溺愛
B.F.星5研究員のタロン・ホフマン(Talon Hoffman)には一人の助手が居た。星3のハロルド・グリント(Harold Grint)である。
彼らは二人で実験終わりの夕食をとっていた。少し遅い時間なので食堂の混雑ピークは幸運にも避けられた。
「タロン先生、考え直してください!!」
ハロルドは不機嫌そうにフォークで魚の切り身を潰している。
「俺以外に助手をもう一人とろうだなんて、どうかしていますよ!!」
「でもねハロルド、今回は仕方がないんだよ。ブライスさんにも言われたけれど、人が少なくて面倒を見られる研究員が足りないんだって。だから_____」
「だからって俺はどうなるんですか! 俺はまだ星3ですよ!? 教えて欲しいことなんて山ほどあるのに、他に助手をとったら俺への教えが疎かになっちゃいませんか!?」
ハロルドは切り身を口いっぱいに放り込むと、飲み物で流し込んでいる。タロンはその様子を見て、「でも」と困った顔をして見せる。
「でも、じゃあないですよ!」
カン! とコップを置いてハロルドはタロンを睨む。
「とにかく、今は俺に集中して欲しいんです!! 弟弟子だろうが何だろうが、俺は認めませんからねっ!!」
*****
タロンはこの前の日曜会議で、今回入ってくる新入社員の数が例年より圧倒的に多いことを聞いていた。そのために自分も力になれないだろうかと考えた結果、ハロルドの他にもう一人助手をとることにしたのだ。
彼はハロルドの目を盗んで、こっそりと新入社員研修会へと足を運んでいた。
「あら、タロンさん」
タロンが壁際に並んでいると、隣から女性の声が聞こえてきた。其方に目をやると、白衣の女性が立っている。おっとりした表情の、柔らかい雰囲気を持った人で、研究員という雰囲気からは少し外れているような気もする。
「シャーロットさん」
タロンは彼女の名前を呼んだ。彼女はシャーロット・ホワイトリー(Charlotte Whiteley)。B.F.で女医をしており、主に医務室に居る。研究員の仕事は時々しているそうだが、白衣を着るのは医者として、という方が多い。
「シャーロットさん、助手をとるんですか?」
此処に並んでいるということは、考えられる話である。シャーロットには創立当時から共にしている助手がいる。ベティ・エヴァレット(Betty Everette)だ。
ベティは小さい頃にシャーロットに診てもらったことをきっかけに医者を志し始めたようで、創立当時に一般の医者を退職するシャーロットをB.F.へ連れてきたのだそうだ。
それからというものの、ベティはシャーロットのもとで医者の卵として活躍しているのだ。
「ええ、ベティも一人前ですから。まだ少し足りないところはあるけれど。でも、私もそろそろ研究員にシフトチェンジしてみようかしら? なんてね」
シャーロットがくすくすと笑う。彼女は笑うだけでその場に花が咲いたようになる。たくさんの患者を救ってきた、いわば天使のような人なのだ。タロンも何度も彼女にお世話になっている。
「それで」
シャーロットの目はまっすぐタロンを見る。
「タロンさんは何をしていらっしゃるのかしら。ハロルドは良いの? もしかして、彼は独立してしまったの?」
「いえ、まだです。でも今回はブライスさん曰く新入社員が多いとのことでしたので......助手を二人同時に育ててみるのも良い経験かなと思いまして」
「助手を二人。なかなか大変そうなことするわねえ」
「シャーロットさんだって助手を二人持つようなものじゃないですか」
「あら、そうだった。だって楽しそうだもの。兄弟みたいで」
「兄弟ですか......」
タロンはもしもハロルドに内緒で助手をとったら、とその時のことを想像してみる。案外分かりやすく兄貴面をしそうな彼である。難なく想像はつくが、やはり受け入れるのには時間がかかるだろうか。
「ハロルドはきっと大激怒よ? 大好きな先輩がとられちゃうんだから」
シャーロットはまた楽しそうに笑っている。
「ええ、既に怒ってます。まだ私が此処に居ることを彼は知らないんですよ」
「あらあら」
実は後半の施設内研修の際、タロンはハロルドと共に実験の予定が入っている。助手が居る研究員は基本的に助手志願する子は居ないだろうが、何とかハロルドの弟弟子になってくれる子が現れるのなら、待ってみるのも楽しそうである。
司会の研究員がマイクのスイッチをオンにした。どうやら研修会が始まるようだ。パイプ椅子の上には、真っ白な白衣に身を包んだ研究員たちがソワソワした様子で、壁に並ぶ研究員らに忙しそうに目をやっていた。
*****
前半部が終わると、タロンはすぐにオフィスに戻った。オフィスではハロルドが実験室に行く用意をしていた。
「あー、先生、遅いですよ!! 遅刻します!!」
「ごめんよハロルド。すぐに行こう。新入社員の子達にかっこいいところを見せないとね」
タロンがわざとそう言うと、ハロルドは頬を膨らました。
「だから、助手なんか許さないですからね!!」
*****
実験が始まると、早速施設内研修の班が回ってきた。
準備室までやってきてガラスの向こう側で実験をしている研究員を観察するのだ。こうして自分が助手になりたい研究員を見つけては助手志願に行く。
ハロルドも施設内研修で自分に声をかけてきたのだから、懐かしい。
「ハロルド、その紙をとってくれるかい」
タロンはバインダーに実験の結果をメモしながらハロルドの方に手を伸ばす。が、なかなか紙が渡らない。不思議に思って顔を上げると、ハロルドはガラスの向こう側に目をやっていた。
「ハロルド?」
「はえ!!?」
「用紙をとってくれ」
「は、はい!」
慌ただしく動き始めるハロルド。タロンはにんまり笑う。
「どうかしたのかい? やっぱり弟弟子が欲しいんだろう」
「な、なわけないじゃないですか!!」
ハロルドはタロンに紙を突き返した。タロンは笑いながらそれを受け取る。
嘘つけ、実験に全然集中できていないくせに。
タロンは、バインダーを持ち直して対象を睨みつけるハロルドを愛しい眼差しで見ていた。
*****
実験が終わり、二人はオフィスに戻った。
「先生、報告書書き終わりました」
「ああ、ありがとう。私はこれから会議だから、ついでに提出してくるよ」
「はーい」
ハロルドから報告書を受け取ってタロンは席を立った。オフィスを出ていざ会議室に向かおうとすると、
「すみません」
タロンは後ろから声をかけられた。振り返ると、金髪の少女が立っている。
「どうかしたのかい、お嬢さん」
タロンは腰をかがめる。
「今年入社したイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)です。タロン・ホフマンさんですか」
タロンが頷くと、イザベルという少女は小さく息を吸い込んだ。
「助手志願に参りました。私を助手にしてください」
そう言って頭を下げられた。タロンは目を丸くして彼女を見た。
施設内研修で自分を見つけたのだろうか。共に実験していたハロルドを助手だと思うのならば、こんなに早く助手志願に来ることはないだろうと考えていたのだが......。
「イザベルだね。そうか、嬉しいよ。実は私も、もう一人助手をとろうと考えていたところなんだ。でも生憎、私はこれから会議があってね。食堂で待っていてくれるかな。話はそこでしよう」
「分かりました。食堂ですね」
イザベルは頷いて食堂の方へと歩いていった。タロンはその後ろ姿を見て幸せな気持ちだった。
既に助手がいると予想できる研究員に助手志願をするということは、並大抵の心の持ち主ではないだろう。彼女と話をするのが楽しみだ。
タロンは会議室へと歩き始めた。
*****
会議が終わってタロンがブライスに報告書を提出しようとすると、ちょうどブライスと彼の同期であるドワイトが話をしているところだった。邪魔するのも気が引けるのでタロンが少し離れた位置で見守っていると、ドワイトの方が此方に気づいたらしい。
「ああ、ごめんなさいタロンさん」
「いえ、いいんですよ。報告書の提出だけなので」
タロンはブライスに報告書を手渡す。ブライスはそれにその場で目を通していた。その間タロンとドワイトは少しだけ言葉を交わす。
「タロンさん、新入社員研修会に居ましたよね」
「はい。今回は人が多いそうなので私もお力添え出来たらと思って」
「ハロルド君の他にもう一人助手をとるということですか?」
「ええ、そうです。実はさっき助手志願を受けまして。今から面接を控えているんですよ」
「面接ですか。面白いですね」
ドワイトが目を丸くして言う。
「一応、ハロルドっていう助手がいることを伝えないといけませんから。それでも助手になりたいのなら、もちろん私は快くオフィスに迎え入れるんですが」
「ハロルド君がどうなるかですね」
「ええ、本当です。仲良くしてくれたらいいんですけれど」
二人は顔を見合わせて笑った。
*****
タロンが食堂に行くと、人はほとんど居なかった。会議も遅い時間だったために、すっかり夕食ピークは過ぎ去ったようだ。厨房からはシェフたちが皿を洗う音が聞こえる。
タロンはあの少女の姿を探した。彼女は壁際の席で、研修会で貰える資料を熱心に読んでいた。真面目な子だな、と感心しながらタロンは彼女に近づく。
「おまたせ」
タロンが声をかけると、彼女はハッと顔を上げて慌てて立ち上がろうとした。タロンはそれを手で制して、自分も彼女の向かい側に腰を下ろした。
「改めまして、こんばんは。私はタロン・ホフマンだよ」
「イザベル・ブランカです」
「イザベル、どうだい? 少しは雰囲気に慣れたかな」
「はい」
「そうか、それは良かったよ」
タロン微笑んで、早速本題を切り出すことにする。
「私の助手になりたいということだったね」
「はい、そうです」
「もしかして、施設内研修で決めてくれたのかな」
「はい」
イザベルは頷いた。
「タロンさんの手際の良さを見て、この方のもとでお仕事をしたいと考えました」
「そうなんだね、ありがとう」
タロンはそう言って、「でも」と続ける。
「私の横にもう一人研究員が居たね」
「はい。合同実験だと考えていました。でも、もしかしたら......助手なのかもしれないとも思っていました」
イザベルの目が少しだけ下を向いた。どうやら薄々勘づいてはいたようだ。タロンは「そうだねえ」と言葉を選んだ。
「実を言うと私は既に一人目の助手をとっているんだ。とっても優秀で、頼りになる子なんだよ。君から見てあの子はどうだったかな。上手くできていたかい?」
「はい」
イザベルは大きく頷いた。タロンは身を乗り出す。
「もっと聞かせてくれるかい?」
「あの方は、対象をしっかり見ていたように思えました。対象から頑なに目を離そうとしませんでしたし、一生懸命な方に思えました」
イザベルの言葉にタロンは吹き出した。イザベルがきょとん、とした顔で彼を見る。タロンは笑いを堪えるつもりだったが、最終的に声を出して笑ってしまった。
「ごめんよ、そうかそうか......君はそういう風に見てくれていたんだね。ありがとう、あの子も喜ぶよ。実を言うとね、彼はあれでも集中できていなかったんだよ」
「えっ」
イザベルは目を丸くする。
「新入社員に良い所を見せたかったんだろうね。それか、きっと弟弟子のようなものに憧れているんだろう。いつもは一生懸命だけれど、少し抜けているところがあるんだ。可愛いだろう」
タロンは手を組んで、目を細める。
「やる時はやる子なんだ。君がさっき彼に対して言ってくれたことは何ひとつとして間違っていないんだ。対象を観察する力は十分にある子だし、一生懸命だし、頑なに目を話そうとしないしね。君は良い観察力を持っているね」
「ありがとうございます......」
「じゃあ、最後に質問をしたいんだけれど......」
タロンは一呼吸置いた。
「君はどうしてB.F.研究員になろうと思ったんだい?」
「私が、なろうと思った理由ですか」
「そうだよ」
イザベルは少しの間考えているようだった。そして、短く、
「自分を、見つけたいと思ったからです」
と、そう言った。
「自分を見つけたい? 例えば、どんなことかな」
「私は昔から『イザベルらしい』という言葉に縛られてきたんです。服だろうと、勉強だろうと、進路だろうと......私らしい、って何だろうと考えた時に自分で自分が分からなくて。でも、タロンさんを見た時、一番自分のやり方で型にはまらない実験をしていたような気がしたんです」
「型にはまらない?」
「はい。通常、実験では対象を観察するだけで終わるところを、タロンさんは対象に話しかけているように思えました。対象と会話をする研究員なんて、私、想像もしていなくて」
「......なるほど」
タロンは少しの間言葉を失っていた。それはイザベル観察眼に鋭さに驚かされたからだ。
確かに、自分は対象を人として見る。ハロルドにもそれは教えていて、実験室に入る際には挨拶、対象とは会話を交えながら接するのだ。他の研究員は確かにしていないことかもしれない。今日の実験でもそれは実行していた。
ただ、ガラスの向こう側に自分の声は聞こえないはずだ。きっと彼女は、自分が対象に話しかけているというのを目線や口の動きで予想したのだろう。
タロンが言葉を失っているうちにイザベルは続けた。
「私は、あれが型にはまらない、ということだと思いました。自分が思っていることを伸び伸びと実行する力を堂々と身につけたいと思ったんです。そうしたら、きっと私は私でいられるような気がします」
「......そうか。そうなんだね。イザベル、君は素晴らしい研究員になるな。きっといつか、自分を見つけられる日が来るよ」
「はい、ありがとうございます」
「面接は以上にしようか。ありがとう、君の気持ちを聞けて良かった。君を助手にとろう。どうか、君の兄弟子と仲良くしてくれ」
「はい」
タロンが手を差し出すと、イザベルも手を出した。
華奢な白い手が、少しだけ汗ばんでいたのをタロンは思い出す。
*****
次の日、タロンはハロルドと朝食をとりに食堂へと来ていた。
「先生、今日はスープとパンにしました!」
ハロルドのトレーにはスープとパン、おまけのコーンサラダが乗っていた。
「昨日もそれだったじゃないか」
「最近野菜スープにはまってるんです!」
「健康的だねえ」
二人は座れる席を見つけるために歩き出す。ただ、タロンは最初からある席に向かっていた。ハロルドはその後ろをついて行く。
「先生、混んでますしオフィスで食べませんか?」
「いいや、今日は食堂で食べるよ。君に紹介したい人がいるんだ。その人が待ってる」
「え、ちょっと待ってくださいよ、先生!!」
ハロルドが足を止めたのを感じてタロンも振り返る。彼は不満げな顔をしてタロンを見ていた。
「今なんて言いました? 紹介したい人? あれだけ助手はとるな、って言ったのに!!」
「君はそう言ったけれど私はとらないとは言っていないよ」
「そうですけど!! でも、何で俺以外に......」
「いいからついておいで。案外気にいるかもしれないよ。とっても良い子なんだ」
「......」
タロンが歩き始めると、ハロルドは渋々それについて行く。そして、タロンはある席で足を止めた。そこは三人が座れる席だった。そこに金髪の少女が座っている。タロンとハロルドがやって来たのを見て、彼女は椅子の横に立った。
「イザベル・ブランカだよ。今日から私たちのオフィスにやって来ることになったんだ」
タロンはハロルドを振り返る。タロンの横でイザベルは小さく頭を下げた。
「イザベル・ブランカです。ハロルドさん、これからよろしくお願いします」
彼女の綺麗な容姿にハロルドの思考が止まりかけた。
「............え、この子が......俺の弟弟子......?」
「そうだよ。君は今日から兄弟子になったんだ」
「...........ほわあ」
ハロルドの口から間抜けな声が出る。
「先生......」
「ん?」
「俺、前言撤回します」
「ふふ、そうかい」
どうやら、上手くやってくれるようだ。タロンはハロルドとイザベルがぎこちなく握手をするのを、柔らかい瞳で眺めていた。