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Black File  作者: 葱鮪命
112/193

約束のメダル

「お姉ちゃん、行くよ!!」


 ブランカ家に大きな声が響く。続いて階段をタンタンとリズミカルに降りてくる音が聞こえてきた。


「ちょっと待って」


 一階のリビングから、少女のそんな声がする。さっきの溌剌としたものとは声質は似ているが、それに大人っぽさが加わっている。


「チェルシー、もう少し待ってね。イザベル、大丈夫?」

「うん」


 チェルシーが一階に降りてリビングを覗き込むと、姉のイザベルは母親に髪を梳いてもらっていた。


「お姉ちゃん、おーそーいー!!」


 チェルシーはそう言ってその場で地団駄を踏んでいる。そんな彼女の頭に優しく手を置いたのは彼女の父親だった。


「チェルシーの髪はお父さんが梳いてあげようか」

「いい!!」

「......」


 思いの外ショックを受けたらしい父親が黙り込む一方で、


「はい、いいわよ」


 母がイザベルの髪に小さなペアピンを付けてあげて言った。


「チェルシーはオシャレしなくていいの?」

 母親の目はチェルシーに向けられる。


「もう一人でやったの! 早くしないと売り切れちゃうんだってば!!」


 チェルシーが不満げに言うのでイザベルは立ち上がった。


「行ってくるね」

「ええ、夕方までには戻ってきてね」

「うん」


 チェルシーはイザベルを連れて家を出た。今日は、チェルシーが楽しみにしていたケーキ屋の新作が出る日なのだ。イザベルは特に何とも思っていないのだが、熱狂的なそのケーキ屋のファンである妹は、この日を今日か今日かと首を長くして待っていたのだ。


「わざわざ開店時間に間に合わせようとしなくても......」

 イザベルは腕時計に目をやって言う。

「超人気店の新作なんだから、この時間でも遅いくらいだよ!」


 イザベルの前をせかせかと歩く彼女の顔は輝いている。


「分かったから、転ばないでよ」

 イザベルは注意をしながらも、可愛らしい妹の姿に自然と頬が緩んでいた。


 *****


 ケーキ屋の開店10分前に二人は着いた。が、既に店の前には20人ほどの列が出来ており、チェルシーはたちまち泣きそうな顔になっている。イザベルも、これだけ早く来たのにもうこんなに人がいるのかと驚いた。取り敢えず二人は列の最後尾に並んだ。


「売り切れちゃうかな......どうしよう、お姉ちゃん......」

 せっかく張り切って此処まで来たのに、彼女の辛そうな顔だけを見て帰るのもイザベルは嫌である。


「新作をたった20個だけ作っているわけないでしょう。大丈夫よ」

 と彼女を励ます。チェルシーは不安げな表情でイザベルの横に立っていた。


 少しして店は開店した。可愛らしい店員が店の扉にかかっていたプレートを「オープン」に変えて店の中に客を招き入れていく。チェルシーとイザベルもそれに続いた。やはり客の目当てはほとんど同じのようだ。ショーケースに並ぶカップケーキのひとつを皆指さして箱詰めしてもらっている。チェルシーの顔が険しくなっていくので、イザベルがそれを宥める。それを数回繰り返すと二人の番が来た。


「新作のカップケーキ二つください!!」

 ショーケースにはまだ五つ残っていた。店員が丁寧にそれを箱に詰めている間、イザベルは財布を取り出していた。


「二つも食べたら夕飯食べられないでしょ」

 イザベルが言うと、チェルシーがにんまりと笑った。


「一つはお姉ちゃんのだもん!」

「私はいいわ、チェルシーが食べなさい」

「いいの! お姉ちゃん最近お勉強頑張っていたでしょ? そのご褒美だよ!」


 チェルシーはそう言って、イザベルよりも早く財布を取り出してお金を払った。


「ちょっと」

 流石に妹に払わせるのは申し訳ないと思ってイザベルは彼女に声をかけるが、チェルシーは箱を受け取ると、


「公園で食べよー!」


 と店を出ていく。イザベルは店員にお礼を言って彼女を追いかけた。


 *****


「あのね、あんなに高いカップケーキ二つも買わなくていいのよ。私は朝食でお腹いっぱいだし......」

「じゃあ、私が食べるよ!! 本当は隣にあったマフィンも美味しそうだったんだけど......」

「あなた何処からそんな大金手に入れたわけ?」


 イザベルは眉を顰めた。

 チェルシーはバイトなどしていない。あのカップケーキはひとつでもそれなりの値段がしたが、彼女の財布からチラリと見えたのはイザベルが持っているよりも遥かに多い金額のお金だった。


「お家のお手伝いしたの! お買い物行ったり、草取りしたり、洗濯物を干したりね!」

「それで......お駄賃ってこと?」

「そういうこと!」


 イザベルは最近の朝の風景を思い出した。最近チェルシーは早起きで、父や母と並んで家事に参加しているのだ。今までだとあまり見ない光景だったが、全てはこのカップケーキのためだったようだ。


「随分頑張ったのね」

「うん! お姉ちゃんとお買い物行くのなんて久しぶりだし、これ食べ終わったら一緒に服を見に行きたいの!」


 チェルシーは顔の高さまで箱が入った袋を上げて見せた。


 *****


 二人は近くの公園のベンチでカップケーキを食べることにした。


「美味しそう〜!」

 早速彼女はかぶりついている。イザベルもその隣で一口頬張った。ナッツがゴロゴロ入ったケーキの上に甘すぎない生クリームが乗っている。チェルシーはそれを食べてパタパタと足を鳴らした。


「美味しいー!!」

 空に叫ぶように彼女が言った。確かに美味しい。イザベルも黙々と食べ進める。


「こんなに美味しもの生まれて初めて食べた!!」


 チェルシーがイザベルの方を向いて幸せそうに笑う。そんな彼女の鼻のてっぺんにクリームがちょん、とついているのでイザベルは自分の鼻を指さす。チェルシーが慌てて鼻を触ってクリームを拭った。

 ポップ系雑誌の一部を切り取ったような可愛らしさにイザベルは癒されていた。

 最近は試験勉強などで忙しくてあまり彼女と過ごす時間が取れていなかった。バカンスで家族と外に出る機会はあるが、彼女と二人きりというのはなかった。


「お姉ちゃんは頑張りすぎだから、たまには外に連れてこないと!」

「そうね。気分転換は大事だわ」


 イザベルは最後の一口を食べ終わった。


「夜ご飯いらないわね......お母さんに怒られないといいけれど」

「歩き回ったらお腹空くでしょ!! ほら、次は服屋さん!!」


 食べ終えたチェルシーが勢いよく立ち上がる。


「また鼻にクリームついてる」

「えっ」


 *****


 二人がやって来たのは街中の服屋だった。


「お姉ちゃんは服を持っていなすぎ!!」

「ワンシーズンに三着くらい使い回せれば十分だと思うけれど」

「もっとオシャレしてよー!! お姉ちゃん可愛いんだから!!」


 チェルシーは次々服を持ってきてはイザベルの体に当てて、それを繰り返している。どれもイザベルが買うならば確実に選ばない傾向のものばかりで、イザベルは完全に彼女の着せ替え人形と化していた。


「遊んでるでしょ」

「えー? お姉ちゃんに似合う服を当ててるだけだよ?」


 チェルシーがくくくと声を押し殺して笑っている。

 こういった彼女の表情も最近は見なかったものなので、イザベルはどうも怒れず眺めてしまう。


「あー、やっぱダメ。お姉ちゃんの体のラインが出てない」

「大きい声で言わないの」

「ねえ、隣の服屋さんも見に行かない?」

「話聞いてる?」


 妹に半ば強引に連れ回されて、イザベルは結局、その後二軒の服屋を回る羽目になった。最後の服屋でチェルシーはイザベルに似合いそうな一着を見つけた。それは白いワンピースだった。シンプルなものでノースリーブだが、彼女の綺麗な顔によく似合うような気がしたのだ。


「お姉ちゃん、これ! これ試着してみて!!」

 そう言ってチェルシーはイザベルにワンピースを押し付けてくる。


「これ?」


 三軒も回って流石に疲れていたイザベルは、言われるがまま試着室の中に入った。


 チェルシーはその間他の服を見ていた。この服屋はシンプルなものを扱っており、無地を好むイザベルにはピッタリのような気がしたのだ。


 それにしても、姉との買い物は久々が故にとても楽しんでしまった。

 姉は学年のトップを常に取り続けるような頭の良さを持っており、その頭の良さはまさに努力の賜物と言うべきものだろう。

 姉とは小さい頃から仲が良いが、最近姉の勉強の邪魔をするわけにはいかないと適度に距離を置いていたので、こういう機会はとことん楽しみたい。


「お姉ちゃん、終わった?」

 試着室のカーテンの向こうに声をかけると少しして開いた。


 チェルシーはやっぱり、と思った。華奢な手足に良く似合う、大人らしい雰囲気が引き立てられている。金色の髪が白に映えている。

 まるで天使のようだ。羽と輪っかがあっても不思議ではないほど、その服は彼女に似合っていた。


「......どう?」

 あまり自信がなさげに彼女は問う。黙り込んでいたのがいけなかったらしい。チェルシーは慌てて「似合ってるよ!」と言った。付け足した感じが出てしまったのか、イザベルが訝しげに彼女を見た。


「本当に!! それにしようよ!」

 イザベルは曖昧に頷くと、カーテンの向こうに引っ込んだ。


 チェルシーは自分の胸に手を当てる。ドクドクと早い鼓動を刻んでいる。あまりに似合いすぎていて驚いたようだ。

 お世辞なしで、この世界で自分の姉が一番の美人なのではないかと思ってしまう場面がいくらでもあったが、今回は飛び抜けてそれが強かった。


 過去に一度だけ一緒に街を歩いていて、イザベルがスカウトを受けたことがあった。嫉妬するわけでもなく、その時のチェルシーは納得だった。寧ろ丁重に断っている姉に本当になる気はないのかと家に帰るまで問い詰めたのだ。両親にもチェルシーの口から話をしたが、イザベルはその話題を自分の口から出すことはなかった。


 目立つのが好きではない姉だが、あの顔の良さを活かさないのは本当にもったいないことだ、とチェルシーはつくづく思っているのだった。


 *****


 服はチェルシーが払った。再び財布を出そうとしていた姉を制して、彼女より先に財布からお金を取り出した。


「お金は貯めておかないと」

 イザベルが言う。


「いいの、今日は私に付き合わせちゃったんだから」


 店を出てイザベルはチェルシーから紙袋を受け取った。

「学校にも着て行ってね」

「考えておくわね」


 釘を刺しておけば、優しい姉だからきっと来て言ってくれるはずだ。チェルシーはそう思って、早く着ている姿を両親にも見せたくて足を早く動かした。


 *****


「お姉ちゃん......あれ」


 二人でカップケーキを食べた公園の前を通った時だった。隣を歩いていたチェルシーが突然公園の中を指さした。イザベルは足を止めて其方を見る。


 公園のベンチに小さな赤毛の子供が座っていた。歳は正確には分からなくても五歳もいっていないくらいで、近くに母親や父親らしき人影も見当たらない。


「迷子かしら」

「大丈夫かな、あの子......近くにお母さん居ないみたいだけれど」

「そうね。声をかけてみましょうか」


 イザベルは踵を返して公園の中に入っていく。チェルシーもその後ろに続いた。


「こんにちは」

 イザベルが挨拶をすると、その子は顔を上げた。その目と鼻のてっぺんが赤くなっており、一通り泣き終えたあとの状態だったようだ。中性的で綺麗な顔立ちをしていた。


「お母さんかお父さんは?」


 イザベルがその子の前にしゃがみこんで問う。その子は小さく首を横に振った。


「はぐれちゃったの?」


 次は弱々しく頷いた。そして、


「おもちゃ屋さんで.....」


 と小さく言った。


「おもちゃ屋さん?」

「僕の誕生日プレゼントを、おもちゃ屋さんで買うを約束をしてたの。でもママがいなくなって......」


 子供の目に涙が溜まっていくのを見て、チェルシーが優しく手を握る。


「ケーキ屋さんでケーキを買う約束もしていたから、先に行っちゃったと思って......」


 舌っ足らずな声は震えて、ついに彼は泣き出した。イザベルは彼の背中を撫でて、


「おもちゃ屋さんって......そこから此処まで一人で歩いてきたってこと?」


 と問う。イザベルが知るおもちゃ屋は此処から1キロほど離れている。この小さな足で歩いてくるとすれば相当な距離だったはずだ。


「うん......わからなくなったら大人の人に聞いたの」

「そうなの......でもちゃんと辿り着けたのね」


 こんなに小さい子が、大人に道を聞いて遠く離れた目的地に辿り着くことが凄いことである。

 道を聞かれた大人が、こんな小さな子供が一人で歩いていることに違和感を抱かなかったことに疑問を覚えるがそれは置いておいて、この子の母親はきっと今頃この子を探しているはずだ。


「お姉ちゃん、どうする?」

 チェルシーが手を握ったままイザベルを見た。


「そうね......おもちゃ屋に電話をかけてみてくれるかしら。お母さんが探しているとしたら、電話番号くらいは預けている気がするわ」

「わかった。私かけてくるよ」


 チェルシーはポケットから携帯電話を取り出して、少し離れた場所に向かった。イザベルはその間その子に向き直る。


「お母さん、すぐ見つかるわよ」

「うん......」


 子供は力なく頷いて、ベンチに座ってプラプラと空中で揺れる足を見つめていた。


「何歳?」

「五歳」

「何処に住んでいるの?」

「えっと......病院の近くだよ」


 病院というと沢山あるが、この近くでは無さそうだ。バスで行くくらいの距離はあるだろうが、誕生日ということもあって母親が遠出してわざわざプレゼントを買いに来たのだと思うと、愛されている子だとイザベルは思った。


「プレゼントは何にしたの?」

「んっとね」


 楽しい買い物を思い出したのか、子供の顔は輝き出した。


「おままごとセットだよ! このくらいのポットと、このくらいのお皿と......」


 子供が興奮気味に話をし始めた。イザベルは隣で相槌を打ちながら、チェルシーの様子を見た。少し離れた場所で彼女は話をしているようだった。電話は繋がったようだ。あの長さからして希望は持てそうである。


 少しして彼女が小走りで戻ってきた。


「お母さん、やっぱり君のことを探してたよ。おもちゃ屋さんに連絡を取ってみたら五分前にお店を出て行ったって。今連絡を入れるみたいだから、あともう少しで此処に着くからね!」

「ほんと......!?」


 子供が嬉しそうに言った。

「良かったわね」

「うん!」


 すると、ぐう、と誰かの腹が鳴る音がした。見るとチェルシーが恥ずかしげに腹を抑えていた。イザベルはそれを見て微笑んだ。


「お疲れ様。なにか奢るわよ」

「ええっ!! いいよ!!」

「いいから。今日沢山買ってもらったしね。あなたも一緒に来る?」

「うん!」


 イザベルは子供と手を繋いでチェルシーを手招く。チェルシーは「じゃあ......」とイザベルについて行った。


 *****


 三人がやって来たのは、イザベルとチェルシーが今日の初めに来たケーキ屋だった。そこに入ると、興奮気味に子供が口を開いた。


「僕このお店知ってる! ママがよくあれを買ってくれるよ!」


 そう言って棚の上に並べられたカゴを指さした。チェルシーとイザベルがそのカゴを覗き込むと、「メダル入りチョコレート」と書いてある。


「チョコレートだって!」


 チェルシーも子供に負けないほど顔を輝かせていた。二人の反応からしてこれでいいだろう。イザベルはそれを三つ買った。


 再び公園に戻ってベンチに座り、三人で包みを開く。卵形のチョコレートで、振るとカラカラと中から音がするので何かが入っているようだ。


「ん!! 美味しい!!」


 チェルシーが誰よりも早くかぶりついて言った。その隣で子供も小さな口でチョコレートを頬張っている。イザベルも割って食べた。

 上品な味がするチョコレートだ。あのケーキ屋はチョコレートケーキの売れがとても良いので、上質なカカオを使っているのだろう。


 それから、


「何か出てきた!」


 チェルシーの言葉にイザベルもチョコレートの中身を見た。

 中身は空洞になっていて、その中に金色の輝きが見えた。取り出してみるとメダルの玩具だった。


「メダル!!」

「メダル入りチョコレートって、そういうこと」


 チョコレートを振った時に鳴った音の正体はどうやらこれらしい。イザベルのメダルには剣と王冠が描かれていた。チェルシーのメダルには城だ。そして子供のメダルには_____、


「あ!!! 僕これ持ってなかったやつだ!!!」


 今日一番の興奮具合でその子はメダルを空にかざすようにした。見てみると鷲が王冠を被っているものである。イザベルとチェルシーが持っているメダルよりも作りが細かく、美しかった。


「これ、レアなやつ!! 僕一番欲しかったの!」

「そうなんだ! 当たって良かったね!」


 チェルシーが笑って、彼の頭を優しく撫でる。子供は「うん!」と頷いてイザベルを見た。


「お姉ちゃんありがとう!」

「いいのよ」


 イザベルが言ったところで、


「キエラ!」


 と、そんな声が聞こえてきた。


 公園の入口から小走りで此方に走ってくる女性の姿があった。イザベルとチェルシーの間に座っている子供を見るなり、安堵の表情を浮かべている。


「ママ!」

 キエラと呼ばれた子供がベンチから立ち上がって母親に抱きついた。


「ごめんね、ごめんね」

 母親が泣きそうな顔で小さな体を抱きしめる。イザベルもチェルシーもその様子を見て安心した。


「お姉ちゃんたちが助けてくれたよ!」

「本当にありがとうございます」

「いいんですよ」


 チェルシーがニコッと笑う。


「ケーキ屋さんに美味しいチョコがあることを知れましたから!!」

 そう言って手の中にあるメダルを見せた。


「あのお姉ちゃんが買ってくれたの!! 見てママ!!」

 誇らしげに母親の顔の前に子供はメダルを掲げた。母親は目を丸くしてイザベルを見る。


「本当にありがとうございます」

「いえ、楽しかったですし......」


 何と返したら良いのか分からずに、イザベルの声は小さくなってしまう。


「レアなやつ!! 最後の一枚だよ!!」

 母親の視界に移ろうとぴょんぴょん跳ねる子供の頭を母親は愛おしげに撫でた。


「そうね、欲しいって言っていたもの。この子、このメダルを集めていたんですが、最後の一枚がどうしても出なくて......お姉ちゃん達にちゃんとありがとうって言うのよ」


 母親は鞄を持ち直して言った。それを見て帰る雰囲気を察したのか、子供の顔に影がさした。不安げに母親の服にしがみついて、此方を振り返る。その目は主にイザベルを見ていた。


「もうお姉ちゃんと会えない?」

 その目にはじんわり涙が浮かんでいた。


「そんなことないわよ。またいつか、きっと何処かで会えるわ」

「そうだよ!」

 チェルシーが母親に倣って大きく頷いた。


「学校を卒業したらきっと君の元に行くと思うよ!」

「余計なこと言って期待させてどうするの」


 イザベルが小声でチェルシーに言うが、彼女は「いいじゃん、いいじゃん!」と悪戯っぽく笑ってみせた。その間、子供は「そうだ」と目をキラキラさせて、母親を同じ身長にしゃがませた。そしてその耳元で何やらコソコソと話をしている。子供が話終えると母親は「ええ?」と驚いた様子で聞き返していたが、子供の顔を見て「わかったわ」とまた微笑む。


 チェルシーもイザベルもその様子を首を傾げて見ていたが、やがて子供がイザベルの元へと走ってきた。イザベルは驚いたが、彼と身長に合わせるためにしゃがんだ。


「お姉ちゃん、これ!! これ持って!!」


 そう言って子供が差し出してきたのは彼のチョコレートに入っていた、あの最も欲しがっていたメダルであった。彼が今最も大事にしたいもののはずだ。


 イザベルは彼とメダルを何度も見て、「いいの?」と問う。


「うん! でも持ってるだけ!! 次会った時に返してね!!」

 イザベルはそれでも手を出すのを躊躇していた。


「お姉ちゃんと次にまた会えるようにおまじない!!」

「......」


「お姉ちゃん」


 チェルシーがぽん、と背中を軽く叩いた。イザベルは手のひらを上にして手を出した。子供はその上にメダルを置いた。


「忘れちゃダメだよ!!」

「うん......」

「僕の名前は、キエラ・クレインだからね!! ぜったい、ぜーったいわすれちゃダメだからね!!」


 子供がメダルを抑えるようにイザベルと手を重ねた。子供の温かい小さな手をイザベルは包み込む。


「......わかったわ、キエラ君」

「えへへっ」


 名前を呼ばれたのが嬉しかったらしい。可愛らしい笑顔を見せて、彼は母親の元へと戻って行った。そして母親と手を繋ぎ、公園を出て行った。二人はその様子が見えなくなるまで手を振った。


「私たちも帰ろっか」

 チェルシーがそう言って歩き出す。イザベルも「そうね」と頷いた。


 歩きながらイザベルは手のひらの中にあるメダルを見る。チェルシーはそれを見てニヤニヤと笑っていた。


「本当にまた会えるのかしらね」

「会えるって! お姉ちゃん、それ絶対に無くしちゃダメだからね?」

「ええ、気をつけるけれど.....」


 こんなに広い世界でまたもう一度同じ人に会うというのは本当に低い確率だと思うが......。


 イザベルは自分の手のひらにあるメダルを、自分が当てたメダルと一緒に握りしめた。まだあの子の体温が残るそのメダルはイザベルのメダルとぶつかると、かちゃん、と小気味の良い音を二人の耳に届かせたのだった。

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