4「ウルは退屈です」①
「あー、退屈」
雪が降りそうなほど寒い冬の日を、青いコートを羽織って王宮を歩くのは晴れて宮廷魔法使いになったウルリーケ・ウォーカーだった。
宮廷魔法使いだけが身につけることのできる青いコートの下には、白いブラウスと黒いスラックスを履いている。この数年で身長が伸びた彼女は、百七十に届くすらりとしたスタイルのいい美少女に成長した。
燃えるような真紅の髪を腰まで伸ばし、背中あたりでひとつに結っている。
そんなウルは、少女でありながらどこか大人びた印象を受ける。
師匠デライト・シナトラを超える最年少で宮廷魔法使いの地位を手に入れた彼女は、国王からの覚えもよく、次代の王国最強になるのではないかと期待されている。
現王国最強のデライトが、技術と手数の多さを得意としているのに対し、ウルは圧倒的な火力を売りにしていた。
師弟が揃えば敵なしと言われ、宮廷魔法使いになる前から、デライトに付いて数々の問題を解決したウルは、その功績を認められると同時に、三人の宮廷魔法使いの推薦を受けて宮廷魔法使いとなったのだ。
念願果たしたウルだが、その顔はパッとしない。
それもそのはず、宮廷魔法使いの地位を得たせいで、今までのように自由に動けないため、退屈極まりないのだ。
今までは時間があれば、はじまりのダンジョンに潜り、最深部を目指すついでに技量を磨くなどもした。
今は、ダンジョンに潜るのも王宮の許可を取らなければならないのだ。
もう少しで最深部に到達するのではないかという予感があるだけに、残念極まりない。
師匠に稽古をつけてもらおうと思っても、デライトは任務でいない。
国境を侵す蛮族を駆除しに向かったのでしばらく戻らないだろう。
姉妹を可愛がろうと思っても、それぞれ忙しい。
次女リーゼは、国一番の剣士の称号を持つ剣聖雨宮蔵人に才能を認められて弟子入りをした。以来、かつてデライトに魔法を学んだウルのごとく、雨宮家に入り浸っている。
剣の技量もまだ甘いが成長しているようで、将来は魔法使い殺しになるだろう。
笑顔で「お姉様を斬り捨てることができるように強くなるわね」と言った妹は、内心、自分になにか思うことでもあるのだろうか、と首を傾げもした。
三女アリシアは、読書のため部屋に籠っている。なんでも人気作家の有名本を手に入れたようで、見るからにはしゃいでいたのを覚えている。
気弱な三女であるが、最低限の訓練は続けていている。ウルからすると、興味のないことをよく継続できると感心してしまうのだが、これは性格的なものなのだろう。
四女エリカは、まだウルの相手ができるほど育っていないのだが、本人は姉のような魔法使いになるとやる気満々で家庭教師をつけてもらい奮闘している。
自分に憧れるエリカの眼差しはくすぐったいが、心地いいものだ。妹が誇れる宮廷魔法使いになろうと思わせてくれた。
師匠は留守。姉妹はそれぞれ用事がある。
つまり、ウルは暇だった。
そんなウルの背後にそっと近づく影がある。
「やあ、僕のウルリーケ」
気障ったらしい声が、耳元で名を囁く。
背筋に悪寒が走ったウルは、反射的に振り返り平手を放った。
ばちんっ、といい音を立てて、背後にいた人物の頬を打った。
「――あふんっ」
なぜか嬉しそうな声が聞こえ、ウルの顔が嫌そうに歪んだ。
「またお前か、ギュンター。いい加減懲りたらどうだ?」
「ふふふっ、父上の御用事に付き合って王宮に来たものの、退屈でどうしようかと悩んでいたが、まさか僕のウルリーケがいるとはね。やはり僕と君は運命の赤い糸で結ばれているんだね!」
「相変わらず気持ちの悪い奴だな」
「そう褒めないでくれたまえ。照れてしまうじゃないか」
「褒めてねーよ」
頬を赤く染めて、くねくねと気持ちの悪い動きをするのは、ギュンター・イグナーツだ。
イグナーツ公爵家の次男であり、ウルの同い年の幼なじみでもある。
一見すると、物語から飛び出してきた王子様のようなブロンドの少年だが、実際は気持ちの悪い変態だ。
彼の気持ち悪さは出会ってから、そのままだ。両親と兄はまともな人なのに、なぜこうもギュンターは言動がおかしいのだろうか、と悩む。
幼い頃はそれなりに遊んでいたが、思い返せば幼少時から言動が気持ち悪かった気がする。
着替えや風呂を覗かれたことは数えきれず、下着が新品のものとすり替えられていたこともあった。
弟子でもないのにシナトラ家にもしょっちゅういたし、家にも入り浸っている。
姉妹たちもギュンターの言動の気持ち悪さに引いているのだが、割と関係は良好だ。姉としては、ただの変質者とフレンドリーに接することのできる妹たちを不思議に思うこともある。
ただ、ウルもウルで、ギュンターを邪険にしても、徹底的に排除しようとはしていない。
おそらく大雑把な性格が原因だ。
覗きをされても「まあギュンターだし」で終わらせ、下着を盗まれても「新品になったから、まあいいか」で済ませてしまう。
父はギュンターの変態行為を公爵家に訴えており、公爵家当主が息子を止められず頭を下げるという光景をよく見ることができる。
ウルとしては、ギュンターが気持ち悪いのは確かだが、大きな害がないので放置でいいと思っているのだ。
変態だが、別に嫌いではないのだ。
そんなギュンターが、偏愛を抱くウルを追いかけて宮廷魔法使いになると決めたのが数日前だ。
結界術という珍しい魔法を得意とするギュンターは、守りに関しては齢十六歳にして国一番の使い手であった。
総合的にはウルに劣っているし、戦闘面でも不安は残るが、宮廷魔法使いになるには問題ない実力を持っていた。
そもそも宮廷魔法使いは戦闘力だけを求められているわけではないのだ。
「そういえば、ギュンター」
「なにかな、僕のウルリーケ」
「ステラ王女とセドリック王子に会ったって聞いたけど?」
「僕とは従兄弟に当たるからね。何度かお会いさせてもらっているよ。今日も、ふたりのために結界を張らせてもらったんだ」
「どうして、わざわざ?」
「最近、煩わしい雑音が増えているからね。陛下もご心配なのだろう」
「雑音って?」
「ほら、ステラは髪も肌も真っ白だろう。王家の銀がないせいで、心ないことをいう人間がいるのさ」
クライド国王の長女ステラは、王家の人間に現れる銀髪を持たず、雪のように真っ白な髪と肌を持つ。
そのせいで第一王妃であるフランシスの不義が疑われることとなった。
夫婦仲は良好であり、不義などありえない。そもそも人の目が多い王宮内で浮気などできないのだが、人を悪くいうことが趣味のような人間は貴族に多いため、なかなか悪い噂が消えることはないのだ。
「くだらないわね。陰口しか叩けない弱者なんて放っておけばいいのに」
「みんな君のように強くはないのさ」
「別にいいけど。私は王女様とは縁がないしね」
「わかっているよ。君は僕に夢中だから、ステラやセドリックなんて眼中にない、そう言いたいんだろう?」
「ちげーよ。お前のその前向きな思考に時々感心するよ」
「はっはっはっ! あまり褒めないでくれたまえ、絶頂してしまう!」
「きもっ」
恍惚とした表情をするギュンターの尻を蹴ると、甘い声が飛んできた。
逆効果だったと、思わず足を手で払ってしまう。
なんだかんだと腐れ縁の変態と、一度は婚約の話も出たのだが、ウルは頑として受け入れなかった。
しかし、婚約を拒まれたギュンターに諦める素振りはない。むしろ、なんとか振り向かそうと頑張っている。が、すべて逆効果だ。
相手がギュンターであっても、いい暇つぶしになったとばかりに屋敷に帰ろうとしたウルを呼び止める声があった。
「ウル!」
「お父様?」
なにやら慌てた様子の父を見て、なにか面倒ごとが起きたな、と推測したウルは、退屈な時間にさよならできると、嬉しそうに笑顔を浮かべた。




