57「無粋な男です」
「なにやってんだ蔵人ぉおおおおおおおっ! お前は、僕の敵を討つんだろうがぁあああああああああああああああああああ!」
大声の主は、ユリアン・ミッシェルだった。
二週間前と比べてだいぶやつれている彼の腕の中には、寝巻き姿のことみの姿があった。
彼女の首には短剣が突き付けられている。
「ことみ!」
蔵人が目を剥き、娘の名を呼んだ。
サムたちも想像していなかった展開に驚きを隠せなかった。
(――まさか、この場にことみちゃんを連れてきてくれるなんて、なんてタイミングのいい奴なんだ、今だけはお前のその馬鹿さ加減に感謝するしかない!)
青白い顔をしたユリアンの腕の中で、ことみが震えていた。
まだ十二歳の少女が短剣を突き付けられているのだ、さぞ恐ろしいだろう。
しかも、相手は怒りに満ちたユリアンだ。いつ、その短剣が彼女を襲うかわからない。
それでも、行方知らずだったことみが、この場にいるのが重要だった。
「お父様……ごめんなさい……私、私のせいで」
どうやらことみは、自分が人質になっていることを把握しているようだ。
「ことみが謝る必要はありません。なにもされていませんか?」
「う、うん」
「ユリアン様、お願いです。娘をお離しください」
「ふざけるな! お前はそのガキを殺すことをお母様に約束したんだろぉ! なら、早く殺せ! 殺せよぉおおおおおおお!」
血走った目を蔵人に向けて唾を飛ばすユリアンは、とてもじゃないが正気とは思えなかった。
いつ彼の短剣がことみを傷つけるかわかったものではない。
(ことみちゃんを連れてきてくれたことはありがたいけど、話が通じそうもない。下手に動いてことみちゃんになにかあったら一大事だ)
せっかくことみがこの場にいても、人質にされている以上、迂闊なことができない。
サムは思わず舌打ちをした。
「ユリアン! なんて卑劣なことを! ことみ様を離しなさい!」
「クズ。ことみを離せ」
リーゼと花蓮がユリアンを非難するが、彼には通じない。
むしろリーゼの姿を見つけ、なにを思ったのか大きく笑い始めた。
「ふ、ふはははははは、リーゼ! リーゼじゃないか! そうだ、いいことを思いついた! おい、リーゼ! ことみを殺されたくなければ、お前がそのガキを殺せ!」
「――な」
「どっちの命が大事か教えてくれよぉ!」
ユリアンはあろうことか、リーゼにサムとことみの命を天秤にかけろと言い放ったのだ。
「ことみ! 妹を離せ、ユリアン!」
「おやめください、ユリアン様!」
狂った提案をするユリアンに、ことみの解放を訴える雨宮親子だが、彼が願いを聞き届けることはありえなかった。
「だいたいお前もだ、蔵人! 剣聖のくせにまるで役に立たないじゃないか! それに、お母様から聞いたぞ! せっかく水樹を嫁にしてやろうと言ったのに、拒みやがって! なんだったら、この場で姉妹もろとも犯してやってもいいんだぞ!」
「おやめください!」
「――父上?」
どうやら娘を欲したユリアンを蔵人が拒絶したことは水樹も初耳だったようだ。
サムたちも同様だ。そして、いい判断だっと思う。
こんな男に娘を渡していたら、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
「どうか、どうかことみをお離しください!」
手を着いて懇願する蔵人の姿に、ユリアンが忌々しく唾を吐く。
「どいつもこいつも俺を苛立たせやがって! まあいい、どうせ剣を握る女にロクな女がいないのはわかっていたことだ。野蛮な女はこちらから願い下げだ! だが、そのガキの婚約者になったステラ様は僕にふさわしい。王女を好き放題にできるなんて、考えただけで興奮するよ!」
好き勝手なことを言っているユリアンを殴りたい衝動に駆られるサムは、そのためにはことみをなんとかしないと、と周囲に視線を巡らし、ギュンターと目が合った。
彼は、小さく頷いた。彼の考えていることがわかったサムは、ユリアンの注意を自分に向けさせることにする。
「さあ、リーゼ! 僕のためにサミュエル・シャイトを殺せっ! そうすれば、またかわいがってやってもいいぞ!」
「あはははははははははっ! 俺に股間を潰されて男として機能していないくせに、誰をどうするんだって?」
サムは、ユリアンの注意を引き付けるために、大袈裟に笑い出した。
すると、血走らせた目を向けて、ユリアンがサムを睨む。
「――っ、貴様ぁ! 僕がこんな目に遭ったのも、すべて貴様が!」
「全部お前の自業自得だろう!」
「ふざけるなぁあああああああああああああああああああああっ!」
サムの挑発に、顔を真っ赤にしてユリアンが怒声を上げた。
その瞬間、わずかにユリアンとことみの体に隙間ができる。
「――サムに同感だね、同じ男として非常に不愉快だ」
そのわずかな隙をギュンターは見逃さなかった。
ギュンターが指を鳴らすと、ことみの体を結界が覆い、ユリアンの体が弾き飛ばされる。
「――あ?」
なにが起きたのか理解していないユリアンが間抜けな声を上げたと当時に、サムと蔵人が動いた。
「ギュンターよくやった!」
「ご褒美に期待してるよ!」
「蔵人様に言ってくれ!」
負傷しているサムと蔵人だが、ユリアン程度に遅れを取るつもりはない。
人質さえいなければ、相手にもならない。
「娘に手を出したことだけは許せません」
剣聖の一振りが、短剣を握るユリアンの右腕を肩から斬り落とした。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫を上げるユリアンに、サムが肉薄し、手刀を振り下ろす。
「――キリサクモノ」
左腕を肩から両断され、ユリアンが二度目の絶叫を上げる。
そんなユリアンをうるさいとばかりにサムが殴り飛ばした。
体を支える腕のなくなったユリアンは、そのまま地面に背中から倒れる。
「――かはっ、あ、そんな、ぼく、ぼくの腕がぁああああああああああああああ!?」
両腕を失ったことを自覚したユリアンが三度目となる絶叫を上げる。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、地面をのたうち回る彼の顔面を、サムが思い切り踏みつけた。
「もう、いい加減に黙れ」
ぴくりともしなくなったユリアンから足を離すと、サムは大きく息を吐き出した。
「お父様!」
「ことみ!」
ギュンターの結界に守られながら、無事にユリアンから逃れることができたことみが父親に駆け寄る。
蔵人もことみに向かって走り、その小さな体を力一杯抱きしめた。
再会を邪魔するのは無粋かもしれないが、訪ねておかなければいけないことがあった。
「こいつはどうします? 殺すかどうか蔵人様にお任せします。俺はもう、こいつなんてどうでもいい」
サムは、倒れるユリアンを一瞥すると吐き捨てた。
蔵人は、ユリアンに視線を向けると、悲しそうに目を伏せ、首を横に振った。
「私もどうでもいいです。今はただ、ことみが無事に返ってきてくれたことだけで……サミュエル君、ギュンターどの、ことみを救ってくれたことに心から感謝をします」
そして、蔵人はことみから体を離し、背後で父と同じく頭を下げていた水樹へ預ける。
「私の決着をつけましょう。さあ、殺してください」
「父上!」
「お父様!?」
「娘を人質に取られていたとはいえ、私は本気でサミュエル君を殺そうとしました。それは決して許されることではありません」
「本気ですか?」
「はい、本気です」
サムは、蔵人に歩み寄って拳を握りしめた。
「サム! お願いだ、父を、父上を殺さないで!」
「サム様! 私が悪いんです! だからお父様を許してください!」
娘たちの懇願を無視して、サムは思い切り蔵人の頬を殴った。
「……どうして?」
頬を押さえ、唇から血を流す蔵人は、信じられないとばかりにサムを見る。
サムはそんな蔵人の胸ぐらを掴んで、感情を込めて怒鳴った。
「俺に、あなたを殺せるわけがないだろう! 水樹様とことみちゃんから父親を奪えるわけがないだろう! 自己満足で、完結しようとしてるんじゃねえよ!」
気が済まず、もう一度蔵人の頬を殴りつける。
「俺は、あなたを殺して、水樹様とことみちゃんに恨まれながら生きていくのなんてごめんだ! 償いたいって言うのなら、生きて償え! そうだろ、雨宮蔵人!」
「――はい」
蔵人は涙を流していた。
彼が何を考え泣いているのかまではサムにはわからない。
だが、これで、つまらない理由で始まった決闘は終わりを迎えたのだった。
「もし、まだ戦いたいのなら、そのときは後腐れなく、正々堂々戦いましょう。理由なんていらない、どちらが強いのか決めるシンプルな戦いにしましょう。決闘なんて、そのくらいでちょうどいいんです」
それだけ言うと、サムは蔵人から手を離した。
その場に膝をつく蔵人に娘たちが駆け寄り、泣きながら抱きしめ合う。
そんな光景をしばらく見守っていたサムに、近づく影があった。
「サム、ユリアン・ミッシェルの身柄は僕が預かろう」
「ギュンターが?」
「僕の役目は、なにもこの屋敷に結界を張ることだけじゃないんだよ。雨宮蔵人、君を宮廷に、陛下のもとに連れていく。文句はないよね?」
「……もちろんお供します」
「ギュンターお前」
ギュンターがサムにウインクする。
もともと彼は蔵人を王宮に連れていく役目を負っていたのだろう。
決闘を国王が聞きつけたのだから、避けられないことだ。
蔵人にはなんらかのペナルティが与えられるだろう。
もちろん、ミッシェル家にも、だ。
(だけど、もういいや。今日は疲れた。早く、家に帰って、リーゼ様と一緒にのんびりしたい)
「さ、帰りましょう」
ずっと見守ってくれていたリーゼたちにサムが声をかけたとき、
「え?」
ゆっくりとリーゼの体がサムの視界の中で傾いた。
そのまま、どさり、と音を立ててリーゼが倒れてしまう。
「リーゼ様っ!」
不意打ちすぎる出来事に、サムは思わず最愛の人に駆け寄るのだった。
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