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Black File  作者: 葱鮪命
105/193

File056 〜真反対タブレット〜

 セーフティールームの住人の一人、バトラー博士は想像力の尽きない限り発明品を作り続ける超常現象だ。そんな彼は今まで作ってきた無数の発明品に囲まれながら、今日も背中を丸めて発明に夢中になっていた。


「よーし、完成したぞ!!」


 バトラー博士が完成したその小さな発明品を指で摘み、蛍光灯にかざして見たり、近くでじっくり見たりして満足気に言った。


「これはきっと世紀の大発明になるに違いない!!」


 彼が言うと、遥かに後方で扉が開く音がした。彼を観察するセーフティールーム監視員こと助手のバクストン・オルコット(Paxton Alcott)だ。


 彼はバトラー博士の100個目の発明品である。それは言葉そのままの意味ではなく、彼がこれから好きなように仕上げていく、未完成の助手という意味だ。


 バトラー博士は長年、記念すべき100個目の発明品をどんなものにしようかと悩んでいたが、助手が欲しいという切実な思いから、バクストンを助手にすることを決めたのだ。彼は永遠に完成しない、バトラー博士の作品のひとつだ。


 さて、いつもならば「博士は研究熱心でいらっしゃいますね」等と言って、散らかった机周りを掃除してくれたり、溜まった完成品を褒めてくれたりするという仕事をするバクストン。


 だが、バトラー博士が振り返ると、そこにバクストンは居なかった。


「新人君は?」


 バトラー博士はバクストンを「新人君」と呼ぶことがある。扉から入ってきたのは「新人君」ではなく、知らない女性の監視員だった。


「バクストンさんは風邪を引いていまして、ただいま療養中です。明後日には復活するかと」

「そんなあ!! 私は今すぐ新人君に新しい発明品を見せてあげたいんだ!!」


 バトラー博士が悲願するが、「そういうわけにも......」と女性は頭を搔く。


 彼女の名前はアビー・フレミング(Abby Fleming)。SR監視員になって四年目の、まだ新人と呼べる職員だ。彼女はバクストンからこのバトラー博士の相手をするように頼まれていた。


 三日に一度、彼の部屋に行って溜まった作品を褒めてやる。これだけで世界は救われる。これは比喩表現なんかではない。


 バトラー博士は作った発明品を褒められずに放置され、その発明品が溜まっていくと突然あるものを作り出す。それは「兵器」だ。人類を滅ぼすほどの兵器の制作に黙々と取り掛かるのだ。


 この三日に一度の巡回がどれだけ大切か。

 SR監視員の中では簡単な仕事だとしても、責任は重大だ。


 バクストンが風邪を引き、彼にはバトラー博士の相手をするにあたって簡単なことを教えて貰っていた。


『褒めときゃ満足はするから。ただし、命の保証はできないから、作品を試されるようなことがあれば、すぐ断るんだぞ』


 彼はそう言った。さすがはバトラー博士を長いこと見守ってきたベテランなだけある。バトラー博士の担当としてこれまで多くの発明品を体験しただけあって、彼の言葉には説得力がある。


 取り敢えず褒めておけばいいと言うことなので、アビーは頭の中で考えていたシナリオを取り出してみる。


「博士、今日は何を作ったんですか?」

「ふふ、気になるかい? 気になるだろう!!」

「は、はい」


 押しの強い超常現象だ。アビーは彼の横に行って手元を覗き込んだ。小さな瓶に青色の丸い錠剤が入っていた。バトラー博士はその一粒を摘み、うっとりした顔で眺めている。


 一体これが何の薬か。


 うっかり口に入れないように、アビーはしっかり口を閉じた。


「これはね、私の発明品の中でもかなり良いものだと思うんだ。飲んだ人の真反対の性格の人物を作り上げるんだよ。容姿はそのままでね」


「えっと......つまり、クローン人間が作れて、でも性格は全く別人......みたいな?」


「そうさ! 一粒どうだい?」


「え!? いやっ、それはっ......」


 アビーはすかさず彼から離れた。


 危ないところだった。うっかり飲まされたらと考えるが、なるほど不思議な薬だ。自分の反対の性格を持つ自分を作ることができる。世に出たら大変だが、大発明と言えばそうかもしれない。


「でも、素晴らしい薬だと思います。博士の発明品はやはり凄いですね」


 アビーは頭の中のシナリオに無理やり戻した。バトラー博士は満更でもない顔で「そうだろう?」と笑い、薬を瓶に戻している。


「君は話の分かる人だ。バクストンの次に私の助手にならないかい?」

「え、遠慮しておきます。博士の助手はバクストンさん一人しか居ませんよ」


 苦笑いして静かに距離を取るアビーに気づかないバトラー博士は「それもそっか」と頷いて、再びうっとりした顔で薬の入った瓶を眺めていた。


 アビーはこれでタスクは完了したので、ゴミ箱の中身を取り替えてセーフティールームを出ることにした。


 少し危険な香りがしたが、何とかなったので大丈夫そうだ。


 自分の仕事にすっかり満足したアビーは、セーフティールームを出て行った。


「ふーむ、バクストンは風邪かあ」


 バトラー博士はアビーが居なくなったのに気づいていない様子で瓶を見つめている。


 三日に一度とは言え、彼をよく知ってちゃんと会話をしてくれる助手が来ないのは寂しいことこの上ない。

 出来ることならばバクストンにこの発明品の感想を述べてもらいたかったというのが本音だ。


 だが、風邪となれば会いに行くのもまた迷惑だろう。

 バクストンには元気な姿で此処に来て欲しいので、寝室に押し入るのはいけないことだ。


 彼が人の迷惑を考えられるようになったのはかなりの成長だと考えるべきである。

 今まで様々な発明品を作ってきては何人もの研究員や監視員の命を断崖絶壁に追い込んできた彼がこうして誰かのことを頭の隅に置くことは物凄いことなのだ。


 しかし、残念なことに今、彼は最もいけない考えをその頭に思い浮かべてしまった。


「誰かにこの発明品の素晴らしさを伝えたいなあ......出来たらたくさんの人に......そうだ!」


 バトラー博士は立ち上がった。そしてセーフティールームから廊下に通じる扉をそっと開いた。


 彼は初めて自ら部屋を出たのだ。


 *****


「うーん、この施設は凄く複雑だ」


 バトラー博士はセーフティールームのあるフロアから、エレベーターに乗った。


 B.F.に連れてこられてから全くもってセーフティールームの外に出たことがなかった彼なので、施設の構造は頭には無い。

 取り敢えず、あった扉を開いてみたらエレベーターだった。彼はそれに乗り込んで、適当なボタンを押した。


「この薬は水に溶けやすい。思いついたぞ、一度にたくさんの人に飲んでもらえる方法が!」


 バトラー博士は満面の笑みで、エレベーターの中で待つ。扉が開いた。そこは食堂と会議室のある階。

 廊下を行く研究員たちはバトラー博士とすれ違っても彼が超常現象だとは分からないのか、全く反応しない。


 それはバトラー博士が周りと同じ人間の姿をしており、更には白衣に身を包んでいるためであった。明らかに右手の中にある青い錠剤が入った瓶がおかしいが、小さな瓶は完全に彼の手のひらに隠れてしまっている。


 バトラー博士は食堂に向かっていた。廊下には研究員が数名。残念なことに時刻は夜遅く、食堂は鍵がかかっていた。他の会議室も既に鍵がかかっているので、空くことは無い。

 すれ違った研究員は皆施錠を任された者たちだが、バトラー博士がそれを知っているわけがなかった。


 彼は食堂の扉の前に辿り着いた。ガチャガチャと扉を前後に揺さぶるが、扉は開かない。


「鍵がかかっているのか?」

 バトラー博士は残念そうに眉を八の字にして、扉を見上げた。仕方なく戻るのかと思いきや、そうでもなかった。彼は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「この天才にかかれば、どうってことないのに」

 彼は白衣の左ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは白いゴム手袋だ。彼はそれを両手にはめた。


「ふふ、私の七番目の発明品。鍵開けゴム手袋。これをつけて扉のドアノブを動かせば、どんな頑丈な鍵のかかった扉でも簡単に開けるんだ!」


 誰に説明しているのやら、扉に向かってそう言った彼は、ドアノブをその手袋を付けた両手で触れて引いた。すると、扉は簡単に開いた。


 まだ食堂の電気はついていたが、人はいない。奥のキッチンでシェフが皿を洗う音がする。人のいない食堂はとても広いが、バトラー博士が目指す場所は決まっていた。


「ふふ、あったあった」

 彼が歩いて行ったのはウォーターサーバー。彼はその蓋を、ゴム手袋を付けた手で開けた。水を補給するためのタンクが入っており、彼はその中に作ってきた瓶の中の錠剤を全て入れた。泡を出して消えていく錠剤を満足気に見て、彼はウォーターサーバーの蓋を元に戻した。


「ふむ、結果が出るのは明日かな? 楽しみだなあ。みんな、私の天才的な発明品にびっくりするはずだ!」


 *****


 次の日、その日は日曜日だった。夜は日曜会議。星4、5の研究員が大きな会議室で週であった出来事などを共有する大切な会議だ。


 いつもは一時間半ほどで終わるが、その日は二時間とかなりオーバーして会議が終わった。


「おつかれー」

「お疲れ様ー」


 研究員たちは疲れた頭を癒すために同じ階にある食堂に向かう。基本的に夕食は会議が終わった後に食べる者が多いので、人の流れは一定だ。


「コナー」

 星4研究員のコナー・フォレット(Connor Follett)が会議でもらった資料を整理していると、柔らかい声が降ってきたので顔を上げた。眼鏡の男性がそこに立っていた。ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)、B.F.のトップに君臨するベテランの星5研究員だ。


「なんですか」

 コナーは少しぶっきらぼうに問う。ドワイトとは過去のことで一悶着あり、再び仲良しになったが、まだ馴れ馴れしく話しかけるのはコナーにとって気恥しいことだった。


「夕食、まだだろう? 一緒にどうかなと思って」

「まあ、別にいいですけど。カーラはいいんです?」


 カーラ・コフィ(Carla Coffey)はドワイトの助手だ。ドワイトはカーラと夕食を食べることが多い。


「会議が長引くから、先に食べておくように言っていたんだ。きっともう食べ終えてオフィスで仕事をしていると思うよ」

「はあ、そっすか......」

 コナーは資料をまとめ終えて立ち上がる。


「いいですよ。行きましょうか」

「わあ、ありがとうっ」


 コナーが言うとドワイトは笑った。顔の周りに花でも咲いているような明るい笑みにコナーは目を細める。眩しい。


「いいなあ、僕も混ぜてくれよ」

 そんな声が聞こえてきてコナーは体を固くした。ドワイトの後ろから長い銀髪の男性がやって来る。ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)、コナーの先輩だ。


「ナッシュ、もちろんいいよ。ねえ、コナー?」

「......」

「何だい、コナー、その顔は。ドワイトとそんなに二人でご飯が食べたいなら、僕も空気を読んで撤退をしようかな」

「そんなこと思ってねえです!!!」


 コナーが顔を真っ赤にして彼を睨むとナッシュはケラケラ笑う。ドワイトがその様子を微笑ましく見守っているが、コナーはさっさとその場を離れたくて我先にと歩き出した。


「はあ、ほんと素直じゃないねえ」

「うっさいっす!!」

「今日の夕食は何を食べようかなあ」

 三人は食堂に向かった。


 *****


 次の日の朝、事件は起きた。


 星5の研究員ノールズ・ミラー(Knolles Miller)はその日、ある男性の声で目が覚めた。


「ノールズさーん」

 優しい声だが、それはよく聞いたことのある声だ。


「ノールズさん、朝ですよ。起きてください」


 いつもクールで時折ドスをきかせた声を出すことがある助手の声だが、違和感しかない。彼からこんな優しい声が出るだなんて。


「ノールズさーん」

「......ラシュレイ......?」


 ノールズは目を開いた。自分の視界いっぱいに映る助手の顔。優しい目、少し笑みを浮かべた口。全体的に柔らかく、陽だまりのような雰囲気を醸し出している。


「......ええっ!!?」


 ノールズは飛び起きた。


 見た目は黒髪の研究員で助手のラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)なのに、違うのは全体の雰囲気だ。


 彼と言えば先輩を敬う言動をまるでしない、ひねくれ研究員だったのに、今の彼は全く別人だ。浮かべられるはずのない笑みと、出せるはずのない柔らかい声。


 ラシュレイの皮を被った他人が目の前にいる。


 まるで夢でも見ているのではないかとノールズは自分の頬をつねったが、痛みがあるので現実らしい。


「......え、どうした? 変なもの食った?」

「もー、寝ぼけているんですか? いつも通りの俺ですよ」


 にこ、と笑うラシュレイにノールズは思わず自分の頬をビンタした。


 痛い。


 つまり夢じゃない。でも夢にしか思えない。


 もう一度叩こうとした時、ノールズは気づいた。自分のベッドの隣にあるもうひとつのベッドの上で、この世の終わりのような顔をしているもう一人の助手の姿に。


 *****


「朝起きたらコナーが二人にねえ」


 ナッシュは興味深そうにもう一人の自分の元助手を見る。容姿は完璧にコピーされているが、違うのがその性格だ。


 素直では無いひん曲がった本物とは対称的に、偽物は常にニコニコしており、謙虚すぎる性格になっていた。


「何ですか、これ。早く何とかしてくださいよ」


 コナーは隣に立つ偽物を憎悪の目で睨んでいる。


 今さっきナッシュに会った瞬間、偽物の自分が「ナッシュさん、今日もとても美しいですね!!」なんて言葉を放ったものなので、ナッシュが呆然として持っていた資料を落とした他、周りの研究員たちがまるで幽霊でも見ているような目をしていた。


「ふむ、まあ考えて超常現象なんだろうけれど......他にもたくさん、君と同じようなことになっている子達が居るしねえ」


 廊下ですれ違う研究員の隣には本人のコピーが居る者が多かった。


 ただし、全員というわけではなく、ナッシュの隣にコピーは居ない。


 コナーに話を聞けば、朝起きたら既に自分の隣に居たようで、行動を共にしようとするので気味が悪いとのこと。確かに本人の隣に居るコピーはコナーが歩き出すと同時に歩き出し、彼が止まると同時に止まる。鏡合わせになっているかのようだ。


「ナッシュさん、お腹が空きました〜、朝ごはん食べましょう?」

「僕とかい? 珍しいなあ、そんなこと言うの」

「何偽物と会話してんすか」


 ノリノリで偽物の方に話しかけるナッシュに、コナーはうんざりした顔を向ける。自分の性格を真反対にしたような感じのコピーだが、このまま好き勝手喋らせればとんでもない誤解を生みそうである。


 コナーはため息をつきながら食堂に入った。


「うお、すごっ......」


 食堂は混みあっていた。というか、皆混乱しているようだ。


 自分のペアや助手、先輩が二人になっているのだから、場所も取れば、困惑も生まれる。

 コピーを作った研究員たちは仕方なく自分のコピーと朝食をとったり、本来二人席で事足りるのに、四人席で食べたりしているのだ。


「うわー......ひどいっすねこれは」

 コナーは食堂のカオスさに目眩を覚える。ナッシュを見ると、彼は冷静に分析しているようだった。


「ふむ......どうも引っかかるんだよねえ。コピーの居る子の大半が固まっているんだよ」

「はい? 同じ場所にっすか?」

「うん。ほら、見てごらん、あの辺り」


 ナッシュが指さしたのは手前の柱の周りだった。柱にはウォーターサーバーが取り付けられており、その周りで食事をしている研究員は、ほとんどが自分のコピーを持っているようだ。


「コナー、君は昨日あの辺りで食事をした?」

「昨日っすか? まあ、そっすね。夕食はドワイトさんとナッシュさんと食ったし」

「そう言えばそうだったね。もしかしたらドワイトにも影響が出ているかもね。探してみようか_____」

「ドワイトさん!! ドワイトさん!!!」


 突然コナーのコピーが頬を紅潮させて彼の名前を呼び出した。出口の方を向いて腕をブンブンと振っている。コナーはすぐにそれを止めさせたが、


「おはよう、ナッシュ、コナー。すごいことになっているね」


 コピーを持たず、少しだけ嬉しそうな顔をしているドワイトと、不思議そうな顔をしているカーラがやって来た。


 *****


『こちらブライス。職員全員に告ぐ。今朝からある一定の職員をコピーした人物が発生するという現象が多発しており、原因は調査中。コピーされた者はコピーが危険な行動をしないか見張っておくように。また、心当たりがある者が居れば、すぐ俺かナッシュ、ドワイトに報告をしてくれ』


 ノールズとラシュレイが食堂に入ると、ブライスの声でそんな放送が鳴った。


 食堂に入って、被害にあっているのは自分の助手だけではないのだと知って、ノールズは少しだけホッとした。


 ラシュレイのコピーは常にラシュレイの隣に居り、本人の意思に関係なく話をする。それは全て本人が全く言わないようなことで、ラシュレイは始終迷惑そうだった。口をガムテープで塞ごうとまでしていたが、流石に可哀想なのでノールズが止めてあげたのだ。


「それにしても、結構居たね、被害出ている人」

 ノールズはメニューを選びながらラシュレイに言う。


「そうですね。逆にコピーが作られていない人が居るのは何でなんですか?」

「うーん......黒髪が原因、助手が原因、ってわけでもなさそうだよなあ」

「ノールズさん、俺パスタが食べたいです〜」


 ラシュレイのコピーがノールズに猫なで声で言う。


「パスタ? ラシュレイは?」

「1ミリも思ってません。俺はパンが食べたいです」

「そっかそっかあ。この子もお腹は空くのかな? 一応三人分頼もうか」

「いいですよ、頼まなくて」


 ラシュレイは言ったが、ノールズはコピーの分まで朝食を買い、四人がけのテーブルに座った。


「さっさと居なくなって欲しいです」


 ラシュレイは隣でパスタを頬張り始めた偽物を睨みつける。パスタを食べる顔にも、きっと自分が浮かべるはずのない笑みを浮かべているのが実に不快である。


「そんな怖い顔しないの。いいじゃん、新鮮で」

「そんなこと言ってられるのも今のうちですよ。永遠にこのままだったらどうするつもりですか」

「二人の助手を一度に楽しめるんだから、満足感も二倍!」

「頭ぶっ叩きますよ」


 ラシュレイがノールズを睨みつけたところで、本日二度目の放送が降ってきた。


『全職員に告ぐ。今朝から発生しているコピーの原因が分かった。食堂の入口付近にある柱周りのウォーターサーバーだ。その中に入っていた水を昨日飲んだ者に影響が出ているらしい。新たな情報が入り次第放送で連絡はするが、念の為そのウォーターサーバーの水は飲まないように』


「あの水かな」

 ノールズは入口付近にちょうど座っていた。確かに柱の影にウォーターサーバーがある。


「ラシュレイは心当たりあるの?」

「まあ、昨日は確かにそこの水を飲みましたね。この辺の人たちも同じような感じだと思います」


 ラシュレイは近くに座っている者を見る。この柱の周りにはコピーを持っている者が多く座っていた。確かに、その通りかもしれないな、とノールズは頷く。


「俺、自販機で何か買ってきますよ。コーヒーにしますか?」

「うん、お願いしようかな」


 ラシュレイが立ち上がるとコピーも立ち上がった。二人で自販機に向かったのを見て、ノールズは改めて周りを見回す。


 コピーの方とも会話をしている人を見ると、性格は違えど攻撃的な態度は取っていないようで親しみやすい様子だ。


 しかし、いつまでこれが続くのかまだ分からない。ブライスがわかり次第情報を伝えてくれるという放送だったが、もしラシュレイが二人のままとなると、本人にかなりのストレスがかかることに間違いない。あんなに不快そうにパンを咀嚼している助手をノールズは見た事がないのである。


「此処に座りますか」

「うん、いいね」


 隣の席に五人組がやってきた。いや、正確には四人だ。ナッシュ、ドワイト、カーラ、そしてコナーが二人。


「おや、ノールズ君。お隣宜しいかい?」

「はい、どうぞ」


 ドワイトが微笑んで、トレーを置いた。ノールズはコナーのコピーを観察する。見た目はコナーだが、さっきから浮かべる笑みは、最近のコナーでは全く見られなくなっていたものだった。


「ノールズの方は何か変化はあったかい?」

 聞いてくるのはナッシュだ。ノールズはラシュレイのことを説明した。


「あははっ、なるほど、ラシュレイが水を飲んでしまったんだね。彼のコピーも是非見てみたいよ。ねえドワイト?」

「真反対の性格のラシュレイ君、確かにどんな感じなんだろう?」


 ナッシュとドワイトが会話する中、コナーは黙々と朝食のトーストを食べていた。コピーの方はヨーグルトをかき混ぜているカーラを興味深そうに観察している。


「お待たせしました」

 ラシュレイが戻ってきて、ノールズの横に缶コーヒーを置く。


「ありがとう、ラシュレイ」

「いえ_____」

「いえ、どういたしまして」


 本物のラシュレイが言い終わる前にコピーの方が割り込んできた。ラシュレイが物凄い顔で偽物を睨みつける。ナッシュが「なるほどねえ」と苦笑する。


「今日の一日でもこいつと居たくありません」

「まあまあ......ブライスさんが今いろいろ試してるだろうし、気長に待とうよ」

「ノールズさん、これ開けてください!」


 コピーの方がヨーグルトにかけたいのか、ジャムの瓶を手渡してくる。こんな彼もなかなかレアなのでノールズは「はいはい」と笑って受け取ってしまう。


 ぐしゃっ。


 ラシュレイが飲んでいた缶コーヒーの缶を握りつぶした音が聞こえてきた。コナーが「おい、ラシュレイ......」と彼を宥める。


「いやあ、なんだか新鮮だよ。ドワイト」

「あまり見ない光景だね。早く直るといいけど......」


 ベテラン二人は驚く様子も見せずにそれを観察していた。


「ノールズさん......」

 ラシュレイの低すぎる声にノールズは「ごめんごめん」と空けたジャムの瓶をすぐコピーの方に返した。


「嫉妬ってやつですかね」

 コナーが自分の食事に戻る。


「いいじゃないか。先輩と助手の絆が試される時だよ」

 ナッシュがそう言って、スープを一口飲んだ。


「はあ、俺も今日コイツと一日過ごさないとならないんですかね」

「まあ、君のオフィスは一人分空いてるだろう?」


 嫌そうに隣のコピーを見るコナーにナッシュは返す。


「でも、困るっすよ。こいつ、仕事できるかも分かんないですし」

「じゃあ、私がヘルプで入ろうか?」


 ドワイトが自分を指さした。


「でも......」


 とコナーが言った時、


「ドワイトさん、これあげます!」


 コピーのコナーがカーラを見よう見まねで混ぜたヨーグルトを差し出している。りんごジャムをかけた美味しそうなヨーグルトだ。ドワイトが「わあ、いいのかい?」と嬉しそうに微笑み、それを受け取る。


「ドワイトさん、ノリノリですね......」

 カーラが横で苦笑いするが、ドワイトは「嬉しいからね」ともらったヨーグルトを口に運んでいる。


「いやあ、可愛げがあるコナーっていうのもいいな」


 ナッシュが優雅にコーヒーを飲む正面で、本物のコナーがオレンジジュース入っていた紙のカップを原型も留めないほどに握りつぶしていた。あちゃー、とそれを眺めるノールズ。


 これは、混乱だけでなく強い嫉妬も生む超常現象のようだ。


 *****


 ブライスは目の前で縮こまる白衣の男性を見た。バトラー博士だ。


「セーフティールームの外に出る際は、バクストンに許可を貰うように言ったはずだが?」


 今朝起きると、施設は大混乱していた。自分と全く同じ容姿の人物が横に居り、好き勝手に振舞っているのだから。


 防犯カメラの様子から、それはセーフティールームの住人であるバトラー博士が原因であることが分かった。


 今回、彼担当の監視員であるバクストンが風邪を引き、代理の監視員を違う者に頼んでいたが、どうやら発明品を試して貰えなかったことが不服だったようだ。そこで多くの人に試してもらおうと食堂のウォーターサーバーに作った薬を放り込んだらしい。おかげで不特定多数の研究員がその水を飲んだ。


「薬の効果が切れるのは、おおよそどのくらいなんだ」

 ブライスの問いにバトラー博士は「えっと......」と目を泳がせている。


「わからない、かな」

「わからないだと?」

「ひえ」

「あれだけ危険なことをするなと言ったが、まだ理解していなかったようだな」

「だって、バクストンが居なくて_____」

「お前の助手の有無を聞いているのでは無い。博士と名乗るくらいなら人に危害を加える前に自分でその作品を試すのが最初にやることだろ」

「......」


 最もなことを言われたのか、バトラー博士は完全に口を噤んで下を向いた。


「今後、一か月は外に出るな。また同じようなことをされては死人が出るぞ。お前は人を殺したいのか」


「冗談じゃない! 発明は人のためにすることさ!」


「分かってるなら二度と同じことはするな」


 被せるようにブライスが言ったのでバトラー博士は更に縮こまる。遠くでその様子を眺めていたセーフティールームの監視員の一人は、超常現象に対してあれだけ言えるのはブライスしか居ないのではないのか、とぼんやり考えていた。


 *****


 昼前になって薬の効果は切れた。ラシュレイの横でただ突っ立って彼も仕事を眺めたり、ノールズに猫なで声でお願いをする彼のコピーはしゅん、という音と共に煙となって消えてしまった。他のコピーも同じように消えたらしい。


「あーあ残念。今日一日珍しいラシュレイの観察をしたかったんだけどなあ」

「......もう二度と現れて欲しくないです」


 ラシュレイが振り返らずに言う。ノールズはそんな彼を見て、口元に笑みを浮かべた。


「嘘だよー! もお、嫉妬なんかしちゃってー!! 可愛いやつだなあ!!」


 そう言って後ろから彼の髪の毛をわしゃわしゃと撫で回す。ラシュレイが迷惑そうにしたが、手を振り払うことはしなかった。


「残りの今日は思う存分甘えていいからね!?」

「いや、遠慮します」

「ええー、遠慮しないで!」

「遠慮します」


 やはり、このラシュレイしかいない。


 ノールズは愛しい助手の黒髪を満足するまで撫でているのだった。


 *****


「皆、お互いの絆を再確認できたんだからめでたしめでたし!!」


 バトラー博士は皆が元通りになったということを後日バクストンから聞いて大きく頷きながら言った。


「何処もめでたくないですよ、博士」


 結局、風邪で寝込んでいたのにも関わらず、色々と呼び出しを食らったバクストンが誰よりも頭を抱える羽目になったのだった。

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