緊急会議
B.F.星5研究員であり、放送担当のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)は、その日会議室に呼び出されていた。
「忙しい時に呼び出して申し訳ない」
そう言ってブライスは、真正面から自分を見た。
小さな会議室にはリディアとブライスの他に、ドワイトとナッシュが居る。
「いいえ、大丈夫ですけれど......えっと......」
リディアはこの部屋に入った瞬間に変わった空気に気づいた。
伝説の博士三人が集まれば漂う空気もそれなりの重さを持つのだが、今のこの空気の重さはそれと比べ物にならないほどの重さだった。
だが、リディアにはその理由が検討もつかない。この三人に集められるというのは、今から自分は相当大事な話をされるのだろう。
はて、自分は怒られるのだろうか?
まさか、エズラを育てていく上で間違ったことをしたのだろうか。
それとも、何かとびきり良いことをしただろうか。
悶々と考えている彼女だが、ブライスの口から出た言葉は、
「放送で星5だけ呼び出して欲しい。緊急会議を開く」
それだけだった。
*****
「緊急会議かあ。また何か新しい生物でも見つかったのかなあ」
B.F.星5研究員のノールズ・ミラー(Knolles Miller)は、リディアの呼び出しの放送を聞いて会議室に向かっていた。隣には同期のイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)が居た。ちょうど彼女もオフィスから出てくるところだったので、合流して一緒に会議室を目指すことにしたのだ。
「さあね」
ノールズの問いに対して、イザベルはいつものクールさでそう返した。
「でもさ、星5だけで招集かけられるのもあまり無いことじゃない?」
「そうね」
いつも行われる日曜会議は星5研究員と星4の独立した研究員が参加するのだが、今回放送で招集をかけられたのは星5のみであった。これは珍しいことだ。
何故星5だけなのか。星4だって中には独立していて会議の情報が全く入ってこない職員だって居るだろうに。
つまりこの招集の仕方は、情報の伝達方法としては不十分なのである。
「悶々と考えていたって、答えはすぐに分かるわよ」
あまりにも深刻な顔をして考えていたからか、イザベルはそう言った。それもそっか、とノールズが頷いたところで二人は会議室についた。
やはり、そこに居る研究員たちは皆怪訝な顔をしている。考えていることはノールズと同じようだ。中には日曜会議の要領で星4の研究員も居たが、彼らはナッシュによって入るのを止められたり、外に出されたりしていた。
「星5だけ会議室に入るように。今回の緊急会議は星5だけの参加だよ」
ナッシュが扉を抑えて、星4を廊下に出している。出された星4研究員たちは納得のいかない様子で、自分たちのオフィスへと戻っていく。
ノールズとイザベルはその様子を横目に会議室へと入った。着々と人は集まっているようだ。
「あ、ノールズ!! イザベル!!」
一足先に着いていたらしいリディアが二人に気づいて、早足で駆けてきた。
「ねえ、これ何の集まり?」
ノールズが彼女に聞いた。この会議の招集の放送を行ったのはリディアである。彼女ならブライスから直接何か聞いているのではないかと思ったノールズだが、リディアは、さあ、と首を傾げている。
「私はただブライスさんに星5だけ集めるように言われただけなんだよ〜。ただ、星4が集まらないのはおかしいなあ、って思って理由を聞いてみたんだけど、答えてくれなかったんだよね〜」
そうなんだ、とノールズは眉を顰めた。きっと理由は今から話されるだろう。
「席につきましょうか」
イザベルがいつもの席についた。リディアは少し離れた場所に座るようだ。彼女はどんな時でもブライスと近くになれる前の方を選ぶ。反対にノールズとイザベルは後ろの方に座るのだ。
席について会議室を見回すと、前方の方に星5のカレブ・リンメル(Caleb Rimmell)の姿があった。
彼は目が見えないので、会議室に来る時は助手のマヤ・ピアソン(Maya Pearson)に付き添われる。また、日曜会議にはマヤが出席することもあるのだが、彼女は星3研究員なので今回の緊急会議には参加出来ない。
彼女は扉の前まで来ていたが、ブライスに返されていた。代わりにドワイトがカレブを席まで案内している。マヤですら会議室に入れないとは、とノールズが眉を顰めていると、会議室の扉はマヤを最後に閉められた。
星5が全員集まったらしい。それぞれが空いている席について、やがてテーブルにずらりと研究員らが座ると、ブライスは号令をかけた。いつも通り会議は始まった。
「まず、我々から謝ることがある」
挨拶が終わるなりすぐにブライスが言った。ドワイトとナッシュも合わせて、三人は椅子から立ったままだ。
「此処に居る全ての研究員に、俺は今から道徳的では無い、かなり突飛な作戦に参加してもらいたいと考えている。それには星5の協力と、勇気が必要だ」
突然始まった彼の言葉に一同は困惑していた。ノールズは隣のイザベルをチラリと見たが、彼女は変わらぬクールフェイスでブライスを見ていた。
「我々B.F.は今、いつ襲われてもおかしくは無い状況下に置かれている。先日、クローン人間であるソニアとニコラスが原因不明の死を遂げた」
至る場所で困惑の声が上がった。全員初耳だったのだ。ブライスはざわめきが収まるのを静かに待った。
「それを最初に知らせてくれたのは、彼らと長い年月を共にしてきたドロシーだ」
ソニアのペアであるドロシー・ベッセマー(Dorothy Bessemer)はかなりスクリーンに近い前方に座っていた。ノールズが今座っている位置からは顔が見えないので、彼女が何を考えているかは分からない。
ソニアとニコラスの死は、B.F.職員にそれなりの驚きをもたらした。彼らはクローン人間であるという点でB.F.内ではかなり目立つ存在であった。ノールズにとっては、先輩であるジェイス・クレイトン(Jace Clayton)が担当した対象だという意味でも、かなり印象深い二人である。
ブライスは説明を続けた。
「二人は数日間部屋から出てこなかった。その間、ドロシーは二人の部屋に行って声をかけていたが、聞こえてくるのは抑揚のない独り言だったそうだ。そして、それがやがて聞こえなくなって確認しに行ったところ、二人は部屋の中で亡くなっていた。奇妙なことに死亡推定時刻と死亡原因が二人とも綺麗に一致していた。我々は彼らが此処に来た経緯なども踏まえ、二人はエスペラントのスパイとしてこのB.F.に潜り込み、研究員という立場を利用して様々な情報をエスペラントに送っていたのではないかと予想した」
誰もが息を呑んだ。
ソニアとニコラスがエスペラントのスパイ......情報を送っていた_____。
「考えてみれば、二人がクローン人間であることに違和感を覚えるべきだった。まず二人は半永久的に分裂を繰り返すことが出来る。そうなればB.F.を占領することだって可能だ。それから、二人は分裂した仲間との意思疎通が脳内で可能だった。過去の実験で分かったこの二つによれば、辻褄は合う」
彼は無表情だった。それはいつも以上に無表情に見えた。
誰も彼の話に首を突っ込まなかった。皆黙って、彼の話に耳を傾けている。
「少し前に、我々の職員がエスペラントに誘拐されるという事件があった。その時に職員は、エスペラントの人間にとあることを質問された。B.F.で保護しているソニアとニコラスが、今どのような状況かを。彼らはあの二人の状況を探っているようだった」
エスペラント誘拐事件。ノールズとイザベルが巻き込まれたあの事件だ。
エスペラントが突然、外部調査に行こうとしていた職員を襲い、施設に連れて行った。ノールズはかなり残虐な方法でB.F.にある情報を吐かされそうになり、カーラもまたあちら側の人間になるところを紙一重でドワイトに助けられた。
誘拐された研究員は全員無事にB.F.に戻ってこられたが、研究員が一人一冊持っている研究員ファイルはエスペラントの手に渡ってしまった。ノールズ達が当時持っていた全ての情報は彼らに漏れた可能性がある。
「ソニアとニコラスの死は親しく接してきた者には心苦しいかもしれんが、我々にはかなりの危険が迫っていると言えるだろう。外に居るエスペラントが、政府と手を組んでいるようだ」
「......え......?」
次のざわめきはさっきの比にならなかった。ノールズも声が出た。
エスペラントと政府が手を組んでいる。
エスペラントは非政府組織だったはずだ。政府がエスペラントを相手にするなどあることか。彼らは寧ろ政府に嫌われるような団体のはずだ。法律で禁止されているクローン人間を作り出し、野外に放った罪がある。最も、彼らがそれを認めていないのが何よりも重罪だ。
「最後に国に資料を提出しに行った時だったな、かなり様子がおかしかった。まず、彼らの城にさえ入れて貰えなかった。何度も面識のある外のSPは俺の事を覚えてすらいなかった」
「それって_____」
誰かが呟くのがノールズには聞こえた。此処に居る大体の職員は予想がついたようだ。
「ああ、おそらく記憶改変の超常現象だろう。正確に言えば、一部の人間だけを忘却させる力を持つ記憶の改変だ。エスペラントは脳の研究に重点を置いて超常現象を調査してきた団体だ。科学的な位置から見て、細かい場所まで理由と根拠をはっきりさせた研究を行っている。それに加えてクローン人間を作るような技術と、それにスパイ活動を行わせるというプログラムをつけるような頭を持つ科学者ばかりを持つ。一方でB.F.は道徳的な観点から、実験は個々の判断で完結させることが多い。基本的にそれを訂正したりはせず、観察した研究員の感想、考え、発見をそのままレポートに残すようなイメージだ」
言われてみれば確かにそうだな、とノールズは思った。
ノールズたちが研究する超常現象たちは、基本的に自分が思った通りの解釈をする。例えば、「不変なる愛」の場合、ノールズはあの超常現象を母親から愛を受けて育てられなかったと勘違いした子供の生霊が、ノートに取り憑いたものであるという解釈をした。
もしエスペラントがあの超常現象を調査したら、また違う観点から、それも科学的な根拠を添えて対象を見たのかもしれない。
他に分かりやすい例を挙げるなら、イザベルとキエラが実験を行った「幸せで満たされたブリキのバケツ」だろうか。イザベルはその超常現象について、バケツの持ち主、もしくはそれに触れている人の心境に最も近い花言葉を持つ花で、バケツが満たされるという研究結果、意見を出しているが、エスペラントの場合ならそのバケツの成分やその人がその時に出す感情の成分などで研究結果を出すのだろう。
どうやらB.F.とエスペラントの相違点は空と地の超常現象を調査するだけではなかったらしい。
「少し話が脱線したな」
ブライスが小さく咳払いをして、話を戻した。
「今の話をまとめれば、近々エスペラントが我々に何かしらの攻撃を仕掛けてくる可能性があるということだ。ソニアとニコラスの死は、彼らがB.F.の情報をある程度収集し終わったとも取れる。誘拐事件から、B.F.では外部調査の頻度を極めて少なくした。外に出ない限り安全だと思い込んでいたが、どうもそうではないようだ。あいつらは研究を進めるために我々が持つ超常現象の情報を喉から手が出るほど欲しがっている。それを奪いに此処にやって来るだろう」
誰もが彼の言葉を絶対に聞き漏らさないという一心で耳を傾けていた。
「もちろん、あくまで想定だ。そのような事態が起こらないならば、起こらないに越したことはない。ベティが外でエスペラントの様子を見張ってくれている。最悪の事態を考えて、我々はできることをやらねばならない」
「できること......」
ノールズは小さく呟いた。
この危険な状況下で何が出来るのだろう。いつ来るかも分からないのに......。
すると、ブライスから指示があった。
「今からある質問を行う。全員目を閉じろ」
彼の言葉にノールズは目を閉じた。
「エスペラントは武力でものを言わすことを厭わない団体だ。よって、彼らがこの施設にやって来るとなれば、かなりの研究員が犠牲になるだろう。赤い箱で訓練をしていない人間は、特にだ」
ブライスの言葉が淡々と耳の中に響いてくる。
「そこで考えた。星5の研究員だけを残して、残りの星4以下の研究員を外に出て逃がすという作戦だ。我々星5研究員は施設に残り、敵の足止めを行う。助かる見込みは正直に言えば0%だ。ただ強制はしない。この作戦に出ないものは今からでも会議室を出て行って貰って構わない。参加しない者、いるか」
しん、と会議室は静まり返った。誰かの呼吸音すら聞こえてくる程に。すると何処からかカタン、と椅子の動く音がした。が、いつまで経っても扉が開く音はしなかった。
「......続いて、此処に居る全員が俺と契約した時に書かせた、契約書の話に移る。B.F.で働く者は皆、B.F.を辞めた時に給料を一括で受け取れるようになっている。それに関してだが、此処に居る者たちが死ぬとなった場合、当然その持ち主が居なくなることになる。つまり相続者を決めなければならん。家族に渡すか、もしくは後輩か助手に渡すか......判断は自由だが、手続きは今夜中に済ませろ。会議室は一週間、星5だけが入れるように開放しておく予定だ」
誰かの鼻をすする音が聞こえた。それは会議室全体に響いている。
「最後はドワイトからの提案だ」
マイクの持ち主がドワイトに変わったようだ。彼の声が静かに、だがはっきりとマイクを通して全員の耳に届いた。
「私からはひとつだけ。今回のこの作戦はいつ起こるか分からない、予想が難しいものになっています。作戦を行わないまま、いつも通りの日常が戻ってくる場合だって考えられます。ですがもし突然エスペラントが攻めてきて、自分たちが指定された位置に居なければならなくなった場合......助手や大切なパートナーに最期の挨拶ができない可能性だって十分に考えられます。そこで全員、一人一通手紙を書いてください。そしてそれを郵便配達係として、ジェイス・クレイトン君に届けてもらいます」
「......!」
ノールズは目を見開いた。皆が目を瞑って下を向いているのが見えた。ノールズはドワイトが居る会議室の前方を見た。ドワイトがノールズに向かって柔らかく微笑んだ。ノールズは慌てて目を瞑る。
まさか、此処で自分の先輩の名前を聞くとは思わなかったのだ。
「先程ブライスが言った通り、これから一週間は会議室を開放します。星5研究員以外の目につくところで手紙を書くわけにはいかないので、手紙を書きたい方は会議室まで。ただ、手紙の提出期限は明後日までとします。それ以降は受け付けられません。今から一人一通レターセットを配るので、それにお願いします。足りない場合は私に言ってくださればいくらでも用意します。私からは以上です」
マイクがブライスに渡ったようだ。
「作戦の詳しいことは後々話す。もし、この作戦に参加したくないものは直ちに此処から出て行って欲しい。この作戦に参加しなかったからと言って誰もそいつを責めたりはしない。決して逃げたなどとは思わない。だが、作戦は極秘に行う。星4以下には絶対に知られてはならない。もし彼らがそれを知れば、どうなるかなど察しがつくだろう」
ブライスは小さく息をついた。
「今回我々が星5研究員を此処に連れてきたのは、長い間俺を信じてついてきてくれた、信頼出来る部下だと考えたからだ。そうでもなければこの作戦は俺一人で実行しようとしていた」
彼が話している間、会議室は静かだった。やはり誰も出ていく気配は無い。沈黙が30秒ほど続いた。
「......本当に構わないのだな」
誰も立ち上がらない。音すら聞こえない。
「全員、目を開けろ」
目を開くと、ノールズの目に最初に飛び込んできたのは声を押し殺して泣いている職員たちの姿だった。グッと涙をこらえる者、小さく嗚咽を漏らす者、顔を覆っている者。
ノールズはぐっと唇を噛んだ。
「我々の......いや、俺の身勝手な判断で今回の作戦を実行せざるを得ない事態になってしまったこと、そして亡くなった研究員らが俺の自己中心的な命令により命を散らしていったこと、深く詫びる。申し訳なかった」
ブライスが深深と頭を下げた。ドワイトもナッシュも彼の傍らで頭を下げる。
「お前たちの助手は必ず、絶対に守り抜く。そしてエスペラントにもうこれ以上好き勝手なことをさせないと約束する。どうか、最後まで俺らについてきてくれ」
三人の姿を見てノールズは鼻の奥がツンとした。今まで見たことがない彼らの姿が事の事態の重大さを、此処に居る者たちにひしひしと感じさせていた。
ラシュレイが危険な目にあう時、絶対に助けに行くのは自分の役目だった。ジェイスだってそうだったはずだ。イザベルだってキエラの命が危険な状況になったら、我先にと飛び出て彼を守るだろう。ドワイトだって、リディアだってそうだ。
自分たちが今から守るのは助手の未来。守り抜くには大きすぎる彼らの未来だ。
敵の足止めをするという危険な状況で尚且つ助手たちの安全を確保するとなれば、怪我なんかじゃ済まないのは分かっている。ブライスらは星5の研究員たちと死ぬつもりだ。突飛どころじゃない、ぶっ飛んだ作戦なのだ。
彼に似合わない謝罪の言葉と、職員全てに伸し掛る給料の相続者という重々しいワードが、職員たちの涙に拍車をかける。
彼らは本気だ。もとから冗談なんて言わないのだから、そう考えることしかできないのだが。
ああ、本当にやるんだ、と咽び泣く仲間を見てノールズはぼんやりと考える。
ラシュレイは自分が死んだらどうするんだろう。
イザベルはタロンとハロルドが戻ってこなかった時、前を向いて星5として前進しようとした。自分もジェイスがB.F.を出て行った時、とにかく寂しかったので助手をとることに必死になった。
前を向いていた。やはり、前を向いていたのだ。
イザベルは今隣でどんな顔をしているのだろう。
今日はいつもの調子でメモをしていなかった。ペンは机の上に開かれたメモ帳の上に転がっていた。
*****
会議室は今日からずっと開放するようだ。ただし、入ることが出来る研究員は星5に限られる。星4以下にはこの突飛な作戦を知られるわけにはいかないからだ。
会議室に行けば必ず伝説の博士の誰かが居るようで、彼らに作戦の大まかな流れを個人で聞いたり、手紙を新しくもらったりできるらしい。
会議が終わっても研究員たちは会議室から出ようとしなかった。椅子に座って放心状態の者や、涙が堪えられず慰めてもらっている者。
ノールズはそれを眺めたまま、自分もまた椅子から動けなくなっていた。
「死ぬ、ってことよね」
冷静な声が隣から聞こえた。ノールズは久々に彼女の顔を見たような気がした。
「うん」
頷くと彼女は大きく息を吐いた。
「流石よね。行動力があるというか、決断力があるというか......まるで映画よ」
イザベルがメモ帳をパタンと閉じて、ペンを自分の白衣の胸ポケットに刺した。
「......イザベルはこの作戦に参加する気だよね?」
「今更何言ってるの。此処に残っている人達は全員参加するのよ」
そうだよね、とノールズは頷く。
自分は此処に残った。それはこの作戦に参加するということだ。
突然突きつけられた死に、皆まだ感情が追いついていないようだった。きっとそれは伝説の博士だって同じだろう。むしろ彼らはこの作戦を考えたのだから、精神的なダメージは自分たちより上回っているに違いない。
「......誰も会議室から出ていかなかったよね」
「ええ」
「......皆、此処にいる人は皆、作戦に参加するってことだよね」
「そうね」
「............全員死ぬんだ」
「......ええ」
ノールズの口からはは、と乾いた笑いが漏れた。
なぜ笑ったのかは自分でも分からなかった。感情が追いつかなすぎて、状況だけが先走りすぎて、笑うしかなかったのか。
隣のイザベルが此方を見たので、ノールズは顔を覆った。正直、今の自分の顔を見られたくはなかった。
怖いのは、確かにそうだった。だがそれ以上にラシュレイに会えなくなることも、イザベルに会えなくなることも、キエラにも、コナーにも、ドワイトにも、皆に会えなくなることが、彼の心をギュッと締め付けた。色々な感情が混ざって彼は嗚咽を漏らした。
指の隙間から滴る雫を見てイザベルは目を細めた。
まだ納得がいかないのは彼女も同じだった。まるで夢のような気分だ。現実味のない、生まれて初めて感じるようなそんな感覚が渦巻いている。
「......やばいな」
震える同期の声を彼女は聞いた。
イザベルは小さく「そうね」と返す。そして会場を見回した。皆泣いていた。皆、誰かの胸の中で泣いていた。
自分はなぜ泣いていないのだろう。寂しがるだろうな、あの子は。自分が死んだら、きっと声が枯れるくらい泣いてくれるかもしれない。
イザベルは隣で顔を覆う同期を見た。
彼は一体どんな感情で泣いているのだろう。それすら分からない自分は「やばい」のだろうか。
イザベルはゆっくりノールズの背中を撫でた。
暖かく、その背中は小さく震えていた。
*****
作戦の内容は至ってシンプルだった。
星5研究員らは全員、武力行使で死ぬ気でエスペラントを施設内に留めること。その間に星4以下の研究員は外に避難する。全員の避難が確認された時、ブライスが施設中に仕掛けた爆弾で施設を爆破するというのだ。
もちろん、今までB.F.が集めてきた資料や報告書は後輩たちに託して外に出すことになっている。今回の作戦はあくまでエスペラントの悪行を止めさせ、彼らの親玉を倒すというのが最低限の目標のようだ。
人を殺すことをブライスが初めて堂々と部下に向かって言った、初めての会議だった。
また、後輩たちに託される資料も地上に新たに隠し場所を作って、仮に生き残ったエスペラントが狙っても手出しはさせないよう保管をするのだとか。
「ベルナルドも近くに来るはずだ。なるべく施設の中に誘き寄せて彼諸共大規模な爆破を行う」
爆弾の設置場所、一つが爆発すれば他も爆破するような設置方法を検討しているそうだ。既に設置している箇所もあるそうで、場所だけは研究員たちに共有された。
頭の中身を変えられた政府も、そしてそれに従う警察ですら、誰もエスペラントを止められない。唯一止めることができるのは、この会社なのだ。
ブライスはそう説明するのだった。
涙に包まれていた会議室は徐々に顔色を変えていった。
*****
ノールズ達はドワイトからレターセットをもらった。一枚だけでかなり行数があるので、文字はたっぷり書けるだろう。
「一枚で足りるかなあ」
鼻を赤くしたノールズがレターセットを見て苦笑した。彼の隣でイザベルは小さく、そうね、と返す。
「お金、どうしようかなあ」
「私は家族に渡すことにするわ」
研究員ファイルにレターセットを挟みながらノールズが呟くと、イザベルがそう返した。ノールズの頭にも家族の顔が浮かぶ。
「俺もそうしようかなあ。ああでも、半分はラシュレイにあげようかな」
「そう......」
「うん、いっぱい美味しいもの食べて欲しいし!! あいつ細いからさあ、もう少し脂肪が必要だと思うんだよね!」
「そうね」
二人で話をしていると、
「イザベル、ノールズ〜」
リディアが小走りでやって来てイザベルに抱きついた。鼻が赤く、泣き腫らした目が見えた。
「指示通りに動けるか分からないよお......」
「めそめそしないの。此処に残ったのなら、仕事をちゃんとしなきゃ」
「肝が座りすぎてるよ〜......そりゃあ私だってエズラを守るけれど......でもやっぱりイザベルともっとお話してたいよ〜......」
「私だってそうよ」
「あああ......イザベルが珍しくデレてる......」
「ふざけてるなら離れて」
「いやあああ......」
イザベルに突き放されているリディアから、ノールズは研究員ファイルの中に挟まれたレターセットに視線を移した。
書きたい相手なら既に決まっているが、彼にはもう少し知りたい情報があった。
ノールズは便箋を配り終えて、資料を整理しているドワイトに近づいて行った。
*****
コナーは夕食をとり終えて食堂でダラダラと過ごしていた。相変わらず食堂は空いていて、残された研究員たちはその場で仕事を行ったり、コナーのようにダラダラ過ごしていたり、いつもより穏やかな雰囲気が流れていた。
「ただいま戻りました」
「お帰りー」
カレブを会議室に送り届けてきたらしいマヤが戻ってきた。戻ってきて早々、カレブが食べている途中だった食事を一箇所にまとめている。あとでオフィスに持っていくようだ。
「何だか、追い返されちゃいました」
ピザを箱に詰めていた彼女が言った。
「追い返された?」
「はい。星5だけを集めていることは知っていたんですけど......何だかピリピリした雰囲気で。緊急会議なのは分かっていますけれど、星5以外を会議室に入れないというのを徹底しているようでしたね」
「へえ、何だろうなー。まあ考えるに変な超常現象でも見つかったんだろうけど。一定数以上に知られるとヤバいやつとかさ」
「そうなんでしょうね」
コナーの意見にマヤは納得しているのか、頷いて、あとはせっせと食べ物を片付けていた。コナーはそんな彼女の様子を見ていて、ふと目についたものがあった。
「マヤの手首のそれ、ミサンガ? そんなのしてたんだ」
「へ?」
マヤが手を止めて、自分の手首に目を落とす。そこには暖色の紐で編まれたミサンガがついていた。そういえば、カレブの手首には寒色の紐で編まれたミサンガがついていたな、とコナーは思い出した。二人そろってミサンガをつけているとなると、偶然ではなさそうだ。
「リディアさんに編み方を教えてもらったので、自分でも編んでみたんです」
マヤが恥ずかしげに笑って、止めていた手を再び動かし始めた。
「へえ、さっきカレブさんも同じのつけてたよな」
コナーがニヤニヤして言うと、彼女は慌てて、
「べ、別に変な意味はありません!! お守りみたいなものでっ」
と、更に早く手を動かした。
「ふーん? 仲良しだな」
マヤは顔を真っ赤にして手を動かす。コナーはそれを見て、おもむろに腕に頭をもたれさせた。目を閉じると、マヤが手を動かす音だけが聞こえてきた。人が少なく、皆各々のことを行っている食堂は静かだ。
今日はもうすることもないので、自室に戻っても資料をまとめて寝るくらいだ。実験も入っていない。
オフィスに戻ったところで彼は独立しているので誰もいない。
こういう時にペアが居れば少しはオフィスに戻ろうという気になるのだろうが。彼はたった一人とペアを組む約束をしてから、絶対に誰かとペアを組もうとはしないのだ。自分の相棒はあの子しかいないのだから。
*****
緊急会議に出席した者には全員にある資料が配られた。それは緻密に構成された、架空の超常現象の資料であった。
星4以下には作戦の内容が悟られないようにするため、フェイクの超常現象を用意して、その情報交換の会議だったということにすると、資料を配りながらブライスは言った。
緊急会議の長さに合う資料の厚みと内容に驚いた職員も少なくなかった。それだけブライスの本気さが伝わってきた。きっとずっと前から一人だけでも準備をしてきたのだろう。
今までにない緊迫した緊急会議。星5の者だけに伝えられた衝撃の事実。
こうしてB.F.は、あのノースロップ・シティ爆破事故に少しずつ近づいていく。