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Black File  作者: 葱鮪命
114/193

File060 〜揺蕩う水の記憶〜

「わあ、すごーい!!!」


 B.F.星4研究員のケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)は、実験室へと続く扉の先を見て顔を輝かせた。その先は暗い道が続いている。ぼんやりと青い光が見えるが、その光はゆらゆらと揺れていた。


「ビクター! すごい、本当に水族館になってるよー!」


 ケルシーは後ろに居る自分のペアに、興奮気味にそれを伝える。彼女の後ろには、同じく星4研究員のビクター・クレッグ(Victor Clegg)が居る。彼女の楽しそうな顔に対して彼は呆れ顔をして、「子供かよ」と言った。


 二人が今回受け持った超常現象は、水族館の姿をした異空間だ。


 この超常現象の話が日曜会議で出た時に、既にケルシーはブライスに名乗りをあげていたのだとか。

 というのも、彼女は水族館というものに行ったことがないのだ。ペアになった当時から、いつか水族館に行くのが夢なのだとビクターは何度も聞かされていた。


「早く早く!」


 ケルシーはビクターの腕を引っ張って、暗く涼しい異空間へと連れて行った。


 *****


「わー!! いっぱい居る!!」


 超常現象内に入ってケルシーの興奮は更に強まる。二人の身長を優に超える大きさの水槽があり、ガラスの向こう側で無数の魚が悠々と泳いでいる。


 フロアには、人が二人の他に誰も居らず、暗い廊下も更に先が続いているが、向こうも人の気配はない。


「あ!! あれはマンタでしょ!」

 ケルシーが指さしして名前を叫ぶ。


「ジンベエザメも居る!! 大きいねー!」


 彼女は水槽の前をあっちこっち走りながら、忙しそうに名前をあげていく。普通なら他の客に迷惑になると言いたいところだが、今日はそんなこと気にしなくてもいいのだ。


「ジンベエザメの皮膚は釘を打ち返すくらい弾力性があるらしいな」

「えー! そうなの! 最強じゃん! 銃弾はどうなんだろうねっ!?」

「......さあ」


 巨大な水槽の中で一際目立つその姿にビクターもケルシーも圧倒された。


「こんなに大きい生き物、私初めて見た......」

「俺も、本物は初めて見た」


 超常現象の中で見るから本物かどうかは分からないんだった、とビクターは言ってから気づいた。

 しかし、水槽の中を泳ぐ魚たちはどれも魂を持っているように感じた。


 ビクターもケルシーも少しの間、水槽を黙って眺めていた。


「......海ってすごいよね」


 不意にケルシーが言った。ビクターがそちらを見ると、彼女の顔は尚も輝いていた。


「こんなにたくさんの種類の生き物を育てているんだよ。私たちも元々海から生まれたんだもんね」


「もうずっと前の話だけどな」


「ふふ、わかってるよ、そんなの」


 二人の間にまた沈黙が降りた。


「私ね」

 ケルシーが口を開く。


「昔、海で溺れたことがあるの」


「え......」


 ビクターが驚いて彼女を見ると、彼女は懐かしそうに目を細めて魚たちを目で追っていた。


「本当に小さい頃の記憶だから、きっと時の中で少し改ざんされちゃったかもしれないけれど_____」


 ケルシーがビクターを見る。


「聞く?」


 ケルシーの声は何だか今にも消えそうな儚さがあった。此処だけ、まるで時空が歪んでいるような不思議な感じがした。


 綺麗な声だ、とビクターは思った。だが、体が何故か聞くのを拒もうとしている感じを覚えた。体が上手く言うことを聞かない。


 少し経って、ビクターは小さく頷いた。そしてはっきりと、


「ああ」


 と言った。


 *****


 ケルシーは四歳のある夏の日、家族で海水浴へと来ていた。ケルシーの家では毎年恒例で、彼女はその年初めて、少し遠くまで泳いでいきたいと言う、幼いながらの好奇心が働いていた。


 ケルシーは初めて父親の腕から離れて海へと体を預けたのだ。


 青い世界に住む魚や綺麗な貝を見て、ケルシーは感動を覚えた。導かれるようにしてそのまま砂浜から少し離れて、彼女は沖へと進んだ。


 気づけば足がつかなくなっていた。ケルシーはそこで初めて周りに父親が居ないことに気づいた。そして自分の足が海底についていないことも。そう言えば砂浜も見えない。


 ケルシーはようやく、自分が沖に流され始めていることに気づいた。後に父から聞いたが、ケルシーはこの時、離岸流というものに乗せられていた。


 離岸流とは、海岸に押し寄せた波が沖へ戻ろうとする時に発生する強い流れのことで、毎年これに気づかず沖に流されてしまい、そのまま行方不明になるという水難事故が多発していた。


 離岸流は砂浜と平行に泳げば抜け出せるものの、幼い頃のケルシーはそんなこと知る由もない。


 必死に沖に戻ろうともがいている内にパニックになり、高い波に襲われて大量の海水を飲んだ。ライフジャケットも着ていなかった彼女は、少しずつ海に飲まれていく。


 さっきまで穏やかだった青い世界は、その時の彼女には黒く巨大な化け物にしか見えなかった。


 ケルシーはおそらくそのまま水を飲んで意識を失ってしまった。記憶は無いが、気がつくと何処か知らない砂浜に漂着していた。


 体を起こすと、砂まみれの自分の体、そして頭上でさんさんと輝く太陽が見えた。


 なんだか、随分太陽が高く感じる。


 溺れた体に苦しさや倦怠感は一切感じなかった。


 ケルシーは立ち上がって辺りを見回す。明らかに家族と来ていた浜辺ではなかった。そもそも人が居ないのだ。


 ケルシーはとにかく大きな声で家族を呼んだ。


「ママっ!! パパっ!!」


 海と反対側は林のようになっていて、木々が生い茂っている。あの向こうに家族が居るのではないかと思って、彼女はもう一度声をかけたが誰の返事もない。


 聞こえるのは風が木の葉を揺らす音と、背中で聞こえるさざなみだけだ。ケルシーは心細くなった。


 もし、このまま家族に会えなくなったらどうしよう。


 泣きたくなるのをグッとこらえて、彼女は取り敢えず浜辺を見て回ってみて、人が居たら助けてもらおうと言う考えに至った。


 浜辺には貝殻が落ちていた。綺麗なピンク色や、鮮やかなブルー。ケルシーはそれを夢中で拾いながら浜辺を歩いて行った。


 *****


 30分は歩いただろうか。彼女は自分が漂着したであろう場所に戻ってきた。そして気がついた。


 ここは島だ。人が居ないとなれば、おそらく無人島。


 彼女は慌てて周りを見た。他に島らしきものも大陸らしきものも見えない。完全に離島だった。


 今度は少しだけ涙が零れた。島を回って手に入れた大量の貝殻をパラパラと浜辺にまいて、最も綺麗だと思ったピンク色の貝殻をひとつ、彼女はその手に握りしめた。そして、まだ捜索していない

 林を見上げた。


 四歳の少女にはとても大きな木々に見える。


 彼女は貝殻を握りしめてゆっくりと林に近づいて行った。


 *****


 林の中はしん、と静まり返っていた。生い茂る葉の中でケルシーは再び家族を呼んだ。もちろん、声は聞こえなかった。


 彼女は不安に押しつぶされそうになりながら、林の奥へと進んでいく。30分で回れる島なのだからそこまで大きくないことは、幼いながらに理解はできた。


 彼女はめいっぱい想像力を働かせて、状況が良くなることを祈った。島と言えば先住民が居て、自分を助けてくれるかもしれない。もしくは、自分のように漂流する人が現れるかもしれなかい。


 僅かな希望を胸にケルシーは懸命に足を動かした。


 少しして彼女は木々の隙間に白い何かを見た。動物でもない。あれは人工物である。彼女の足が自然と早くなる。助けを呼んでくれる人がいるのかもしれない、と彼女は夢中になって足を動かした。


 そして、生い茂る葉を手で避けた時だった。


「あっ_____」


 彼女は途端、足を止めた。


 相当な衝撃だったのだろう、木々が折れ、強い摩擦によって地面の草は広い範囲が禿げている。


 鬱蒼とした林の中の、少しだけ開けた場所。そこに巨大な白い機体が寝そべっていた。


 羽らしき箇所はポッキリ折れて何処かへと飛んで行ったようで、機体の前後が割れてシートが丸見えになっている。


 そう、それは飛行機だったのだ。


 ケルシーは息を呑んで、その巨大な白い物体を見上げていた。飛行機というものは知っていたが、これは壊れている。空を飛ぶものが壊れるとすれば、落ちてきたのだろう。


 ケルシーは恐る恐る機体に近づいた。中の奥までは見えないが、人は居ないようだった。しかし、飛行機なら人が居てもおかしくは無いはずだ。操縦席の方にも人影らしきものはない。


 ただ、最初からそこにあるオブジェのように、静かに佇んでいるだけだ。


 今思えば墜落事故か何かの跡だったのだろう。乗客をたまたま乗せていなかった機体なのかもしれない。もしくは、墜落前に全員が外に飛び出したか。


 たが、ケルシーにはそんな悲惨な機体を目の前にしても、不思議と恐怖というものが湧いてこなかった。


「壊れてるのかなあ」


 機体をぺたぺたと触って、ケルシーは言った。くるくると機体の周りを回ってみたが、人は誰もいない。


 彼女は好奇心に突き動かされていた。見つかったら怒られるどころでは済まないような気がしたが、好奇心というものには勝てない。


 それもそのはず、まだ彼女は飛行機というものに人生の中で一度も乗ったことがなかった。


 空を高く飛んでいるあの機体は、壊れているが今、目の前にある。乗れるのは今日だけかもしれない。チケットを取らずに乗車できるのは、この機会が最初で最後かもしれない。


 誰も見ていないなら_____いいよね?


 ケルシーは機体から飛び出た部品やシートを掴んでよじ登り、機体の中に入った。機内はしん、と静まり返っている。微かに波の音が聞こえるが、他は何も聞こえない。


 ケルシーは傾いた床に手をつくように、機体の奥へ奥へと進んでいく。


 機内には人が居たような形跡が残っていた。誰かが食べようとした機内食、誰かが読んでいたらしい雑誌、子供の落書きが描かれたコピー用紙。


 この光景からして人は乗っていたらしい。彼らは一体何処に行ったのか。


 ケルシーはしばらくの間、シートを飛び越えたり、落ちている物を物色したりして遊んでいた。


 いつの間にか30分ほど経過していたらしい。

 ケルシーは自分が海で溺れて流されて、親とはぐれてしまったことを思い出した。


 しかし、自分はこの島からどうやって出たらいいのか、未だに答えに辿り着いていない。


 ケルシーは飛行機から出た。突き出た部品から地面に着地をしようとした時に、足をつるりと滑らせて派手に地面に落ちた。その時に膝を擦りむき、血が出てくるのを彼女は見た。


 痛みと心細さで目の前がぼやけた。やがてそれは、彼女の顔の輪郭を描いて地面にポタリと落ち、染みを作った。


「ママ、パパ......」


 彼女は擦りむいた膝を引きずるようにして来た道を戻り始めた。


 集めた貝殻を見せたいのに、飛行機に乗ったことも伝えたいのに......帰り道も、此処が何処かも分からない。


 ケルシーが浜辺に戻りながら泣いている時だった。ひゅうひゅうと、風を切るような音が聞こえてきた。その音はどんどん大きくなっている。ケルシーは不思議に思って顔を上げたが、生い茂る草木でまだその正体は見えない。


 彼女は駆け足で林から出て、浜辺へと戻った。


 そして、


「わあ」


 空に浮かぶ白い機体を見た。それはとても大きかった。そして、さっき自分が林の中で見つけたものにそっくりだった。両親が迎えに来てくれたのかもしれない。


 彼女はそう思って嬉しくて、顔を輝かせながら小刻みにジャンプをし、大きな機体に自分の位置を示した。


 しかし、


「あれ......?」


 ケルシーは違和感に気づく。


「や、やめてっ」


 ケルシーに向かって、いや、この島に向かって、機体は突っ込んでこようとしているように見えた。

 ケルシーは逃げようとしたが、恐怖で足が竦んでしまい、その場に座り込んで頭を抱えた。手のひらにあるピンク色の貝殻をケルシーはこれでもかと握りしめた。


 そこからの記憶は、彼女にはない。


 *****


「気づいたら、お父さんとお母さんが泣きながら私の顔を覗き込んでいたの」


 ケルシーは水槽の中の魚たちを見つめながら、ボソリと言った。


「私、あまりにも沖まで行くものだから、二人が助けを呼んで専門の人に来てもらったんだって」


「......」


「私、やっぱり溺れていたみたい。意識がなかったけど、命に別状はなかったって。でもさ、変な話だと思わない? その時に私、確かにあの島を歩いた記憶があったんだよ。壊れた飛行機の中で遊んだし、誰もいない無人島で貝殻集めだってした。誰も信じてくれなかったけど」


 でも、とケルシーは自分の手のひらをグーにして胸のところまで持ってくると、ゆっくりとその手を開いた。


「その時に強く手のひらを握って拳を作っていたの。それを開いたらね、貝の代わりに、なにかの骨があったんだよ」


「骨......?」


「そう。皆、小動物か、死んだサンゴか何かだって言うけど、私は違うと思う。島には動物なんて居なかったもん。あれは、私はね、彼処で事故にあった人のものなんじゃないかなあ、って今では思うんだ」


「......じゃあ、お前は貝殻だと思って骨を拾い集めていたってことか」


「ね、そう考えると幼かったとは言え不気味だよね。ほとんど記憶にないから、そうだとは言いきれないんだけどさ。でも、すごく鮮明なの。砂の感覚も、太陽の日差しも。私、まだ思い出せるもん」


 ケルシーは目をつぶった。


「でも機体が飛んで来たっていうのは、どうなんだよ。その島に二つ目の機体が落下しようとしていたってことか?」


「ううん......私が考えるにはさ、ほら、有名な話。ある一定の場所を飛んでいる機体と、急に連絡が途絶えちゃうって話」


 ケルシーの言葉にビクターも、ああ、と頷く。


 それは有名な都市伝説だ。突然、飛行機がある区間に入ったところで跡形もなく消えてしまうのだ。実際そんな事件が過去に何件も起きている。最も名前が知られているのは、バミューダトライアングルだろう。


「それが、その島だったのかもしれないってことか」


「そうかもしれないね、って話ね。夢だったのかもしれないけれど、私が機体から降りる時につけたあの傷が、目覚めた時も確かに足についていたの」


 ケルシーは目を開いて、足元を見下ろした。ビクターも見下ろすが、彼女はズボンを履いているのでその怪我というのは分からない。


「お母さんは、海の中の岩にでもぶつけたんだって言うけどね。不思議な話でしょ?」

「......そうだな」


 ビクターは頷く。まさか、自分の相棒がこんな話を持っているとは知らなかった。


「ビクター。私はたぶん、あの経験があるから、今此処で研究員をやっているんじゃないかなあ、って思うんだよね」


 ケルシーがニコッと笑う。


「だって、大きくなってからもやっぱり不思議だったんだ。あれは夢じゃなかったよなーって。確かに今の科学じゃちょっと説明つかないだろうし、夢だと思われたって言い返せないくらい突飛な話だけどね。いつか、その謎を解き明かす日が来るかもって思うと、ワクワクするよ」


 ケルシーの顔は輝いていた。


「そして、いつかビクターともあの島に行ってみたいな。なーんて、思っちゃったりしてね」


 くくく、と楽しそうな笑い声を漏らす彼女に、ビクターは「なんだそれ」と呆れ顔を向ける。


「外部調査で、いつか行けるといいな」


 ビクターが言うと、「うん!」と元気な返事が返ってきた。


 そして二人は、まだ少し、幻想的な人工の海を静かに眺めていた。

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