22「祖母とお会いします」②
サムは、荘厳な細工が施された扉を二枚潜ると、青い絨毯に恭しく膝を着き礼をした。
「お初にお目にかかります。サミュエル・シャイトと申します。王太后様に御目通りできたことを光栄に思います」
「顔を上げなさい」
「――は」
落ち着きのある澄んだ声に命じられて、サムは顔を上げた。
部屋の窓際には、ひとつのテーブルとふたつの椅子がある。
その椅子のひとつに、青い洋服を身につけた老婦人が微笑を浮かべて座っていた。
年齢は六十代半ばだろうか。白髪混じりだが、青みのかかった銀髪をひとつにまとめた髪型をしている。
「私は、ヘイゼル・アイル・スカイです。サミュエル・シャイト……さあ、こちらに」
「はい」
サムは立ち上がると、ヘイゼル王太后の望むまま彼女のそばに足を進めた。
そっと彼女の細い腕が伸ばされ、優しげにサムの両頬に触れる。
「――亡き息子の面影があります。あの子の小さな頃にどことなく似ています。前もって孫であることを知らされずとも、こうして一目見ることができれば、あなたが我が息子の血縁者だと気づいたでしょう」
「その、ヘイゼル様」
「あなたが嫌でなければ、祖母と呼んでください」
「よろしいのですか?」
戸惑い尋ねるサムに、ヘイゼルは優しく微笑んだ。
「もちろんです。ロイグの息子であるあなたは私の孫ですから」
「――その、失礼を承知でも申し上げますが、俺にはロイグ様の息子である自覚がありません」
王太后は嫌な感情を一切向けることなく、サムを受けていれくれている。
だというのに、サムには、彼女を祖母だと受け入れることが難しいのだ。
それもそのはず、ずっと辺境の男爵家の生まれだと思っていたサムが、まさか王弟の息子だった――などと夢にも思っていなかったからだ。
サムの言葉を聞いても、ヘイゼルは表情を変えなかった。むしろ、無理がないとばかりに頷いてくれる。
「そうでしょうとも。聞けば、あの子はあなたが生まれる前に、お母様の元を去ってしまった様ですね。そのことを初めて耳にした時、なんと意気地がない子だと嘆きました。愛する人を見つけたのなら、どんなことをしてでも繋ぎとめておくべきでした。そうしなかったせいで、あの子はついに息子の存在を知らぬまま逝ってしまった。残念なことです」
サムは、あえてなにも言わなかった。
「サミュエルがロイグを父親と思えなくとも、あなたはロイグの息子であり、私の孫であることはかわりません」
「かもしれません」
「……もしかして、ロイグを父と思えない様に、お母様のことも母親だと思えないのではないですか?」
「――それは」
図星だった。
ただ、違うのは、ロイグとは今後関係を築いていくことができないのに対し、メラニーは違う。
サムはメラニーを母と呼んだ。
確かに、まだ母親だと心から思えないが、彼女と親子の関係を築いていこうと決めたのだ。
「お母様とお会いしたと聞きましたが、どうでしたか?」
「かわいい妹がいました」
「あら……そう言えば、サミュエルにとってはじめての兄妹になりますね」
「はい」
「大きなお世話だと思いましたが、あなたが母親と会うのはまだ早いと思っていました。いきなり死者が生きていたと言われ、簡単に受け入れられるものではありません。しかも、あなたには母親の記憶もなかったと聞いています。おそらく、リーゼたちは、あなたのためになると思ったのかもしれませんが、迷惑だったのではないですか?」
「いいえ、迷惑だなんて、とんでもない。お気遣いには感謝しています。それに、母を母と思えなくとも、産んでくれた人が生きていてくれたことは嬉しかったんです。会ってよかったと思っています。ぎこちないですが、母と呼ぶこともできました」
当初は母と会うか迷ったし、会っても母と認識していいのか迷いもした。
だが、クラリスという妹のおかげで、血の繋がった家族がいるんだな、と思えた。
気付けば、メラニーを母と呼んでいた。
まだ家族として受け入れることは難しいかもしれないが、間違いなく彼女は母親だ。それだけは間違いない。
ただ心で理解し受け入れるのは、もう少し時間がかかると思う。
「きっとあなたは私のことも祖母だと認識できないのでしょう」
「――それは」
「構いません。私だって、あなたと同じ立場ならそう思っていたはずです。ですが、今は祖母として受け入れられずとも、いずれは祖母として受け入れてほしい、そう願っています」
「努力します」
「こうお考えなさい。私のことを祖母だと思えないのなら、婚約者のお婆さんくらいに思っていればいいのです」
「え?」
驚き目を見開くサムに、ヘイゼルは微笑んだ。
「それなら付き合いやすいでしょう?」
「え、ええ、まあ」
「幸いなことに、あなたはステラと結婚します。なら、自然と私の孫になるのですから、ほら、結局は祖母と思うことになるでしょう」
「そう、ですね」
「なら、それまでは、婚約者の家族だくらいに思っておけばいいのですよ。無理に、家族だと思おうとするから難しいのです」
確かに、ステラの祖母である以上、結婚したら必然とヘイゼルはサムの祖母となる。
顔も知らない父親の母よりも、婚約者の祖母のほうがわかりやすいし、受け入れやすい。
「確かに、ステラ様のお婆さまだと思った方が、その、気が楽です」
「そうでしょう。私も、無理にあなたに私が祖母だ、そう思え、などと言うつもりはありません。愛する息子の忘形見と親しくしたい、それだけなのですから。そうね、老い先短い老人の戯れに、数年付き合ってくれるくらいの感覚でいいのですよ」
ここに来る前はもっと覚悟をしていた。
無理やりでも、王太后を祖母として扱わなければならない。孫として、振舞わなければならないと気負ってもいた。
だが、ヘイゼルは割と柔軟な思考の持ち主だったおかげで、サムの気も楽になる。
「でも、せめて祖母と呼ぶだけはしてほしいわ」
「では、えっと、お婆さま」
「――あなたに祖母と呼ばれるのは心地いいですね」
「俺は父親の顔もなにもかもしりません。それどころか、別の男を父親だと教えられて生きていました。ですが――ヘイゼル様が俺のお婆さまでよかったと思います」
サムの言葉に、ヘイゼルは嬉しそうに微笑んだ。
「――ありがとう」




