File007 〜Mr.スクエア〜
何人もの研究員を惨殺してきた厄介な生物、Mr.スクエア。現在、B.F.内で最も厄介な存在とされている超常現象だ。
「光線も効かなければ、銃も当たり前のように効かない」
カツカツと白いタイルの廊下を、白衣を纏う二人の研究員が肩を並べて歩く。長い時間を共にすると、お互いの歩幅にも慣れたものだ。
一人は黒髪の研究員、B.F.の最高責任者ブライス・カドガン(Brice Cadogan)。
もう一人は、銀髪の長髪をポニーテールに結んだ博士、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)。
ため息を漏らしたブライスの横で、ナッシュは苦笑した。
「お手上げ......って、言うわけにもいかないんだよねえ」
「当たり前だ。我々が諦めることは絶対にない」
「まあ、君が諦めたらB.F.は終わりだしね」
二人は実験室の扉の前に立った。今日も長い戦いが始まるのだ。
*****
Mr.スクエアの発見の発端は、最近増えていた謎の大量殺人の犯人探しだった。一日に多くて20人の人間が街中の至る所で惨殺されたのだ。
ある者は四肢をもがれてだるま状態だったり、ある者は心臓だけが抜き取られた状態で倒れていたり。そんな変死体が街中で次々と見つかった。
犯人の証拠は何も無い。防犯カメラには影のようなものが人を襲うシーンが残されているが、遺体を調べても犯人の指紋などの情報は得られなかった。
そして、この事件の妙なところは、ほぼ同時刻に殺された遺体が街の遠く離れた場所でそれぞれ三体も見つかったことだ。
一日で何十人も殺されているが、犯人が一人で殺したとなれば、それは有り得ない。そんなの分身するかワープするか、次元を超えた話になってくる。
このままでは街中の人間が殺されてしまう。これだけ奇妙な殺人事件なら、やはり解決の糸口を見つけ出すのはB.F.だろう、と政府が事件を警察ではなく彼らへと事件を託したのだった。
不思議なことに、あれだけ身をくらませていた殺人事件の犯人はあっさりとB.F.職員の前に現れた。まるで自白をするかのように、まるで「その時を待っていた」かのように_____。
研究員達が見つけたその犯人は、それは恐ろしい見た目をしていた。
そもそもまず、彼は人間ではなかったのだ。
*****
ブライスとナッシュが準備室へと足を踏み入れると、空気がガラリと変わったのを感じた。
重くなったというか、何かが体にまとわりついて来るような嫌な感覚が二人を襲う。
その原因を、二人は何となく理解していた。
ガラスの向こう、本来真っ白である部屋が赤黒い液体で染まっている。床も壁も、ガラスでさえ。
その部屋で過去にあった凄惨な記憶を二人に嫌でも思い出させようとしてくる。
そして、部屋の真ん中に静かに佇む長身の彼。人と呼ぶべきかは分からない。
何故なら、その頭部は黒いクレヨンで子供が箱を乱雑に塗りつぶしたかのような立方体で出来ており、鼻は愚か目すら存在しないからだ。
だがしかし、体の方はと言うと、スマートな黒のスーツに身を包み、ピカピカと輝く革靴を履いているのだ。頭部さえ隠せば立派な人間である。
彼がMr.スクエア。一日にして20人を殺した恐ろしい化け物だ。彼の手によって殺された職員の数は現時点で、10人。地上にいた頃はもっと人を殺めていたのだろう。
今二人の前にいる彼は、棒のようにそこに突っ立っているだけだ。人形と言われても違和感がないほどに。
最初は誰もがそう思った。彼が人形のようにただそこに佇んでいるだけのものに過ぎないと。
*****
B.F.研究員が、彼を実験室に移動させた。彼は何の抵抗もせずに研究員の指示に従っていた。
研究員が彼に質問をするが、彼は口がないので喋れない。だが、何かを伝えようとジェスチャーをした。研究員はそれを汲み取り、何とか会話を図ろうとした。
一人の研究員が彼に近づいた。すると、Mr.スクエアがその研究員の首をいきなり掴んだのだ。
誰もがその場から動けなくなった。
首を掴まれた研究員は助けてくれと仲間に手を伸ばすが、その手がぶらりと力なく垂れた。研究員の首は超人的な彼の力によって、いとも簡単に引きちぎられたからだ。
それを初めに実験室は、絶叫が響く絶望の部屋へと早変わりした。
誰もがガラスの向こう、安全な準備室にて実験室の凄惨な状況をあんぐりと口を開けて見るだけの仲間に暴言を吐いて、助けを求めて、命を散らした。
やがて静かになった部屋の中で、Mr.スクエアは最初と同じ人形のような棒立ち状態へと戻ってしまったのだ。あれだけ血を浴びたはずなのに、彼のスーツは何故か汚れていなかった。汚れたのは実験室の床と壁とガラスだけだった。
*****
二人は、彼をまず観察する。
「あれだけ静かなら、ただのスマートなスーツ男にしか見えないんだけれどな」
ナッシュが彼を見つめながらそう言った。
今のあの静かな状態が嘘かのように、彼は人を殺めるモードになると容赦ない。あれだけ静かだと最初は誰も人を殺す化け物とは思えないだろう。
彼に初めて近づいた職員達も皆そうだった。
「実験の記録はもう十分に揃った」
ナッシュの横でブライスが腰のベルトに手を伸ばした。拳銃だ。
「もう実験は終了だ。いい加減、この実験室を空けなければならない」
ブライスがそう言って、拳銃をベルトから引き抜いた。
*****
拳銃が効くことは勿論無い。ただ、僅かにだが、怯ませることは可能だ。
二人は実験室の中で、彼に弾を打ち込む。背中はなるべく壁につけて。
今までの職員は全員奴に背中に回られて殺された。後ろから頭を握りつぶされたり、首をへし折られたり。見えない恐怖が職員達を襲った。
ナッシュはあの時、彼らを直視出来なかった。目を逸らして、助けを求める彼らが視界に入らないよう必死になっていた。今思えば、そんなことしているならば、助けに行けば良かったと彼は酷く後悔している。
死んだ職員の中には、彼の二人目の助手でもある者もいたからだ。
彼は星4で独立していたが、ナッシュにとても懐いていた。そして、彼は生きていれば来月の星5への昇格審査に出られる予定だった。あれだけ楽しみにして勉強も懸命に励んでいた彼の顔をナッシュは今でも鮮明に思い出せる。
もし、あの時自分が研究員達を助けるために銃を持って実験室に飛び込んで行けてたのなら_____。
自分は死んでいたかもしれないが、彼くらいは助けられたんじゃないのか_____。
「_____ナッシュ」
もし、自分に勇気というものがあったのなら_____。
「ナッシュ!!」
「......あ」
気がつくと、目の前にブライスが居た。
ダンッ、と鋭い一発がすぐそこまで迫っていたMr.スクエアの頭部へ当たる。
「怯んだぞ、扉に迎えっ」
「あ、ああ、すまないっ」
扉に向かってナッシュはがむしゃらに走った。彼の額に汗が浮かび、足は何度も縺れて転びそうになる。
今になって、まだ彼らのことで心を揺らすとは。
自分もまだまだだな_____。
ナッシュは実験室から準備室へと転がるようにして逃げ込んだ。ブライスも続いて準備室に入った途端勢いよく扉を閉めて、瞬時に鍵をかけた。
「......お前を11人目の死者にするわけにはいかないんだぞ、ナッシュ」
ブライスが鋭い目でナッシュを見た。ナッシュは目を逸らし、床に倒れていた体をゆっくりと上げた。
「ごめん、ブライス。安心してくれ、僕は平気だよ」
「......お前の二人目の助手のことか」
彼には、嘘をついたところで全て見抜かれることくらい分かっている。ブライスとは昨日今日の付き合いではないのだ。
「優秀な子だったよ。今度の試験で星5になるって意気込んでいたから」
ナッシュは俯いて続ける。
「まさか、これが最後の実験対象になるだなんて、彼は思ってすら居なかっただろうに」
「......」
「情けないね。助手を先に死なせてしまうなんて」
ナッシュは弱々しくブライスに笑いかけると、近くにあったパイプ椅子を引き寄せてそれにゆっくりと腰を下ろした。手のひらを目に強く押し付け、出てきてしまいそうな感情を抑えた。
「......ドワイトも、こんな気持ちだったのかなあ」
「......」
ブライスの白衣が擦れる音が実験室に響く。
「彼奴を、連れてきてみるか」
それは、B.F.の最後の切り札である。
*****
害がなく、意思疎通が可能な超常現象に与えられる、セーフティールーム。その1号室に、「彼女」は居る。
もともとは白く、何も無い部屋だったものを頑張ってカラフルにしようとしたのか、壁には汽車や雲などのステッカーが貼ってある。
また床に敷かれた丸い小さなカーペットには、木の車、人形やボールなどのおもちゃが転がっている。
そしてそれらで遊ぶ小さな背中が見えた。
「A」
ブライスが声をかけると、その子は振り向いた。
銀色の髪を短く切りそろえられた、五歳ほどの女の子だ。人形遊びをしていたようで、小さな両手に人形を二体持っている。
ブライスが扉から部屋の中に話しかける。
「力を貸してくれ」
ブライスの言葉にAと呼ばれたその女の子は人形を置くとすくっと立ち上がった。そしてブライスとナッシュの方へ走ってくる。
「すまんな、遊んでいる時に」
ブライスが謝ると女の子は首を横に振った。別に構わない、という意味のようだ。
彼女はブライス、ナッシュと共にセーフティールームを出た。
*****
彼女の名前は「少女A」。B.F.設立当初から居る、小さな女の子の容姿をした不思議な超常現象だ。見た目は五、六歳ほど。
言葉が少なく、感情もあまり表には出さないが、行動は幼女そのものだ。ただ、不老不死らしく、当初からその姿は全く変わっていない。
少女A、彼女の力は今のB.F.にとても必要なものだった。
と言うのも、彼女はあらゆる超常現象と心を通わせることが出来る。心が読めない超常現象、まず危険で近づくことすらままならない超常現象......。
彼女はそれらと心を交わし、全てにおいて完璧な対処をする。
Mr.スクエアにおいても彼女を連れてくれば何とか心を通わせることができるのではないか、とブライスは考えたのだ。
ただ、それにはリスクも伴う。彼女には一つだけ欠点が存在していた。それは、未来が見えること。それだけ聞けば、別に欠点でもなんでもないのだがその未来が悲惨な状況であれなあるほど、彼女は動くことが出来なくなる。
つまり、部屋から出なくなる。無理に連れ出そうとするとその連れ出そうとした人間は何らかの原因で死んでしまう。
例えば、突然遺伝子性の病が発症して死に至る、だとか天井が崩れて頭に落ちて死ぬ、だとか。
彼女は死というものを酷く恐れているようだった。彼女自身が不老不死ということもあるだろうが、やはり頭は五歳なのか、死というものを上手く受け入れられない状況にあるのだろう。
だが、それを覗けば全く害がない。B.F.では重宝している超常現象のひとつだ。
*****
「Mr.スクエアという奴がいる。そいつを何とか説得して大人しくしてくれないか」
ブライスの横を歩く少女A。何を考えているか分からないほどにその横顔には感情がない。いつも何処か虚ろな目をしているのだ。
「これ以上、犠牲を出すのは避けたいんだ」
ブライスの目が悲しみの色を孕んだことにナッシュは気づく。自分も彼と同じ気持ちだ。
B.F.は危険な調査や実験が日常だ。死と隣り合わせの世界だ。それでも彼らは毎日、戦いながら、頭にある全ての知識を駆使しながら、前へと進んでいる。多くの犠牲を伴いながら。
今までどれほどの研究員が死んだことか。今まで救えた命はどれだけあっただろう。この前死んだ彼も、助けられたのか_____。
ナッシュが頭の中で自分に問いかけていた時だった。
キュ、と白衣に小さな重みが加わったのが分かった。
驚いて見下ろすと少女Aがナッシュの白衣の裾を小さな手で握っていた。
心を読まれてしまったのだろうか_____。
「こんなんじゃダメだね、ごめん」
その頭にナッシュは優しく手を置く。ブライスはそんな彼らをただ見守っていた。
*****
少女Aは実験室にてMr.スクエアと対面した。
最初、彼はかなり少女Aを警戒していたようだ。
少女AはMr.スクエアをじっと見つめ、おもむろに彼に手を伸ばした。Mr.スクエアは驚いた様子で彼女の胸を一突きしようと手を振りかざした。
しかし、その手は空中で迷った挙句、静かに下げられた。
「敵意が消失したようだ」
ブライスとナッシュは準備室にて二人の様子を観察していた。ナッシュの隣で、タブレットに映るMr.スクエアの心情状況のグラフを見てブライスが呟いた。
「凄い......。あれだけ狂暴だったのが嘘みたいだ」
ナッシュは目を丸くしてそう言った。
Mr.スクエアは彼女と数日間過ごさせ、心情に変わりが無いかを調べたあと職員らの手で殺すことが決定した。
「やっぱり、彼女じゃないとね」
ナッシュがガラスの向こうで少女Aに何か話しかけられているMr.スクエアを見て、独り言のように呟いた。
ブライスもナッシュの隣で二人を見守っていた。
犠牲が多かった今回の実験。改めて少女Aの重要性と実験の恐ろしさを、ナッシュは身に染みて感じたのだった。