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Black File  作者: 葱鮪命
117/193

決断

 一ヶ月前。Black Fileで「伝説の博士」と呼ばれる三人、ブライス、ナッシュ、ドワイトはとある話を聞いた。


 最近、ソニア・クーガン(Sonia Coogan)とニコラス・ファラー(Nicolas Farar)の様子がおかしいのだそうだ。

 二人はB.F.で研究員として働いているが、その正体は非政府組織エスペラントで造られたクローン人間である。B.F.は彼らを保護しているのだ。


「部屋から出てこないだって?」


 ソニアのペアであるドロシー・ベッセマー(Dorothy Bessemer)がある日、ブライスとナッシュのオフィスにやって来て言ったのだ。二人が自室に籠って出てこない、と。


 ソニアとニコラスはそれぞれ部屋が与えられており、普通の研究員と同じ扱いを受けている。


 ドロシーはソニアのペアではあるが、ニコラスのペアのレオ・アークライト(Leo Arkwright)は、ある超常現象にて溺死し、ドロシーはニコラスの面倒も見ていた。つまり彼女は二人のクローンとオフィスを共にしていたのだ。


 ドロシーは朝にオフィスに来て二人が居ないのを知り、それぞれの部屋に向かった。自室の外から声をかけるが応答は無く、代わりに部屋の中から、誰かがブツブツと何かを永遠と呟いている声が聞こえたという。


 二人とも同じような様子だったので、ドロシーは自分が聞き取れないだけで、彼女らは具合が悪いのだと判断し、その日はブライスに連絡して一人で仕事をした。


「何だか、誰かに一方的に話しかけているようで......会話をしているにしては声に抑揚もなかったし、まるでロボットみたいで不気味で......。そんな日が最低三日は続いたと思います」


 しまいには数日前からあのブツブツ何かを言っている声すら聞こえなくなったのだ。ドロシーはとうとうブライスとナッシュに相談に行った。二人の部屋に電話をかけても繋がらず、部屋に入ろうにも鍵がかかっているので開かない。こうなれば自分一人ではどうしようもないのである。


「ニコラスとソニアが風邪を引いたり、体調を崩すことなんて今までほとんどなかったよね」


 確認するのはドワイトだ。


 二人をB.F.で保護した時、当時星5研究員でペアを組んでいたジェイス・クレイトン(Jace Clayton)、そしてハンフリー・プレスコット(Humphrey Prescott)という研究員がナッシュと共に実験を行った。


 様々な実験をし、二人が分裂していく様子も目視で確認している。分裂したばかりの個体は痛覚が鈍く、免疫もないのか体調をよく崩していた。


 ある日を境に二人は分列をやめて、一つの個体にそれぞれ戻ったわけだが、その時から体調に変化はなかった。それに、体調を崩していれば、日曜会議でブライスが目を光らせるはずである。ソニアとニコラスはエスペラントから来たこともあり、一応警戒はされてはいるのだ。


「二人同時というのも、引っかかるな」

「取り敢えず、部屋に行ってみて確かめてみようよ」


 ナッシュの提案にその場の三人は賛成した。


 *****


 まず四人が向かったのはソニアの部屋だ。扉の傍にブライスが立ち、その後ろには緊張した面持ちでドワイト、ナッシュが銃を白衣の内側に忍ばせている。ドロシーは1、2m離れて安全な位置を探した。


「開けるぞ」

 ブライスがドアノブに手をかける。「いつでもいいよ」とドワイトが言ったので、ブライスはゆっくりとドアノブを回して、寝室の扉を開いた。


「......!!」

 四人は部屋の中から放たれる異臭に思わず部屋から離れた。嗅いでいると気がおかしくなりそうなその臭いは、強烈な腐敗臭だった。


「......これ、まずい臭いじゃないかい?」

 ナッシュが鼻の頭にシワを寄せて言う。


「ああ、本当だな」


 ブライスが勢いをつけて扉を開く。


 そこに居たのは、床に伏せるように倒れている、腐敗が進んだソニア・クーガンであった。


 ドロシーが「嘘」と力なく床に崩れた。ブライスがすぐ部屋に入り、ナッシュもそれに続いた。ドワイトがドロシーに見えないように彼女の前に立った。


 そしてその後、ニコラスの部屋に行った彼らだったが、ニコラスもソニア同様、床に倒れて死んでいた。腐敗は同じように進んでいた。


「酷いね......」


 ナッシュがニコラスの遺体を見つめて小さく言った。ブライスも頷きながら、彼の遺体を調べている。ドロシーは顔を覆って泣いていた。ドワイトが傍に居て彼女の背中をずっと摩っていた。


 *****


 死体解剖の結果、二人の死因は病気であることが分かった。発見されたのは一寸も違わない全く同じ病原体で、驚くことに同時刻ぴったりに死んだということが分かった。


「奇妙すぎる」


 二人の死亡原因についてまとめた資料を見ていたナッシュが呟いた。


「同時刻で同じ病気なんて有り得ないよ。あまりにも奇妙だ」

「だが、結果そう言っている。あの腐敗の進み具合も、二人とも寸分違わなかった」

「そうだとしても......」


 ナッシュが声に苛立ちを含みながら頭を掻いた。ドワイトも配られた資料を納得しない顔で読んでいる。


「数日前までは確実に生きていたんだよね。だって、ドロシーが声を聞いたって......」


 言いかけたドワイトはハッと言葉をそこで切った。顔を上げると、ナッシュも「まさか」と自分を見ていた。二人の目はブライスに向かった。彼は厳しい顔をしていた。


「今回の事件で二つのことが分かっている。一つ、二人は同時刻に同じ病気で死んだこと。二つ、死ぬ前に抑揚のない声で誰かに話しかけていたこと。そして、前から分かっていることが一つ。二人は同じ施設で造られたクローン人間だ」


「そんな、まさか」

「嘘だろう、ブライス」


「考えられることがあるな。二人は同時刻に同じ病気で死ぬようにプログラミングされていた。最初から仕組まれていた」


 ブライスは資料を机に乱暴に置いた。


「俺らの情報を受け渡すためにな」


 *****


 星5研究員のノールズ・ミラー(Knolles Miller)は大きな欠伸をした。

 制作中の報告書を一旦切り上げて、休憩のためにコーヒーを淹れる。香ばしい香りがオフィス中に広がった。


「なーんか、やることないなあ」


 椅子に座っている助手の星4研究員ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)に言うと、


「何言ってるんです? 現にこんなに仕事が溜まっているのによく言いますね」


 と、かなり怖い目で睨まれた。


「いやあ、そうなんだけどさ」


 二つのマグカップをコーヒーで満たして、ノールズはその一つを助手のデスクに置いてあげた。


「何か刺激的なことがないじゃん。例えばこう、新しいプロジェクトとか_____」


『星5研究員の皆さんは直ちに会議室に集まってください。繰り返します_____』


「うっはあ!! 来たあー!!」

 ノールズが天井のスピーカーを見上げて叫んだ。


「新しいプロジェクトとは限りませんけどね」

 ラシュシュは煩わしげに言った。


「そんなのわかんないって!! 待ってろよラシュレイ! 俺が超楽しい企画の情報を持って帰ってきてやるからな!!」

「そうですか。じゃあ物凄く楽しみにして待っていますね」

「あ、待って。嘘かも。そんなに楽しい企画じゃないかも」

「さっさと行ってきてください」

「はい」


 見向きもせずに言われたので、ノールズはしょんぼりと肩を落として、研究員ファイルを片手にオフィスを出た。


 *****


「それは......」


 ドワイトがやっとの思いで言葉を振り絞る。だが、その先の言葉がどうしても出てこない。彼の横でナッシュが口を開いた。


「クローン人間である彼らをこうして僕らB.F.が回収したのも、此処で研究員として働かせ始めたのも......全てはエスペラントの思う壷だった、ということだね?」


 彼が冷静にまとめたのを聞いたブライスは「そういうことだ」と頷いた。


「じゃあソニアとニコラスはスパイだったって言うのかい!?」


 ドワイトが堪らず声を大きくした。ブライスは表情をひとつも変えなかった。


「ああ。工作員だな。とにかく、考えるにあいつらが抑揚のない声で話していた内容は全て此処で収集した情報だろう」

「そんな......」

「あいつらが分裂するのだって、クローン人間であるからという理由では片付けられなくなってくる。それに裏づけて、俺らを大人数でいつでも襲えるようにしていたのかもしれない」

「そんなの......そんなの分からないじゃないか」


 ドワイトの声が細くなった。ナッシュは何も言わずにテーブルに広げられた資料を見下ろしている。


 クローン人間であるソニアとニコラスは、最初こそ意思疎通は難しかったが、それを試みてきたのはジェイス、ハンフリー、ナッシュを中心とした様々な研究員だ。

 現にニコラスやソニアに人間らしい一面が垣間見えることが何度かあった。


 愛着が湧くのも仕方がない。


 それ故に二人は信じたくはなかった。ナッシュはもちろん、ドワイトだって何度も彼らと言葉を交わしてきた。長い間、彼らの表情が、声の抑揚が、確実に変わっていくのをその目で見て感じていたのだ。


「辛いのは分かるが、今回の出来事から目を背けるわけにはいかん。エスペラントはもうそこまで迫っているかもしれない。そうなると研究員らの命が危険だ」


 ブライスの厳しい声にドワイトは口を開けた。


「研究員の命に危険が及んでいるだって?」

「そうだ」

「どういうことだい」


 ナッシュが問う。


「彼らが成し遂げたいことに使える情報は、もう全てあいつらの手に渡ったんじゃないか。うちの子達を誘拐して、更にはスパイを送り込んでその情報まで盗ませて。もう何も盗めるものなんてあるわけがない。永遠の命でもなんでも、好き勝手できるんじゃないか」


 鼻で笑いながら吐き捨てるように言うナッシュを、ブライスは変わらない表情で見ていた。


「ああ。だが、あいつらにはまだ盗まれていないものが此処には膨大にある。ニコラスとソニアの動きは警戒していた。彼らの行動範囲に俺らのオフィスは無い。ドワイトのオフィスだってな。コンピュータールームもだ。そこに眠っている情報は盗まれてなどいない」


「ああ、そりゃそうだけど......それ以外だけでもうかなりの情報だよ」


「そうだな。だが、エスペラントがそれだけ済ますと思うか」


「......」


「ベルナルドは最後まで情報を狙わなければ気が済まないような奴だ。蹂躙して、自分の研究のためならどんな手でも使う。暗闇を全て光で照らして明らかにしたいと考える。それにだ、彼らが狙うのは情報だけに限ると思うか。それ以上に大きいものも、かっさらって行くような強引な奴らだ」


「......じゃあ」


 ナッシュの口調は絶望的だった。ドワイトも唖然としていた。


「あいつらが狙うのは此処だ。この施設だ」


 *****


「ほんと、その細い体の何処にそんなに入るんすか?」


 食堂は今日も研究員達でごった返していた。運良く空いていた二人がけのテーブルは、B.F.星4研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)が一人で使っていた。

 その隣の席もまた二人がけだが、そこにはきちんと二人の研究員がついている。一人は星5研究員のカレブ・リンメル(Caleb Rimmell)。そしてもう一人が彼の助手である星2のマヤ・ピアソン(Maya Pearson)。


 二人のテーブルの上には、コナーのテーブルの上の三倍にはなる量の料理が並んでおり、テーブルを占領している。

 驚くことに彼らのテーブルを占める料理の大半がカレブのものである。カレブはその細い体には見合わないほどに大食いなのだ。


 周りを行く人がぎょっとした顔でテーブルの横を過ぎていく中、マヤはいつものことなのか、半分諦めた様子でパンをちぎっては自分の口に放り込んでいる。


「ほんと、何ででしょうね」


「ふむ、もしかしたら私は前世牛だった可能性があるね。牛というのは胃袋が四つあってね。私が一番好きな部位は_____」


「論点ズレすぎです」

「牛っすか......」


 二人の呆れ顔を声の調子から察したのか、カレブがはにかむ。


「食べることは一番の楽しみなんだよ。二番目は実験。三番は、ピアノを弾くことかな」

「そういや、ピアノを弾けるんでしたよね」

「うん。目が見えなくても活躍しているピアニストは居るよ。私がピアニストとして活動していたのはまだ目が見える頃だったけれどね」


 カレブは小さい頃に発症した病気により両目が見えない。だが、その盲目は彼の生活を豊かにしていた。

 何故ならお菓子の隠し場所を当てられるくらいに嗅覚を研ぎ澄ますことができ、舌で感じる味にも敏感になれたのだから。


 彼はそれが誇りに思っているようで、よく話をしてくれた。

 目が見えないのは決して悪いことでは無い。神がもう一度、この素晴らしい世界を見るために自分に与えてくれたチケットだと。こんな幸福あっていいのか、と彼は幸せそうに語るのだ。


 人によっては弱点にもなりうることも、彼は簡単にそう言い替えてしまうのだから、コナーは素直に彼を尊敬していた。


「カレブさんのピアノ、いつか聞いてみたいっす」

「おや、遊びに来てくれたらいつでも聞かせてあげるよ。ねえマヤ?」

「ええ、そうですね。ピアノはオフィスに置いてありますし」


 マヤが頷いた。


 彼の奏でる音には誰もが魅了されるらしい。是非聞いてみたい。


「じゃあ、近いうちに_____」

 コナーがそう言いかけた時だった。


『星5研究員は直ちに会議室に集まってください。繰り返します_____』


 それは、施設全体に聞こえる放送だった。声の主は、星5研究員のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)。彼女は放送係なので、大体の放送は彼女の声で流れる。彼女の声で賑やかだった食堂は一気に静まり返った。


「星5研究員ですか」


 マヤが首を傾げて天井を見上げた。日曜会議には特別にマヤが参加しているが、星5だけの招集となるとマヤは行くことができない。コナーもペアを組んでいないので、日曜会議には強制的に参加させられるが、星5ではないので対象外だ。


「会議室まで送りますよ」

 マヤが立ち上がった。


「ありがとう、マヤ」

「どうするんすか、その大量の飯......」


 二人のテーブルの上には大量の料理がまだ残っている。食べ始めて五分と経たないくらいのことなので、二人ともほとんど口に入っていない。


「ああ、そうだね。マヤ、後でオフィスに運んでおいてくれるかい?」

「諦めないんですか」

「そりゃあねえ。もったいないもんね」


 コナーの問いに対して、カレブは柔らかい笑顔で答える。


「わかりました。コナーさん、失礼しますね」

 マヤがカレブと手を繋いだ。カレブの目となるマヤは、移動の時は大抵彼の手を握っている。まるで親子のようだ。


「ああ、うん。カレブさん、会議頑張ってくださいね」

「うん。またね、コナー君」


 二人がその場から離れていき、コナーは食事に集中することにした。周りの声はさっきと比べて圧倒的に少なくなった。星5の研究員が続々と会議室に向かっているからだろう。


 自分の先輩と食べられないと分かったペアの後輩は、そそくさと食事を片付けて、残りはオフィスで食べるようだ。


 周りの席から段々人が減っていくが、コナーは立ち上がらなかった。


 それにしても、一体何の招集だろうか。


 星5だが招集されることは特別珍しいことでもない。半年に一度くらいはこんな日はある。どうせ独立している星5がほとんど対象の、危険な超常現象が見つかったとか、そんな類の話だろう。自分も星5になればそんな会議に顔を出さなければならなくなる。


 そうなればナッシュとも当然顔を合わせるし、ドワイトとも顔を合わせることになる。日曜会議ではあまり顔を合わせないようにしているが、妙な視線を感じるのはやはりナッシュが自分を見ているのだろうか。


 コナーはすっかりがらんとした食堂の席で、一人ぼんやりとパンを咀嚼しながら、人が減った食堂を眺めていた。


 *****


「職員の命が危険......」


 ジェイスは電話を持ったまま呟く。彼はその耳に衝撃的な知らせを聞いた。


 自分達が担当したクローン人間、ソニアとニコラスが先日亡くなったこと。そして、二人がB.F.に連れてこられたのは、全てエスペラントが仕組んだことであったこと。一番は、ノールズの身に危険が及んでいること。


『直接会って話がしたいが、時間が無い。俺が今から言うことをしっかり聞いて、反対か賛成かの意見をくれるか』


 ブライスの声は冷静だった。


 彼が今どんな顔で受話器に語りかけているのか、ジェイスは容易に想像できた。それは、ジェイスが彼の元で過ごしてきた時間の長さが大きな理由であった。


 彼は常に顔色を変えない。言い方は悪いが、石のような人だ。裏も表も分からない。鉄の仮面を被っているように思える。


 そんな彼は、今からどんなことを聞いてくるのだろう。こんな、B.F.職員も辞めてしまった自分に求める意見があるのか。


 ジェイスはごくりと唾を飲む。


『もし_____』


 *****


「そんなの許されるのかい」


 ナッシュの声は一段と低くなった。睨むのは目の前の男、相棒のブライスである。彼がたった今、口から放った作戦を認めたくないという意志の現れであった。ドワイトもナッシュの横で呆然と立ち尽くす。ブライスは静かに相棒と親友の顔を見ていた。


「もちろん、許されない。道徳的に、きっと誰もが反対する」

「当たり前だよ!! 職員と無理心中だって!? どうかしちゃったんじゃないのか、ブライス!!」


 ナッシュの口調は今までに無い鋭さを持っていた。だが、そんな相棒の言葉を向けられてもブライスは眉ひとつ動かさない。


 ブライスが提案したのはこうだった。


 星5の研究員でエスペラントの仲間を引き留めている間に、星4以下の研究員を逃がす。そして、自分たちは命を散らすというのだ。


「もちろん、意見はきちんと聞く。逃げたいやつは逃げる。残るやつは残る。俺のわがままで殺すことはできん」

「そんな考え認められないね! いくら何でも残酷すぎる!!」


 圧倒的にナッシュの方が何もかも勝っているのに、ブライスはそれに動じない。割れない石の壁を手のひらで叩いているような無力感を感じて、ナッシュも少しずつ熱が冷めてきたようだった。


 そんな中、ずっと黙っていたドワイトが小さく口を開いた。


「ブライス......何を隠しているんだい」


 ブライスの目はナッシュからドワイトに向かった。その時の表情もまた石そのものであった。ドワイトはそんな彼に臆することなく、真剣な顔で彼を見つめ返す。


「隠し事はなしだよ。私たちはチームだ」


 ドワイトの言葉にようやく、石の壁にヒビが入った。彼は目を伏せ、ああ、と静かに頷いた。


 *****


「国に裏切られた......?」


 ベティは電話の向こう側の元恋人の言葉を、思わず声を裏返して復唱した。


 B.F.は政府公認の超常現象研究組織である。その政府が何とB.F.を裏切ってエスペラントについたというのだ。


「でも、どうやってそんなことができるのよ。大体国はエスペラントの人間を相手にするかしら」


 ベティには分からなかった。


 非政府である彼らは、言うなればただのオカルト団体である。永遠の命を本気で信じ込み、それを実現しようと奮闘している姿は、自分たちが言えた身ではないが、かなり滑稽なのだ。


 それも何も知らない一般人からすれば尚更。そんな彼らを政府が相手するだろうか。


 大量の金を握らせるとか、何か大きな弱みを握られているとか。思いつく理由はそんなものだが、この国の政府はそれを鼻で笑うようなやつらで、国民の信頼はそれなりなのだ。

 少し気難しいやつが多いのが癪に障るが、裏を返せば甘味に釣られない強さは持っている。


 そんな彼らが寝返った理由。


 それは存在した。あまりにも呆気なく。あまりにも不条理に。


 ベティの疑いの顔色はブライスの返答によって一瞬で変わった。


「......なるほどね」


 *****


「記憶の改変......」


「ああ。エスペラントが研究しているのは宇宙の超常現象が一般的だが、その裏で大きく占めるのは脳の研究だ。彼らが特化しているのはその部分だ。記憶の改変の超常現象の真相に辿り着いて、それを手の中で転がすことができるような技術を生み出したんだろう。彼処はようは危険な実験をしたい頭を持つやつらの巣だ。そして、彼らは手に入れたその技術を人間に使った」


 エスペラントにB.F.研究員が誘拐された、通称エスペラント誘拐事件の際、彼らの研究の内容、目指す世界が明らかになった。


 それは死という概念が無い世界。永遠に生きることができる世界。そして、そのために宇宙の真理を調べあげてその技術を成功に導く。

 そのために人間の脳の解剖を必要としているようで、たしかにB.F.より彼らの方が専門的な知識はあるはずだ。


「そういえばブライス」

 ドワイトが思い出したように彼を見る。


「この前、外に出た時に国のお偉いさんに合わせて貰えなかったって言っていなかったかい?」

「ああ。何度も面識があるSPは俺の事をすっかり忘れてしまっていたな。電話も繋がらないし、回線が絶たれた可能性がある」

「ちょっと待ってくれ。じゃあ僕らは今、味方が一人も居ない状況なのかい?」


 ナッシュの言葉にブライスは頷く。


「地上に居るジェイスとベティくらいだろうな。他の研究員も居るが、住所と電話番号を完全に把握しているのはその二人だ。実際に、既にベティにはエスペラントの情報を少しずつ集めてもらっている。まだ大きな動きはないようだが、いつあいつらが動き出すかは分からない」


 ブライスの淡々とした説明にナッシュとドワイトは黙った。だが、ドワイトはさっきの鋭さが戻ったナッシュに気づいた。彼の矛先はやはり己の相棒だった。


「何でそんな重要なこと黙っているんだ」

「ナッシュ」


 ドワイトが彼の名前を呼ぶ。


「僕らに黙っておくくらい、重く捉えていたのか? 君は怒られるのが怖いのか? それとも、ベティと秘密ごっこでもしていたかったのかい」

「ナッシュ、止めるんだ」

「これは僕ら三人で済む問題じゃないんだよ!」


 ドワイトがナッシュの二の腕を掴んだが、ナッシュはそれを大きく振り払った。


「確かに僕はこの施設で死ぬんだろうとは思ったけれどさ、彼らを危険に犯してまで死のうとは思わないよ。痛い思いをさせたいなんて思っていないよ」


「分かっている」


「分かっていない! 死ぬのは僕らだけじゃないんだ、星5たちもなんだろう? 彼らに説明して素直に頷くと思ったのかい? もっと他の方法を考えよう、ブライス。僕はそんな終わり方を模索する君なんて見たくないよ」


 ナッシュの必死さをドワイトは感じた。


 彼が恐れているのは星5の死。自分の後輩が危険に晒されること。そして、自分たちの死。


 ブライスにもっと他の逃げ道を提供しようとしているのだ。迷路のゴールを増やしてあげようとしているのだ。


 だが、ブライスは揺るがなかった。


「動くなら今しかない」


 ナッシュが激しく息を吸い込んだのが分かった。


「決断が遅まれば、犠牲になる研究員の数は増えていくだけだ」


 彼の目の奥には、強い光があった。それに気づいたのはドワイトだけでなかった。ナッシュは、開きかけていた口を閉じた。


「......俺は今まで何十、何百人の研究員を殺してきた。あいつらが感じた苦しみを、自分の身できちんと受け止めたい」


 それは、彼の口から出たわがままだった。彼の欲だった。彼が自ら二人に初めて見せた、弱いところだった。


「ブライス......」

「......今日の夕方までに答えを出してくれ。職員らを集めて話すのは明日だ」


 ブライスはそれだけ言うと、会議室を出て行った。最後は顔すら見せなかった。


 取り残されたドワイトとナッシュは、彼が出て行った扉を黙って見つめていた。


「......どう思う、ドワイト」


 ナッシュは扉を見つめたまま隣の親友に問う。ドワイトもまた扉を見つめたまま答えた。


「彼の意志は固すぎるよ。優しさ故の頑固さに打ち勝てるものは存在しない。腹を括る必要があるね」

「君も死ぬんだよ?」


 冷静沈着な彼に耐えられず、ナッシュはようやくドワイトを見た。ドワイトはまだ扉を見つめていた。ナッシュは完全に彼に体の向きを変えた。


「君が置いていくのはあの子たちなんだよ? 僕だって、みんなを置いていくことになる」


 ナッシュの頭に次々と後輩たちの顔が浮かぶ。何より、自分の助手の姿が。いたずらっ子の橙髪が。


「私たちはとうの昔に置いていかれたんだ」


 ドワイトがぽつりと言ったのを、ナッシュは聞き逃さなかった。


「彼らがその悲しみを身をもって体感させてくれたね」

「なら尚更_____」

「でもね、ナッシュ」


 ナッシュの言葉をドワイトは遮る。


「死というものはいつかやってくる人間の運命だ。いいや、生物の運命。私はみんなを守りたい。私は、みんなが幸せに暮らして欲しいと思っているんだ。それに、ブライスは星5の子たちにきちんと逃げ道を用意すると言っていたよ。決めるのは彼らなんだ。自分自身だ」


 ナッシュは黙っていた。ドワイトの声ははっきりとしていた。そして、柔らかかった。


「私は行くよ、ナッシュ。最後まで、彼を信じてみようと思う」


 俯くと、ナッシュの顔は髪に隠れてしまった。ドワイトは彼をそっと抱き寄せて、その背中をしばらく撫でていた。

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