10「ウルは面倒だと思ったそうです」
鮮血が舞うと、ミヒャエルは地面に背中から倒れて動かなくなった。
まぶたを開けたまま、絶句した様子で事切れているのがわかる。
これに慌てたのは、結界を張って戦いを見守っていたギュンターだ。
「う、ウルリーケ! 彼女は仮にも王国の人間だよ! 殺すなんて」
「馬鹿言うな、死んでない。ほら、死んだふりはやめろ、本当にとどめ刺すぞ」
倒れたままの少女に蹴りを入れると、
「――ひゅうっ」
と、止まっていた呼吸が戻り、ミヒャエルが瞬きをした。
「いたたたた」
肩を押さえながら、ゆっくり立ち上がったミヒャエルは、頬を膨らませてウルを睨んだ。
「あのね、本当に死ぬかと思ったじゃない。私としては、手合わせくらいのつもりだったのに、命狙わないでくれないかしら」
「敵対した相手は殺す」
「あなた、どこのバーサーカーよ」
呆れた顔をしたミヒャエルが、ざっくりと斬られた傷口を右手で撫でると、あっという間に傷か消えた。
破れた衣服はそのままだが、まるで最初から傷など負っていなかったのではないかと思うほど、綺麗な肌をしていた。
「面白いな。それがエルフの魔法か?」
「そうよ。でも、人間には使えないからね」
「ちぇっ」
「面白い子ね。さて、どうしようかしら。私は、穏便に事を進めたかったのだけど、あなた相手だと本気を出さなきゃいけないみたい。でも、スカイ王国でお世話になっている私が、宮廷魔法使いを殺してしまうのもちょっとねぇ」
「私は気にしないぞ」
「私が気にするのよ! あなたを殺したら、デライトちゃんたちに申し訳がないでしょう! はぁ、ジャスパー・グレンは諦めましょう。可愛い子だし、欲しかったんだけど、まあ、あとはガブリエル自身がなんとかするでしょう」
意味ありげなミヒャエルの言葉に、ウルとギュンターが揃って首を傾げた。
「ん? なんとかってなに?」
「……目的が失敗してしまったから言うけど、私はガブリエルのためにジャスパーを攫おうとしたのよ」
「それはおかしくないか? あんたあ、ガブリエルおばさんに先を越されるのが嫌で邪魔をしにきたんじゃなかったっけ?」
話が違う、とミヒャエルに問いかけると、彼女はちょっとムッとした顔をした。
「先を越されるのは確かに腹が立つけど! あの子はもう四十過ぎよ! エルフならさておき、人間だといろいろまずいじゃない! 私だってそこまで鬼じゃないわよ!」
「じゃあ、何しにきたんだよ」
「お見合いをぶっ潰すためよ。ガブリエルはとある少年と恋に落ちているの。だから、あの子はお見合いなんてしたくないのよ」
「はぁ?」
「だーかーらー! 借金のカタに奴隷にした男の子と相思相愛になっちゃったの!」
「意味がわからない。いや、わからないから説明はしなくていい」
ウルは頭が痛かった。
家で息子を捕獲するために王都を出たはずが、とんだ茶番に巻き込まれた気がしてならない。
「そんなこと言わずに聞きなさいよ!」
まったく興味のないウルに、ミヒャエルが説明を始めてしまう。
ガブリエル・ウッドフォードは、公爵家の当主でありながら、金貸し業もしているらしい。ミヒャエル曰く、合法の範囲らしい。
とある家庭で借金が膨らみ、親はあろうことか金の代わりにガブリエルに子供を差し出すと言ったそうだ。
おそらくガブリエルの趣味嗜好を知っていたのだろう。
ガブリエルも返ってくる見込みのない金を待つよりも、好みの少年をもらったほうがいいと判断し、受け取った。
ここで終わればよくある話なのだが、続きがある。
ガブリエルは、痩せ細った少年を奴隷としつつ、温かい食事と寝床を与え、勉強を教え、仕事も与えた。給料も払うなど、とても奴隷という扱いではなかった。
少年は自然と、ガブリエルに懐き慕うようになった。
どうやら少年の両親はクズだったようで、虐待をしていたらしい。
そんな少年を哀れに思い、ガブリエルは下心なく愛情を注いだのだ。
そして、月日が経ち、少し成長した少年はガブリエルに恋をしていた。
同じく、ガブリエルも少年に恋をしてしまった。
自然とふたりは結ばれたのだ。
「――で、終わればいいんだけど、ガブリエルは公爵で、相手は平民っていうか奴隷。釣り合いがとれるわけがなく、ガブリエルは誰にもなにも言えずに困っていたのよね。すべてを捨てて駆け落ち、なんてことも考えていたみたいだけど、そんなことをして幸せになれる保証もないし。で、余計なことをする人間が、そこで気絶している坊やとのお見合いをセッティングしてしまったから慌てたのね」
「で、あんたが助けてやろうと。不仲と聞いていたけど、ずいぶんとお優しいことで」
最初こそ、ガブリエルの見合いの邪魔をする、という悪意のある雰囲気で登場したミヒャエルだったが、蓋を開けてみたらライバル――いや、友人思いだっただけだった。
とはいえ、少々手段が荒い。
もっとコネに訴えるなど、もっと別のことができなかったのか、とため息を吐きたくなった。
「べ、別に勘違いしないでよ! ガブリエルが幸せになろうと不幸になろうとどうでもいいのよ! ただ、ほら、あれよ、ジャスパーが私の好みだったから、ガブリエルがいらないならもらってあげようと思っただけよ」
「…………」
「なんとか言いなさいよ!」
「はいはい、んじゃ、ジャスパーにとりあえずお見合いしてもらってから、丁重に断ってもらえば角が立たないだろ」
「そうね、そうしてもらえると助かるわ」
「問題はジャスパーがガブリエルおばさんの悪い噂しか聞いてないから怯えてるってことだが、殴って言うことをきかせればいいか。一応、お父様や先生にも相談しておこう」
「一応、言っておくけど、ガブリエルのことは他言無用で頼むわよ」
「わかってるよ。ったく、貴族っていうのは面倒ね」
「そう言うあなたも貴族じゃない」
ミヒャエルに指摘されて、ウルは苦々しい顔をした。
「私は誰かに言われるまま結婚なんてしない。……違うか。誰かと結婚して、家庭を持つなんて想像ができない。きっと自由にしていいと言われても、誰かを愛したりすることなんて私はないだろうさ」
「僕がいるじゃないか――ぐぺっ」
「うざい」
飛びかかってきたギュンターを殴り落としたウルは、どうしても自分が誰かと家庭を持つ想像ができなかった。
両親には悪いが、どうせ自分はウォーカー伯爵家を出て新たに伯爵位を得ているので、妹たちに期待してほしい。
「あなたもなかなか面倒な子よね。ふふふ、いつかあなたが心から愛せる人と出会えることを祈っているわ」
「そりゃどうも」
「王都に戻ったら、私を訪ねて来なさいな」
「やだ」
「あなたね……そこは素直にうなずきなさいよ。はぁ、エルフの魔法をいくつか教えてあげるから」
「いくいく! 絶対いく!」
「――現金な子ねぇ」
魔法となると目の色を変えるウルにミヒャエルは苦笑すると、ひらり、と浮き上がって王都に向かって飛び立った。
ウルも気絶しているジャスパーの襟首を掴むと、彼女の後を追うように王都に戻るのだった。
◆
王都からはじまりのダンジョンに続く街道に、ぽつり取り残された少年がいた。
「――置いていかれた!?」
ウルは、ギュンター・イグナーツを置いて帰ってしまったのだった。
不幸中の幸いなことに、ジャスパーが乗っていた馬を見つけて王都に戻ることができたギュンターだったが、当のウルが幼なじみを置き忘れたことを思い出したのは、ベッドの中に入ってからだった。




