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綿菓子ちゃんは可愛いと言われたい

作者: ゼン

 週に一度のお茶会の日、事件は起きた。




「レジナルド様は、最近アザド男爵令嬢と仲が良いみたいですのね」


 プリシラ・オブ・ニュートンは、自分の言葉をすぐに後悔した。でももう遅い。発した言葉は彼に届いてしまった。

 プリシラはいつもこう(・・)だ。


 婚約者──レジナルド・グリフィン・ダイグナンは、プリシラに困っているような笑みを返す。

 プリシラにとってこの笑顔は見慣れたものだ。


『可愛くない』


 ついこの前、レジナルドと一緒にいた取り巻きの内の一人がプリシラを称した言葉である。


 プリシラは決して不細工なわけではない。

 むしろその逆だ。


 ふわふわな癖っ毛の髪はミルクをたっぷり入れた紅茶のような色をしていて物語の妖精のようだと喩えられるし、ニュートン公爵家特有のアクアマリンの瞳は、国中の女の子達の憧れだ。

 長くこしのある睫毛に、小さく赤い唇、透き通るような白い肌を持つ、美姫と讃えられていた祖母の生き写し。

 そんな甘い顔立ちの彼女は、誰がどこの角度から見ても美少女である。


 見た目は、ふわふわな綿菓子のような美少女。

 しかし彼女は、性格が可愛くなかった。

 いつもツンツンしていて、にこりともしない。ふわふわの要素が全くない性格をしている。


『可愛くない』は真実だ。


 プリシラはあの言葉を聞いてしまった後、レジナルドの肯定の言葉を聞くのが嫌で逃げだした。もしも、聞いていたらどうなっていただろう。

 話に割り込んで、高慢な態度で婚約破棄を叩きつけただろうか?


 ……そんなことできるわけがない。

 プリシラは彼が好きなのだ。


 涙が溢れて止まらなかった。

 心配するメイド達を追い出してプリシラは一晩中泣いた。


「ねえ、レジー? 可愛くなるにはどうしたらいいの?」


 プリシラが話しかけるのは昔レジナルドに貰ったくまさんのぬいぐるみだ。

 プリシラの腕にすっぽり収まるくまさんは、(つぶら)な目でプリシラを見つめている。

 可愛くてたまらない。ぎゅっと抱き締める。


 レジナルドをレジーと呼べないプリシラは、このくまさんをレジーと呼んで毎夜こうして話しかけている。


「……嫌われてたらどうしよう」


 人見知りが激しいプリシラが甘えられるのは、両親と兄、姉、生まれた時から一緒の執事長と、その妻の乳母、乳姉妹だけだ。

 三年以上勤めてくれているメイドにすら、ツンツンしたところばかり見せているプリシラである。

 救いは屋敷の皆がそれを理解していることだ。メイド達はプリシラのツンツンに癒しを感じているのだが、これは内緒だ。


 いつかお嬢様のデレを見る!

 使用人達の目標を知らないのはプリシラだけである。


 それはさておき、話を冒頭に戻そう。

 レジナルドの浮気(疑惑)の話である。


 この春、十五才になったプリシラは乳姉妹のドッドと共に、紳士淑女の育成を目的とする王立ウォーターハウス学園に入学した。敬愛する大好きな兄と姉もこの学園の出身である。


 一つ年上のレジナルドに会うのを楽しみにしていたプリシラはとある光景を見て打ちのめされた。

 レジナルドが、『可愛い』御令嬢と腕を組んで微笑み合っていたのだ。


 その『可愛い』御令嬢──アリスは、半年前までアザド男爵の私生児だった。

 アザド男爵の奥方がなくなり、子供のいない男爵が妻子として迎え入れたそうだ。

 プリシラもこの話は知っていた。なかなかのスキャンダルだったからだ。

 この国は一夫一妻制で、アモーレ()の国と呼ばれるほど夫が妻を慈しむのが普通であり、私生児がいることは一般的でない。

 貴族も庶民も、一生一人だけという共通の認識を持っている。


 そんなスキャンダラスな噂の御令嬢は、学園で一部を除く女生徒達から毛嫌いされていた。

 理由は、アリスの男子生徒達への態度である。


 半年前に貴族になったばかりの彼女の行動は、破天荒過ぎた。


 婚約者がいる男子生徒への過剰なスキンシップ、暗黙の了解のマナーの違反、淑女らしからぬ行動──木に登り仔猫を助けたり、スカートをたくし上げて全力疾走したり、口の端に付いたクリームを舌で舐めとったり……等々(エトセトラ)

 これらの行動を「天真爛漫で明るい」などと言って熱を上げる男子生徒が続出した。


 その中にレジナルドがいたという事実にプリシラは目眩がした。比喩ではない。

 ドッドがレジナルドを射殺さんばかりに睨めつけていたのは記憶に新しい。


 同じくアリス嬢に夢中な婚約者がいる御令嬢達と一緒に泣いた。

 友人が少ないプリシラは悲しみの共通で、友人ができた。なんとも悲しいきっかけであるが、彼女達との絆は日に日に強固になっていった。


 アリスは裕福で、かつ見た目の麗しい男子生徒ばかりと一緒にいた。


「選んでいるあたりが厭らしい。あなた、婚約者のいる男性に擦り寄って恥ずかしくないの?」


 多勢は卑怯だと思ったプリシラは、ドッドも連れずに震える声でアリスに言った。

 心臓が口から出そうなくらい緊張している。


「そんなぁっ! 誤解ですっ!!」

 アリスは胸の前で手を組み、愛らしい声で言った。

 いちいち語尾に「っ!」を付けなければ話せないのだろうか? 動作も鼻に付く。


「レジー……あっ! レジナルドっ、様と私はそういんじゃないですぅっ!」

 声色は悲しげなのに、やけに声量があり遠くまで聞こえるように話す。音量を落とせ。


 プリシラはレジナルドのことを注意したのではないのに、ピンポイントで名を出すのはなぜか。

 しかも、レジナルドを愛称呼びし、言い直しも呼び捨てにしようとした。


 ──バカにされている。


 プリシラは、十五才にして初体験をした。

 人に殺意を抱いたのは人生で初めてである。


「私はただっ! レジーとお友達になりたくてっ! うえーんっ!」

 この女、泣き方までうるさい。淑女にあらず。

 プリシラは泣いているアリスを置いてその場から離れた。


「プリシラお嬢様!」

「……は、話が通じないよぅ、ドッドぉ」

 プリシラを待っていたドッドが駆け寄り、プリシラの手をぎゅっと握ってさする。


「ああ。お嬢様、お可哀想に……ドッドが抱き締めてもいいですか?」

「うん」

「お嬢様、頭撫でてもいいですか?」

「うん」


 ドッドに目いっぱい甘やかされたプリシラだが、話が通じないアリスに日々ヘイトが溜まっていった。


 だから、ついうっかり。聞いてしまったのだ。

「アザド男爵令嬢とどういうご関係ですの?」


 レジナルドから、『彼女を愛している』なんて言葉が出たらどうしよう。

 プリシラは内心、戦々恐々としながら大好きな婚約者の瞳をじっと見つめた。


「彼女は、ただの同級生だよ」

 ふいっと目を逸らしながらの言葉を信じる婚約者がどれほどいるだろうか? 少なくともプリシラは信じることができない。


 そして、彼はまた困ったように笑うのだ。


「……信じられません」

 ぼそりと呟くプリシラに、レジナルドが首を傾げる。


「プリシラ? ごめん、もう一度──」


「信じられません! と、申しましたぁああ!!」


 プリシラの我慢が爆発した。ブチ切れである。


 アクアマリンの瞳に涙の膜ができ、それは今にも瞳ごと溢れてしまいそうだ。

 頬をぷくっと膨らませ、逆毛立った仔猫のようなプリシラに、レジナルドは目を見開いた。


「プリシラ、誤解だ」

「な、何が誤解なのぉ! バカぁ! 浮気者ぉ!」

「待て! 違うんだっ」

 ソファーから立ち上がり、プリシラの肩に手を置く。


「ごめん、プリシラ。泣かないで。あのあざとい……いや、アザド男爵令嬢とは本当に何もない。僕には君だけだ! 誓って言える! 僕が好きなのは君だけだ!」


 普段、一人称が『私』のレジナルドが『僕』と言ってしまうほどに取り乱し、部屋の扉の近くで花瓶を持ち上げていたドッドがそのままの形で固まっている状況に、プリシラの怒りはしゅんと消えた。


「ほ、ほんとに?」

「……っ、ああ。本当だ」

「じゃあ、なんで? なんで、目逸らすの?」

 口調が幼くなり、うるうるした不安気な瞳のプリシラに見上げられたレジナルドは、すっとしゃがみ込んでしまった。


「くっ!」

 胸を押さえて苦しそうだ。


「れ、レジナルド様!?」

 どうしたのだろう。

 具合が悪いのかもとドッドに助けを求めるように見ると彼女は「ヘタレ坊ちゃんクソ野郎〜てってけてー」と歌いながら、花瓶の花を整えていた。


 彼女は作詞作曲の天才だが、誰の歌を歌っているのだろうか?

 しかも、なぜ今歌う?


「──目を逸らすのは、君が……君が、か、か、可愛過ぎて、その、目が見られないんだ……」


 ドッドのBGMは止まらない。てってけてー。


「ドッド。しぃー、だよ。……あ、あのレジナルド様?」

 ドッドへのプリシラの注意(しぃー)にレジナルドが撃沈している。


「なんで、そんなに可愛いの……プリシラ」

「え!?」

「ドッドに嫉妬しそうだよ」

「てってけてー」

「こら、ドッド。めっ!」


 プリシラが嫉妬していたのに、いつの間にかレジナルドが嫉妬している。


 意味がわからない。


「わ、私だって嫉妬してる! ……です。最近のレジナルド様はアザド男爵令嬢にペッタリです。婚約者()がいるのに、よくないと思います」

 言ってやった。


 ドッドはサムズアップしている。てってけてー。


「か、かわ……」

 ぷんぷんしてるプリシラ、超絶可愛い。


 いつもの貴公子然とした皮が剥がれてぶっ壊れたレジナルドにドッドが冷たい視線を送る。

 誰かそろそろドッドに注意した方がいい。


「誤解を受けるような行動は謹んでください」

 ぷん! と腰に手を当てながら言う様子はいつものプリシラより大分幼い。

『可愛い』が天元突破してるなあ、と部屋にいるプリシラ以外の人間は思った。


「プリシラ──私に言い訳をさせて欲しい。だから……」

 人払いを。と、扉の前にいる数人の使用人達をみるとドッド以外は速やかに部屋を出て行く。


「ドッド、君もだ」

「嫌でございます。お嬢様とケダモノを二人きりにするなど、絶対に嫌でご、っざ、もがっ」

 ドッドは言葉を言い終わる前に扉の外へ連れ出された。グッジョブである。


「言い訳……?」

「ああ、聞いてくれる?」

 どさくさに紛れ、頷くプリシラの隣に腰を下ろしたレジナルドは話し始めた。


 ──三年前、隣国で相次いだ婚約破棄。


 第一王子と、公爵家、伯爵家の嫡男達が廃嫡になるまで発展した事件は、たった一人の少女が原因で引き起こされたものだった。

 その少女は、学園卒業の祝賀パーティーで第一王子が婚約者である御令嬢に婚約破棄を突き付けた翌日に姿を消した。


 この婚約破棄事件はあらゆる方面に支障をきたした。

 そのせいで隣国の信用は今も地の底にある。


 その消えた少女というのが、アリスによく似ているのだ。


 しかし、決定的な証拠がなく、尻尾を掴む為レジナルド含む男子生徒達がアリスに骨抜きにされる演技をしていたのだ。


 アモーレの国の男が、あんな女に現をぬかすものか、と言ってレジナルドは話を締めた。


「……そうだったのですね」

「ああ、でももう大丈夫。証拠がつい先日見つかってね。あと二日もすれば彼女は学園に来なくなるよ」


 あと二日!


 たった二日も待てずブチ切れしてしまったプリシラは顔を赤くして謝罪した。

「……ごめんなさい、レジナルド様」


「いや、君はちっとも悪くないよ。……不安にさせてごめんね、プリシラ。許してくれる?」

「ゆ、許します」


 いつもより、至近距離の美しい顔に謝られたプリシラはレジナルドを秒で許した。

 事件は解決するならば、もういい。

 それよりも、気になることがある。


「あの、レジナルド様」

「何? プリシラ」

 やはり視線が微妙に合わない。

 よく見ればレジナルドの耳たぶが真っ赤だ。


「私、レジナルド様に好かれてないと思ってました」

「誤解させてごめん」

「はい。誤解してました。私は可愛くないって言われてるから。でも、嫌いじゃないってわかって、」

「『嫌いじゃない』ではなくて、『好き』だ」


 レジナルドと目が合った。


「私以外の者に『可愛い』などと思われなくてもいい」

「は、はい」

「可愛いよ、プリシラ」

「レジナルド様……」


 プリシラはその日初めてキスをした。


 キスは、深くなる前に悪魔の形相をしたドッドの「スケベ野郎、この野郎! てってけてー!」に邪魔された。




 ──あのお茶会から一週間。


 レジナルドの言う通り、二日後にはアリスはいなくなった。アザド男爵の処遇はこれから決まるそうだ。


 今日は、()『浮気した婚約者、許すまじの会』の皆でお茶を楽しんでいる。


「あたくし、事が事だったと言え、そう簡単には許さないと思ってますのよ」

 ナンシーの言葉にへスターとアマベルが力強く頷く。

 プリシラはなんとなく「もう許した」とは言えずにもじもじする。


「アザド男爵令嬢はどうなるのかしら」

「嫌だわ、あの方の話はもうやめましょうよ」

「そうね、楽しい話をしましょう」

「では恋の話は?」

「ナンシー様の恋の話って、婚約者様のお惚気話じゃないの」

「へスター様だって」

「アマベル様も似たようなものよね」


 プリシラは三人の御令嬢の話を聞きながら思った。

 アリスのおかげ(せい、とも言う)で三人と仲良くなれたし、レジナルドへの疑心が晴れた。

 過ぎてしまえば、良い思い出かも知れない。


「──ちょっと、プリシラ様? 一人だけずるいのではなくて?」

「え?」

「そうよ。プリシラ様のお惚気話聞きたいわ」

「え、えっと……」

「あら、真っ赤になって。お可愛らしいわ」

「ええ。こんな可愛い方とは思わなかった」


 困って振り向けば、ドッドがニコニコしている。


 プリシラは真っ赤になりながらレジナルドを「レジー」と呼ぶことのいきさつを話し、お茶会は大いに盛り上がった。


 楽しかったお茶会の迎えにはそれぞれの婚約者が来た。


「楽しかった? シア」

 あの日──キスをした日からレジナルドはプリシラのことを「シア」と呼ぶ。

 プリシラもこの日からレジナルドを「レジー」と呼んでいる。


「ええ、とっても」

「少し顔が赤いけど、大丈夫?」

「あ。違うの……。これは、レジーに会ったから」

「そう、か。私に、会ったからか……」


 甘い空気をぶち壊すのは、お馴染みドッドである。


「てってけてー!」

「ドッド、貴様……っ!」


 バチバチと睨み合う二人にほっこりしながら、今夜くまさんのレジーに何を話すか考えるプリシラであった。




【完】

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