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Black File  作者: 葱鮪命
102/193

File055 〜シンシア〜

「はあ〜〜〜」


 オフィスの机に肘をついて、大きなため息をつく男が居る。歳は40代後半。癖のある茶髪と大きな目のおかげか、歳よりも若く見える。


 彼の名前はアロン・ボンド(Aron Bond)。B.F.星5研究員だ。ペアであり先輩の研究員は、現在日曜会議に出ており、彼の後ろにあるデスクは空っぽの状態だ。


 アロンは何やら深刻な悩みがあるのか大きなため息をついているが、何故かその頬はピンク色だ。


 彼がため息をつくのは大抵自分の先輩が女性に絡んだり、何か面倒事を持って来られたりするときなのだが、今回はそうではないようだ。


「......はあ......」

 二度目のため息をついたときだった。


「たっただいま〜!!」


 元気な声と共に扉が勢いよく開いた。アロンは立ち上がって振り返る。


「おかえりなさい、博士」


 入ってきたのはB.F.星5研究員のルディ・マクベイン(Rudy McBein)。30代後半の男で、明るい茶髪のふわふわした雰囲気を持っている。


「ふんふんふーん」

 何やらご機嫌な様子だ。


「今日は何があったんです?」

 アロンは彼に問う。


「帰り際に可愛い女の子に声かけられちゃったー! 『お疲れ様です』だってさあー! 嬉しくてジュース奢っちゃったよ!!」


 いつもならば「良かったですねー」と聞き流すところ、アロンは聞き捨てならない。その可愛い女の子とやらに彼は反応する。


「博士、その女の子の名前って、分かりますか?」

「えー? んっとねー、シンシア、だったかな」

「シンシア」


 アロンは彼女の名前を知っていた。それもそのはず、現在彼の頭の中を占領している女性の名前であるからだ。


 食堂から一人で帰る途中、アロンはとある女性研究員とぶつかってしまった。前は見ていたつもりだが、何やら突然現れたかのように感じた。勢いがあったのか、女性は弾かれるように倒れてしまい、アロンは彼女に手を貸した。


「ありがとう」

 柔らかい笑顔と優しい声が今も頭に残っている程だ。あまりにも綺麗な人だったのでアロンは彼女に名前を聞いた。その女性はシンシアと名乗った。


「あら、その様子だと、もしかしてアロンも会ったのか?」

 ルディが目を丸くしてアロンの顔を覗き込む。アロンは「はい」と頷いた。


 いつかまた会った時は仲良くなりたい。何なら今にでも彼女を探しに行きたいと思うほどだ。こんな衝動に駆られることは今までなかった。


「博士、いつも恋多き博士の行動に関しては何も言わない僕ですが、今回ばかりは言います。シンシアさんを僕に譲ってください」


 アロンは真剣な顔でルディに迫った。ルディが「えー」と眉を顰める。


「嫌だよ、俺のだよ。もうジュースまで奢っちゃったもん」

「ぐぐぐ......いつもは何も思わないのに、今日ばかりは凄く憎いです」


 ルディは女性に目がない。年齢も国籍も関係なく、ただ女性という生き物に好意を抱く。今まで結婚を申し込むまでいった女性の数をアロンが数え諦めるほどである。10、いや20だろうか。B.F.に入社する前だってきっと限りない恋をしてきただろう。

 やはり全ての女性は彼から逃れられない運命にあるらしい。ルディは既にシンシアをマークしているようだった。


 しかしアロンは今回は譲る気はなかった。今までないこの思いは、常に冷静で沈着な彼を熱い男に変えてしまうほどだ。


「僕、もう一度シンシアさんに会ってきます!!」

「えー、俺も行く」

「博士はダメです!! 絶対邪魔しかしないじゃないですか!」

「だって俺も好きだもんその子」

「今回はお願いしますよ!!」


 アロンはルディを押しのけてオフィスを出た。自分は此処まで彼女が好きなのか。一瞬会っただけなのに。きっと彼女は運命の相手なのだ。絶対に自分の先輩になど邪魔されたくない。


 アロンは廊下を早足で駆け抜けて食堂に入った。オフィスの場所は分からないので、闇雲に探すよりかはこの施設で最も人がいる場所を探す方が手っ取り早いだろう。日曜会議も終わって人が流れ込んできたようだ。


 アロンは血走った目で彼女を探す。すると、食堂の中心部に人だかりが見えた。彼女が居るという確信はないが、野次馬根性というのだろうか、彼は吸い寄せられるようにそこに歩いていった。


「何かあったんですか?」

 近くに居た男性研究員に問う。


「凄く可愛い子が居るんだよ。俺も一目見て好きなっちゃったみたいなんだ」


 それを聞いてアロンはピンと来た。シンシアに違いない。見てみると周りは全て男性研究員だった。人の渦の中心に彼女がいるに違いない。人を掻くようにアロンは中心部に向かって行った。


 *****


「妙ね」


 B.F.星5研究員のイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)はオフィスに戻ってそう言った。


 日曜会議が終わると大抵オフィスにはキエラが居て、買っていた夕食を渡してくれる、もしくは一緒に食べるのだが、今日はまだ茶袋に入った夕食が彼のデスクに置かれたままである。肝心の彼は何処にもいない。


 トイレにでも行っているのだろうと思って待ってみたが、30分も待っているのだ。


 迷うことは少なくなったのでまさかとは思うが、イザベルは心配なので探しに行くことにした。茶袋の中にはイザベルが好きなサラダサンドが入っており、彼の分のものであろうチキンサンドも入っていた。


「食堂かしら」


 トイレでも無ければ後は食堂くらいしか考えられない。飲み物を買い忘れたか、もしくはデザートが欲しくなったのかもしれない。イザベルはデザートは食べないが、キエラはたまに買ってくるのだ。昨日も長いチュロスを一人でもくもくと食べていた。


 食堂に向かう途中でイザベルは妙なことに気づいた。廊下にいる研究員がほとんど女性であることだ。


 B.F.は男性研究員の方が人数が多い。廊下で見ることだって男性の方が圧倒的に多い。だが、今通ってみると二人ほどしかすれ違わない。イザベルは不思議に思いながら、食堂に入った。


「カーラ」


 食堂に入るや否や、頭に目立つ赤いリボンをつけた少女の後ろ姿を見て、イザベルは名前を呼んだ。


 彼女の名前はカーラ・コフィ(Carla Coffey)。伝説の博士と呼ばれるB.F.を創設したメンバーの一人、ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)の助手だ。


「イザベルさん、こんばんは」

 彼女は振り返って礼儀正しく言った。


「夕食を買いに来たの?」

 イザベルは問う。カーラは入口付近で立ったままだった。いくら混んでいるとは言え此処まで列が伸びていることはない。それ以前に彼女の前には誰もいない。


「いえ、実はドワイトさんがなかなかオフィスに戻ってこなくて......心配になって探しに来ました」

「そうなの......奇遇ね、私もよ」

「キエラさんもですか?」


 カーラは目を丸くして周りを見回す。イザベルも彼女に倣って食堂の中に目を移した。すると、食堂の中心部に男性職員が集まっているのが見えた。女性職員はそれを離れた場所で見ているような状況だ。


「あれって、何の集まりかしら」

「それが、よく分からないんです......でも、もしかしたらドワイトさんも彼処に......」

「近づいてみようかしら?」

「いえ、それはやめておいた方がいいです」


 カーラがそう言った時だった。


「わあ、何か凄い人だかりだねえ」

 後ろからのんびりした声が聞こえてきた。二人は同時に振り返る。


「ルディさん」

 イザベルは彼を呼んだ。


「イザベルちゃあん! 今日も可愛いね」

「どうも」


 イザベルは慣れた様子で彼に返す。あの集まりに参加していないので彼はまだ正常なのだと思いたいが、そんなことはないと彼女は頭の隅で思っていた。


「男性が皆彼処に集まっているんです。ルディさん、何か知りませんか?」

「んー......話によればめっちゃ可愛い職員さんが居るらしいんだよ」

「はあ」

「皆それ目当てだろうねえ」


 ルディは渦の中心の方に目を向けている。


「もしかして、ルディさんもあれに混ざりに?」


 イザベルは渦を指した。ルディはにんまり笑って、


「だって超可愛いんだもん、シンシアちゃん」

「シンシア......」


 どうやら渦の中心に居る人物の名前のようだ。


「みんなに取られる前に自分のものにしないとね〜! シンシアちゃ〜〜んっ!!」


 ルディはそう言うと跳ねるように渦に向かっていった。


「まったく」

 イザベルが呆れ顔でため息をつく。嵐のように去っていった彼にカーラはついていけず、目をぱちぱちさせて彼を目で追っている。


「あの、今の方は......?」

「ルディ・マクベインさんよ。優秀な研究員としてはそれなりに名を馳せているんだけれど......どうも女性が絡むとへっぽこになるのよね、彼」


 イザベルの説明にカーラは「へえ......」と曖昧な相槌を打つ。それにしても渦は途切れない。あの中に入ってしまえば簡単に潰れてしまいそうだ。


「何とかしてくれるかも、って期待を抱いてみたけど、無駄みたいね」

 イザベルは突っ立っているのが疲れたのか、壁に背中を預けた。


「そういえば、カーラ。さっきあの集団に近づくのはやめておいたほうがいいって言ってたわね。どうして?」

「それは......」

 カーラは目を伏せた。


「さっき、女性の研究員が一番外側の方に突き飛ばされているのを見たので......」

「......そう」


 イザベルは腕組をして男性の集団を睨みつける。


「嫌な予感しかしないわね」


 *****


 アロンは渦の中心に近づいていた。足を取られて転ぼうものなら皆に踏み潰されるに違いない。慎重に、且つ懸命に中心を目指す。すると、


「皆さん、一列に並んでください。潰れてしまいますよ?」


 柔らかい声が聞こえてきた。アロンの耳はその声を聞き逃さなかった。腕を千切らんばかりに前に伸ばし、体を前に押し出す。


 すると、


「わあ、アロンさん。ようこそ」

 指先にひんやりした感覚があった。手を握られている。


 アロンは前の男と男の頭の間に、確実に自分の方を見て微笑む彼女の姿を見た。


 *****


「はい、どうぞ」


 アロンは食堂の一角にて、シンシアと二人がけの席についた。買ってきた飲み物を渡すと、彼女は嬉しそうな顔で受け取る。


「ありがとうございます」

 笑っただけでそのまわりに花でも咲いたようだ。アロンも買ってきた飲み物に手をつけるが、彼女の顔に見とれてほとんど喉を通っていかない。


「アロンさんが来ないと私、潰れてしまうところでした」


 彼女を中心に出来ていた人間の渦だが、それは中心部にいる彼女にアロンが触れたことで簡単に崩壊した。彼女はアロンを待ち望んでいたかのように伸ばした腕をとったのだ。嬉しさと恥ずかしさが相まって、アロンは気絶するかと思ったほどだ。


「助けてくれてありがとう」

 可愛らしい彼女の笑みを再び見て、アロンは気恥ずかしくなって、「ハイ......」と目線を逸らした。目線を逸らす先で様々な人と目が合う。彼女と同じ席についている彼を皆羨望の眼差しで見つめているのだ。


 その全てが男性だ。あの渦に居た中で彼女に選ばれたのはアロンだけだったのだ。特に少し離れた席では先輩であるルディが、今にも殺しにかかってきそうな目をしてアロンを睨んできていた。彼の場合比喩ではなく本当に殺しにかかってくるので恐ろしい。


「私、アロンさんと初めて出会った時にすぐ分かりましたよ。この人と最終的には一緒になるって」

「はえっ!?」


 思ってもいなかった彼女の言葉に、アロンは彼女に視線を戻す。シンシアは少し俯き気味に、頬を赤く染めていた。


「私の勘です。でも、よく当たるんです。だからきっと」

「あ、え、その、ぼぼぼ僕なんかでいいんですか......!? もも、もっと良い人が沢山居ると思いますが......!!」


 嬉しさで動揺が隠せないが、彼女は彼の言葉に食堂を見回す。視線を貰えただけでも嬉しいのか、周りの男性職員がうっとりとした顔をしていた。


「私、アロンさんが好きなんです」

「んぐっ!!!」


 アロンは飲もうとして口をつけていた飲み物をコップの中に吹き出す。


「やっぱり言います、好きです」

「ちょ、えっ!? 間違っていませんか!!? この顔ですよ!?」

「アロンさんは素敵な方ですよ? もっと貴方のこと知りたいな」

「......」


 こんなに嬉しいことがあっていいのか。アロンは彼女をぽー、と見つめる。目が合うと優しく笑いかけてくれる。天使に出会ったかもしれない。


 それから彼女との交際が始まった。


 *****


 女性と今まで付き合ったことがこの40年でなかったので、アロンは何もかも手探りだった。先輩であるルディに聞いてみると、


「花でも送ってりゃいいんじゃねー」


 と耳をかきながら適当に言われた。今やB.F.1の美女と歌われている彼女に選ばれた助手のことが相当気に食わないのか、次の日からほとんどオフィスに居なかった。


 しかしアロンはそんな彼のことを気にもせずに、シンシアへと送る花について真面目に悩んでいた。


「うん、やっぱり白色の花にしよう」


 彼女が好きだと言っていたのは白だった。やはり此処は彼女が好きな花を送るべきだ。


 案の定プレゼントされてシンシアは大喜びだった。花に埋もれるように笑って、花越しの彼女もやはり素敵だ。アロンはお礼にと頬にキスを貰ったが、その場で嬉しさのあまり倒れてしまったことが後のB.F.でも話題になったのだとか。


 *****


 一方その頃、イザベルのオフィスではキエラが興奮気味にシンシアについて語っていた。


「本当に綺麗な方なんです!! 今度僕、お茶することになったんです!!」


 キエラが言うには、あの渦の中心に行くと突然彼女に手を掴んでもらえたそうだ。その日はずっと彼女と過ごしたのだとか。イザベルは話を聞き流しながら仕事を進めていた。


「はあ〜、シンシアさん......」

「あなた仕事に手をつけなさいよ。昨日から全く進んでいないじゃない」


 キエラのデスクにはまだ手がつけられていない資料がどっさり置いてある。彼はずっとため息をついていたり、シンシアについて語るので仕事も片付かないのだ。


「シンシアさん、どんな飲み物が好きなんでしょうね......クッキーやチョコを持っていったら、喜びますかね」


 まるで聞いていない。イザベルは大きくため息をついて、彼を振り返る。


「キエラ」

「僕、シンシアさんとお付き合いできますかね......えへへ」

「キエラ!」


 イザベルが彼の名前を厳しい声で呼んだ。キエラが不思議そうにイザベルを見上げる。


「どうかしました?」

「どうかしました、じゃないのよ。さっきからずっと彼女のことばっかり話して。仕事、デスクを見てみなさい」

「......?」


 キエラの目はデスクに向けられる。しかし、


「......??」

 キエラが首を傾げている。


「......はあ、もういい。ねえ、キエラ。そんなに彼女が好きなら、今度私にも紹介してくれる? キエラの良いところを彼女に沢山話してあげたいわ」


「ええ!! もちろんですよ!!」


 キエラが嬉しそうに言った。


「僕のこと、良い感じで話してくださいね!!」

「ええ、もちろんよ」


 *****


「シンシアに関する緊急会議だと?」


 イザベルの提案にブライスが眉を顰める。


「はい。あの光景が異常だとは思いませんか?」

 此処は報告書の受付所だ。この時間はブライスが担当のようで、彼が座っていた。


「いらん、そんなものは。何処が異常だ」

「ブライス、聞いてくれ」


 イザベルと話していると、突然後ろからナッシュがやって来た。いつも見る彼より何処か嬉しそうだ。


「シンシアが、あとでお茶をしようってさ。ブライスもどうだい?」

「ああ、行く」

「......」


 イザベルは黙り込むしか無かった。これは異様だ。伝説の博士さえ彼女に魅了されているというのか。これは、B.F.で今までで一番の危機なのではないか。イザベルは踵を返してオフィスに戻るが、それをナッシュもブライスも気づいているような気配はなかった。


 *****


「あ、博士、おかえりなさーい!!」


 オフィスに戻ったルディに対して異様にテンションが高いアロンが言った。ルディは、


「おー、ただいま。どしたー? またシンシアと進展あったのかー?」


 と慣れた様子で聞いてくる。


「はい、実は今度結婚指輪を渡すんですよ!」

「はあー、スピード婚ってやつか」

「それで、外に出るわけにはいかないので、自分で作ろうと思いまして!!」

「いいねえ、俺も作っちゃおうかな」

「絶対にダメです!! シンシアさんは僕のだと言いましたよね!?」


 アロンは指輪のデザインを考えているのか、自分のデスクに向かって鼻歌交じりにペンを動かしている。


「そう言えばアロン、明日は日曜会議だからシンシアさんとたっぷり一緒に居られるなー。いいなあ」

「そうなんですよー! 博士、僕がシンシアさんと結婚したら結婚式来てくださいね!」

「いいけど、俺もあの子を嫁にしちゃだめ?」

「ダメです!!!」


 *****


 日曜会議に向かうイザベルは考えていた。この現象は確実に超常現象が引き起こしているものに違いない。しかし、それに勘づいているのは女性研究員だけだろう。


 イザベルは会議室に入っていつも通り自分の席に座った。隣には既に同期のノールズ・ミラー(Knolles Miller)が居るが、話しかけても何処か夢心地だ。イザベルはため息をついて、飲み物でも買ってこようと立ち上がる。すると、


「イザベル!! イザベル、イザベル、イザベルゥウウ!!!」


 突然会議室に飛び込んできて来た女性が居た。同じく同期のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)だ。


「どうしたのよ、またブライスさんにふられたのかしら」

「ふられたことはないよ!! ......たぶん」

「で、どうしたのよ」

「ねえ、なんか皆変だよ!!」

「そんなの知ってるわよ」


 イザベルはチラリと会議室の中を見て、最後に腕時計に目をやった。まだ会議開始まで20分はある。イザベルは彼女を連れて会議室を出た。


 *****


「あんなのブライスさんじゃなああああいい!!!」


 リディアが自販機などが置いてある休憩スペースでそう叫んだ。どうやらリディアは男性職員の異様な変わりように気づいたようだ。まだ気づいていない女性職員は、きっとこの会議で気づくに違いない。


「ね、ねえ、シンシアちゃんってどんな子なの!? 可愛いのかなあ!?」

「知らないわよ。見たことないもの」

「だよねえ!!? そうだよねええ!!? でも皆こぞってあの子可愛い、だとか結婚したい!!だとかボヤいてるんだよ!!? ブライスさんも、ブライスさんもおおぉぉぉお......」


 自分よりショックを受けている彼女を見てイザベルは安心した。ちゃんとこの事態に気づいているのだ。


「リディア、落ち着いて。これは絶対に超常現象の仕業よ。男性限定の能力を持っているんだと思うわ」

「そうなのかなあ......」

「ええ、今はもう少し情報が必要ね」

「うん、そのシンシアちゃんについても確かめたい」


 リディアも大きく頷いた。


「とにかく今は会議に出ないといけないわ。どうにかして皆の目を覚まさないと」


 *****


 会議は異様の30分で幕を閉じた。言うことなど何も無い、と言った様子で、淡々と資料を読み進めているうちにプツリと切れたように終わってしまった。これには抗議をする女性研究員が現れたが、男性研究員は何も気にする様子はなく会議室を出て行った。


「......やっぱり変だよ」

 謎の沈黙に包まれた女性だけの会議室の中でリディアの声が響いた。皆の目が彼女に集まる。不安げな者がほとんどだ。ブライスもあの様子では皆不安になるのも頷ける。


「女の子はちょっと残って。少しだけお話をしよう」

 リディアがマイクを手にして立ち上がった。


 *****


「アロン、今日はありがとう」

「こちらこそ」


 シンシアとアロンは食堂から出るところだった。今日はシンシアにもし結婚するならどんな指輪が欲しいかを聞いたのだ。なんでも嬉しいと言われてアロンは彼女が好きな色の宝石がついたものにしようと思っていた。

 これからの事を考えるとアロンは空も飛べそうだ。


「ねえ、アロン」

「んー?」

「明日の夜中に食堂に来てくれる?」

「え!!」

「皆には秘密にしてること、アロンにだけ教えてあげる」

「ええ!!」


 自分だけと聞いて喜ばない異性はいない。アロンは大きく頷いて、「わかった!!」と返事をした。


「じゃあ、明日の夜中ね」


 二人はそこで別れた。


 *****


「それで、男性職員の言動が全部シンシアちゃん中心になっちゃった、ってことだね」


 リディアはマイクを手にして難しい顔をしている。


「ねえ、この中でシンシアちゃんを見たことがある人?」


 彼女が挙手するよう呼びかけるが、誰も手を挙げなかった。これにはイザベルもリディアも、ほかの女性研究員も驚いた様子だ。


「......女性には見えない?」

「ねえ、リディア。ひとつ皆に聞いておきたいことがあるの」


 イザベルはその中で挙手をして発言をする。


「いいよ」

 リディアが彼女に手のひらを天井に向けて、どうぞ、の合図をする。


「この中で自分の知っている男性職員が、彼女とお茶をする約束をしていた、って聞いた子は?」


 すると今度はほとんど全員が手を挙げた。これで確信した。イザベルは「ありがとう」と彼女らに手を下げさせる。


「イザベル、これって......」

 リディアも気づいたようだ。イザベルも「ええ」と頷いた。


「彼女は複数体存在するってことかしらね」


 *****


 シンシアに接触した男性職員は皆口を揃えて、彼女にお茶をしようと誘われたと言われたと発言していることが明らかになった。その他結婚の話まで持ち上がっている人がいることや、デートの約束を交わしたという人がいることまで、それぞれの進行状況は異なるらしい。


 彼女はおそらく複数体存在する超常現象で、それぞれが別々の男性と交際を交わそうとしていること、そして女性にはその姿は見えないことが分かった。


「でも、どうにかしようったってどうにかなる話じゃないと思うわ」

「うん、私たちには見えないんだから防ぎようがないもん。あの堅物のブライスさんでさえメロメロにしちゃうくらいだし......」


 やはり相当のショックらしい。マイクを持ったまま机に突っ伏している。


「これといって悪いことをしているわけではないけれど、もしこのまま全員があの子にメロメロだったら、仕事が溜まっていく一方ね」


「あの......」

 突然手が挙がった。それは星4の女性研究員だった。


「男性職員はお互いに彼女が見えているとしたら、取り合いの喧嘩にはならないんですか?」

「......そういえば、たしかに」


 リディアは首を傾げている。イザベルもそうね、と考えた。


 キエラの話では、彼にとってのシンシアは彼にしか見えていないようだった。一方でブライスとナッシュに見えているシンシアは二人に同じものが見えており、二人が喧嘩をしないような適切な距離感を保っていつようだった。


 他の研究員にも話を聞くと、やはり取り合いの喧嘩というのは今まで一度も起きていないようだ。一緒に生活している上では絶対にありえないことだ。


 例えば、同じオフィスの研究員がそれぞれシンシアに恋をしたとする。一方がシンシアの話をするが、もう一方はそれの話に耳を傾けるだけだ。まるでシンシアとの恋を応援しているかのように。


「それって、男性職員は全員個別的に幻覚症状を見せられてるってことじゃない?」


 リディアがパチンと指を鳴らした。


「ええ、そうとしか思えないわ。シンシアが一人しか居ないと錯覚して、周りを嫉妬させて自分を特別だと思わせる戦法なのかもしれないわね。そして全員がそれにかかっている」

「これじゃあ、本当に対処のしようがないよ......」

「ええ、少し難しい超常現象だわ」


 こんなことは今までなかった。今のところ害はないというのに、厄介すぎる超常現象だ。


「シンシアが幻覚だとしたら、実体はないってこと?」

「考えられない話ではないわね。攻撃しようとしても個人の頭が作り出している妄想だったら、攻撃はできない」

「そんなあ」


 解決策はなかなか出てこない。このままではB.F.は崩壊してしまう。


 *****


 アロンはとても機嫌が良かった。シンシアに明日の夜中に呼ばれたからだ。夜中というのも特別感があるし、ああしてみんなに言っていないことを自分だけに言われるというのも嬉しい事だった。


 オフィスに戻るとまだルディは戻っていなかった。それを不思議に思わないほどアロンは機嫌が良かったので、再びデスクにて指輪の考案を練り始めた。


 *****


 次の日の夜。アロンは食堂にやってきた。鍵を閉める前の、誰もいない食堂だ。秘密にしていたことを明かすのだから周りに人がいない方が良いことはよく分かっている。


「シンシア」

 扉を開けると食堂の中心で彼女は待っていた。柔らかい笑みを顔に浮かべて此方を振り返る姿にアロンは心臓を射抜かれた。何をしても可愛いことは知っていたが、やはり此処まで来ると殺人的に可愛いと言った方が正しいだろう。


「どうしたの? 食堂なんかに連れて来て」

「コソコソ話をするには静かな場所の方がいいでしょう?」


 彼女はそう言って小さく手招きをした。アロンはそれに招かれて、彼女に近づいていく。どんなことを話されても彼女を嫌いになる理由にはならない。むしろ欠点があるなら知りたいくらいだ。


「あのね、アロン」

 彼女が手を握って耳元に口を寄せてくる。


「私_____」


 *****


「死人が出たですって?」


 次の日、再び集まった女性職員たちはざわついた。


 昨夜の日曜会議の後、女性職員はシンシアの正体について様々な考察をしたが、分かったことは彼女の超常現象としての性質くらいで、打開案は浮かばなかった。よって会議は次の日へ持ち越しになり、他の女性職員も集めて再び会議室に集合したのだ。


 ちょうど会議を始めようとした時、突然会議室の内線の電話が鳴り出した。電話をとったのはイザベルで、それはある女性研究員からだった。ペアの研究員がなかなかオフィスに来ないので様子を見に行くと自室の中で息絶えていたらしい。


 ブライスもナッシュもドワイトでさえ動けない今、自分たちでどうにかするしかない。イザベルはすぐに行くと伝えて、会議を一旦お開きにした。リディアを連れてその研究員が死んでいたという自室に向かった。


 *****


 研究員の胸には深深とナイフが刺さっていた。死んでからそれほど時間は経過していないようだが、これだけ深いとかなりの殺意があったと見るべきだろう。彼もやはりシンシアに恋をしていた一人だった。嫌な予感がしたイザベルだが、原因をこじつけるのは良くないと考えて何も言わなかった。


 しかし、その一時間後。


「嘘、また?」


 リディアが電話をとって目を見開いている。二人目の死者が出た。今度はトイレでだ。清掃作業をしていた職員が、いつまでも開かない男性トイレの個室に違和感を持ったらしい。そこで一人の男性職員が首に痣を残して死んでいた。


「これ......」

 リディアがその痣を見て言う。紐ではない。手跡だ。つまり、これは人に殺されたことになる。彼もやはりシンシアと接触があった。


「彼女は害がないなんて言ってる場合じゃないわ」

 イザベルが厳しい顔で遺体を見下ろす。


「このままじゃ全員死ぬ。すぐに手を打ちましょう」


 *****


「あなたに殺して欲しい人がいるのよ」


 アロンの背筋に寒気が走った。耳の中へと吹き込んでくる生ぬるい風に彼の全身は粟立つ。


「私のお願いは断れないでしょ?」


 彼女が顔を覗き込んでくる。その顔は柔らかく、いつもの優しい笑みを浮かべていた。アロンは自分を奮い立たせる。驚いた相談だが、彼女のためならばそんなこと造作もないことだ。人を殺すくらい、なんてことない。


 そう言おうとしたが言葉は出てこない。口の中がカラカラに乾いて、アロンは息をするのもままならなかった。


「アロン、お願い」

 シンシアが片腕に両腕を絡ませてきた。アロンは何とか顔に笑みを浮かべて、頷く。


「だ、誰を僕に殺して欲しいの?」

「貴方の先輩よ。私、最近凄く睨まれて......この前も突然ぶつかってこられたの。とっても怖かった」


 まさか、ルディがそんなことをしていたのか、とアロンは目を丸くして彼女の話に耳を傾ける。


「なんだかジロジロ見られていて......アロンが守ってくれるって信じているの」

「それは......」


 確かに彼女を守るのが自分の今の仕事だ。相手がどんなに尊敬している先輩であっても、彼女の方が優先するべきだと彼の頭は完全にそう思い込んでいた。


「決行は明日の朝。同じ部屋に住んでいるんでしょう? 今からあげるこれで、彼を殺して欲しいの」


 彼女がスカートを捲りあげる。白く艶かしい足が覗いた。そこにはベルトと、拳銃が収まっていた。それをゆっくりと手に取って、アロンに押し付ける。


「一瞬で殺せるのよ、簡単なお願いでしょう」

「う、うん」


 アロンは拳銃を受け取った。彼女が「愛してるわ」と頬に唇を押し付ける。いつもならば嬉しいが、何故かその時の彼にはそれが嬉しいことには感じられなかった。変な汗がさっきから背中を流れている。


「ルディ・マクベインを殺すのよ」


「俺がな〜に〜」


「!?」


 突然この空気には不似合いなのんびりした声が聞こえてきた。食堂の柱の影から、ルディが姿を現す。白衣を脱いでいる彼は、背中から脇を覆うベルトを背負っていた。アロンはあの格好を知っている。大抵あの格好をしている彼は......。


「シンシアちゃん、浮気したの〜? 俺と結婚する約束だったのになあ」


 彼は耳の横で拳銃を持っていた。銃口は天井を向いている。


「博士!」


 アロンがぎょっとした様子でルディを見る。今殺せとお願いされたというのに、当の本人が柱の影で聞いていたとなると、作戦は失敗だ。ルディは特にアロンに対して何も言わず、シンシアににっこりと笑いかけている。


「シンシアちゃん、さっき俺と居なかった? あれっ? あの時結婚指輪渡したのに〜」

「なっ」


 アロンは聞き捨てならずに彼とシンシアを交互に見る。シンシアは顔を青くして、


「そ、そんなことは......」


 と呟いている。


「シンシア、本当......?」

 アロンは彼女に問うが、彼女は口を開こうとしなかった。


「愛してるわ、って俺に言ってくれた言葉だったじゃん、ショックだなあ」

「それは......」

「もしかして、全部嘘? こいつに言ってる言葉も?」


 ルディがアロンをチラリと見た。そして二回瞬きをし、シンシアに目を戻した。アロンはハッとして彼を見つめる。


「アロン、違うの」

 突然シンシアが腕を掴んできた。胸を押し付けるように、猫なで声で彼女はアロンの腕を掴んで離さない。


「私、脅されているの。助けて、お願い」

「......」


 アロンは彼女を見る。艶かしい唇が目に入る。が、彼は黙っていた。彼女の腕がゆっくりとアロンの反対側の肩に回ろうとした。


 鋭い音が響いた。それと同時にシンシアの叫び声が食堂に響いた。その音と叫び声を合図にアロンはルディに向かって走った。彼の横に滑り込んで、そのままの勢いで振り返る。シンシアが顔に苦痛の表情を浮かべていた。彼女の足元に血の海ができている。その血は彼女の右腕から滴り落ちていた。


「俺の助手に触んな」

 ルディが低い声で言った。


 シンシアが彼を睨みつけ、アロンも驚いて彼を見上げる。が、視界に映った彼の顔はいつもの柔らかいものだった。


「あ〜あ〜、ごめんねえ、シンシアちゃ〜ん。頭狙ってたつもりだったけど、俺の助手が急に飛び出してくるもんだからさー」


 ルディが鼻歌交じりに銃を構え直す。


「次は脳みそ吹っ飛ばしてやるよ」


「ちょっと、ちょっと何!! 何で幻惑が効かないの!?」


「はっ、効くわけ」


 ルディが鼻で笑った。


「特別だからかな? お前が魅力的に思えるんなら、この世のどんな醜い生き物も愛せるな。俺は人は選ぶんだよ」

「い、意味がわからない! アロン、アロン何とかして!! そいつを殺してよ!! 殺して!!!」


 最後は癇癪を起こした子供のような悲痛な声だった。アロンは手に持っている銃を見る。そして、立ち上がった。ゆっくりと。


「そう、そう!! 脳天にぶち込んでやって!!」

 シンシアは立ち上がった彼に嬉しそうに手を叩く。アロンはルディの後ろに立った。銃の引き金に指をかけて、ルディの後頭部に銃口を突き付ける。


「アロン、お前何するか分かってるんだろうな」

「ええ、分かっていますよ博士」


 アロンは微笑んだ。


 シンシアと目が合った。彼女にアロンは笑いかけた。


「博士」

「は〜〜い」


 ルディが突然しゃがみこんだ。そして再び鋭い音、シンシアの額に空いた穴。突き抜けた銃弾は、近くの柱にめり込んだ。


「何で、アロン」

 シンシアが腕を伸ばす。額に空いた穴から液体が流れ出す。それでも彼女はアロンとルディに向かってゾンビのようにゆっくりと近づいてきた。


「ばーん」


 ルディがしゃがみこんだまま、彼女の心臓に弾を入れた。


「ばん、ばーん」


 続いて、彼女の片目が潰れた。間髪入れずにもう片方が潰れる。


「あはは、まーだ生きてる」

「博士」

「次は首かなあ」

「博士」


 銃を構えてはすぐに撃ち抜くルディをアロンは呼んだ。


「もう、もう死んでます」

 アロンの言葉にルディは構えるのを止めた。


 食堂の床に広がる赤い水たまりの中でシンシアは息絶えていた。両目が無く、額と心臓から血が流れ出ている。アロンは思わず目を逸らした。今の今まで愛していた女性の死に顔を見て良い気などするわけがない。ルディは銃を投げ出し、


「アロン、白衣」


 と、彼女から顔を逸らさずに後ろに居るアロンに片腕を差し出してきた。アロンは慌てて着ていた白衣を脱いで彼に渡した。


 ルディは大抵銃を持つ時は白衣を羽織らないのだ。本人曰く、血で汚れるし動きづらいからヤダ、とのこと。彼が白衣を着ず、茶色や黒のタートルネックにあの背中から脇にかけて覆うようなベルトをつけている時は、今から銃をぶっぱなしますよ、という合図なのだ。


「あ〜、俺ったら心臓外しちゃってた。失態だ〜」

 のんびりした声で彼は言い、シンシアの横にしゃがみこんだ。


「博士......もしかして、最初から何もかも知っていたんですか?」


 アロンは少し離れた場所で死体の解剖を始めたルディを見ていた。


「まあ、長年の勘ってやつ? 長く生きてりゃ女の善し悪しなんて一目見りゃ分かっちゃうんだわな」


 ルディは鼻歌を挟んで「あ、電話してー」と食堂の柱にかかっている壁掛け電話を指さす。


「ブライスさんにですか?」

「うん、もう夢から覚めた頃っしょ。わ〜、白衣が真っ赤だよ」

「汚さないで欲しかったんですがね」


 アロンは小さくため息をついて電話に歩いて行った。


 *****


 シンシアはその後全員に見えなくなった。ルディとアロン以外の男性職員は彼女が良い印象のまま記憶に刻まれたようだが、それに関する記憶処理は行わないことになったそうだ。

 ルディ曰く、「めんどい〜」とのこと。


 B.F.には未解決で、危険な異空間型の超常現象が多く存在している。その中で、唯一どの超常現象に送り込んでもケロリとした顔で戻ってきてしまう研究員が居るのだとか。


 彼の名前はルディ・マクベイン。銃の扱いはB.F.1と呼ばれており、仕事に疲れると気晴らしに、と赤い箱の鍵を勝手にブライスのもとから持って行っては、銃の腕を確かめるような男であった。


 そんな彼にはもうひとつ大きな特徴があるのだが。

 それはまた、他の機会に。

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