 キエラが手を伸ばしたその柔らかい笑みは、たしかに知っているものだった。


 どうして気づかなかったのだろう。

 一年と少し、自分はあの日の少女と_____。


 大きな爆発音がして、建物が揺れた。キエラが「うわっ!!」とエレベーターの外に投げ出される。腹の下で床にばら蒔いた資料が折り曲がる感覚があった。手のひらからメダルが転がって、遠くの床にことん、と倒れた。


「キエラっ!!」


 キエラが床に倒れて呆然としていると、突然上から自分の名前が降ってきた。驚いたキエラはゆっくりと視線を上げた。


 銀髪が美しい男性が立っている。片方の肩には同じ髪色の男性を抱えて、激しく息を切らしていた。


「ナッシュさん......」

「何をしているんだ! すぐ逃げろと、放送で何度も言っているはずだよ!!」

「でも......でも、イザベルさんが......」


 キエラはエレベーターの中で再び動かなくなったイザベルを見て子供のように訴えた。ナッシュはエレベーターの中をチラリと見て、キエラの頭をくしゃ、と乱暴に撫でた。


「資料を拾い上げて。生憎こっちも荷物持ちなんだ」


 キエラはナッシュに抱えられている男性を見る。何処かで見たことがあるような気がしたが、今の彼には記憶を遡る気力すら無かった。


「イザベルさんも......」


 彼女も連れて行って欲しい。


 そう思って彼を見たが、ナッシュは首を横に振った。


「キエラ、もう君は彼女からたくさん学んでいるはずだよ。その知恵さえ持っていれば、怖いものなんて何も無いさ」


 ナッシュは優しくそう言って、泣きじゃくるキエラに「さあ」と促した。


 *****


 二人の姿が煙の向こうに消えるのを、細くなった視界からイザベルは確認した。


 渡すことが出来て良かった。


 彼との再会は突然だった。あの日、名前を言われてすぐに分かった。あの赤毛も笑った顔も全く変わっていなくて。奇跡とは本当に起こるものなのだと思った。再開した時は笑ってしまいそうになった。だって彼、私の顔を忘れているんだもの。


 ある日突然、彼はあの日のことを話してくれた。懐かしいと思うと同時に、やはり彼は自分を忘れてしまっているんだな、と再確認した。だから、サプライズを企画していたのに。


 違う意味で泣かせることになってしまったわ。


 イザベルは大きく息を吐いた。


 でも、渡せた。もう悔いは無い。もう何も。あとはゆっくり、眠るだけ。


「......?」


 目を開いて気づいた。


 目の前に懐かしい金髪の少女が倒れているのが見えた。自分に向かって這って来たが、途中で意識を失ったのだろう。片手を伸ばしたまま、床に伏していた。


 逞しくなったその手は、もうあの頃の彼女のように綺麗ではなかった。色んな人を殺してきたんだろう。そうせざるを得なかったのよね。


 イザベルは最後の力を振り絞って、妹を抱き寄せた。


 もう大丈夫、もう辛い思いをさせない。


「チェルシー」

 呼んでも返事はなかった。


 安心して。今まで助手を守るのに精一杯だったけれど、その役目は今果たしたわ。今からはまた、あなたのお姉ちゃんだからね。


 イザベルは死の足音を聞きながら、目を閉じようとしたが、ふと懐かしい香りを感じた。二つの異なる、懐かしい香り。


「......イザベル」

「......!!!」


 それは、ずっと会いたいと願っていた人達だった。それは、彼女がずっと探していた人物だ。


「ハロルドさん、先生っ......」


 声はほとんど出ていなかった。いや、彼女の口は少しも動いていない。だが、二人は優しく微笑んだ。暖かい光が、姉妹を照らす。


「よく頑張った」

「偉いぞ。すごいぞ。イザベル、それに、チェルシー」


 二人に触れる。イザベルはその温かさに体を埋める。


 やっと触れられた。やっと一緒に居られる。


 いつかドワイトが言っていた言葉をイザベルは思い出す。二人が帰って来なかった後に、彼はたしかに言った。


「ちゃんとまた会えるよ。イザベルならね」


 そう、きっと。その時を信じて、彼女は今日まで生きてきた。


 そして今その瞬間がやって来たのだ。


 チェルシーが目を覚ました。彼女は暖かい光に驚いたようで、イザベルとハロルド、タロンを順番に見て驚いている。


 イザベルはドワイトを探す。彼は案外近くに居たような気がする。


 彼は笑った。


「会えたかい?」


 彼はいつもの優しい声と笑顔で問う。


「はい......」

 イザベルも笑った。安心したような、泣き笑いだった。


「会えました_____」


 この続きを語るものは、もういない。


 *****


「カーラちゃん!!」


 ルディが、廊下の先に銃を向けながらカーラを呼んだ。カーラは「はいっ」と返事をする。二人はエレベーターの近くまで来ていた。


「ワイヤー伝って下に降りるから!! おじさんがいいよって言ったら飛び込むからね!!」

「わ、わかりました」


 エレベーターはやはり止まっているそうだ。ルディはそれをすぐ分かったらしい。彼には謎が多いが、経験と知識は豊富なのだ。今は一人でドワイトを探すより、彼と共に探す方が会える確率がぐんと上がるに違いない。


「よし、いいよっ!!」


 近くに転がっていたエスペラント兵のポケットから爆弾を取り出して、それを廊下の奥に投げたルディは、合図をした。カーラは開け放たれた扉の向こうにある、一本の黒い線に飛んだ。ルディも彼女と共に飛んで来る。


「おっけおっけ!! 上手いじゃん!!」


 二人はそのまま下まで降りる。その途中でルディはまた爆弾を落とした。ある階の扉に、彼は大きな穴を開けた。


「よし、そこに飛ぶよ」


 ルディがカーラを抱き上げて、穴に向かって飛び降りた。穴の向こうの世界をカーラは知らなかった。こんな階はあっただろうか、と記憶を辿るが、やはり記憶には無い。


「ルディさん、此処は?」

「んー? さあ、どこだろ。何せおじさんも初めて来たからなあ。でもまあ、行く価値はありそうだよ。ほら」


 ルディは廊下の奥を指さした。カーラは気づいた。一箇所だけ扉が開け放たれていて、そこから話し声が漏れてきているのだ。それは、たしかに自分の先輩の声だった。カーラの目にじわりと涙が浮かぶ。


「じゃ、そういうことで。おじさんは撤退しますよ〜」


 ルディはカーラの頭をポンポンと撫でて、エレベーターを更に下って行った。カーラは「ありがとうございます」とお礼を言って、すぐに走り出した。


 向かう場所は、自分の先輩が居る部屋だ。


 *****


 エズラはたしかにその声を聞いた。


 放送をしていたのは女性の声だった。若い女性の声。


 内容は恐ろしいのに、声は明るくてハキハキしていて......何年か前、自分を助手にとってくれたあの先輩の声である。


 エズラは登りかけていた階段から足を下ろして、廊下を全力で走り出した。廊下に居た兵たちを、護身用として持たされた銃で一掃して道を作った。既に傷を負った兵ばかりだったが、もし彼女も傷ついていたら背負っていくことを考えて、先に始末しておくのが一番だ。


 エズラの頭には彼女しか無かった。


 彼女はふざけたことを言う割には根は真面目だ。きっと最後まで自分の仕事を貫き通しているに違いない。


 あいつだけは殺させたくは無い。何があっても。絶対にだ。


 *****


「コナーさんっ!!」


 地上へ何とか登り、外への避難ができたコナーは、先に地上に避難していたらしいビクターとケルシーが駆け寄ってきたことに、安堵した。


「ああ、お前ら......良かった、無事だったんだな」


 二人に手を貸してもらって立ち上がり、遠くの芝生まで歩いて行って施設から離れてから、コナーは力が抜けたように再び倒れ込んだ。


「ったく......何が起こってるんだよ。みんな無事なのか?」


 顔を上げたコナーは、ビクターの表情に気づいた。彼はこれまでにないほどの焦りを、その顔に浮かべていたのだ。


「コナーさん、バレットとエズラ、見ませんでしたか」


「え? 居ないのか?」


「階段で見かけたのが最後で......あとは見ていません」


 質問に答えたのはケルシーだった。彼女もやはり泣きそうな顔をしている。


「でも、外に出た可能性だってあるだろ」

「それが、まだなんです」


 今度はビクターが口を開く。


「俺らも探しましたが、どこにも居なくて。逃げる時、バレットの背中を途中で見たんですが......」

「それで外に居ないってのもおかしな話だな......」


 コナーが眉を顰めて、自分が出てきた出口を振り返る。その時、出てきた研究員の一人が泣き叫んだ。


「階段が崩れ落ちて、まだ中に人が取り残されます!! 誰か来てください!!」


 コナーは目を見開いた。


 まさか、まだ中には星5の研究員たちが居る。それに、バレットとエズラだってまだ出てきていないのだ。


「どうしよう、どうしよう、ビクターッ......!!」


 ケルシーがボロボロと泣いている。近くまで行って散々探し回ったのか、彼女たちは煤まみれだった。


「泣くな。まだ二人が外に出てないって確定してないだろ」

「ああ、ビクターの言う通りだ」


 コナーがケルシーの背中を摩り、ビクターを見上げた。


「何分前だ? バレットを見たの」

「20分は経過しています」

「20分か......」


 コナーが顔を歪ます。かなり前だ。あれから何回か爆発音を聞いている。だが、廊下で倒れている研究員やエスペラント兵に二人が紛れていることはなかったように思える。


 といっても、コナーはかなり最初の方に階段に避難できたので、そこまで見てもいない。


「コナーさんっ......」


 ケルシーが泣きじゃくるのをコナーは宥める。そして、じっと遠くにある仮施設を見た。


 そう言えば、リディアは放送で何と言っていただろう。


 _____リディア。


 コナーはハッとした。


 そして、彼女の最初の放送を思い出す。

 逃げることだけを考えていたが、それ以前に......。


 これは、一体なんだ。


『緊急放送、緊急放送。エスペラント兵の奇襲を確認。星5研究員の皆さんは直ちに持ち場についてください。星4以下の研究員は案内の指示に従い、直ちにその場を離れてください』


 星5研究員の皆さんは直ちに持ち場についてください。


 持ち場に。


 持ち場_____。


 ナッシュもドワイトもブライスも、まだ地下に居る。放送では、星4以下は避難するように言われた。


 星5は?

 では、星5は?

 結局彼らはどうなるんだ。


 もし、もしである。

 もしこれが、事前から分かっていることだとしたら?


 だって、変だ。

 星4にも赤い箱で経験を積んで銃の扱いに慣れている研究員なんてざらに居るのに。


 コナーは周りを見回す。怪我をして顔を歪める研究員。そして、呆然と施設を見上げる研究員。


 その中に星5の姿はない。


 ノールズも、イザベルも、リディアもナッシュもドワイトも。


 ラシュレイ、キエラ、エズラ、カーラ_____。


「......やばい」


 コナーはケルシーの背中から手を離して、よろよろと立ち上がった。ビクターが怪訝な顔で彼を見上げる。ケルシーもぽかんとした顔をしていた。


 これが、前々から分かっていたことだっとして、星4以下は全員避難させようとしている。だが、星5は一人も地上に姿を現さない。


 それはつまり、彼らはあの地下で、この地面の下で_____。


「っ!」

「コナーさんっ!?」


 コナーは走り出した。ぞろぞろと出てくる施設の階段の入口を掻き分けて、人の波の流れとは逆にどんどん階段を降りていく。誰かが「邪魔だ!」と叫んだが、コナーは構わず走った。


 ああ、どうして気づかなかったんだ。


 彼らはきっと、あの人たちは、みんなみんな、死ぬつもりなのだ。


 *****


 ベルナルドは後に止まるエレベーターの、最後の使用者だった。


 向かう場所は決まっている。B.F.の構造で一番謎に包まれていた部分を彼は知っている。脳の研究をしていれば、人の頭の中にある記憶を簡単に覗けるのだ。


 彼はエレベーターを降りてすぐ、その廊下に迷い込んだ研究員を、周りにいた兵士に一掃させた。若い研究員たちが次々と倒れていく中、ベルナルドは進んだ。周りを壁のように部下たちで囲んで。


「情報をかき集めろ!! マヌエルは右回りだ。俺は左から行く。キュルス、ゾーイ。他の階は頼むぞ」


 マヌエルに指示をし、ベルナルドは無線機の向こうに居る部下二人に声をかける。キュルスの方から先に返事が来たが、ゾーイはなかなか返事をしなかった。仕方がない。彼はマヌエルくらいにしかまともに口を開かないのだ。


 少しずつ自分の周りの壁が薄くなっていく。しかし、それは決していけないことではない。確実にB.F.を占領するために兵士を各ポイントに置いているだけで、自分の身に危機が迫ることはない、と彼は思っている。


 ベルナルドは自ら銃を取り出し、廊下に転がる研究員を踏みつけながら、残り二人となった兵士を連れて、向かうべき場所へと歩いて行った。


 *****


 ブライスは炎の回りを遅めるためにシャッターを閉じる作業をしていた。どちらにせよこれも後で意味は無くなってくるが、とにかく部下の安全な避難が優先だ。ドワイトもナッシュもまだ戻ってこない。


 そうなれば、此処を守ることができるのは自分だけだ。


「聞こえるか、リディア。そろそろ背後のシャッターを閉める。周りに星4以下の研究員が居ないか確認をしてくれ」

『え〜っと......はい!! 大丈夫です!! 居ません!』


 リディアの声は最初と変わらない明るさだった。放送は定期的に行い、放送室が爆破にあったという話なので、実験室についている簡易的な放送器具で現在は放送を継続しているらしい。


「もうそろそろ終わらせる。最後までよくやった」

『もー、何ですか!! 照れるなあ』


 リディアの声が弾んでいる。ブライスは手元で機械を操作しながら、次に閉じる扉を決めていた。


『エズラ。ちゃんと逃げましたかね』


 リディアの声に初めて影がさした。ブライスは機械を操作する手を少し緩める。


「そうでないと困る。まだ残っていても、ナッシュとドワイトが誘導も行っているから大丈夫だ」

『そうですか!! じゃあ安心! 引き続き放送しますねー!』

「ああ、頼む」


 リディアの元気な声が途絶える。これが彼女との最後の会話だろう。

 静かになった部屋に低い機械音と、何処かでけたたましくなる警報音が響いた。


 ブライスはモニターを見た。


 第5実験室に死体の山ができている。全て自分の部下だ。


 ブライスは小さくため息をついた。


 結局、自分は最後までこうして部下を消耗する形で終わったのだ。最初から最後まで、この残忍さは変えられなかった。


 ふと、彼は背後に人の気配を感じた。ナッシュやドワイトではない。後頭部に銃口を突き付けられているような、そんな感覚がある。

 しかしブライスは冷静だった。普通のエスペラント兵ならば、遠くから何の躊躇いもなく自分の頭を撃ち抜いているはずである。


 なのに此奴は自分と話す気はあるのか、引き金を引く様子は無い。


「自分の部下が次々と死んでいっているというのに、お前はのうのうと女とお喋りか」


 それはベルナルドだった。彼の声は弾んでいた。もう既に勝利を確信しているのだろう。


 ブライスは小さなため息をつく。


「お前こそ、こんな派手なことをしてそこまで情報を欲しているのか?」


「そうだ。そもそもお前が最初から情報を渡していれば、こんな大騒ぎにはならなかったんじゃないか。大学で文書001の研究をしていた時に俺に内容を伝えてさえいれば、お前はあれだけの犠牲を出さずに済んだんだぞ。お前の女だって、最後まで笑顔でいられたな」


 ブライスは静かにベルナルドの言葉に耳を傾けていた。


「それに俺は、何も情報を求めるためだけにこの施設に来たのでは無い。施設の規模で言えば、こっちの方が大きいからな。是非貸して頂こうと思ってやって来たのだ。超常現象を管理する専用の施設まであるとは、魅力的だ。それに、優秀な研究員まで居る」


「施設も部下も、お前にはやらん」


 ブライスははっきりと言った。


「B.F.の研究員たちは皆誇り高い。そんな薄汚い研究に使われて良いような者は誰一人として居ない。誰が、お前にやる」

「そうか、そうか。似たようなことを前も聞いたな」


 ベルナルドは楽しげな笑みを浮かべている。


「誇り高い? なら自分はどうだブライス。お前自身はどうだった? 誇り高い研究員と呼べたか? 政府の犬として、素晴らしい研究に身を置いていたと言うのか」


「......」


 ブライスは目を閉じる。


 脳裏に焼き付いた無数の墓。土の下に埋められてすら居ない者も数え切れないほど居る。自分はいつも、どんな気持ちで彼らの墓を掘っただろう。どんな気持ちでこの会社に身を置き続けただろう。


「......わからん」


 ブライスは目を開いた。自然と出てきた笑みは自虐的だった。


「わからない。自分のことが、俺は最もわからない」


 ブライスの解答にベルナルドは怪訝そうに眉を顰めた。


「面白いことを言うな。そんなことがあるか。自分のことは自分が最も理解しているものだ」


「そういうものだとしても、俺は違う。本当の俺は誰も見抜くことができん。死ぬのが怖いのか、はたまた尊敬されたいのか。俺は一体何だったんだろうな」


 ブライスはゆっくりとベルナルドを振り返った。


「俺は、己が一種の超常現象に思える。それなら不思議と納得する。誰にも実験されず、誰にも報告書を書いてもらえなかったが、そこに居るだけの、存在しているだけの超常現象だ」


 ベルナルドは銃を握る手に力を込める。


「そんな馬鹿げた話あるか。お前は普通の人間だ。死ぬのが怖くて、この状況下で新たな命乞いでも生み出したか? 安心しろ、お前は愚かで臆病な、程度の低い人間だ」


「......そうか」


 ブライスは薄く笑って続ける。


「死を恐れているのはお前だろう」


 ベルナルドが目を細めた。


「逃げなければ、お前は死ぬだろう。お前が大嫌いな死が、すぐそこまで迫っているぞ。此処は時期に爆破する」

「......何だと?」


 ベルナルドの顔に焦りが走った。


「我々が何も考えず、お前らを施設に入れたとでも思っていたのか? 残念だがお前はもう地上に行くことは無い。死ぬだけだ。四方八方から熱を浴びて、はたまた瓦礫に押しつぶされて、死ぬだけだ。施設も部下も、お前にはやらない。此処は俺の会社だ」


「!! お前っ......!!」


「俺の部下を侮辱し、傷つけた罪は重いぞ。お前に001の情報など渡さず正解だった。俺はあのおかげで今此処に居る」


 ブライスが目を細めた。それは勝者の笑みだった。


「ありったけのものを、俺は手に入れたまでだ」

「くそっ!!!」


 ベルナルドが引き金を引いた。と、同時だった。

 彼の体も、熱い弾丸に撃ち抜かれていた。


「ブライスッ!!」


 ドワイトが肩で息をし、部屋の入口で銃を構えている。


「ドワイト_____」

「大丈夫かいっ!!」


 ベルナルドが床に崩れ、ドワイトがブライスに向かって走って来る。ブライスは肩に弾丸を受けていた。ドワイトがすぐに彼を座らせる。


「手当てを......」

「俺は構わん......そいつから、頼む」

「ベルナルドをかい!?」


 ドワイトは目を見開いて、後ろで倒れている彼を見る。背中から胸へと突き破られた彼の体は、もうどんな手当てをしようと手遅れであることが確実だった。


「でも、もうこの怪我じゃ......」

「此処に居ればどうせ死ぬ。いいから、やってくれ」

「......君が言うなら」


 ドワイトは布を取りだしてベルナルドに応急処置を施し始める。ベルナルドはほとんど意識がなく、ドワイトにされるがままになっていた。


「......外の様子は」

「かなり攻め込まれているよ。亡くなっている子もかなり居た。でも、星4以下の子は無事に外に出られているみたいだね」

「............そうか」


 ドワイトがせっせと手を動かす中、ブライスは痛みに耐えながらふと思い出した。


「ドワイト_____」

「ん?」

「最後に、外と電話を繋げてくれないか」

「外と?」


 ドワイトは首を傾げる。


「ああ。どうしても、彼奴に言わなければいけないことがある」

いつも読んで頂きありがとうございます!

今週の水曜日から来週の金曜日まで投稿をお休みさせていただきます。理由のひとつは、集中したい物語の構成が出来上がりつつあるためです。いつか皆さんにお見せできる日が来るように毎日ちょっとずつ進めております!


そして、皆さんに嬉しいお知らせがあります!

Twitterでもお伝えした通り、感想をGW中にたくさん頂きました!

嬉しいことが沢山書いてあって、とても励みになっています!

本当にありがとうございます!!


これからも沢山物語を書いていくので、温かい目で見守ってくださると嬉しいです。

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