41「前に進めるそうです」
「ぎゃぁあああああああああああああああああああああっ!?」
ウォーカー伯爵家に赴いたジム・ロバートを出迎えたのは、子竜に跨がり空を駆ける思い人アリシア・ウォーカーの勇ましい姿だった。
それだけなら、目を丸くするだけでよかったのだろうが、子竜の一体がサムを見つけ飛んできてしまったのだ。
サムにしてみれば、甘えてと言わんばかりの突進だが、ジムには違った。
子竜とはいえ、仮にも竜が牙の並んだ口を開き、真っ直ぐに向かってくるのだ。
食われる、くらいは思ったのかもしれない。
そして、ジムの絶叫が響き渡り、彼はひっくり返ってしまった。
「あ、ジム!?」
絶叫の主に気付いたアリシアが、子竜と共に地面に降りて駆け寄ってくる。
おそらく腰が抜けているであろうジムに近づこうとするが、彼は男の意地と言わんばかりに手を挙げて制した。
少し離れた場所で立ち止まったアリシアは、幼なじみの少年が上半身を起こすのを待つと、深々と頭を下げて謝罪した。
「――ジム、ごめんなさい」
その短い謝罪に、彼女の様々な気持ちが込められていることにサムは気付いた。
アリシアにも言い分はあるだろうが、それらを口にすることなく、ただ謝罪だけしたのだ。
そんなアリシアに、ジムは優しげに微笑み首を横に振ってみせる。
「……いや、いいんだ。今、この瞬間、僕はアリシアのことをなにも理解していなかったのだとわかった。まさか竜騎士になるほど勇ましい人だったとは思いもしなかった」
「いえ、あのですね、別にそういうわけではないんですが」
一応、サムがフォローをしようとするも、ジムに言葉が届いていないようだった。
サムを無視しているのではなく、今しがた目撃した光景があまりにも衝撃すぎてショックを受けているようだ。
気持ちはわかる。サムだって、引っ込み思案な性格だと思っていたアリシアが、その気になれば一体で王都を壊滅させることができる子竜に跨るなんて思いもしなかった。
「アリシアを控えめな性格だと勝手に決め付けていた僕が愚かだった。こんなに豪胆な性格だったとは……僕は今までアリシアのなにを見ていたのだろうか」
「いえ、だから、あの、ご家族も知らないアリシア様の一面に驚いているんですよ?」
「僕は自分が恥ずかしい!」
「――聞けよ」
(言いたくないけど、きっとこういう話を聞かないところがアリシア様と相性が悪かったんだろうなぁ。まあ、友人としては別に気にするほどじゃないけど、結婚して毎日これだと考えるとキツいかもね)
ショックも大きいのだろうが、ジムの話を聞かない一面を見たサムは、そんな感想を抱くが、口に出すような無粋な真似はしなかった。
今はただ、ジムとアリシアのなりゆきを見守るだけだ。
「アリシア」
「はい」
「サミュエル・シャイトと幸せになってほしい」
「――ありがとうございます、ジム」
ジムは恨み言を口にすることなどなく、幼なじみの幸せを心から祈った。
アリシアは幼なじみの言葉に、救われたように笑顔となる。
サムも見ていて安心した。
「そして、サミュエル・シャイト」
「はい」
「アリシアを必ず幸せにしてくれ。幼なじみとして頼む」
「言われずとも、必ず幸せにします」
サムが真っ直ぐにジムと視線を合わせ頷くと、彼は満足そうに頷き返してくれた。
「――よかった。これで、僕も前に進める。さて、サミュエル」
「はい」
「前に進む前に、頼みたいことがある」
「えっと、なんですか?」
まだなにかあるのだろうか、と疑問を浮かべるサムに、ジムはふたりと向き合っていた表情を変えぬまま、はっきりと告げた。
「できれば風呂と着替えを貸してくれ。漏らしてしまった」




