閑話「女神?エヴァンジェリン」
「――なんで私がこんなことに」
大きく嘆息すると同時に、邪竜であり魔王エヴァンジェリン・アラヒーの一日が始まる。
神官服を身につけた男女が、恭しくエヴァンジェリンのために用意された神殿の中にある寝室に迎えに来ると、身支度を整えて『女神の間』に移動する。
「本日も女神様に参拝したい民が集まっております」
「だーかーらー、私は女神じゃねーし! 魔王だし! 竜だし!」
「私たちにとって、あなたは女神様でいらっしゃいます!」
「話聞けよぉ」
魔王エヴァンジェリンはなぜか女神として祀られているのだ。
それには国一番の変態の名をほしいままにしているギュンター・イグナーツが関係していた。
出会った当初、エヴァンジェリンはダーリンと呼び慕うサミュエル・シャイトの尻を狙う変態だとギュンターを認識し、結果、女体化させてしまった。
すると、どうだろうか。
ギュンターは自分の身体の変化に気づき、胸を揉み、股間に手を突っ込むと、なにが起きたのか理解した。
さぞ喚くだろう、とエヴァンジェリンが嗜虐的な笑みを浮かべた刹那、「あなたに忠誠を!」と膝をつかれてしまい、困惑することとなる。
その後のことはよく覚えていない。
イグナーツ公爵家でめちゃくちゃもてなされると、翌日の夜には出来上がっていた神殿に連れて行かれ、女神としえ祀られてしまったのだ。
――女体化じゃなくて不能の呪いをかければよかった!
と、自らの失態に気付いたが、もう後の祭りだった。
変態はサムの尻を狙っていたのではなく、その逆だった。
気合で孕もうとしているが物理的に無理だ。そんな矢先に、エヴァンジェリンの呪いによって妊娠可能な肉体を手に入れてしまったのだ。
ギュンターの狂喜乱舞は、彼の父親を気絶させ、エヴァンジェリンをドン引きさせた。
長いこと邪竜をやっているが、呪いを受けてこんなに喜んだ人間は初めてだった。
魔王だが、恐怖を感じてしまったエヴァンジェリンは逆らうのをやめ、ちょっとくらい付き合ってやろうと考えた。――が、それがいけなかった。
きっかけは結婚五年目にして子宝に恵まれない夫婦だった。
話を聞いてみると、親から後継を催促されているようだ。
人間の体質まではわからないが、どうやら夫のほうが仕事で疲れてなかなか励めないらしい。
自分に恐れることなく、心から助けを求める夫婦を不憫に思ったエヴァンジェリンは夫のほうに絶倫の呪いをかけてやった。
夫婦は「頑張ります!」と笑顔になって、神殿を去って言ったのだが、これがよくなかった。
翌日、呪いを祝福と勘違いした人間たちが、自分にも祝福がほしいとやってきたのだ。
なんて欲深い人間だ、と思いながらも、神殿の前で響くエヴァンジェリンコールに気を良くしてしまい、「仕方ねえ、面倒みてやるぜ!」なんて調子に乗ったのが悪かった。
「女神様ぁ、私を素敵な女性にしてくださいませぇ」
と、屈強な戦士が女体化を希望し、
「女神様――私に、真の肉体をお与えください」
誰もが美女と呼ぶだろう、凛とした女騎士が男の肉体を求めた。
さらに、
「夫が最近、元気なくて」
「妻の反応が悪いんです」
「年だけど、現役でいたい」
などという要望を抱えた人間たちが、休みなく現れる。
結果、自棄になってみんな呪ってやった。
するとどうだろう。
翌日には、愛の女神として王都中に名が轟き、この国の王子だと言う少年が、それはそれは見事な土下座をして、
「――ビンビンにしてください」
と懇願してきた。
さすがにこの国の行く末が心配になったのは秘密だ。
絶倫の呪いをかけてやると、股間にテントを張ったまま笑顔で帰って行った。
そして、思い出す。
スカイ王国はレプシーを倒し、封じていた国だと。
「スカイ王国こえー!」
ビビったわけではないが、なんだかんだと長い付き合いのゾーイに助けを求めてみたのだが、あの小娘は魔王の助けを無視しやがった。
(――だけど、まぁ)
少しだけ、本当に少しだけ。
こんな日々も悪くないかなと思ってしまった。
生まれ落ちてから呪いの魔力を持って生まれ、邪竜として恐れられてきた。
愛しているとささやいてくれた人間は、自分の力を利用することしか考えていなかった。
騙され、多くの命を奪わせられ、気づいたときには――魔王に至っていた。
この世界が、エヴァンジェリンを魔王として認めたのだ。
絶望した。
二度と、誰かに関わるものか、と。
邪竜となり魔王となり、どこまでも落ちていくのなら――この世界を壊してやろうと、大暴れした。
だが、縁とは不思議なものだ。
最古の魔王と最強の魔王、そして異世界人の魔王によってエヴァンジェリンは倒された。
しかし、殺されることなく、仲間として迎えられた。
ようやく居場所ができたのだ。
その後の日々は穏やかだった。
呪われし子を殺したり、自称魔王共を排除したりと忙しい時間もあったが、心は穏やかだった。
きっとこのまま世界が滅ぶ日まで生きていくんだと信じて疑わなかった。
だが、世界には変化が訪れる。
レプシーの家族が殺され、復讐に走った。
一番、殺戮とは縁がなかった魔王が、目に映る人間を殺し回った。
そして、異世界人に倒され、長い封印をされた。
そんなレプシーが殺されたと聞き、なにかの間違いだと思った。
だが、事実だと知ると、レプシーを倒した人間に興味を持った。
そして、まだ十四歳の子供と出会い、衝撃を覚えた。
不思議と、胸が高鳴った。
この気持ちに名をつけるにはまだ早いが、人間の命は短い。
悠長に、時間をかけていられない。
だから「ダーリン」と呼んでみた。
ダーリン――サミュエル・シャイトと出会い、日々が変わった。
停滞していた魔王が動き、興味を出し始めた。
あの頑固者の元聖女ゾーイでさえ柔らかくなった。
エヴァンジェリンも変わりたくて、スカイ王国に足を運んだ結果、変態に捕獲されてしまったが、きっと百年後くらいにはいい思い出になっているだろう。
この愉快な国で、女神の真似事をして変態どもの相手をするのもなかなか楽しそうだ。
らしくはないと思うが、誰かと関わることを遅れながらも欲していたエヴァンジェリンは、スカイ王国という国と、民に興味を持ってしまったのだ。
「女神様! 素晴らしいお御業でした! 感服いたしました!」
「そうだろう! そうだろう!」
ちやほやされるのも気持ちがいいし、甲斐甲斐しく世話をされるのも悪くない。
まるで王になった気分だ。
「わたくしたち神官一同は、生涯女神様についていきます!」
「ははははは! いいだろう! 面倒見てやる!」
王子からお礼にともらった高級ワインで酔っ払ったエヴァンジェリンは、調子に乗って胸を張ってそんなことを言う。
しかし、翌日。
素面に戻った彼女を待つ、変態どもの列に、あっという間に心が折れるのだった。
「――ダーリンたすけてぇえええええええええええええええええ!」
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