71「お別れの時間です」③
「師匠のことはずっと気にしていました。ですが、こうして立ち直った姿を見ることができてよかったです」
ウルにとって、魔法のいろはを教えてくれたデライトは特別な存在だった。
かつて余命わずかだと宣告され、国を出ようとしたときも、デライトのことが心残りだった。
だが、縁とは不思議なものだ。ウルが出会い、育てたサムによってデライトが立ち直るきっかけが訪れた。そして、彼は見事に宮廷魔法使いに復帰している。
心に引っかかっていた憂いが晴れた気分だった。
「お前にはずっと情けねえところばかり見せていたからな。駄目な師匠ですまねぇ」
複雑な感情が入り混じった顔をするデライトが、髪をかく。
確かにデライトの情けない姿をウルは見たが、駄目な師匠だと思ったことは一度たりともない。
「いいえ、あなたは私にはもったいないくらい最高の師匠でした」
「――っ、そりゃこっちの台詞だ。ウル、お前は俺にはもったいない最高の弟子だったぜ」
涙を浮かべてデライトはウルに言葉を送った。
デライトにとっても、ウルは特別な存在だった。
宮廷魔法使いとなり、王国最強の魔法使いとなったことで有頂天になっていたデライトは、幼いながら才能の塊であったウルと出会い、身震いがした。
魔法使いの直感で、幼いウルが自分を超えた魔法使いになると確信した。
その直感は正しかった。
才能に溢れながら、ウルは魔法が好きで、努力と訓練を欠かさなかった。早朝から夜まで、体力がなくなるまで魔法に打ち込み、強くなっていった。
気づけば、王国最強と言われた自分を超えていた。
成人してすぐに宮廷魔法使いになったのも納得できた。彼女に最強の魔法使いの座を譲ろうと考えたが、他ならぬ彼女が最強の座に興味がなかった。
いや、違う。そうではない。ウルはスカイ王国最強などの小さいものに興味がなかったのだ。
彼女の見ている景色は、常に先だった。
デライトもそんなウルに負けないように、立派な師匠であろうと精進した。
しかし、デライトは最強の座を失った。ウルではなく、魔法を出世の道具としか思わないような人間に奪われたのだ。
そこから挫折が始まった。陛下の前で無様な姿を晒したことから、宮廷魔法使いを辞して家に閉じこもった。酒の量が増えて、飲んだくれた。
地位も権力も失った自分を妻は早々に見限って、出て行った。娘に迷惑をかけている申し訳なさと、魔法への意欲を失った喪失感に苛まれた。
それでも、いつか最強の座を取り戻そうと、魔導書を読み漁るが、飲んだくれている状況で成長できるはずもなかった。
ウルが出奔したと聞き、もっと広い世界を見に行ったのだと思った。酒に逃げ、燻っている自分を情けなく思う。
しかし、違った。数年後、変わらず無様を晒していたデライトのもとにウルの訃報が届いた。
あれだけの魔法使いが若くして死んだというのに、落ちぶれた自分が無様に生きている。そんなことを受け入れられず、また酒に逃げた。
だが、ウルは死してもなお、デライトに機会をくれた。彼女の弟子のサムが訪ねてきたのだ。
かつての自分がウルを弟子にしたように、彼女はサムを弟子にした。師匠という立場になってなにを思ったか、自分のことをどう考えたのだろう、と答のない疑問が何度も浮かんだ。
きっかけを得たデライトは、ウルが恥ずかしくないように再起を目指した。弟子の忘れ形見と、迷惑ばかりかけていた娘のおかげで、宮廷魔法使いに戻ることができた。
そんなとき、ウルが生き返ったのだから、もう笑うしかない。再会した時には「お前、なんでもありだな!」とつい叫んでしまった。
ウルは今もまだ「師匠」と呼んでくれる。それがどれだけデライトにとって嬉しいことか、きっと誰にもわからないだろう。
だが、生き返ったウルが再び死を迎えようとしている。別れの言葉を交わすことができてよかったと思うべきか、ウルを奪う世界を呪えばいいのか、デライトにはわからなかった。
それでも、彼女が安心して眠れるように、師匠としての意地でちゃんと見送ろうと涙を堪える。
「サムのことを頼みます。まだ未熟な点が多いので、気にかけてあげてください」
「おう。といっても、心配することはねえさ。放っておいても、こっちが驚くほど成長するもんだよ。お前みたいにな」
「そうかもしれませんね。では、師匠。さようなら」
「ああ、さよなら、だ」
これ以上、なにかを喋ったら涙が溢れそうだった。
唇を噛み締めて、涙をぐっと堪える。
「フラン、師匠のことを頼んだ」
「お任せください」
「お前もいい女になったな。サムが気になるのならさっさと嫁に加わるといいさ」
「ふふふっ、考えておきます」
シナトラ親子と別れを交わし、そしてウルはギュンターに視線を向けた。




